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お掃除そすて日々のこと

頑張らないお掃除。
頑張らない人生。

レレレノレ

2014年03月31日 | ミッフィーのおうち

 本日をもちまして
お世話になった職場を去りました。
大変な事、嫌な事も勿論経験しましたが
総じて
人に恵まれ、弱ったときには
そっと、誰かが
手を差し伸べてくれる
そんな幸福を感じることが出来た
職場でした。
 この先
しばらくの間は
大波にもまれる、小舟のような
日々かと思います。
しかし
弱ったときには
仕事仲間の優しさを思い出し
心を穏やかに保とうと思います。

 そうそう
馬を持っているという同僚が
意外に競馬は儲かると言っていました。
本職の他に
「馬」で当ててるよぉ グヒヒ!
と申しておりました。
それこそ
才能だと思います。
私の亡くなった父は
狂ったように競馬をしておりましたが
いつも負けてばかりだったような気がします。

 次は・・・・

馬か?
ホストでなく
馬なのか??
耳に赤いサインペンをはさんで
ズボンのポッケに財布だけ突っ込んで
競馬新聞片手に
集うのか??
ホスト君はお金を出せば
チヤホヤ、いやもっと素敵なことも
してくれるけど(ポッ

馬は
当たると
でかいNE!!


ぃかん・・・
これは
新しい趣味の幕開け・・・れす・・。

はなび

2013年06月28日 | ミッフィーのおうち

 
 花火一緒に見に行こうか

そんな約束を
してしまいました

オンラインでなんて
つながらなければ よかった


 遠い遠い
あの日の
後悔

 今はもぅ
そんな
似非正義感すら
抜け落ちた
なかみ空っぽの自分

 取り巻く環境もかわり
からみつく
色んなものが増え

 知ったかぶりの連続の
毎日と
 他人の顔色ばかり伺う
八時間

 流れて
流れて
流れ着いたのが「いま」

 「いま」を共有する人は
いるけれど
ときどき

 「どうして」

なんて考える時間

曇り空を
ため息ついてみあげるその時間

 前を歩く女性の
揺れるスカートの裾を
ぼんやり目で追うその時間





 

同じ空をみあげているあなたへ

2013年04月12日 | ミッフィーのおうち

 鳥のさえずりも聞こえない時間に
寝床を抜け出し
開けたカーテンの
向こうには

 地上を照らす朝焼けの中に
時折吹きつける風からの
こぼれ雪が
無数に舞う

 いつもいつも
確かめずには
いられなかった
あの頃の
小さな弱い心と

 ふたりでいるときには
決して見せなかった
背中と

 旋律を縫うように
必死になってつくった
ふたり時間と

 そして



 ふたりで同時に向けた
背中と
 削除したメールと
流れてしまった重い空気と

 同じ空の下で
同じ空を見上げているから
と言う
聞きたくなかった
穏やかな言葉と









 会うと戻れなくなる
自分がわかるから
 会わないと壊れてしまう
自分がわかるから

生きていくことと掃除のこと

2013年04月06日 | ミッフィーのおうち

 あまり重いことは記載しないつもりだったが
こんな記事をみつけ
ふと思い出したことがある。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130405-00000005-maikirei-life
  「<エンディングノート>オトナ女子向け終活本が話題」
この記事自体がどうということではない。
「オトナ女子」って言葉が引っかかって
ウザイが
まぁよしとしよう。

先日自分用にエンディングノートを用意したくらいだし
これまで
ひっそりと扱われてきた
「自分の最期に際して」という事に
光があたるのも
よいだろう。

 ワタシの親の知り合いのお子さんが
独り暮らしをしていたが
あるとき亡くなった。
もう1年以上前だそうだが
ワタシが親づてに聞いたのが、ごく最近のことだ。
 年齢は30歳を少し過ぎた位。
女性で独身で会社員でごく普通に勤務をしていたらしい。
ところが
彼女に限ってあり得ないことに
無断欠勤が3日ほど続き
会社からの連絡にも音沙汰がない。
おかしいと思った社内の方が
親御さんに連絡をとり
アパート迄行ったところ
既に室内で亡くなっていたということだ。
その時点で死後4日めくらい。
 最終的に「病死」とされたそうだが
状況によっては
「自殺」の線も捨て切れなかったらしい。
その頃精神的にも「うつ」状態が認められていたようで
家族は
独居をやめるよう諭したが
結局彼女が拒み
そして
変わり果てた姿で見つかった。
 ワタシは彼女とは
まだ小さな頃に会ったことがある程度で
あまり面識というのはないが
対面した親御さんとご兄弟の心情を思うと
人の「死」とは、あまりにも身近で
避けきれないもので
そして
とんでもなく悲しく
やりきれないものだと
改めて思い知る。

 「整えておく」
 「準備をしておく」
 「綺麗にしておく」
生きている間は
これらにある種急かされて
日々をつないでいく。
しかし
それらがある日
いきなり終焉するときも
やはり、人生には起こるのである。

 時々
掃除をしていて
ワタシは彼女に
思いをはせる瞬間がある。
 仕事の休日、掃除をしていたときが
当然彼女にもあるだろう。
綺麗に整えておいた部屋で
それまで積み上げてきた自分の食い扶持を
自分で稼いで
コツコツ紡いできたその人生が
その瞬間
独りきりの部屋で
終わった。

 誰もいない居間に掃除機をかける
その手をとめ
ふと 彼女のそのときの瞬間を
うすぼんやりと感じようとしてしまう
自分がいる。

 彼女の最期の瞬間は
やはり彼女自身にしかわからないが
 「掃除」をする
 「片付ける」
 「きちんとする」
その流れの中で
どうにも解決できない
無力感や、やるせなさも
感じる日があるのである。
 なんとかならなかったのか。
誰か
最悪の事態の前に助けることが
できなかったのか。
と。

 彼女の出来事から
ワタシは
エンディングノートを用意したときも
「最期の時」について準備することに
触れる様々なものを目にするときも

 実は
「準備」できるというその事自体が
素晴らしく
幸福な状態なのだと感じている。


  

光明

2013年04月02日 | ミッフィーのおうち

 すっかり陽の昇るのが早くなった。
朝5時にもなると
すれ違う人の顔がはっきり
認識できるレベルの明るさだ。
 ゴミ捨てに出たついでに
空をみあげると
カラスの鳴き声と共に
重い雲がたれこめ
果たして
この北国に、春の陽気はやってくるのだろうかと
心配になる
グレー色が広がっていた。

 さて
春は大掃除の季節である。
少しずつでよいので
気になる箇所から手をつけていかないと
あっという間に
また
冬到来である。

 そこで
かねてより気にはなっていたが
「しまってあるし」
まぁそのうちに・・・と
なっていた
二階のタンスの引き出しを
整理することにしてみた。

ここは
着物やら、幼い頃のお子たちの思い出の品や
その他諸々
ここしばらくは出すことはないだろうというものが
入っている場所である。
ただ
着物があるため
風通しのために、たまに引き出しを開ける位は
してきたが。

 そすて
今回長い眠りから覚めたのが
この方たちだ。




微妙に前髪が寝癖つきなのは
ご乱心だから・・。
ぃぇ
ただ保管状態が悪いだけれす・・。

 かつて自分が幼い頃
「リカちゃん人形」は
そこそこのお値段がした。
日曜日になると

パパンとママンは、私を連れて
デパートへ行き
お昼ごはんを食べソフトクリームも食べ
そすて
おもちゃ売り場を覗いたりして
時間を過ごした。
 当時の記憶の中で
今でも鮮明に覚えているのが
このおもちゃ売り場で
「どれか一つ買ってあげるょ?」と言われ
子供ながらに
一番可愛くて光輝いてみえた
「リカちゃん」を手にとったときの
光景である。
 パパンは目を細めて
「おーこれか?」と言ったが
ママンは微笑の奥に少し困った表情を
浮かべた。
 そすて
二人は私にわからないよう(実際はわかるのだが)
ゴニョゴニョと協議を重ね
おもむろに
「こっちにしたら?」と渡されたのが
「虹のナナちゃん」という名前の
リカちゃんのような
でも決して「リカちゃん」ではない
お人形だった。

 限りなく着せ替えのできる
「お人形」なのだが
顔に
人形の命の顔に
「リカちゃん」のような
華がなかったのである。
光も射していなかったのである。
 選択権を与えられていながらの
手のひら返しに
ショックを受けたが
そこは
子供、結局虹のナナちゃんを買ってもらい
しばらくの間は
華のないナナタンを愛でる日々が続いた。
 だが
幼いながらも
「自分でお金が自由に使えるようになったら
絶対リカちゃんを大人買いしてやるZE!」
とお腹の中に野望をためながら
そすて
ワタシは大人になった。
 今だとわかる。
痛いほどわかる。
当時の父と母の気持ちが。
確か
リカちゃんはナナタンの3倍ほどのお値段であり
我が子が小学校入学を控えたあの時期
若い夫婦に現金はいくらあっても
足りるということはなかったはずである。
 休みの度に足を運んでいたデパートも
あとから聞くと
小学校の入学準備のための
洋服やらの買い物のためだったらしい。
 でも
昨日のことのようにまぶたに浮かぶ

父と母に挟まれて
手をつないでいるときの手の温もりと

見上げると微笑みかける父の表情と
父と仲よさげに並んで歩く
母の満ち足りた眼差しと

甘いソフトクリームの味と

「おもちゃ売り場で物を選ぶ」という
わくわく感

書き言葉では現せない
大事な大事な
自分だけの思い出である。