蒼猫絵日記
猫耳とエルリック兄弟とミクと塊魂(女体化)な絵日記。
 



もう5月も終わりなんですね。

ドラゴン桜 ドラマ化
情報としては遅いですが自分用メモ。

■ARIA アニメ化
BLADE7月号に詳細があるようです。

「タカヤ」【あててんのよ】
時代はツンデレっ娘ですね。



最近読んだマンガ。
○苺ましゅまろ(4)
○ドラゴン桜(1~5)
○僕は妹に恋をする(1)
○のだめカンタービレ(12)
○xxxHOLiC(5・6)
○ビックリマン愛の戦士ヘッドロココ 復刻版(3完結)
○火宵の月(9)
○死刑囚042(1~5完結)
…あれ?もっと読んでたような気がしていました。

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原題「Monster's Ball」(死刑執行前夜の執行人の宴、という意味らしいです。)
2001年アメリカ 113分
監督:マーク・フォスター
脚本:ミロ・アディカ
出演:ハル・ベリー(レティシア)、ビリー・ボブ・ソーントン(ハンク)

(いつもの事ですが)私はネタバレ気にせずにばんばん書いちゃいますのでそこんとこヨロシクです。



なんだか…、納得がいかないというか…、うん、「物語っぽくない」。
良い意味で期待を裏切られた作品。
ラストが、とても考えさせられる。
新しい恋人と、その故息子が夫を殺した人だった。彼は職業上そうしただけ。そう、彼が悪い訳ではないのだけれど、どうしようもない悲しみが溢れる。そして、夫や息子を亡くした悲しみを癒してくれたのも彼だった。アンビバレンツな葛藤から呆然としている中、普段は無表情な彼がほんのり上機嫌で外でチョコレートアイスを食べようと誘う。そして、差し出されるプラスチックのスプーン。舌の上でとろける、冷たく甘いチョコレートアイスクリーム…。

 この「プラスチックのスプーン」、彼=ハンクの職業を端的に表していて面白い。看守であるハンクが普段囚人達に使わせているものが「プラスチック」であるはずだからだ。確か、刑務所では危険性の関係から使わせるスプーンはプラスチックだったはず。制服を焼き仕事から決別しても未だ拭えない、日常にまで浸透している習慣。看守であったハンクは、ガソリンスタンドのオーナーになった事で、変わったのだろうか。そのつもりなのだろうか。

 私は、「人は変われる」ものだと信じている。少なくとも、「愛する」という事において、自己犠牲に気がつく間もなく相手に尽くしたいとそう思えるものだと信じている。人は完璧ではいられない。人は完璧ではないように作られていると思っている。人は矛盾した生き物であると思っている。

だからこそ、この作品は痛い。

一見変わったようにみえるハンク。しかしそれは、どうして変わったのだろうか?
それは、「変わった」のだろうか。
そう、彼はなぜ息子を憎んでいたのか。
彼は父親の呪縛から逃れられなかった。しかし、息子は自分よりも自由だった。父親が「クロ」と蔑み、自分もまた否応なく差別思想を受け入れさせられていたにも関わらず、息子は自由だった。
ハンクは、うらやましかったのではないだろうか。
自分が、親を愛するが故に耳を塞ぎ口を閉ざし目をつぶって耐えて来た事に、息子は反発した。だからこそ、憎まずにはいられなかったのではないだろうか。絶望の中で死に向かった息子を見て初めて、ハンクは自分に正直に生きようとし始めたのだろう。
これは、「やさしくする」事を禁じられたハンクが、「やさしくなろう」とする物語なのではないだろうか。しかし、長く抑えられていたものが、急にきちんとできるものでもなく、不器用に遠回りしていく。
レティシアに真実を告げられなかったのも、臆病な優しさからなのかもしれない。納得はいかないけど。

無表情なハンクについては酷く分かりやすく描かれているのにも関わらず、逆に表情豊かなレティシアについては説明がつかないのは何故なのだろう。
というのも、なぜ彼女は許せたのだろうか、と思うのだ。
私の感覚からすれば、「夫の死刑を執行した死刑執行人」が「優しいふりをして」自分の恋人になっていた、「自分を奪っていた」。と、…感じててしまうと思う。
濃い褐色の、まるでチョコレートのような肌を持っていた夫。デブで言う事をちっとも聞かなくてどうしようもないけれど、絵が上手くてチョコレートバーが大好きだった息子。
レティシアは、なぜ、白く塗り替えた家で差し出されたチョコレートアイスを食べることが、できたのだろう。
彼女なりに現実を見つめなおして、不器用な幸せだと分かっても、それでも生きていけると思ったのだろうか。謎である。


人種差別・親子関係・恋愛関係。短い時間でここまで広く視聴者に様々な疑問をぶつけてくる作品も珍しいと思った。

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