あまり重いことは記載しないつもりだったが
こんな記事をみつけ
ふと思い出したことがある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130405-00000005-maikirei-life
「<エンディングノート>オトナ女子向け終活本が話題」
この記事自体がどうということではない。
「オトナ女子」って言葉が引っかかって
ウザイが
まぁよしとしよう。
先日自分用にエンディングノートを用意したくらいだし
これまで
ひっそりと扱われてきた
「自分の最期に際して」という事に
光があたるのも
よいだろう。
ワタシの親の知り合いのお子さんが
独り暮らしをしていたが
あるとき亡くなった。
もう1年以上前だそうだが
ワタシが親づてに聞いたのが、ごく最近のことだ。
年齢は30歳を少し過ぎた位。
女性で独身で会社員でごく普通に勤務をしていたらしい。
ところが
彼女に限ってあり得ないことに
無断欠勤が3日ほど続き
会社からの連絡にも音沙汰がない。
おかしいと思った社内の方が
親御さんに連絡をとり
アパート迄行ったところ
既に室内で亡くなっていたということだ。
その時点で死後4日めくらい。
最終的に「病死」とされたそうだが
状況によっては
「自殺」の線も捨て切れなかったらしい。
その頃精神的にも「うつ」状態が認められていたようで
家族は
独居をやめるよう諭したが
結局彼女が拒み
そして
変わり果てた姿で見つかった。
ワタシは彼女とは
まだ小さな頃に会ったことがある程度で
あまり面識というのはないが
対面した親御さんとご兄弟の心情を思うと
人の「死」とは、あまりにも身近で
避けきれないもので
そして
とんでもなく悲しく
やりきれないものだと
改めて思い知る。
「整えておく」
「準備をしておく」
「綺麗にしておく」
生きている間は
これらにある種急かされて
日々をつないでいく。
しかし
それらがある日
いきなり終焉するときも
やはり、人生には起こるのである。
時々
掃除をしていて
ワタシは彼女に
思いをはせる瞬間がある。
仕事の休日、掃除をしていたときが
当然彼女にもあるだろう。
綺麗に整えておいた部屋で
それまで積み上げてきた自分の食い扶持を
自分で稼いで
コツコツ紡いできたその人生が
その瞬間
独りきりの部屋で
終わった。
誰もいない居間に掃除機をかける
その手をとめ
ふと 彼女のそのときの瞬間を
うすぼんやりと感じようとしてしまう
自分がいる。
彼女の最期の瞬間は
やはり彼女自身にしかわからないが
「掃除」をする
「片付ける」
「きちんとする」
その流れの中で
どうにも解決できない
無力感や、やるせなさも
感じる日があるのである。
なんとかならなかったのか。
誰か
最悪の事態の前に助けることが
できなかったのか。
と。
彼女の出来事から
ワタシは
エンディングノートを用意したときも
「最期の時」について準備することに
触れる様々なものを目にするときも
実は
「準備」できるというその事自体が
素晴らしく
幸福な状態なのだと感じている。