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粟屋かよ子・Ψ(プサイ)が拓く世界を求めて

量子力学の理解を深めつつ、新しい世界観を模索して気の向くままに書きたいと思います。
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日本人のこころ

2024-12-16 17:14:36 | 日記
一作夜は寝そびれて、ふとテレビ番組『忠臣蔵~その男、大石内蔵助』(2010年12月25日、テレビ朝日系での放映の再放送)を観てしまった。
子ども時代に長谷川一夫出演の『忠臣蔵』を観た記憶はある。
その後は、広告以外たぶん見てない。
どちらかといえば毎年、『年越しは忠臣蔵」という日本人の感性に辟易していた。
殿中刃傷沙汰から始まり、赤穂浪士47人が亡君の仇討ちを果たし、切腹して終わるという実話。
細かいアレンジや、採用される役者の持ち味による違いはあっても、大枠のストーリーは皆が知り尽くした忠義ものである。

正直、観るともなしに観ていたが、あるシーンで釘付けになってしまった。
田村正和演ずる大石内蔵助が、北大路欣也演ずる立花左近との対面シーンである。
最終的に、いよいよ討ち入りを実行に移すため、隠棲先(京都?)から家臣を従えて江戸へと向かう。
この移動を吉良側にさとられないようにするため、内蔵助は偽名「立花左近」を用いた。
途中の宿舎では「立花左近」のプラカードを立てる。
そこへ、名前が利用されているとの通報に怒った本物の立花が家来を連れ乗り込んでくる。
この難局をどう切り抜けるかと思わず固唾を飲んだ――以下、不正確な記憶を頼ったことご了承を。

広い座敷の上手に内蔵助が一人、肘置きによりかかり物思いにふけった様子で座している。
彼の家臣数名はいつでも飛び出せるよう身構えながら板戸一つ隔てた奥で耳をそばだてている。
そこへ左近が家臣を残し、これも一人で長い廊下をわたり、やがて障子をあけて入ってくる。
そこに静かにゆったりと座している内蔵助を見て、自分もその正面に座る。
左近は怒りを抑えながらまずは「そなたの名は?」と聞く。
内蔵助は即座に、しかしあくまで静かに「立花左近」と答える。
左近は「立花左近は私だ。そなたは偽者だ」と語気を強める。
内蔵助は、さらに悪びれることもなく「あなたこそ偽者だ」と返す。
左近はまじまじと内蔵助をにらみ「では身分証を見せていただこう」と切り返す。
内蔵助は「確かに」と言いながら、後ろにおいてあった黒い箱を持ち上げ、前において蓋を開け、中から畳んだ白い紙をおもむろに取り出し、左近に両手で手渡した。
左近は、半ば狐につままれた程でそれを押しいただき、これまたおもむろに開いてみると、何とそこには何も書かれていない、ただの一枚の白い紙ではないか。
左近は驚き、まじまじと紙と内蔵助を凝視する――見ている我々も、これから何が起こるかと息をのむ――立ち聞きしている臣下たちもすんでのことで戸を蹴って飛び出さんばかりである。
内蔵助はあくまで動じず、依然として静かに座したままである。
左近はふと、紙が入っていた黒い箱を見るとそこに赤穂藩主・浅野内匠頭の家紋があるではないか。
その時、彼は一瞬にして全てを理解した。
深々と頭を下げて曰く「失礼しました」。
さらに続けて「お詫びにこれを」と、何と自らの(本物の)身分証を渡してお辞儀をして退出した。
残された内蔵助と隠れていた臣下たちはいつまでも頭を深く垂れていた。

むろんこれは、フィクションであろうが、にもかかわらず胸を突く場面であった。
まるで能舞台でも観るようであった。
言葉数も少なく、表面上は何も起こらず、ただ二人の心のやりとり、命のやり取りが純粋に迫ってくる。
日本人は、封建社会という時代的制約の中においてなお、現代人にも通用する誠のこころ(命)のやりとりを見たいのだと思う――実際には70名以上が最終の討ち入りから脱落している。

因みに浅野内匠頭と大石内蔵助の辞世の句は、それぞれ
 風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん(享年33歳)
 あら楽 思は晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし(享年43歳)
ここには、悔しさ・無念さを絞りだすような浅野内匠頭の歌と、その思いを受けて見事晴らして一点の曇りもない心境の大石内蔵助の歌が相呼応する心の世界がみえる。

考えてみれば、一切は無常である。
全ては不完全であり、誰でもいずれは死ぬ。
しかしその中で、だからこそ心と心の真のやりとりは、唯一意味があるものではないか。
昔の人が言霊(コトダマ)といったのも、そこに魂、心、命を見いだしたからではないか。
すでに文字のない頃から、身分の上下にかかわらず、歌ごころを愛でてきた伝統もここにあろう。
これは、洗練された共感の世界といえる。

ところで新約聖書「ヨハネの福音書」の冒頭も「初めに、言葉があった」という有名な文で始まる。実はこの文は誤訳と言われ、原文はギリシャ語で「アルケーはロゴス」となる。
アルケーは元々「支配」を意味し、ギリシャ哲学では「万物の始源」「原理」「根拠」を指す。
ロゴスには、言葉以外に、話、表現、理性という意味もあり、とりわけギリシャ哲学風にいえば、「宇宙を生み出した理性」ということになる。
先の「ヨハネの福音書」はさらに「言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この方は、初めに神とともにおられた」と続く。
どうやら、神~ロゴス=イエスキリスト=この方 という解釈が成り立つと一説にある(ネット上)。

いずれにせよ、ここにも西洋と日本で力点の置き方の違いを見ることができそうだ。
西洋では、ロゴス~言葉が、世界を支配する法則を示す理性的な情報手段としてとらえられている。
対する、日本では、言葉の奥にある魂(こころ、命)や共感の世界を重んじる。
それは「行間を読む」とか「不立文字」とか「間」とかの言葉からも知られる。
私が縄文の土器や土偶に接したときの感動はまさにそれであった。

実は、近年、イエスの実像を示す文書がいろいろと発掘され物議をかもしているようだ。
それによると、彼は制度化される――キリスト教のようになること――には明確に禁止していた。
組織化され制度化されると、必ずそこに腐敗が生まれると熟知しており、警戒していた。
つまり世界を支配するための宗教としてのキリスト教に真っ向から反対していた人こそイエスだったのである。









いま丸山真男著「日本の思想」がナウい

2024-12-08 16:57:07 | 日記
書斎を片づけていて、丸山正男(1914~1996)の『日本の思想』(岩波新書1961年)を見つけた。
あちこち傍線や書き込みがあるので読んだのは確かであるようだが、強い印象はない。
ふと読み始めて驚いた。
現在日本が置かれている状況に対して、示唆するところが極めて大きいと思えた。
そこで以下、私にとって重要と思える部分を略記してみる。
全体は4つの章に別れているが、大部になるので[三]、[四]の内容は基本的に略し項目(以下で <・・・> は小見出しである)のみ掲げた。
私自身必ずしも消化しきれてない部分も多々あるので、関心を持たれた方はぜひ原著に直接あたってほしいと思う。

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[まえがき](pp.2-11)
丸山氏は、日本では欧米に比べて「日本思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか」と問い、「日本における思想的座標軸の欠如」を指摘する。
つまり、「あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互連関性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で――否定を通じてでも――自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統はわが国には形成されなかった」(p.5)。
そこで、「日本の「近代」のユニークな性格を構造的にとらえる努力――思想の領域でいうと、いろいろな「思想」が歴史的に構造化されないようなそういう「構造」の把握ということになるが――がもっと押しすすめられないかぎり、近代化した、いや前近代だといった二者択一的規定がかわるがわる「反動」をよびおこすだけになってしまう」(p.6)。

そのような日本が、明治維新において開国という決定的な事件を経験する。
ここで丸山氏は、「・・・思想的伝統(中国における儒教のような)の強靭な基軸を欠いていたという事情からくる問題性がいまや爆発的に出現せざるをえなかったのである。・・・伝統思想が維新後いよいよ断片的性格をつよめ、諸々の新しい思想を内面から整序し、あるいは異質的な思想と断乎として対決するような原理として機能しなかったこと、まさにそこに、個々の思想内容とその占める地位の巨大な差異にもかかわらず、思想の摂取や外見的対決の仕方において「前近代」と「近代」とがかえって連続する結果がうまれた」と指摘する(pp.10-11)。

[一](p.11-28)
<無構造の「伝統」その(一):思想継起の仕方>、<(その二):思想受容のパターン>
丸山氏は「あらゆる哲学・宗教・学問を――相互に原理的に矛盾するものまで――「無限抱擁」してこれを精神的経歴のなかに「平和共存」させる思想的「寛容」の伝統に取って唯一の異質的なものは、まさにそうした精神的雑居性の原理的否認を要請し、世界経験の論理的および価値的な整序を内面的に共生する思想であった。
近代日本においてこうした意味をもって登場したのが、明治のキリスト教であり、大正末期からのマルクス主義にほかならない」と言う(pp.14-15)。
「両者ともひとしく、もし上のような要請をこの風土と妥協させるならば、すくなくとも精神革命の意味を喪失し、逆にそれを執拗に迫るならば、まさに上のような雑居的寛容の「伝統」のゆえのはげしい不寛容にとりまかれるというディレンマを免れないのである」とも(p.15)。

丸山氏はさらに<逆説や反後の機能転換>、<イデオロギー暴露の早熟的登場>、<無構造の伝統の原型としての固有信仰>、<思想評価における「進化論」>と項をあげ、論を展開してゆくが、その紹介はここでは割愛する。

[二](p.28-37)
ここでは、丸山氏の「國體」論が展開される。
<近代日本の機軸としての「國體」の創出>
明治21年6月、枢密院で――天皇の臨御の下に――帝国憲法草案審議が開始された日に、伊藤博文がその憲法制定の根本精神について披瀝したところを紹介している。
曰く「憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ曾テ歴史ニ徴証スヘキモノナキ所ニシテ・・・今憲法ノ制定セラルルニ方テハ先ツ我国ノ機軸ヲ求メ、我国ノ機軸ハ何ナリヤト云フ事ヲ確定セサルヘカラス・・・」。
つまり「伊藤は日本の近代国家としての本建築を開始するに当たって、まずわが国のこれまでの「伝統的」宗教がその内面的「機軸」として作用するような意味の伝統を形成していないという現実をハッキリと承認してかかったのである」(p.29)と丸山丸山氏は指摘する。
さらに「我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルへク之ヲ束縛セサラン事ヲ努メリ。・・・乃チ此草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、敢テ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス」という結論が「憲法政治」の絶対の前提として確認された(p.30)。

こうして丸山氏は、「「開国」の直接的結果として生じた、国家生活の秩序化とヨーロッパ思想の「無秩序」な流入との対照は、ここに至って、国家秩序の中核自体を同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになった」と指摘する(p.30)。
彼はまた「新しい国家体制には、“将来如何の事変に遭遇するも・・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざる”(明22・2・15、全国府県会議長にたいする説示)ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年」にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託された」と言い(p.30)、
「このことが日本の「近代」にとってどんなに深い運命的な意味をもったか」を強調する(p.30)。

<「國體」における臣民の無限責任>
「「國體」という名でよばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという切実な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやないし、またその「魔術」にすっぽりはまってその中で「思想の自由」を享受していた古い世代にももともとない。しかしその魔術はけっして「思想問題」という象徴的な名称が日本の朝野を震撼した昭和以後に、いわんや日本ファシズムが狂暴化して以後に、突如として地下から呼び出されたのではなかった。
日本のリベラリズムあるいは「大正デモクラシー」の波が思想界に最高潮に達した時代においても、それは「限界状況」において直ちにおそるべき呪縛力を露わにしたのである」(p.31)と述べ、
かつて東大で教鞭をとっていたE.レーデラーが在日中に見聞してショックを受けたという事件を紹介している――その1つは(おそらく大震災の時)「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失った(p.32)。

丸山氏は「日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力行使に無慈悲ではなかったかもしれない。
しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなあり方は到底考えられなかったであろう。
どちらがましかというのではない。
ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にもけっして無縁でなく、また例外的でもないと[レーデラーは]いうのである」と結んでいる(p.32)

<國體」の精神内面への滲透性>
「國體」がイデオロギー的にはあの「固有信仰」以来の無限定的な抱擁性を継承していたこと、従ってまた特定の「学説」や「定義」で論理化することも、ただちにそれをイデオロギー的に限定し相対化する意味をもつので慎重に避けられたこと、が指摘された。
法律上の用語としては治安維持法の「國體ヲ変革シ」ではじめて登場し、「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総覧シ給フ」国柄という帝国憲法第一章第四条の規定にもとづいて「定義」された(S 4・5・31大審院の判決)。

「國體」はもともと徹底的に内なるものでもなければ、徹底的に外面的なものでもなかったので、当時の世界的段階――国家権力が近代自由主義の前提であった内部と外部、私的自治と国家的機構の二元論をふみこえて、正統的イデオロギーへの「忠誠」を積極的に要請する傾向が露骨になりはじめていた時期(p.33)――にそのまま適合した。
丸山氏は「日本の「全体主義」は権力的統合の面ではむしろ「抱擁主義」的で(翼賛体制の過程や経済統制を見よ)、はなはだ非能率であったが、少くもイデオロギー的同質化にはヒットラーを羨望させただけの「素地」を具えていた。
ここでも超近代と前近代とは見事に結合したのである」(p.34)と指摘する。

しかしながら、天皇制が近代日本の思想的「機軸」として負った役割は、単にいわゆる國體観念の教化と滲透という面に尽くされるわけでない。
それは政治構造としても社会体制としても、西欧化・近代化を著しく進めた側面をどうとらえるかという課題が残される。
丸山氏は「問題はどこまでも制度における精神、制度をつくる精神が、制度の具体的な作用の仕方とどのように内面的に結びつき、それが制度自体と制度にたいする人々の考え方をどのように規定しているか、という、いわば日本国家の認識論的構造にある。
そういう観点に立てば、前節で述べた、思想における「伝統」と「欧化」で触れた問題も、天皇制国家のダイナミズムとあらためて関連させて考察することが必要になってくる」(p.36)と次章へ進む。

[三](pp.37-52)
<天皇制における無責任の体系> <明治憲法体制における最終的判定権の問題> <フィクションとしての制度とその限界の自覚> <近代日本における制度と共同体> <合理化の下降と共同体的心情の上昇> <制度化の進展と「人情」の矛盾>

なお丸山氏は<合理化の下降と共同体的心情の上昇>の項を興味深い指摘で締め括っている。
即ち「近代化によってともすると崩れようとするこのバランスを上からの國體教育の注入と下からの共同体的心情の吸い上げによって不断に調整するのがそこでの「統治技術」にほかならなかった。それがかなり危くなりながらも最後までともかく成功したからこそ、この仕組みを徹底的にメカニズムの面から暴露いて行った共産党も、またそれを純粋に心情の体系としてとらえようとした右翼ナショナリストも、ともに日本帝国の常識的な――つまり、「おとな」の見解から背馳した「極端」な認識として斥けられる運命を免れなかったのである」(p.48)。

[四](pp.52-62)
<二つの思考様式の対立> <実感信仰の問題> <日本におけるマルクス主義の思想史的意義> <理論信仰の発生> <理論のおける無限責任と無責任>
最後に丸山氏は「社会科学は文学とちがって本来、論理と抽象の世界であり、また必ずしも自己の精神の内面をくぐらずに――個性の媒介を経ないで――、科学の「約束」にしたがって対象的に操作しうるので、少なくも理論化された内容に関する限り、日本の思考様式に直接繋縛されるモメントが希薄である。
それだけに対象化された理論とその背後のなまの人間の思考様式との分裂が現れやすいわけであ
る。
社会科学的発想と文学的発想とのくいちがいが日本における「ヨーロッパ」対「伝統」のような形であらわれるのはここに由来している。
本当の問題は裏はらの形で共通して刻印されている日本の「近代」の認識論的特質なのではなかろうか。
それが社会科学者と文学者によってともに自覚されるとき、そのときはじめて、両者に共通の場がひらける。
前述した官僚的思考とローファー的思考との悪循環の根をたちきるためのさし当りの一歩がこの辺にあるように思われる」(pp.61-62)と語りかける。

[おわりに] (pp.63-66)
おわりに丸山氏は、この論考の出発点をふりかえる。
少し長くなるが、分かりやすく重要なので引用したい:
「私達の伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、そのために新思想はつぎつぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。
日本の近代天皇制はまさに権力の核心を同時に精神的「機軸」としてこの事態に対処しようとしたが、國體が雑居性の「伝統」自体を自らの実体としたために、それは私達の思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ、否定的な同質化(異端の排除)作用の面でだけ強力に働き、人格的主体――自由な認識主体の意味でも、倫理的な責任主体の意味でも、また秩序形成の主体の意味でも――の確立にとって決定的な桎梏となる運命をはじめから内包していた。
戦後の変革はこのエセ「精神的機軸」を一挙に転落させた。
ここに日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性は、第二の「開国」によってほとんど極限にまであらわになったように見える。
思想界の混迷という言葉は明治以来、支配層や道学的保守主義者の合言葉であった。
しかし思想が現実との自由な往復交通をする条件は戦前には著しく阻まれていたことを思えば、今にして私達ははじめて本当の思想的混迷を迎えたわけである。
そこから何がでて来るかは何とも分からない。
ただ確実にいえるのはもはやこの地点から引きかえすことはできないし、また引きかえす必要もないということである」(p.63)。

その後は加藤周一の「日本文化を本質的に雑種文化と規定し・・・むしろ雑種性から積極的な意味を引き出す」という提言について、「大方の趣旨は賛成であるが、こと思想に関しては若干の補いを要す」として、丸山氏がしばしば用いてきた「精神的雑居」という表現に触れる。
「問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。
多様な思想が内面的に交わるならばそこから文字通り雑種という新たな個性が生まれてくることも期待できるが、ただいちゃついたり喧嘩したりしているのでは、せいぜい前述した不毛な論争が繰り返されるだけだろう」(p.64)と。

こうして最後に檄を飛ばしてこの論考は終わる。
即ち「雑居を雑種にまで高めるエネルギーは認識としても実践としてもやはり強靭な自己制御力を具した主体なしには生まれない。
その主体を私達がうみだすことが、とりもなおさず私達の「革命」の課題である」(p.66)と。

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以上であるが、私がなぜこの論考をナウいと思ったかは分かってもらえると思う。
確かに、21世紀に入って四半世紀にもなろうかという今、丸山氏が考察を進めたころの世界と日本の状況は大いに異なってきているのは事実だ。
少し周りを見渡しただけで
・あふれんばかりの、ネットを駆使した情報の反乱――しかも悪質な虚偽情報に包まれて。
・いわゆる「グローバリズム」という名の「“西洋の没落”に対する悪あがき」――それはまた「グ
 ローバリストによる最後の荒稼ぎ」と私には見えるのだが。
 少し唐突に思われるかもしれないが、そう考えて初めて私には、新型コロナウイルス・パンデミ
 ック騒動や危険な遺伝子ワクチン騒動、核やAI兵器の開発競争、ゲーム化する戦争、軍産・医
 産複合体の巨大化などの狂気の沙汰を理解できる。
・ウクライナ戦争や中東紛争や東アジア(とりわけ朝鮮)の情勢をどう見るのか、そこでトランプ
 やプーチンの動きはこれまでの西洋中心主義とどう対峙することになるのか。
・そんな中で、軍事的・経済的・政治的にどこまでもアメリカのポチになり下がっていく日本――
 皮肉なことに「戦後レジームの脱却」と叫んだ安倍氏以降とくに酷くなる。
・他方で、古代遺跡の発掘やDNAによる解析も進み、世界最古の縄文文化というイメージが浮上
 しつつあるが、時に、突如として「万世一系」とか「男系男子」といった言葉に出会う戸惑い――
 切迫する皇位継承問題に対しても、一貫した国の方針も、秩序ある国民の合意形成もない。
等々。

しかし私には、このような状況にある今こそ、丸山氏のいう「雑居を雑種にまで高めるエネルギー」をもった主体が必要とされているのではないかと思わずにはいられない。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

トランプ旋風は現在の世界支配構造の潮流に何をもたらすか

2024-12-01 15:00:44 | 日記
この間、トランプの圧勝・再登場で世界は大いに揺れ始めています。
彼に対する評価も実に多様で錯綜しています。
一方では、彼を反グローバリズム運動の旗手と見なし絶賛しています。
実際、彼は選挙戦で「私の計画ではディープ・ステート(DS=闇の政府)を解体し、腐敗したワシントンに民主主義を取り戻す」を公約に掲げました。
トリプルレッド(大統領、上院、下院すべて共和党)は国民が変革を求めていたと言えましょう。
現在、「トランプダンス」――トランプがよく見せる身振り――もはやっているようです。
他方では、DSなどと言うものはないと切り捨て、トランプを自己中的ディーラーと警戒します。
さらには、トランプ的世界に白人至上主義・男性優位主義・家父長主義の復活を見る人もいます。
ここでは、私なりに得た情報の一端を羅列するに留めます。

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<米国第一 混沌の4年始まる~トランプ氏再登場 対米自立の機会になるか>
まとめ:          (YouTube:デモクラシータイムス、11月28日、半田滋の目)
・第2次トランプ政権が米国第一主義、孤立主義の政策を推進することは確実。
ウクライナ紛争の早期終結をめざし支援を打ち切れば、世界で米国の信用と関与がさらに低下する。

・その一方で、極端にイスラエルに肩入れすれば、アラブ社会の強い反発を招き、中東全体の不安定化を招く。

・輸入品の極端な課税は、米国にインフレを呼び込むだけでなく、各国を不況に落とし込む可能性が高く、世界は第2次世界大戦前夜のような状態に陥る。

・日本政府はトランプ氏の考えを知る為、早急に日米会談を開き政府全体で対応策を練る必要あり。
一方で対米追従から自立する機会でもある。

<トランプ2.0で戦後の欺瞞が崩壊へ 日本のお荷物は最高責任者と拝米保守>
                 (YouTube:桜無門関63回、11月28日、馬渕睦夫×水島総)
・トランプの圧勝ではなく、地滑り的勝利(馬渕)
なぜ4年前のような不正選挙が今回は発生しなかったか➡恐らく裏取引があったのではないか。
DSは、10月中に戦争(朝鮮戦争)を起こして選挙どころではない状況に追い込む戦略を立てたが、キャンプデービッドでの3者会談はうまく行かず裏取引をしたのではないか(馬渕氏の推測)。
この時、戦いは終わった➡トランプ勝利で一番癒された(4年間のストレスからの解放)のはバイデン、そしてハリスである(彼らの笑顔を見よ!)。

・東西冷戦はDSが作ったシナリオ
そもそもロシアはアメリカと並ぶ超大国ではない――さもなくばソ連崩壊は無血ですまなかった。
DSは、戦後、中華人民共和国を建てソ連にくっつけて、東西の分裂を演出した。
その後、基本的には、DSによるロシアたたきは続いており、今も終わっていない。

・2023年9月13日のロ朝首脳会談
この日、金氏とプーチンは、共に「西側の帝国主義と戦う」と表明し、同盟関係となった➡この日をもって、世界は目に見える形で変わった➡DSのもくろみは終わった!
プーチンは東アジアに戦争を起こさないようにしており、金氏もようやく理解するようになった。
ここにトランプが加われば、日本の拉致問題も一挙に解決する可能性も出てくる。
・トランプの真意
トランプの真意が分からないと言う人が多いが、2019年9月の国連演説を見れば明らか。
彼は「各国が各国ファーストでやり、国民を宝とすれば、世界平和が訪れる」と言った。
ただし一国で自己完結するには、食とエネルギーの自給が必要で、これができる大国は、アメリカ、ロシア、インド――エネルギーがやや微妙だが――のみ。
中国は、これらの自給が不可能であり、2025年には習近平体制が崩壊する可能性が高い――これはDSの広告塔であるジャック・アタリも言っている。

<米大統領選、DSは誰なのか?> (YouTube:越境3.0 10月16日、及川幸久・石田和靖)
・DS(deep state 闇の政府)の定義:アメリカの政治学者ロバート・エルドリッジ
「政府・軍・諜報機関などが非公式に横につながり、実質的影響をもつ隠れた権力構造」
             ――日本にも財務省という立派なDSがある(夕刊フジ11/21)。
・DSがトランプにおそいかかっている:
[ベトナム戦争]~DSが作り出した戦争(一般にはケネディが始めてニクソンが終わらせたと)
 大統領になったばかリのケネディに「ベトナム戦争に参戦しよう」と持ちかける→ケネディは拒否→しつこく圧力をかける→「では軍事アドバイザーを送ろう」とケネディはアドバイザーだけを送ったはずが、何と25万人の米軍が送られていた→騙されたと気づいたケネディは、全部撤退という大統領令を出した→1カ月後のケネディはダラスで暗殺(RFケネディJrが詳しく調査)
[その後も]
 DSはRFケネディの暗殺、・・・今も、ウクライナ戦争、イスラエルとやりたい放題。
これに対して反対する人がいないのでどんどんと戦争が行われている。
ようやく、これを止めるとでてきたのがトランプ!

・トランプ第一次政権の時
周りがDSで囲まれて、やれなかったこと多く味方と思っていた人が全部敵であった:
国防長官(ジェームズ・マティス)、国務長官(外務大臣にあたる:レックス・ティラーソン)、国家安全保障問題担当補佐官(H.R.マクマスター)、大統領主席補佐官(ジョン・ケリー)等が
皆、勝手にやる(いずれも共和党のブッシュ派~DSの中核のネオコン、イラク戦争を始めた)→トランプは後で気づいて彼らを切る→マスコミは「またトランプが切る!」と報道。
極めつけはアンソニー・ファウチ(国立アレルギー・感染症研究所所長):歴代の大統領について米主席医療顧問を努め、パンデミックでDSの大仕事を成し遂げた!
 ↓
人事で負けてやられたい放題となった→今回はイーロンマスクやRFケネディJrを起用の意向

<今、世界はどうなっている?>(YouTube:新日本文化チャネル桜、11月23日、水島総・林千勝)
・パンデミック条約は11月11日予定の会議が見送りとなった
トランプ勝利と共和党の躍進(トリプルレッド)の影響。
ロシアもブリックス等で他国に働きかけ、イーロンマスクはイラン大使と会う。

・トランプ政権移行チームは
「政府効率化省・助言機関」を置くと発表(イーロンマスクが率いる)
トランプは米国国家予算9兆ドルの内2兆ドル削減でき、それをマスクに任せたいと話す。
トランプは「現代のマンハッタン計画」になりうると期待を示した(マンハッタン計画は戦後の核支配体制の転換点となったが、トランプの真意は?)
トランプは暗殺される仕掛けも知っており、逆に「CIA(ケネディ兄弟の暗殺)、FBI、SSはいつでも殺せる」と言っている。

・単純に反グローバリズムとは言えない可能性                  
トランプもマスクも白人系で、民主主義的ではない、ビジネスとして損か得かで判断している。
(Xでもbanされた~林千勝)
ビル・ゲイツも初めは正義の味方だった→メンバーが入れ替わっただけになるかも
林は(今のところ)トランプの6割は信じている、RFK Jrには期待したい(6巻シリーズ計画)。
極左のグレートリセットはなくなったが、アメリカ第一主義のグレートリセットになる可能性あり。
日本は(反トランプの)G6の一員として、グローバリズムを守る挙国一致体制になり、孫の世代には日本は溶けてなくなるのではないか(林)。

<ナショナル・ユダヤ 対 グローバル・ユダヤ>
         (馬渕睦夫『グローバリストの洗脳はなぜ失敗したのか』2024年9月刊より)
旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」に登場するノアには、セム、ハム、ヤペテの3人の息子がいて、セムがいわゆるユダヤ人やアラブ人の祖、ハムが黒人の祖、ヤペテが白人の祖とされている。
今、イスラエルで実権を握っているのは、セム族のユダヤ人ではなくて、白人のアシュケナージ――世界に散らばったグローバル・ユダヤである。
今の戦いの背景にあるのは、「ナショナル・ユダヤ対グローバル・ユダヤ」だと馬渕氏は言う。
パレスチナでは、イスラム教徒とユダヤ教徒は対立せず共存してきた。
ナショナル・ユダヤは自らのホームであるイスラエル国家を大切にする。
オスマントルコが敗れた故に、イギリスの後押しを受けてアシュケナージが入植して来、そこから悲劇が始まった。
パレスチナの地にイギリスがナショナルホームを作ると約束すれば、イギリス側に立って第一次政界大戦にアメリカを参戦させることができると、アメリカのユダヤ系の人――例えば、ルイス・ブランダイスは当時のアメリカの最高裁判所の最初のユダヤ系判事――が工作をした。

トランプはナショナル・ユダヤのイスラエル国家の安全を強化しようとしていると馬渕は推察する。
今のネタニヤフ首相は「グローバル・ユダヤ」で、彼の下でイスラエル国家の安全は保障されない。
そしてナショナル・ユダヤを支援しているのはプーチン大統領(p.159) ――自分がこの停戦を仲介すると明言している。
おそらくいまイスラエル政府の中でも権力闘争が行われている。
ナショナル・ユダヤが勝ったら――馬渕氏はそう思っている――結局、パレスチナを国家承認することになる(馬渕p.157)

<ブチャを訪問した米政府高官から聞いた今後の戦争展開>   
         (YouTube:ボグダンのウクライナタイムズ、3週間前:無論トランプ当選以前)
プライベートな会食で――酒も入っていた――あるアメリカ高官がしゃべった話。
当たっている所も多く、余りにショッキングな内容なのでまとめてみたので共有したいとのこと。

〇ウクライナ戦争の事実
アメリカは全世界で戦争候補国選別➡今回の標的になったのはウクライナ。
計画は20年前から予定されていた
2004年にはウクライナで実際にオレンジ革命があったので僕は驚かなかったが。

〇目的はロシアの弱体化
ソ連兵器から欧米兵器シフトをねらう(世界の市場はこの2種、欧米が最新、ソ連は安い)➡ソ連兵器が使われてなくなれば、欧米兵器を買わざるをえなくなる。
ロシアの核は、インドと中国が大反対で使用できず(核の冬がおき、国民が餓死する)、プーチンが核の恐怖を多用するのは利用できない歯がゆさが原因。

〇ウクライナ戦争はアメリカにとって
・コロナ後の経済立て直し➡戦争でビジネス活性
・欧米兵器の実験場(例:パトリオット、これまでは中東などを戦場、今回初めて白人の土地で)
・エネルギー資源の価格変動理由(価格が高くなってアメリカが儲かる)
・国民向けインフレ説明の理由に使える。

〇アメリカは基本的に戦争で成りあがった国家
・米国主導の戦争でドル高という発想をする。
(輸出で考えるとドル高は不利だが、世界的通貨なのでいくら刷っても儲かる)
・新戦争戦略の理論実用性確認。
・ウクライナは当初パルチザン戦法➡しかしウクライナ人の変化➡大きく流れが代わり戸惑う
                 ➡いろいろと勝たず負けずで・・・

〇アメリカはロシアの崩壊を求めない(アメリカはいろんなシナリオを考えている)
・弱体化したロシアを巡って中国が領土獲得を狙うことになる
・中国は台湾獲得を狙っており、米ロで同盟を組めばアメリカ自身で戦う必要がなくなる。
・中国対アメリカの戦争が起きれば(NATO加盟した)ウクライナ軍が参戦する事になり、(今と逆に)ウクライナはロシアと同盟関係で戦争を行う事に。

以上が2023年ころのシナリオ
欧米は今後もウクライナ兵力維持(勝つことも負けることもできない)
ウクライナでできるだけ多くの兵力をつくりたい(特に若い頃から訓練しておきたい)

〇アメリカが予定する終戦方法
 現在の前線ラインで終結➡ウクライナに多額の復興費、ウクライナのイスラエル化(ロシアとの間に壁、ガチガチに固める)➡復興予算の殆どは日本負担。
アメリカは防衛費を負担:領土ガチガチ固め(3700Mのアイアンドームの建設)予算は4000億ドル超え(新しいアメリカの基地)➡ウクライナには主要軍事産業進出。
実質のウクライナ植民地化(日本と同様):労働人口以外はいらない(既に欧米が必要とした労働人口は獲得した)出生率は現在世界ワースト1(アメリカとってはウクライナの人口が1000万くらいが管理しやすい)、国家管理用の欧米人移住、ウクライナにねむる資源・鉱物は信じられない程の保有量➡これまではロシアにこれからは欧米に狙われる!

〇今後の政権計画
・ゼレンスキーはいらない(←コントロール不可能)
・すでに米国用意のリーダー存在
・ロシアも自身のリーダー出馬させる
・現政権の脱ロシア語化のおかげでアメリカ候補の当選はスムーズに起きる。

〇アメリカが戦争を継続する理由
・経済が崩壊する寸前、デフォルト回避に四苦八苦
世界大戦突入で全ての需要増、世界の人口がふえすぎで地球のリソースが足りなくなっている➡災害がおきない安全な地球領土判明した。
➡地球上で最も安全で豊かな領土はウクライナ(地震も3まで):黒土、水、鉱物、エネルギー
『アース』という2009年できた映画(今は世界各国で公開禁止――ネット上で観れる)
このことを、欧米エリート層は良く知っていて新移住拠点としてウクライナを挙げる(土地広く、人口少なく、資源豊か、国内での争いなく平和な人々~日本に似ている)

〇アメリカ大統領選
・ハリス政権で中国戦争は必ず起きる(バイデン~ブッシュ同様金儲け)
・トランプ政権で内戦へ
 トランプはプーチンと親友関係
 トランプが当選しても暗殺が計画され、それを下にアメリカ内戦がおこる可能性。
 (最高裁は大統領の刑罰免除を行う前例を作ってしまった)
 
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以上ですが、私自身はDSとかグローバリズムという言葉が一人歩きすることには警戒しています。
手っ取り早くいえば、いわゆる(ここで批判の対象となっている)グローバリズムとは、国境を取っ払って、地球全体を支配しようとする野望であり、DSはそれを実行する為の闇の組織です。
しかし「グローバリズムではなく、ナショナリズムを」という時、このナショナリズムをいわゆる覇権主義的な国家主義ととらえれば、ここからまた血みどろの分捕り合戦が始まるだけだはないでしょうか。

ついでに言えば、一部の人たちが、安倍元総理の「戦後レジームからの脱却」を反グローバリズムの宣言ととらえ、彼の暗殺をDSの影響下でなされたと推測している点には首をかしげます。
というのも、彼(と自民党)が集票のために如何に深く統一教会と関わったか、トランプ氏への最初の接近も統一教会の仲介によるものであったこと、彼が命を狙われたのもトランプ氏と同様の(統一教会宣伝用の)ビデオメッセージが放映されたこと、が明らかにされているからです。
そもそも、統一教会自体が恐ろしく売国的な組織であり、保守の精神のひとかけらもありません。

いずれにせよ、トランプの運動量には凄まじいものがあり、少なくとも今後4年間は世界中を激しく揺さぶり続けることでしょう。
その中で日本はよほどしっかりしなければなりません。
今のままでは、トランプ旋風で吹き飛ばされた世界のゴミの吹き溜まりになるのは確実でしょう。
その兆候はすでに、世界で唯一、危険極まりないレプリコンワクチン(自己増殖型mRNAワクチン)の認可・接種をしている国として現れているのです。

多世界論のゆくえ

2024-11-04 18:54:38 | 日記
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  いよいよ明日11月5日はアメリカ大統領選挙の投票日。
世界中が、格差・分断・混迷の渦の中で、その動向を凝視している。
先の総選挙(10月27日)で惨敗した与党を頂く日本の命運にも、この結果は大いに関わってくる。

さて私はと言えば、科学こそが世界を統一しうる最低限の共有財産=共有資質だと思っている。
ここでいう科学とは、むしろ科学的精神と言った方がよいかもしれない。
それは、個人としては知的好奇心に始まり、同時に他者への共感のベースともなり、やがて真実=普遍性に対する謙虚さを導く、極めて広い概念としてとらえたい。
知的好奇心や共感は人間に限ったことではないが、それが人類共有の真理となると、狭い意味でのいわゆる科学――或いは科学の萌芽――と言われるものとなろう。
それがなぜ謙虚さを導くかといえば、それが世俗的な資産や名声、人種、宗教、性別、年齢、個人的感情などを超えて万人が認めざるをえないからである。
例えば、なんびとたりとも重力やニュートンの運動法則に従わざるをえない。
嘘だと思うなら、ビルの屋上から飛び降りるという体験をしてみるがよかろう。
我々は、これらの法則=真理に謙虚に従うのみである。

社会科学の場合は、自然科学ほど明快ではない――だからイデオロギー論争も絶えない。
しかし私には広い意味で、社会科学にも共有できる真理があるのではないかという気がする。
さもなくば、戦争は永遠に避けることはできず、技術の「進歩」と相まって――核兵器、AI兵器、等々――人類は早晩、自滅するのみであろう。

ところが今や、科学が軍・産と結びついて、とんでもない妖怪に変化しつつあるように見える。
私が最近、主張している“Big Mismatch”――ミクロ世界をベースにした新しいテクノロジーを、マクロ世界でしか通用しない機械論的思考で扱うというミスマッチ――は、核開発やバイオテクノロジーや生成AI等、主として技術に関して述べたものである。
しかし今や、科学そのもの――或いは科学的精神――が変質しつつあるのではないかと思える。
ここ数年、世界を襲った遺伝子ワクチンのような非科学的人体実験を、WHOという国際機関が推し進める等ということが、何故起りえたのか。
そこには単に、グローバリストの陰謀などというだけでなく、一般市民のみならず専門家自身による理解の変容、或いは科学的と言われる内容の変化もあるのではないかという気がする。
これについて、私はこれまで単純に「知の劣化」等と表現してきたが、最近、「量子力学の多世界解釈」について調べてゆくうちに、このような思いを強く抱くようになった。

実は“Big Mismatch”の展開のベースに用いた高林武彦氏の「観測の物理的理論」には、多世界解釈について簡単に述べている部分が一箇所だけある。
曰く「これはかなりの数の著名な学者によって支持されているが、物理に神秘主義を持ち込むものであって、もう一度再解釈をするのでない限り、筆者には受け入れられない」(『量子力学~観測と解釈問題~』2001年、p.134)。
私自身は、H.エヴェレット,Ⅲが提案した多世界解釈(1957年)を最初に知った時、あまりに奇異で、これはもはや科学ではない、そのうち廃れるであろうと思った。
世間ではSFでお馴染みのパラレルワールドの根拠としてもてはやされるようになり面食らった。
それでも高林氏の上記の言葉に触れ、意を強くして無視し続けた。
ところが、私が推奨する量子生物学の研究者ジョンジョー・マクファデンも支持していることを知り驚いた(『量子進化~脳と進化の謎を量子力学が解く!~』2003年)。

どうやら、この1世紀近くをかけて、量子力学は多くの解釈を生み出してきたが、次第に淘汰(?)され、今やボーアを中心に確立された「コペンハーゲン解釈」――一応の標準解釈と見なされている――と「多世界解釈」の2つが残されているようだ。
そこで私はようやく、この多世界解釈に正面から取り組もうと考え始めた次第である。
そうして初めて、高林氏の「観測の物理的理論」も、さらには私の提起する“Big Mismatch”も、説得力を増すというものであろう。


以下では、最初に多世界解釈に触れたとき、なぜ科学ではないと思ったのかを紹介しておく。
まずミクロな対象は、それ自体を見ることができない(ほど小さい)故に観測――従ってまた解釈――自体が大問題になるという点が、マクロな対象(通常、目にする物体)との決定的な違いである。
では量子力学では、ミクロな対象をどのように扱っているかというと
・対象の状態は波動関数Φで表す(より正確にはヒルベルト空間のベクトル:状態ベクトル)
・Φには、重ね合わせの原理(Superposition Principle:ベクトル和)が成り立つ
を前提として、次の2つの法則が成り立つ:
[法則1]対象の物理量Aを測定する時、
   ・同一の測定実験でも同一の値が得られるとは限らない。
   ・Aの固有値方程式をAΦi=aiΦi(i=1,2,・・・)とおくと、測定値はaiのいずれか1つ。
   ・対象の初期状態Φ(測定器に入る直前の状態)を固有関数のセット{Φi}で展開すれば
    Φ=ΣciΦi(ここで、Σはi=1,2,・・・についての和、ciは展開係数)となり
    どの値が得られるかは確定できないが、aiが得られる確率は|ci|2となる。
[法則2]対象を測定しない間は、
   ・その状態Φはシュレーディンガー方程式に従う(連続的決定論)。

以下、簡単の為、測定値が2つしかない物理量(例えば電子のスピンの向き:上下2つ)を考える。
<コペンハーゲン解釈> 波は確率波
測定直前の対象の状態:Φ=c1Φ1 + c2Φ2 
測定直後は法則1により、 a1またはa2のいずれか一方が得られる(スピンは上向きか下向き)。
            得られる確率はそれぞれ|c1|2または|c2|2。      
状態が残る場合:c1Φ1 + c2Φ2 ➡ Φ1またはΦ2 (波束の収縮:位置測定の時、波は一点に収縮)

<ノイマンの考察> 2つの法則は矛盾しないことの証明
測定器(例えばメーター)も量子力学的に考察し、対象+測定器の全体の状態をΨで表す。
測定器の初期状態をG0で表し、メーターの位置1、2に対応する状態をG1、G2で表す。
Ψ=ΦG0=(c1Φ1 + c2Φ2)G0⇒(シュレーディンガー方程式による展開)⇒ c1Φ1G1+ c2Φ2G2  (1)
この時、全体の状態は c1Φ1G1+ c2Φ2G2 となり、測定器もG1とG2の重ね合わせ状態であり、このままでは明確な測定値は得られないことになる。
しかし他方で、我々はメーターの位置が1か2かは判然と見ている(波束は収縮している)。
そこでノイマンは言う
「我々はいつでも世界を2つの部分にわけて、一方を観測される系、他方を観測者としなければならない。・・・両者のあいだの境目はきわめて任意であって、観測者の目の網膜や新経路までも観測者に数えないこともできる。この境界を現実の観測者の身体内部へいくらでも深く移すことができるということが、物心平行論の原理の内容である」(『量子力学の数学的基礎』p.334)。
つまり彼は、観測される系はどこまでもシュレーディンガー発展をさせる(法則2)。
そして観測者――彼はこれをabstract ego (抽象的自我)と言う――のところで、法則1を用いる。
すると    式(1) ➡ a1(メーター1に対応)またはa2(メーター2に対応)
よって、2つの法則は矛盾しないことが証明された。
彼の考えでは、波束の収縮は abstract ego という神秘的な作用によってもたらされる。
しかもこれがデカルトの機械論である物心二元論を支えているという点が面白い。

<多世界解釈> 法則1は不要(波束の収縮は不要)、波は実在波、
式(1)のままで(波束の収縮は生じない)その代わり、世界が2つに枝分かれする。
つまり「電子のスピンが上でメーターは1」の世界と「電子のスピンが下向きでメーターは2」
の世界が全く独立に分離する。
こうして多世界解釈では、マクロもミクロも巻き込んだ、全宇宙にたいする波動関数(状態ベク
トル)がシュレーディンガー時間発展してゆく(法則2)のみという描像。
その代償として世界が(我々も含めて)無限に分裂してゆくことになる。
ただし、分裂した世界同士は一切関係がないので矛盾は生じない。
因みに、シュレーディンガー自身はシュレーディンガー方程式を発見したときは、状態関数を実
在波と考えており、ボーアからこれは実在ではなく確率波だと諫められたといういきさつがある。

なお最初に、私がエヴェレットの論文を見て、科学でないと思った理由について一言。
式(1)の最後の表現 c1Φ1G1+ c2Φ2G2 は2つの異なる世界1 [上向きスピンの電子とメーター1
を指す測定器]と世界2 [下向きスピンの電子とメーター2を指す測定器]が(分裂して)実在して
いることを表す。
しかし式(1)はあくまでシュレーディンガー方程式の展開であり数式である。
とすると式(1)中の“+”の記号は基本的に数の和を意味するべきであり、つまり1つのヒルベル
ト空間の中のベクトル和という意味しか持ちようがない。
それを全く相互に干渉しない独立な2つの実在世界の和とみなせとはどういうことか。
これはもはや数学ではない。

因みに、エヴェレットは、独自の古典的世界(マクロ世界)の存在を否定し、全宇宙に対する波動関数を扱えるようにするという意図があった。
そのとき、コペンハーゲン解釈のように、外から観測して波束の収縮(法則2)を適用するわけにいかず、結局、多世界論に到達したということになるようだ。

以上、かなり端折ったが、特にノイマンの考察については、関心のある方はぜひ彼の著書に直接当たってほしい。

英国守旧派がグローバリストの親玉なのか

2024-10-20 16:48:22 | 日記
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は重かった。
深く分断され、混沌が進み、各地で激しく虚しい武力衝突が繰り広げられ、先行きが見えないアメリカ。
日本としてはいっそこのままガラガラポンで、真っ当な自立への目覚めにつながるかもしれない等と無責任に思っていたら、「英国守旧派」という言葉が飛び込んできた。

最近聞くようになった国際問題アナリストの藤井厳喜氏による分析である。
現在、日米欧先進国では、グローバリズムによる影響で自己破壊的な現象が広がっている。
グローバリズムは、無国籍企業的な勢力によって国家の秩序や体制を崩壊させている。
英国を中心としたタックスヘイブンや富裕層の脱税管理システムが世界的な問題を生んでおり、政治エリートはその構造に絡めとられているため、国益を守る政策を打ち出すことがでないでいる。結果として、先進国では格差が拡大し、民主政治が破壊され、言論の自由が失われつつある。
海外ではとりわけ移民問題がクローズアップ――アメリカでは難民対応に年間1兆ドルとか。

この状況で、藤井氏は「グローバリズムの中心は英国守旧派」という。
英国守旧派とはタックスヘイブン特権を擁護する無国籍企業とそれを支える富裕層であり、英国人である必要はない。
そもそもタックスヘイブン(租税回避地)の多くはイギリス領に置かれ、その影響は今でも厳然としてある。
ロンドンのシティー(The City)がタックスヘイブンの世界の中心――かつての大英帝国の遺産。
現在、世界の銀行資産の半分以上、多国籍企業の海外投資の3分の1がタックスヘイブンを経由しているといわれている。

さて、英国守旧派の中枢を担っている組織は「The King’s Trust」と「The Pilgrim Society」で、両組織の中心人物にサー・ナイジェル・グラハム・ノウルズがいる。
彼は英国王室に非常に近く、ロビイストとしてもワシントンD.C.で大きな影響力を持つ。
そもそもノウルズ卿はチャールズ国王が(当時はプリンス)1,976年に設立した「Prince’s Trust」の主席理事。
チャールズ国王とも長年親密に関わり、現米大統領選の民主党候補カマラ・ハリス(英国守旧派のロボット)の夫(ユダヤ系弁護士)とも親交がある。
ノウルズ卿はスマートマティック社(投票システム会社)の取締役にもなり、2020年のバイデン勝利の時、カマラ・ハリスを副大統領に指名した直後の会見で「我々はアメリカ政治史上、最も大規模で包括的な不正投票組織を結成した」と発言し物議をかもした。
当時すでに認知症の兆候がでていたバイデンが、イギリスのエスタブリッシュメントが全面的に応援してくれると嬉しくなって思わず唐突に本音が出たのではと言われている。

「The King’s Trust」というTrust(信託)は、誰が最終受益者か意味不明の極めて怪しい存在。
あらゆる金融犯罪の温床になっていた。
そこで英国守旧派とすれば、何としてもこのTrustという存在だけは守りたかった。
英国のキャメロン首相は、EUとの交渉で、このTrustだけはタックスヘイブン規制の例外扱いをしてくれと懇願したが、EU側に拒否され、やむを得ずEU離脱の国民投票に臨んだ!

「The Pilgrim Society」は1902年、イギリスとアメリカの協会として「英国と米国間の親善、親睦、永遠の平和を促進する」ために設立された。
Pilgrim(巡礼者)はむろん信仰の自由を求めた清教徒を含む102人の、メイフラワー号に乗りアメリカに渡った(1620年11月に到着)ピルグリム・ファーザーズからきている。
The British-American Pilgrim Society(1902年~)は英米エスタブリッシュメントの奥の院――アングロ・アメリカン エスタブリッシュメント;イギリスのアメリカ支配。
かつては英米2つのPilgrim協会(エリザベスがトップ)であったが統合され、会長はチャールズ国王、会員は政治家・外交官・実業家・作家のエリート会員――ノウルズ卿も会員。
歴代の駐英米国大使を歓迎する晩さん会を開催。

藤井厳喜氏による国際世論操作の階層秩序:
The King’s Trust/ Pilgrim Society ➡ ビルダーバーグ Society、日米欧委員会、対外問題評議会(CFR)、アスペン研究所、ダボス会議、大西洋協議会、等々(国際エリート組織)➡ マスコミ、国連関連、等々(ここでコントロール)➡ 大衆を操作
つまりは、King’s TrustとPilgrim Societyが情報操作の発信源ということらしい。
ということは、日本を支配しているアメリカ自体が、イギリスに支配されているということか――因みに明治維新の影にも、先の大戦における原爆にもイギリスの力は大きく作用していた。
まるで、アメリカがぐらついてきた今、大英帝国の亡霊が復活してくるような印象を持つ。
いずれにせよ、ここに出てくるいろんな組織を歴史的に詳しく(ネット上等で)調べてみると、欧米がイギリス(帝国)を中心として固く結びついてきたことが分かる。
そこには非欧米――とりわけ日本――を意識的に排除しているように(私には)思える。

ここで私は、声を大にして言いたいことがある――あまり言われてないようであるが。
それは現在、先進国を揺るがしている移民・難民問題とは、結局は植民地政策の歴史とも重なる負の遺産ではないかということ。
トランプがメキシコとの国境にいかに高く頑丈な壁を建設するからといって、根本的な解決にはならないだろう。
500年にわたる、西洋による植民地化・近代化の問題に正面から取り組む必要がある。
中東問題もその延長線上で考える必要がある。
私が前々回のブログ(9月27日)で「日本人の国民性」について、歴史的にA、B、Cと3つの階層に分けて考えてみたのも、まず日本について考察する必要を感じたからである。
現代はとりわけ近代という時代を相対化してみなければ、展望は出てこないと思われる。