一作夜は寝そびれて、ふとテレビ番組『忠臣蔵~その男、大石内蔵助』(2010年12月25日、テレビ朝日系での放映の再放送)を観てしまった。
子ども時代に長谷川一夫出演の『忠臣蔵』を観た記憶はある。
その後は、広告以外たぶん見てない。
どちらかといえば毎年、『年越しは忠臣蔵」という日本人の感性に辟易していた。
殿中刃傷沙汰から始まり、赤穂浪士47人が亡君の仇討ちを果たし、切腹して終わるという実話。
細かいアレンジや、採用される役者の持ち味による違いはあっても、大枠のストーリーは皆が知り尽くした忠義ものである。
正直、観るともなしに観ていたが、あるシーンで釘付けになってしまった。
田村正和演ずる大石内蔵助が、北大路欣也演ずる立花左近との対面シーンである。
最終的に、いよいよ討ち入りを実行に移すため、隠棲先(京都?)から家臣を従えて江戸へと向かう。
この移動を吉良側にさとられないようにするため、内蔵助は偽名「立花左近」を用いた。
途中の宿舎では「立花左近」のプラカードを立てる。
そこへ、名前が利用されているとの通報に怒った本物の立花が家来を連れ乗り込んでくる。
この難局をどう切り抜けるかと思わず固唾を飲んだ――以下、不正確な記憶を頼ったことご了承を。
広い座敷の上手に内蔵助が一人、肘置きによりかかり物思いにふけった様子で座している。
彼の家臣数名はいつでも飛び出せるよう身構えながら板戸一つ隔てた奥で耳をそばだてている。
そこへ左近が家臣を残し、これも一人で長い廊下をわたり、やがて障子をあけて入ってくる。
そこに静かにゆったりと座している内蔵助を見て、自分もその正面に座る。
左近は怒りを抑えながらまずは「そなたの名は?」と聞く。
内蔵助は即座に、しかしあくまで静かに「立花左近」と答える。
左近は「立花左近は私だ。そなたは偽者だ」と語気を強める。
内蔵助は、さらに悪びれることもなく「あなたこそ偽者だ」と返す。
左近はまじまじと内蔵助をにらみ「では身分証を見せていただこう」と切り返す。
内蔵助は「確かに」と言いながら、後ろにおいてあった黒い箱を持ち上げ、前において蓋を開け、中から畳んだ白い紙をおもむろに取り出し、左近に両手で手渡した。
左近は、半ば狐につままれた程でそれを押しいただき、これまたおもむろに開いてみると、何とそこには何も書かれていない、ただの一枚の白い紙ではないか。
左近は驚き、まじまじと紙と内蔵助を凝視する――見ている我々も、これから何が起こるかと息をのむ――立ち聞きしている臣下たちもすんでのことで戸を蹴って飛び出さんばかりである。
内蔵助はあくまで動じず、依然として静かに座したままである。
左近はふと、紙が入っていた黒い箱を見るとそこに赤穂藩主・浅野内匠頭の家紋があるではないか。
その時、彼は一瞬にして全てを理解した。
深々と頭を下げて曰く「失礼しました」。
さらに続けて「お詫びにこれを」と、何と自らの(本物の)身分証を渡してお辞儀をして退出した。
残された内蔵助と隠れていた臣下たちはいつまでも頭を深く垂れていた。
むろんこれは、フィクションであろうが、にもかかわらず胸を突く場面であった。
まるで能舞台でも観るようであった。
言葉数も少なく、表面上は何も起こらず、ただ二人の心のやりとり、命のやり取りが純粋に迫ってくる。
日本人は、封建社会という時代的制約の中においてなお、現代人にも通用する誠のこころ(命)のやりとりを見たいのだと思う――実際には70名以上が最終の討ち入りから脱落している。
因みに浅野内匠頭と大石内蔵助の辞世の句は、それぞれ
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん(享年33歳)
あら楽 思は晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし(享年43歳)
ここには、悔しさ・無念さを絞りだすような浅野内匠頭の歌と、その思いを受けて見事晴らして一点の曇りもない心境の大石内蔵助の歌が相呼応する心の世界がみえる。
考えてみれば、一切は無常である。
全ては不完全であり、誰でもいずれは死ぬ。
しかしその中で、だからこそ心と心の真のやりとりは、唯一意味があるものではないか。
昔の人が言霊(コトダマ)といったのも、そこに魂、心、命を見いだしたからではないか。
すでに文字のない頃から、身分の上下にかかわらず、歌ごころを愛でてきた伝統もここにあろう。
これは、洗練された共感の世界といえる。
ところで新約聖書「ヨハネの福音書」の冒頭も「初めに、言葉があった」という有名な文で始まる。実はこの文は誤訳と言われ、原文はギリシャ語で「アルケーはロゴス」となる。
アルケーは元々「支配」を意味し、ギリシャ哲学では「万物の始源」「原理」「根拠」を指す。
ロゴスには、言葉以外に、話、表現、理性という意味もあり、とりわけギリシャ哲学風にいえば、「宇宙を生み出した理性」ということになる。
先の「ヨハネの福音書」はさらに「言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この方は、初めに神とともにおられた」と続く。
どうやら、神~ロゴス=イエスキリスト=この方 という解釈が成り立つと一説にある(ネット上)。
いずれにせよ、ここにも西洋と日本で力点の置き方の違いを見ることができそうだ。
西洋では、ロゴス~言葉が、世界を支配する法則を示す理性的な情報手段としてとらえられている。
対する、日本では、言葉の奥にある魂(こころ、命)や共感の世界を重んじる。
それは「行間を読む」とか「不立文字」とか「間」とかの言葉からも知られる。
私が縄文の土器や土偶に接したときの感動はまさにそれであった。
実は、近年、イエスの実像を示す文書がいろいろと発掘され物議をかもしているようだ。
それによると、彼は制度化される――キリスト教のようになること――には明確に禁止していた。
組織化され制度化されると、必ずそこに腐敗が生まれると熟知しており、警戒していた。
つまり世界を支配するための宗教としてのキリスト教に真っ向から反対していた人こそイエスだったのである。
子ども時代に長谷川一夫出演の『忠臣蔵』を観た記憶はある。
その後は、広告以外たぶん見てない。
どちらかといえば毎年、『年越しは忠臣蔵」という日本人の感性に辟易していた。
殿中刃傷沙汰から始まり、赤穂浪士47人が亡君の仇討ちを果たし、切腹して終わるという実話。
細かいアレンジや、採用される役者の持ち味による違いはあっても、大枠のストーリーは皆が知り尽くした忠義ものである。
正直、観るともなしに観ていたが、あるシーンで釘付けになってしまった。
田村正和演ずる大石内蔵助が、北大路欣也演ずる立花左近との対面シーンである。
最終的に、いよいよ討ち入りを実行に移すため、隠棲先(京都?)から家臣を従えて江戸へと向かう。
この移動を吉良側にさとられないようにするため、内蔵助は偽名「立花左近」を用いた。
途中の宿舎では「立花左近」のプラカードを立てる。
そこへ、名前が利用されているとの通報に怒った本物の立花が家来を連れ乗り込んでくる。
この難局をどう切り抜けるかと思わず固唾を飲んだ――以下、不正確な記憶を頼ったことご了承を。
広い座敷の上手に内蔵助が一人、肘置きによりかかり物思いにふけった様子で座している。
彼の家臣数名はいつでも飛び出せるよう身構えながら板戸一つ隔てた奥で耳をそばだてている。
そこへ左近が家臣を残し、これも一人で長い廊下をわたり、やがて障子をあけて入ってくる。
そこに静かにゆったりと座している内蔵助を見て、自分もその正面に座る。
左近は怒りを抑えながらまずは「そなたの名は?」と聞く。
内蔵助は即座に、しかしあくまで静かに「立花左近」と答える。
左近は「立花左近は私だ。そなたは偽者だ」と語気を強める。
内蔵助は、さらに悪びれることもなく「あなたこそ偽者だ」と返す。
左近はまじまじと内蔵助をにらみ「では身分証を見せていただこう」と切り返す。
内蔵助は「確かに」と言いながら、後ろにおいてあった黒い箱を持ち上げ、前において蓋を開け、中から畳んだ白い紙をおもむろに取り出し、左近に両手で手渡した。
左近は、半ば狐につままれた程でそれを押しいただき、これまたおもむろに開いてみると、何とそこには何も書かれていない、ただの一枚の白い紙ではないか。
左近は驚き、まじまじと紙と内蔵助を凝視する――見ている我々も、これから何が起こるかと息をのむ――立ち聞きしている臣下たちもすんでのことで戸を蹴って飛び出さんばかりである。
内蔵助はあくまで動じず、依然として静かに座したままである。
左近はふと、紙が入っていた黒い箱を見るとそこに赤穂藩主・浅野内匠頭の家紋があるではないか。
その時、彼は一瞬にして全てを理解した。
深々と頭を下げて曰く「失礼しました」。
さらに続けて「お詫びにこれを」と、何と自らの(本物の)身分証を渡してお辞儀をして退出した。
残された内蔵助と隠れていた臣下たちはいつまでも頭を深く垂れていた。
むろんこれは、フィクションであろうが、にもかかわらず胸を突く場面であった。
まるで能舞台でも観るようであった。
言葉数も少なく、表面上は何も起こらず、ただ二人の心のやりとり、命のやり取りが純粋に迫ってくる。
日本人は、封建社会という時代的制約の中においてなお、現代人にも通用する誠のこころ(命)のやりとりを見たいのだと思う――実際には70名以上が最終の討ち入りから脱落している。
因みに浅野内匠頭と大石内蔵助の辞世の句は、それぞれ
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん(享年33歳)
あら楽 思は晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし(享年43歳)
ここには、悔しさ・無念さを絞りだすような浅野内匠頭の歌と、その思いを受けて見事晴らして一点の曇りもない心境の大石内蔵助の歌が相呼応する心の世界がみえる。
考えてみれば、一切は無常である。
全ては不完全であり、誰でもいずれは死ぬ。
しかしその中で、だからこそ心と心の真のやりとりは、唯一意味があるものではないか。
昔の人が言霊(コトダマ)といったのも、そこに魂、心、命を見いだしたからではないか。
すでに文字のない頃から、身分の上下にかかわらず、歌ごころを愛でてきた伝統もここにあろう。
これは、洗練された共感の世界といえる。
ところで新約聖書「ヨハネの福音書」の冒頭も「初めに、言葉があった」という有名な文で始まる。実はこの文は誤訳と言われ、原文はギリシャ語で「アルケーはロゴス」となる。
アルケーは元々「支配」を意味し、ギリシャ哲学では「万物の始源」「原理」「根拠」を指す。
ロゴスには、言葉以外に、話、表現、理性という意味もあり、とりわけギリシャ哲学風にいえば、「宇宙を生み出した理性」ということになる。
先の「ヨハネの福音書」はさらに「言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この方は、初めに神とともにおられた」と続く。
どうやら、神~ロゴス=イエスキリスト=この方 という解釈が成り立つと一説にある(ネット上)。
いずれにせよ、ここにも西洋と日本で力点の置き方の違いを見ることができそうだ。
西洋では、ロゴス~言葉が、世界を支配する法則を示す理性的な情報手段としてとらえられている。
対する、日本では、言葉の奥にある魂(こころ、命)や共感の世界を重んじる。
それは「行間を読む」とか「不立文字」とか「間」とかの言葉からも知られる。
私が縄文の土器や土偶に接したときの感動はまさにそれであった。
実は、近年、イエスの実像を示す文書がいろいろと発掘され物議をかもしているようだ。
それによると、彼は制度化される――キリスト教のようになること――には明確に禁止していた。
組織化され制度化されると、必ずそこに腐敗が生まれると熟知しており、警戒していた。
つまり世界を支配するための宗教としてのキリスト教に真っ向から反対していた人こそイエスだったのである。