みなさま☆こんばんは☆彡 Rayです。
今夜は、久しぶりに、ちょっと…私にしては、長文を記しました。
お時間をいただき、お読みいただけましたら、…うれしいです♪
* * *
…ずっと、「感動」について、考えています。
「いろいろと想いだしたこと」 について、綴ります。
* * *
今夜、ここに綴る私の「感動」は、あるいは、、
「感動」ではないのかもしれません。
だけど、少なくとも・・
主人公と思われる男性の行いから、
少年と、そして、女性のこころに、何かしらの感動が、
生まれた、と、おもうのです。
そして、それは、素晴らしさとか、称賛とか、
そういったこととは、ちょっと……ちがうみたいに、感じられました。
~~ ★ ~~ ★ ~~ ★ ~~ ★ ~~
物々交換から始まったという、品物を手に入れる手段から
私たち人類は、やがて、「お金」 を あみだしました。
けれど。 「お金」 って、数字のカタマリなのかもしれません。
だって。
1000万円という大金。
あの、うすっぺらな、ちいさな1円だまが、たったひとつ、
足りなかったとしても。。
1000万円にならないのですから・・
* * *
道徳の教科書だったとおもいます。
わたしが、まだ、小学生のころでした。
舞台は、外国・・イギリスとか、フランスでしょうか?
その紳士的な身なりをした男性は、大きな駅に到着したとき、
切符を買いたい少年と、切符売り場の女性との 会話を耳にします。
ほんの 数十年前は、切符といえば、
特に 長距離のものは、けっこう、対面で販売が基本だったのですよね。
その駅は、長距離列車の発着のある、大きな駅。
大きなバッグを手に、大勢の人々がゆきかって。
駅・・
それぞれの想いが めぐったり かさなったり・・
過去と未来とが まるで 右往左往するかのような場所。
そして。
その男性は、「その声」 の する方へ近づきます。
少年 「おかあさんが病気で、どうしても、汽車に乗りたいんです。」
女性 「でも、お金が足りません。
これでは、どうしても、売ることが出来ないのです。」
窓口の奥から、その切符販売の女性の、困ったような顔が みえます。
どうやら、この数分の間、同じような問答を、繰り返しているものと思われました。
声のする会話から、事情を認めた男性は、さらに歩み寄ります。
そして、声を掛けます。
男性 「いったい、いくら、足りないのですか?」
その、道徳の教科書には、具体的な金額は、記されていませんでしたが、
その後の、女性の様子から、決して、少額ではなかったことがわかります。
女性 「〇〇〇円です。」
男性 「では、そのお金を、私が、支払いましょう。」
えっ?となった女性は、男性に訊ねます。
女性 「こちらの少年と、お知り合いなのですか?」
男性 「いいえ、今、会ったばかりです。」
驚きの表情をしながらも、女性は男性からお金を受け取り、切符を少年に渡します。
同じく、驚いたまま黙ってしまった少年に、男性は、声を掛けます。
男性 「さぁ、早くしないと、汽車が出てしまうよ。
お母さんを大事にしてあげなさい。」
少年は、はい、と応えて、「ありがとうございます!」と云い、
改札へと、走り出しました。
男性は、その少年が、ちいさな姿になって、そして、消えるまで、見送ります。
その姿から、男性によみがえってきたのは、自分が貧しい少年だったころの思い出。
当時。
その男性は、先程の少年と同様に、母親が病気だったとき、
汽車に乗るためのお金が足りず、困っていました。
すると・・
見知らぬ男性が、足りないお金を出してくれたのでした。
少年だった男性は、おもいます。
「よし! 大人になったら、ボクと同じように、お金が足りなくて困っているひとを、
助けよう!」
* * *
読み終えて。
わたしは、少年と、女性と、そして・・ 男性。
それぞれの気持ちを おもいました。
当時のわたしは、虐待を受けている毎日を、
「だれか」 が、救ってくれないかと、夢見ていました。
今よりは、ずっと、虐待ということが、表(おもて) には 出てこなかった時代です。
だから、そんなこと、夢物語だとわかっていました。
だから。
だからこそ。
そのとき、わたしは、おもいました。
「わたしの未来。 大人になって、お金の足りない人を見つけたら、
助けてあげよう!」
そらを、みました。
どんな未来が、わたしに待っているかわからない。
だけど・・
このそらのどこかに、助けてほしいと、切羽詰まって居るひとがいるかもしれない。
そういったひとへの「おもいやり」 を、「実行に移すこと」 は、素晴らしいと感じた・・
そんな記憶があります。
* * *
けれど、なかなか・・
わたしが、「大人」と呼ばれる年齢になっても、
わたしが願うような 「そういう場面」には、出会うことが、ありませんでした。
貧困
貧富の差
職場との往復だけで、暮らしている毎日では、「それら」が、感じられにくい世の中に、
なっていたのかもしれません。
中学3年の夏から、私は、都内に住まい、
社会人になってからは、新宿区へ通勤するようになっていました。
都会の姿ばかりが、目に映る毎日だったのです。
* * *
それから、たくさん、一年ずつが 過ぎてゆき・・
いろいろあって・・
わたしは、結婚し、東京都内の M市に住まうようになっていました。
* * *
そして、ある夜。
急に 「アイスが食べたい」 と 云いだしたダンナが、
お風呂に入っている間に、わたしは、抜け出すように、そっと、家を出て。
ごく近くのコンビニに、アイスクリームを買いに ゆきました。
お風呂から あがったダンナに、「アイスあるよ♪」 って、云って、
喜んでもらいたかったのです。
深夜に近い時刻の コンビニ。
店内には、大人が、たしか・・二人と、
兄弟らしい、ちいさな男の子がふたり、お買物に来ていました。
その兄弟は、にぎやかに お菓子を選び、
私がレジに並ぶより先に、お会計を始めていました。
私のレジの順番は、彼らの次でした。
お金を預かっていたのは、年長の、、おそらく兄のほう。
ところが・・
レジの女性 「あと、53円ね。」
少年は、からになってしまった、ちいさなお財布を、のぞきこんだり、ふるようにしたり
しています。
心配そうに、弟らしい男の子が、レジのある台に 手をかけながら、
そんな兄の様子をみています。
兄の方は、たぶん。。小学1年生か、2年生くらい。
弟の方は。。未就学、といったところでしょうか?
今は、消費税などがあり、店舗によって、その表示はさまざま。
幼い子ども達にとっては、なかなか、お買物しにくい時代になったのかもしれません。
私は、歩み寄りました。
兄の方の背中に、そっと、手をやりました。
そして、レジのかたに、「53円ですね。」 と 問いかけてから、
自分のお財布をあけてみると、ちょうどが、私のお財布にありました。
兄の方は、うつむいたまま。
弟の方は、びっくりしたまま、私の顔を見上げています。
わたしは、「おばさんが、足りないぶん、払うね。おいしく食べてね。」と、声をかけました。
* * *
お会計が済み、商品を手にとると、兄の方は、一目散に出口へ向かって走りだしました。
そのあとを、弟の方が、慌てるうようにして、追いかけてゆきました。
ふたりの姿は、すぐに見えなくなりました。
夜の暗さが、元通りになりました。
そのあと。
レジのかた(女性)が、「ありがとうございました。」と、私に 云ってくださいました。
けれど、わたしは・・
ほんとうに、これでよかったのかと。。胸が痛くなりました。
兄としては、弟の手前、かっこよくなかったかもしれません。
親御さんに、「知らないひと と、話をしちゃダメ」とか、
何かを云われていたのかもしれません。
兄の方は、内緒にしておきたいかも?
だけど、弟のほうが、親御さんに、何かを伝えてしまうかもしれません。
これで よかったのか?
あれでは よくなかったのか?
子どものころからの、期待のようなものに、
わたしは、こだわっていただけだったのではないだろうか・・?
未だに・・ わたしのなかで、答えの出ていないことのです。
Ray
今夜は、久しぶりに、ちょっと…私にしては、長文を記しました。
お時間をいただき、お読みいただけましたら、…うれしいです♪
* * *
…ずっと、「感動」について、考えています。
「いろいろと想いだしたこと」 について、綴ります。
* * *
今夜、ここに綴る私の「感動」は、あるいは、、
「感動」ではないのかもしれません。
だけど、少なくとも・・
主人公と思われる男性の行いから、
少年と、そして、女性のこころに、何かしらの感動が、
生まれた、と、おもうのです。
そして、それは、素晴らしさとか、称賛とか、
そういったこととは、ちょっと……ちがうみたいに、感じられました。
~~ ★ ~~ ★ ~~ ★ ~~ ★ ~~
物々交換から始まったという、品物を手に入れる手段から
私たち人類は、やがて、「お金」 を あみだしました。
けれど。 「お金」 って、数字のカタマリなのかもしれません。
だって。
1000万円という大金。
あの、うすっぺらな、ちいさな1円だまが、たったひとつ、
足りなかったとしても。。
1000万円にならないのですから・・
* * *
道徳の教科書だったとおもいます。
わたしが、まだ、小学生のころでした。
舞台は、外国・・イギリスとか、フランスでしょうか?
その紳士的な身なりをした男性は、大きな駅に到着したとき、
切符を買いたい少年と、切符売り場の女性との 会話を耳にします。
ほんの 数十年前は、切符といえば、
特に 長距離のものは、けっこう、対面で販売が基本だったのですよね。
その駅は、長距離列車の発着のある、大きな駅。
大きなバッグを手に、大勢の人々がゆきかって。
駅・・
それぞれの想いが めぐったり かさなったり・・
過去と未来とが まるで 右往左往するかのような場所。
そして。
その男性は、「その声」 の する方へ近づきます。
少年 「おかあさんが病気で、どうしても、汽車に乗りたいんです。」
女性 「でも、お金が足りません。
これでは、どうしても、売ることが出来ないのです。」
窓口の奥から、その切符販売の女性の、困ったような顔が みえます。
どうやら、この数分の間、同じような問答を、繰り返しているものと思われました。
声のする会話から、事情を認めた男性は、さらに歩み寄ります。
そして、声を掛けます。
男性 「いったい、いくら、足りないのですか?」
その、道徳の教科書には、具体的な金額は、記されていませんでしたが、
その後の、女性の様子から、決して、少額ではなかったことがわかります。
女性 「〇〇〇円です。」
男性 「では、そのお金を、私が、支払いましょう。」
えっ?となった女性は、男性に訊ねます。
女性 「こちらの少年と、お知り合いなのですか?」
男性 「いいえ、今、会ったばかりです。」
驚きの表情をしながらも、女性は男性からお金を受け取り、切符を少年に渡します。
同じく、驚いたまま黙ってしまった少年に、男性は、声を掛けます。
男性 「さぁ、早くしないと、汽車が出てしまうよ。
お母さんを大事にしてあげなさい。」
少年は、はい、と応えて、「ありがとうございます!」と云い、
改札へと、走り出しました。
男性は、その少年が、ちいさな姿になって、そして、消えるまで、見送ります。
その姿から、男性によみがえってきたのは、自分が貧しい少年だったころの思い出。
当時。
その男性は、先程の少年と同様に、母親が病気だったとき、
汽車に乗るためのお金が足りず、困っていました。
すると・・
見知らぬ男性が、足りないお金を出してくれたのでした。
少年だった男性は、おもいます。
「よし! 大人になったら、ボクと同じように、お金が足りなくて困っているひとを、
助けよう!」
* * *
読み終えて。
わたしは、少年と、女性と、そして・・ 男性。
それぞれの気持ちを おもいました。
当時のわたしは、虐待を受けている毎日を、
「だれか」 が、救ってくれないかと、夢見ていました。
今よりは、ずっと、虐待ということが、表(おもて) には 出てこなかった時代です。
だから、そんなこと、夢物語だとわかっていました。
だから。
だからこそ。
そのとき、わたしは、おもいました。
「わたしの未来。 大人になって、お金の足りない人を見つけたら、
助けてあげよう!」
そらを、みました。
どんな未来が、わたしに待っているかわからない。
だけど・・
このそらのどこかに、助けてほしいと、切羽詰まって居るひとがいるかもしれない。
そういったひとへの「おもいやり」 を、「実行に移すこと」 は、素晴らしいと感じた・・
そんな記憶があります。
* * *
けれど、なかなか・・
わたしが、「大人」と呼ばれる年齢になっても、
わたしが願うような 「そういう場面」には、出会うことが、ありませんでした。
貧困
貧富の差
職場との往復だけで、暮らしている毎日では、「それら」が、感じられにくい世の中に、
なっていたのかもしれません。
中学3年の夏から、私は、都内に住まい、
社会人になってからは、新宿区へ通勤するようになっていました。
都会の姿ばかりが、目に映る毎日だったのです。
* * *
それから、たくさん、一年ずつが 過ぎてゆき・・
いろいろあって・・
わたしは、結婚し、東京都内の M市に住まうようになっていました。
* * *
そして、ある夜。
急に 「アイスが食べたい」 と 云いだしたダンナが、
お風呂に入っている間に、わたしは、抜け出すように、そっと、家を出て。
ごく近くのコンビニに、アイスクリームを買いに ゆきました。
お風呂から あがったダンナに、「アイスあるよ♪」 って、云って、
喜んでもらいたかったのです。
深夜に近い時刻の コンビニ。
店内には、大人が、たしか・・二人と、
兄弟らしい、ちいさな男の子がふたり、お買物に来ていました。
その兄弟は、にぎやかに お菓子を選び、
私がレジに並ぶより先に、お会計を始めていました。
私のレジの順番は、彼らの次でした。
お金を預かっていたのは、年長の、、おそらく兄のほう。
ところが・・
レジの女性 「あと、53円ね。」
少年は、からになってしまった、ちいさなお財布を、のぞきこんだり、ふるようにしたり
しています。
心配そうに、弟らしい男の子が、レジのある台に 手をかけながら、
そんな兄の様子をみています。
兄の方は、たぶん。。小学1年生か、2年生くらい。
弟の方は。。未就学、といったところでしょうか?
今は、消費税などがあり、店舗によって、その表示はさまざま。
幼い子ども達にとっては、なかなか、お買物しにくい時代になったのかもしれません。
私は、歩み寄りました。
兄の方の背中に、そっと、手をやりました。
そして、レジのかたに、「53円ですね。」 と 問いかけてから、
自分のお財布をあけてみると、ちょうどが、私のお財布にありました。
兄の方は、うつむいたまま。
弟の方は、びっくりしたまま、私の顔を見上げています。
わたしは、「おばさんが、足りないぶん、払うね。おいしく食べてね。」と、声をかけました。
* * *
お会計が済み、商品を手にとると、兄の方は、一目散に出口へ向かって走りだしました。
そのあとを、弟の方が、慌てるうようにして、追いかけてゆきました。
ふたりの姿は、すぐに見えなくなりました。
夜の暗さが、元通りになりました。
そのあと。
レジのかた(女性)が、「ありがとうございました。」と、私に 云ってくださいました。
けれど、わたしは・・
ほんとうに、これでよかったのかと。。胸が痛くなりました。
兄としては、弟の手前、かっこよくなかったかもしれません。
親御さんに、「知らないひと と、話をしちゃダメ」とか、
何かを云われていたのかもしれません。
兄の方は、内緒にしておきたいかも?
だけど、弟のほうが、親御さんに、何かを伝えてしまうかもしれません。
これで よかったのか?
あれでは よくなかったのか?
子どものころからの、期待のようなものに、
わたしは、こだわっていただけだったのではないだろうか・・?
未だに・・ わたしのなかで、答えの出ていないことのです。
Ray
なんだかいろいろ考えさせられる内容でしたそして、きっと正解はなくて、だからこそ、それでいいんだよ。って言いたくなります(*^^*)
汽車に乗りたかった男の子も、ほんの一瞬人生がクロスした兄弟たちの、足りない分を助けようとしたレイも(*^^*)
うきがそのお兄さんだったら、優しいお姉さんがお金をそっと差し出してくれたら「ありがとうございます!」って思うけどな。そして、大人になったら、自分も誰かがお金が足りなくて困っていたら、そっと手助けしようって、思うよ♪
考えてみたら「奨学金」ってすごい制度だよね。
お金を出して援助するから頑張って学校へ行ってどんどん勉強してね。そして将来社会のために役立つ人になってね。がそもそもの意味だもんね。
賞金もそうだよね。
その素晴らしい才能にお金を与えるから、もっともっとその才能を開花させていってね。って意味だもんね。
お金って、遣い方を間違えるととんでもないことになるけど…素敵な遣い方をすれば、こんなに素敵なアイテムなのにね。
ところで、一円でも少なければ1000万円にならないってレイの考え方、可愛くて、鋭くて好き
例え、偽善といわれようと、その行為はその時には少年たちには分からなくても、「何故そうしてくれたのか」きっと後に疑問に思うはずだ。そしてそれに気づいた時、少年たちは人に優しくすることの喜びを得るのではないかと思う。
深夜ということで、きっと訳ありの子達だとは思うけれど、だからこそ気づいたときの喜びは生きて行く上での糧になる。
あとは、Rayさんがそのすぐ後のことを心配するのではなく、もっと先の未来、彼らの喜んでいる姿を想像すればいいのではないかと思う。
想像してごらん。・・・彼らの優しい笑顔を。
今夜はね、職場の先輩と、夜ごはんをいっしょに食べてきました♪家に着いたら、午前零時20分(・・;)
その先輩は、浅草生まれの、浅草育ち♪
さっぱりしたかたで、最近、私が、いちばん、仲よくしています。
仲良く。。とは、いっても、ベタベタした関係ではなくて、いっしょに居て、ラクで、そんなところも、好きなんです♪
* * *
うきのお話を読ませてもらって・・
あぁ、そうだなぁって。きっと、正解は無いんだなぁって・・
>それでいいんだよ。
…ありがとう・・うき・・
そう、云ってもらえるって、幸せなことなんだなぁって・・
そして、私もそうだけれど、みんな、みんな、もしかしたら・・そう云ってもらいたいのかなぁって・・
そんなふうに感じました。
ん? あ♪ うきは、「おねんさん」 って、云いかえてくれて♪
ちょっと、照れくさい感じ☆ (でも、案外うれしかったりするゾ~♪)
* * *
奨学金♪賞金♪
そっか、、「そもそもの意味」 わすれがちでした(・・;)
私のいとこの、子ども2人が、奨学金で、大学に進学しました。
今は、その返済が話題になっているようですけれど、
長く運用しているうちに、うきが お話してくれた「そもそもの意味」 って、
忘れられがちになるんだなぁって・・
人生にお金なくては、生きてゆけないくらい、大きな存在になったんですね・・
* * *
>考え方
およ? わ~ 可愛い? ほんとうに?
鋭い? わ~ わたしにも、鋭さ、あるんだ~
好き? きゃ~ (*^。^*)~♪ ←喜んでいる♪
わたしも、うきの漫画、ダイスキ
そして、いつも、楽しみ
Ray
そして! 今夜は、職場の先輩と夜ごはんを食べに行く途中に、ゴジラに会えました!!!
わたし 「ちょっと、待ってください? スマホ、写真、撮っていいですか?」
先輩 「あ、そうそう。Rayさん、ゴジラ、好きだったんだよね~」
先輩(女性)は、私が、ゴジラを好きなこと、覚えていてくれたんです♪ウレシカッタナ♪
* * *
からくさん♪ 細かいところまで、・・気が付いてくださって、ありがとうございます☆
そうなんです。。深夜に近い時刻に、コンビニ。幼い男の子が、二人・・
私が、「そうしたい」 とおもって、「そうしたこと」 は、そんなことも、背景にありました。
* * *
とりこし苦労をしないためには、具体的にどうしたらいいのかっていうこと、
私には、わからなかったんです。
でも☆今回、コメントをいただいて・・
「あ☆ そか☆」 って、すとんって、私のなかで 「理解」できたことがありました。
そして、「わかったことがうれしかった」 んです。
そっか、そっか、そういうふうにすればいいんだわって♪
もうひとつ、そして☆
今回、からくさんから頂いたコメントは、私にとって、ヒトコトも、無駄のないお話だと、感じました。
わたし自身の過去を思いだして、・・思い出して・・
* * *
これからは、楽しく生きてゆきたい。
ラク・・だと、ちょっと、それはどうかと思うので、楽しく♪
* * *
成長した、二人が、笑顔とともに、幸せであるように・・
そうでした♪ 私の とりえは 想像でした♪
* * *
すみません・・お返事になりましたでしょうか・・?
Ray
小学校の道徳で、貧しさにも負けず働きながら勉強して偉い人になったという話は記憶がありますが、このような話はなかったように思います。
少年が切符を買うのにお金が足りなかった。そこに居合わせた紳士がその足りない分のお金を支払ったというだけでなく、実は、その紳士自身が、子供の頃にこの少年と同じく、同じようにして助けられた、そこにいっそう感動させられる何かがある気がします。
昨日、家内を病院に連れて行き、待っている間、呉 善花(オ・ソンファ)さん著『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』の続きを読んでいました。
そこに「『もののあわれ』を知る心」と題する記事があり、凡そこんなことが書かれていました。
『源氏物語』について、儒教家たちが
○不道徳な男女の色恋や゜不倫関係を描くばかりで、何も大事なことを言っていない。きわめて退廃的である。
と評価したのに対し、本居宣長はこう言っているそうです。
○物語はただ人の情のありのままを書き記して、読む人に人の情とははこういうものだ、ということを知らす(表現する)のである。これは「もののあわれ」を知らす(表現する)ということである。
と。そして、呉 善花(オ・ソンファ)さんは、「もののあわれ」について、
○「もののあわれ」とは、「その時々のものごとや他者との出会いのなかで、自然に心のうちに生じてくる感動」である。
と定義し、そして本居宣長の言った言葉の意味について、次のように解説しています。
○この「もののあわれ」を知ることが、人間にとっては道徳を知ることよりも、大事なことなのだと宣長は言ったのだ。日本の文化的伝統の本質はここにあるとはっきり示したものと言ってよいだろう。
そして、儒教を大切にする中国や韓国より、『もののあわれ』を知ることを優先させる日本がかえって犯罪率が低いことを指摘していたのが印象的でした。
私はこれらの一文を読みながら感動を覚えつつ、『もののあわれ』を知るとはどんなことかを、はじめて知った気がしました。
そして、その日の夜、寝る前になってこの「感動 ~3~」の記事を読み、感動し、あまりのタイミングに偶然とは思えず、それで、長々とこのようなことを書かせてもらっています。
このどこかの紳士も、Rayさまも、その場に居合わせて、何とかしてあげたいと心が動いた。理屈ではいろいろ言えるかもしれませんが、そのことが、子供たちに悪い影響を与えることは決してないと思います。それどころか、やはり良い経験になったに違いないと思います。
以前に――というより、もっと昔かな――駅の構内で男同士のもめ合いがあり、誰もそれを止める者がなく、Rayさまが止めに行こうとされた?記事がありましたね。
今回のこの記事と合わせて、あらためてRayさまは素晴らしい人だなと思いました。
以前に、わたしのコメントへの返信で、「私はただ嫁に来た人間です」とおっしゃっていましたが、ただ偶然に嫁に来るなんてことは、わたしはないと思いますよ。さすがに(ほにゃらららへ)嫁に来る人だと、私は勝手ながら、そう思いました。(笑)
本当に素敵な素敵な話で
心がジワッと来ました。
金が足りなくて
施しの話ではなく
幸せな気持ちになりました
少年の話も
ご主人のアイスの話も
同じやさしさ
相手が喜ぶその表情に
私も幸せを頂いたような気持ちになります
チョッとした気遣いや思い遣りで
幸せな気分
以前に書いたつばめと王子の話も同じ
過去に体の痛み、心の傷みを
体験されただけに
相手が困ったときの
心の疼きを
包んでくれるその行為は
忘れることができない
素敵な話
ありがとう
・・台風が過ぎてゆきました。
* * *
>感動しました。
スズキさまは、「この」 日記(記事) の奥にある、私の想いまでも、
すくいとってくださったのだと感じました。
そして、私の以前の日記まで、お読みいただいて…
・・静かにうれしさが広がりました。
本当にありがとうございます。
…実は、わたしは・・
皆さまが、感動していらっしゃることを、感動できないのではないかと。。
「それ」 を、不安に感じたことが、この日記でシリーズ?として記し始めた最初、でした。
( ある日記にコメントを差し上げた私のあとに、数名の方々が、
「なみだが止まりませんでした・」 などコメントをしていらっしゃいました。
だけど、私は、涙、出なかったんです・・
他の皆さまと感動を共有できていないのではないか?ということは
私にとって、自分に対する、以前からの疑問でした。
それで・・
自分が感動したことを、記し始めたのが、「このシリーズ?」 のきっかけでした。
・・私にとって、スズキさまから 「感動しました」 と頂いたお言葉は、このうえなく、うれしい そして、
どこか、ほっと、安心できる。。ことだったのです。
「応えて」 くださいましたこと、ほんとうに、ありがとうございます)
* * *
『源氏物語』
いつだったか、受験生の青年が記した「大学受験の合格体験記」を読んだことがありました。
「どうやら源氏物語というのは、オンナにとって、このうえなく、面白いものらしいが、
オトコのオレにとっては、ただ、スケベなだけで、話の内容自体はちっとも、面白くない。
しかし、本番の受験問題に出題されたら、えらいことだ。
と、いうわけで、漫画で『源氏物語』 を読んだ。
まずは、漫画を読めば、あらすじくらいは、知ることができる。
あとに続く受験生の男性諸君も、漫画を読むことをお勧めjしたい。」
…といったような記述でした。
友だちと一緒に、これを読んで、笑いました~
「ただスケベなだけで」 というのも、立派な感想かもしれませんけれど、
儒教に通じる感想 「かもしれない」 となったら、この青年も、ビックリするかもしれません(・o・)
紫式部さまが、「ほんとうに書きたかったこと」 は・・
「もののあはれ」 を・・
「もののあはれ」
世の中には、定義をすることが大切なときもあるような気がいたします。
たとえば、辞書のような・・
でも、「それ」 で知ることのできることは、「ほんの一端でしかないのかもしれない・・」 と・・
スズキさまのお話を読ませていただいて、感じ、ました。
もしかしたら、一生をかけて、様々なことを経験しながら、学んでゆくことなのではないだろうか?と・・
そうしないと、「本質」 は、わからないのではないかと・・
あぁ、だから・・
紫式部さまは、『源氏物語』において、源氏の君の まさに 「一生」 を
記すことにされたのかもしれない。。と・・
* * *
スズキさまから頂いたお話も、本居宣長さまのお話も、
「文章として理解できる」 かもしれません。
だけど。。
私は、自分の未熟さをおもいました。
私は、きっと、「もののあはれ」 を含んだ、もっと、たくさんのことを、
経験を通じて、「ほんとうにわかる」 ために生きているのかもしれない、と・・
まさに、一生をかけて。
* * *
文化、文明は、進んで行く? 進化してゆく?と、
退廃的になってゆく、と、聞いたことがあります。
もしかしたら、今の日本が、そうなのかな?って、
おもうことがあります。
平安の時代も、退廃的と称されることもあったようにおもいます。
いまを、生きていることの意味を考えることもまた、
一生をかけて考える、宿題なのかもしれません・・
* * *
>ほにゃらら
ありがとうございます!(^^)!
私が嫁いだときには、主人の祖母は既に天国へと旅立ったあとでした。
あの世と云われるところで、お目にかかれたら。。
楽しく、おしゃべりしたいです♪
* * *
スズキさまの日記の本文に記すことがふさわしいほどの
素晴らしいお話を、このようなブログのコメントに、記してくださいましたこと。。
もったいなくて・・
本当に、ありがとうございます。
Ray
北海道では、昨夜に、また、震度4の地震があったようです。
地震、台風・・本当に、日本って、災害の国だなぁと感じます。
* * *
王子さまとツバメのお話・・
王子さまのこころ
ツバメのこころ・・
私は、星光輝さまとの会話では、いつも 「こころ」 をおもいます。
そして、自分のなかの、みにくいこころをおもうのです。
相田みつをさまでしたでしょうか?
「人間だもの」
だけど、人間って、なんだろう? なんだろう?
子どものころから、挨拶とか、みんなと仲良くとか
まるで、標語のようにして、教わりながら、
ひとは、一生をかけて、なかなか、それらを出来ずにいます・・
ひとの こころを おもうとき。
その深さは、海よりも深く・・そらよりも広く・・
そして、宇宙のように、右も左もなくて・・
理由もなく、わいてくる、感情の・・激しさだったり、なんとなくだったり、・・
私たちが、言葉に出して伝えることは、「その」 ほんの一部なんだっていうことを、
いつも、星光輝さまのお話から、考えさせられるのです。
それでいて。
でも、だけど、進まなきゃ、って。
時間はどんどん過ぎてゆき・・
こころに浮かんだことを、どんどん、忘れることもあり・・
だけど、それぞれの、毎日は、ほんとうに、何気ないようでいて、
でも、よくよく、考えてみると、深くて。
* * *
ダンナと私は、アイスクリーム、ダイスキなんです♪
好きな人と一緒に、好きな物を口にできる幸せをおもいます。
* * *
星光輝さまから頂くコメントやお話は、
いつも、どこか遠くの・・どこかで響く、リズム?と一緒に、共鳴してゆくような感じ、です。
そのリズムが、星光輝さまの言葉といっしょに
私のこころに、静かに響きます。
「それ」 は、言葉以外のことを、伝えてくれる感じ、なんです。
いつもありがとうございます
Ray