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なぜ「い=強調」なのか?原因はぎなた読みの可能性(3)

2024-06-03 22:15:29 | 日本語文法
>https://nihonsinwa.com/page/1281.html
>意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙
>大君を島に放はぶらば船余りい帰り来むぞ
>歌の訳大君を島に放せば(「船余る」は帰るの枕詞・詳細は不明)帰ってくるから、

=大君を島に放はぶらば船余り事、帰り来むぞ

これでも良い気がするけどね。
そしてちょっと気になった。

>意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理(船余り) 伊賀幣理許牟叙(い帰り来むぞ)

まさかこの漢字の区切り空白で「布那阿麻理(船余り) 伊賀幣理許牟叙(い帰り来むぞ)」
によって「船余り い帰り来むぞ」になったんじゃないだろうな。

古事記とのことだが、古事記だって残ってるのは写本だろ。
原本じゃ無いはずだよ。そもそも原本に空白があったのか。

魏志倭人伝を見ると漢字が隙間なくびっしり書き込まれている。
たぶん紙が高価で大事に使う必要があったから、
空白や句読点を入れるのは、もったいなかった。だから文字をびっしり書き込んだ。

空白や句読点を文章、文の中で文字の正式メンバーで書き込めるのは
紙が大量に供給されて誰でも入手できるようになってからだ。

>https://manyoshu-japan.com/13041/
>巻 第4巻
>歌番号 537番歌
>作者 高田女王
>題詞 高田女王贈今城王歌六首
>原文 事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸<敢>物
>訓読 言清くいたもな言ひそ一日だに君いしなくはあへかたきかも
>かな こときよく いともないひそ ひとひだに きみいしなくは あへかたきかも
>英語(ローマ字) KOTOKIYOKU ITOMONAIHISO HITOHIDANI KIMIISHINAKUHA AHEKATAKIKAMO
>訳 聖人君主のようなそんなにお堅いことをおっしゃらないで。あなたなしには一日とて耐えられませんわ。
>左注
>校異 取 敢 [古義][新考][菊沢季生]
>用語 相聞、作者:高田女王、今城王、恋情、贈答

>万葉集一 日本古典文学大系四 注p258

>言清く ― われわれの間は潔白であるというような言葉。
>〇いたも ― ひどく。 〇一日だに ー 一日だけでも。
>〇君いし無くは ー あなたがいなければ。イは間投助詞。
>平安時代には法相宗関係の仏典の訓読に主格を表わす助詞として用いる。
>朝鮮語の主格助詞にもiがある。同源の語と認められる。シは強めの助詞。
>〇痛きかもー耐えられないことだ。痛、名義抄にタカタシの訓がある。
>寸は訓仮名キ。原文、取は敢の誤りと認める。
>敢は音カム。カの仮名と認めうる(菊沢季生氏説)。
>[大意〕 何の関係もないなどと、 あまりきれいなことを
>どうぞおっしゃらないでください。
>一日でもあなたなしには到底耐えられないことです。

この歌も空白が入っているけど、原本は入っていないと思う。

>〇君いし無くは ー あなたがいなければ。イは間投助詞。
>平安時代には法相宗関係の仏典の訓読に主格を表わす助詞として用いる。
>朝鮮語の主格助詞にもiがある。同源の語と認められる。シは強めの助詞。

ここの説明もわからない。「朝鮮語の主格助詞にも~」の部分は本当とは思えない。


#接頭語「い=強調」 #「い=者物立場状況…=名詞」 #ぎなた読み
#言清くいたもな言ひそ一日だに君いしなくはあへかたきかも
#大君を島に放はぶらば船余りい帰り来むぞ
#吾妻秀史 #美智子の文法



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