●突然の更新停滞や予定よりも遅い復帰など、ご心配をおかけしてしまって申し訳ありませんでした。
私が更新を停滞している間、世間では政界がエライことになってたり元売れっ子子役が若手芸人と結婚宣言したり電車男ならぬ電車侍が登場したりと、色々大変なことが起こっていましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。(手紙?)
私の方でも色々ありましたが、もう大丈夫です。
完全復帰です。
(ただし、夏休み中のレポート課題という名の障害が次に待ち構えていたりもするのですが)
心配してメールをくださっていた方々、本当にありがとうございました。
とても嬉しかったです!!
後日、改めてメールにてお礼させていただきます。
●それでは大変お待たせ致しました!47話の感想です。
・
・
・
が。
・・・・・・・・・あれ???
もしかして、うちのテレビがおかしいのかな?????
「PHASE-47 ミーア」って書いてあったのに、最初から最後まで、ほとんど総集編だったような気がするんですけど・・・・・・
もちろん何かの間違いですよね?
いっくらサンラ○ズ様でも、こんなところ(残り4話)まできてほぼ大半が総集編の話を作るなんて、そんなこと考えられません。
きっと・・・そう!関西のMBSだけが間違って関係のないテープを流しちゃったに違いない!!
だからTBSなどの他の地域では、ちゃんとした「PHASE-47 ミーア」が放送されているんですよ。
ね?
そうですよね?
そうだと言って!!!
・
・
・
このブログの記事をご覧いただいている皆様からの、「もう諦めなよ・・・(サンラ○ズなんだから)」という声が聞こえてくるような気がします。
いや・・・・もう、なんていうか・・・・
韓国のドラマのように、毎週なんとか放送に間に合っているくらいのカツカツ状態が続いているということは、スペシャルコラムという名の内部告発(公式HP参照)からありありと見て取れたので知っていましたが、まさかここまでとは・・・。
ただでさえこんなこと許されないのに、ましてや、全然話がまとまってない今の種で総集編はないだろう。
冒頭の、ネオさんが発した「情けないぜ・・・」という言葉を、制作者サイドの方々にもよく噛み締めていただきたいと思いました。
本当に、「最終回」で「終わる」ことができるのでしょうか・・・?
今回の話を見ていても、その望みには絶望しか感じられませんでしたが。
唯一楽しみに思ったことは、「各感想サイト様でどんな風に叩かれるのかなぁ??」といったことだけです。
そんな楽しみなんて要りませんから、「まとめ」に入る努力をしていただきたい。
視聴者全員が、「ちゃんと最終回で終わりますように」という、普通のアニメならわざわざ願う必要もない願いを抱いているのです。
よって私は、最終話のサブタイトルは、
「終わらない明日が終わるとイイナ!」
―――を希望します。(サン○オ全面バックアップ)
●この47話は、ミーアのバッグに入っていたディスク(内容は「ミーアの音声付日記」)を通して、これまでの戦いをミーアの視点で見つめなおすという話でした。
人のモノ・・・しかも日記を、勝手に見るなよ!!とわざわざツッコミを入れていては話が進まないので、この際ヨコに置いといて・・・
話の作り自体は、それほど悪くなかったと思います。
これが47話でなければ、普通にこの話を見ることができたのかもしれません。
●日記の始まりは、ミーアが自分の顔を整形し、「ラクス・クライン」となった場面から。
個人的には、それよりももう少し前・・・たとえば、ミーアが「ミーア」であったために損をしていた事実とかが描写されていたら良かったのになと思いました。
例えば、容姿のせいでオーディションに落ちた、とか。
そんな風に自分の姿にコンプレックスを持っている人間だったからこそ、整形して生まれ変わり、「ラクス・クライン」になりたいと思ったはずで・・・
そういった経緯がもっと丁寧に描かれていれば、話にさらなる説得力が生まれたのではないかと思います。
ともあれ、晴れてラクス様となったミーア。
容姿だけでなく、仕草や振る舞い・話し方も似せるために、彼女は「普段のラクス様」を知りたいと言いました。
「普段のラクス様」・・・・・・私としては、それを知るのはあまりオススメできません。
それに、例え知っていたとしても、耐久重量が10キロくらいしかないロボットに乗って散歩に出かけちゃうくらいの天然っぷりを持ち合わせていないと、普段のラクス様になることなんて出来ないでしょうしね。
あの天然っぷりが、今では「計算だったのではないだろうか?」とすら思うほどですから、「普段のラクス様」はほんとに奥が深いです。
ああ、あと、「知らないほうが良い」ことがもう一つ。
ラクス様とアスランの本当の関係ですね。
「ラクス様には優しくて、ラブラブなんだろうな~」
とか
「やっぱラクス様一筋なのね!」
とか。
笑って良い所なのかどうか、真剣に悩みました。
これを聞いていたアスランは、さぞかし居た堪れない思いでいっぱいだったことでしょう。
●ミーアが「ラクス・クライン」として生きたことで、最終的に辿り着いたところは、「答え」ではなく「疑問」でした。
曰く、「ラクス・クライン」とは何だったのか。
「ラクス・クライン」として人の前に姿を現し、平和を歌に乗せるために存在したミーア。
そのためにミーアは顔を変え、言葉遣いや面構えさえも「ラクス・クライン」のそれ に直し、確かにこの時、世間のいう「ラクス・クライン」という存在になったはずでした。
けれど。
確かに姿は、「ラクス・クライン」のものだけれど。
彼女の口から紡がれる言葉や歌を、人々は「ラクス・クライン」のものだと認識しているけれど。
けれど、実際、それを行なっているのはミーアなのです。
「ラクス・クライン」ではなく、間違いなく「ミーア・キャンベル」なのです。
だとしたら、「ラクス・クライン」とは一体何だったのか。
ラクス様からすれば、その答えは、簡単に出るのかもしれません。
「ラクス・クライン」とは、「自分」だからです。
「この顔がラクス・クライン」なわけではなく、「この声がラクス・クライン」なわけでもなく。
ただ、「自分」が「ラクス・クライン」なのです。
では、人にとっての「ラクス・クライン」とは?
少なくとも「自分」ではないので、何らかの方法で「ラクス・クライン」という人物を認識する必要があります。
顔を見てラクス様だとわかる、声を聞いてラクス様だとわかる・・・
つまり、「あの顔がラクス・クライン」であり、「あの声がラクス・クライン」なのです。
それでは。
ミーアにとっての「ラクス・クライン」とは何か。
結論に入る前に、まずわかっておかなければいけないことは、ミーアにとって「ミーア・キャンベル」とは、「自分」であります。
ラクス様の言うように、「人」は「自分」にしかなることができないのですから、ミーアも「ミーア・キャンベル」にしかなることができません。
ミーアは「ミーア・キャンベル」である。
ミーアは「ミーア・キャンベル」でしか有り得ない。
・・・だとすれば、ミーアにとっての「ラクス・クライン」とは、やはり、「自分」ではないという結論が出ます。
現にミーアは、最終的には、今まで自分が行ってきたことを、「ラクス・クライン」の行為ではなく「自分」―――つまり「ミーア・キャンベル」の行為だと認識していました。
そう。それで良いのです。
平和を祈って人々を歌で励ましていた人物は、「ラクス・クライン」ではなく「ミーア・クアンベル」だと、そう思って良いのだと思います。
「ラクス・クライン」とは何だったのか。
この作品のテーマへの回答としてはあまりに稚拙なものかもしれませんが、少なくともミーア個人の問題としては、「『ラクス・クライン』とは『自分』ではない」という答えだけで十分だったのではないでしょうか。
●ミーアの日記を見て(聞いて)いてつくづく思ったことは、ミーアは本当に「普通の」女の子だということ。
ラクス様の化粧品のメーカーを気にしたり、あの混沌とした戦争の状況を軽い口調で語ったり、ピンクザクに感動したり。
普通で、本当に普通で、たからこそそんな彼女がああいった形で亡くなってしまったことを悲しく思います。
ただ、最期は、綺麗な姿のままたくさんの人たちに見送ってもらうことができて良かったね。
●ミーアの日記的総集編で終わるかと思いきや、最後の最後で議長がアクションを起こしました。
―――デスティニープラン導入宣言―――
今週、唯一話が動いた場面です。
ここまで大々的に宣言するとは思っていなかったので少し驚きました。
てっきり、裏で少しずつ政策 を進めていくんだと思ってた・・・。
まぁ早い話が、「本当の敵は自分自身」(ありがち)ってことで、その敵を ちゃんと制御できるように新たな人類を作ろう・・・と。
プラントはともかく、地球(ナチュラルの人たち)があっさりこれを受け入れるとはさすがに考えられないと思うのですが、議長には何か策があるのでしょうか。
・・・ただ、今までの流れや、この世界の皆さんの単純さ素直さをみる限り、まんまと議長言葉だけで乗せられてしまいそうな気もしますが。
●それでは最後に、こちらのコーナーへ。
<主人公・シンの「活躍報告~」!!>
・・・・・・・・・・まぁ。
先週の次回予告を見たときから、なんとなくそんな予感はしていたんです。
47話もまた、活躍どころか出番すらないだろうという予感が。
見事その予感は的中してしまい(的中したところで嬉しくとも何ともありませんが)シンの出番はほぼ皆無。
24分の中で彼の口から発せられた言葉は、
「っ・・・」
「あ、あぁ・・・」
「議長・・・」
の三つだけです。(一番目は台詞と言えるかすら怪しい)
今までずっと書き続けてきた「活躍報告」ですが、もしかすると今が一番「書き辛い」時期かもしれません。
まさか最終回直前にこんな事態に陥るとは、さすがの私も思ってもみませんでした。
恐るべし種デス。
やっぱり、最終話のサブタイトルはさっきのではなく、
「シンが主人公になれるとイイナ!」
でお願いします。
●47話感想は以上です。
今週は、わりと短めにサクサク書くことができて良かった・・・。(※総集編なんだから当たり前です)
私が更新を停滞している間、世間では政界がエライことになってたり元売れっ子子役が若手芸人と結婚宣言したり電車男ならぬ電車侍が登場したりと、色々大変なことが起こっていましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。(手紙?)
私の方でも色々ありましたが、もう大丈夫です。
完全復帰です。
(ただし、夏休み中のレポート課題という名の障害が次に待ち構えていたりもするのですが)
心配してメールをくださっていた方々、本当にありがとうございました。
とても嬉しかったです!!
後日、改めてメールにてお礼させていただきます。
●それでは大変お待たせ致しました!47話の感想です。
・
・
・
が。
・・・・・・・・・あれ???
もしかして、うちのテレビがおかしいのかな?????
「PHASE-47 ミーア」って書いてあったのに、最初から最後まで、ほとんど総集編だったような気がするんですけど・・・・・・
もちろん何かの間違いですよね?
いっくらサンラ○ズ様でも、こんなところ(残り4話)まできてほぼ大半が総集編の話を作るなんて、そんなこと考えられません。
きっと・・・そう!関西のMBSだけが間違って関係のないテープを流しちゃったに違いない!!
だからTBSなどの他の地域では、ちゃんとした「PHASE-47 ミーア」が放送されているんですよ。
ね?
そうですよね?
そうだと言って!!!
・
・
・
このブログの記事をご覧いただいている皆様からの、「もう諦めなよ・・・(サンラ○ズなんだから)」という声が聞こえてくるような気がします。
いや・・・・もう、なんていうか・・・・
韓国のドラマのように、毎週なんとか放送に間に合っているくらいのカツカツ状態が続いているということは、スペシャルコラムという名の内部告発(公式HP参照)からありありと見て取れたので知っていましたが、まさかここまでとは・・・。
ただでさえこんなこと許されないのに、ましてや、全然話がまとまってない今の種で総集編はないだろう。
冒頭の、ネオさんが発した「情けないぜ・・・」という言葉を、制作者サイドの方々にもよく噛み締めていただきたいと思いました。
本当に、「最終回」で「終わる」ことができるのでしょうか・・・?
今回の話を見ていても、その望みには絶望しか感じられませんでしたが。
唯一楽しみに思ったことは、「各感想サイト様でどんな風に叩かれるのかなぁ??」といったことだけです。
そんな楽しみなんて要りませんから、「まとめ」に入る努力をしていただきたい。
視聴者全員が、「ちゃんと最終回で終わりますように」という、普通のアニメならわざわざ願う必要もない願いを抱いているのです。
よって私は、最終話のサブタイトルは、
「終わらない明日が終わるとイイナ!」
―――を希望します。(サン○オ全面バックアップ)
●この47話は、ミーアのバッグに入っていたディスク(内容は「ミーアの音声付日記」)を通して、これまでの戦いをミーアの視点で見つめなおすという話でした。
人のモノ・・・しかも日記を、勝手に見るなよ!!とわざわざツッコミを入れていては話が進まないので、この際ヨコに置いといて・・・
話の作り自体は、それほど悪くなかったと思います。
これが47話でなければ、普通にこの話を見ることができたのかもしれません。
●日記の始まりは、ミーアが自分の顔を整形し、「ラクス・クライン」となった場面から。
個人的には、それよりももう少し前・・・たとえば、ミーアが「ミーア」であったために損をしていた事実とかが描写されていたら良かったのになと思いました。
例えば、容姿のせいでオーディションに落ちた、とか。
そんな風に自分の姿にコンプレックスを持っている人間だったからこそ、整形して生まれ変わり、「ラクス・クライン」になりたいと思ったはずで・・・
そういった経緯がもっと丁寧に描かれていれば、話にさらなる説得力が生まれたのではないかと思います。
ともあれ、晴れてラクス様となったミーア。
容姿だけでなく、仕草や振る舞い・話し方も似せるために、彼女は「普段のラクス様」を知りたいと言いました。
「普段のラクス様」・・・・・・私としては、それを知るのはあまりオススメできません。
それに、例え知っていたとしても、耐久重量が10キロくらいしかないロボットに乗って散歩に出かけちゃうくらいの天然っぷりを持ち合わせていないと、普段のラクス様になることなんて出来ないでしょうしね。
あの天然っぷりが、今では「計算だったのではないだろうか?」とすら思うほどですから、「普段のラクス様」はほんとに奥が深いです。
ああ、あと、「知らないほうが良い」ことがもう一つ。
ラクス様とアスランの本当の関係ですね。
「ラクス様には優しくて、ラブラブなんだろうな~」
とか
「やっぱラクス様一筋なのね!」
とか。
笑って良い所なのかどうか、真剣に悩みました。
これを聞いていたアスランは、さぞかし居た堪れない思いでいっぱいだったことでしょう。
●ミーアが「ラクス・クライン」として生きたことで、最終的に辿り着いたところは、「答え」ではなく「疑問」でした。
曰く、「ラクス・クライン」とは何だったのか。
「ラクス・クライン」として人の前に姿を現し、平和を歌に乗せるために存在したミーア。
そのためにミーアは顔を変え、言葉遣いや面構えさえも「ラクス・クライン」のそれ に直し、確かにこの時、世間のいう「ラクス・クライン」という存在になったはずでした。
けれど。
確かに姿は、「ラクス・クライン」のものだけれど。
彼女の口から紡がれる言葉や歌を、人々は「ラクス・クライン」のものだと認識しているけれど。
けれど、実際、それを行なっているのはミーアなのです。
「ラクス・クライン」ではなく、間違いなく「ミーア・キャンベル」なのです。
だとしたら、「ラクス・クライン」とは一体何だったのか。
ラクス様からすれば、その答えは、簡単に出るのかもしれません。
「ラクス・クライン」とは、「自分」だからです。
「この顔がラクス・クライン」なわけではなく、「この声がラクス・クライン」なわけでもなく。
ただ、「自分」が「ラクス・クライン」なのです。
では、人にとっての「ラクス・クライン」とは?
少なくとも「自分」ではないので、何らかの方法で「ラクス・クライン」という人物を認識する必要があります。
顔を見てラクス様だとわかる、声を聞いてラクス様だとわかる・・・
つまり、「あの顔がラクス・クライン」であり、「あの声がラクス・クライン」なのです。
それでは。
ミーアにとっての「ラクス・クライン」とは何か。
結論に入る前に、まずわかっておかなければいけないことは、ミーアにとって「ミーア・キャンベル」とは、「自分」であります。
ラクス様の言うように、「人」は「自分」にしかなることができないのですから、ミーアも「ミーア・キャンベル」にしかなることができません。
ミーアは「ミーア・キャンベル」である。
ミーアは「ミーア・キャンベル」でしか有り得ない。
・・・だとすれば、ミーアにとっての「ラクス・クライン」とは、やはり、「自分」ではないという結論が出ます。
現にミーアは、最終的には、今まで自分が行ってきたことを、「ラクス・クライン」の行為ではなく「自分」―――つまり「ミーア・キャンベル」の行為だと認識していました。
そう。それで良いのです。
平和を祈って人々を歌で励ましていた人物は、「ラクス・クライン」ではなく「ミーア・クアンベル」だと、そう思って良いのだと思います。
「ラクス・クライン」とは何だったのか。
この作品のテーマへの回答としてはあまりに稚拙なものかもしれませんが、少なくともミーア個人の問題としては、「『ラクス・クライン』とは『自分』ではない」という答えだけで十分だったのではないでしょうか。
●ミーアの日記を見て(聞いて)いてつくづく思ったことは、ミーアは本当に「普通の」女の子だということ。
ラクス様の化粧品のメーカーを気にしたり、あの混沌とした戦争の状況を軽い口調で語ったり、ピンクザクに感動したり。
普通で、本当に普通で、たからこそそんな彼女がああいった形で亡くなってしまったことを悲しく思います。
ただ、最期は、綺麗な姿のままたくさんの人たちに見送ってもらうことができて良かったね。
●ミーアの日記的総集編で終わるかと思いきや、最後の最後で議長がアクションを起こしました。
―――デスティニープラン導入宣言―――
今週、唯一話が動いた場面です。
ここまで大々的に宣言するとは思っていなかったので少し驚きました。
てっきり、裏で少しずつ政策 を進めていくんだと思ってた・・・。
まぁ早い話が、「本当の敵は自分自身」(ありがち)ってことで、その敵を ちゃんと制御できるように新たな人類を作ろう・・・と。
プラントはともかく、地球(ナチュラルの人たち)があっさりこれを受け入れるとはさすがに考えられないと思うのですが、議長には何か策があるのでしょうか。
・・・ただ、今までの流れや、この世界の皆さんの
●それでは最後に、こちらのコーナーへ。
<主人公・シンの「活躍報告~」!!>
・・・・・・・・・・まぁ。
先週の次回予告を見たときから、なんとなくそんな予感はしていたんです。
47話もまた、活躍どころか出番すらないだろうという予感が。
見事その予感は的中してしまい(的中したところで嬉しくとも何ともありませんが)シンの出番はほぼ皆無。
24分の中で彼の口から発せられた言葉は、
「っ・・・」
「あ、あぁ・・・」
「議長・・・」
の三つだけです。(一番目は台詞と言えるかすら怪しい)
今までずっと書き続けてきた「活躍報告」ですが、もしかすると今が一番「書き辛い」時期かもしれません。
まさか最終回直前にこんな事態に陥るとは、さすがの私も思ってもみませんでした。
恐るべし種デス。
やっぱり、最終話のサブタイトルはさっきのではなく、
「シンが主人公になれるとイイナ!」
でお願いします。
●47話感想は以上です。
今週は、わりと短めにサクサク書くことができて良かった・・・。(※総集編なんだから当たり前です)