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粟屋かよ子・Ψ(プサイ)が拓く世界を求めて

量子力学の理解を深めつつ、新しい世界観を模索して気の向くままに書きたいと思います。
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狂気の沙汰~レプリコンへの道

2024-10-07 17:06:28 | 日記
この間、9.28の国民集会・パレードデモの動画と、その前に明治製菓ファルマの小林社長が行った反論が送られてきましたが、動画の方はbanされましたので反論のみを添付します:

   https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=77180

小林社長は「海外と比べて日本国民のワクチン忌避の感情が少なくない」(→真逆じゃないの?)とか「非科学的な情報が医学専門家から流布されている」などと、およそ口から出まかせに言っているとしか思われません。

さて、厚労省は10月1日より「新型コロナウイルスワクチン定期接種」を始めました。
65歳以上と基礎疾患のある60ー64歳が対象で、一部自己負担です。
その5種類のワクチンの1つとして、しれっとレプリコンをまぎれ込ませています。
5種類の販売名は、ヌバキソビッド(武田薬品工業の組換えタンパク)、コミナティ(ファイザー社のmRNA)、スパイクバックス(モデルナ社のmRNA)、ダイチロナ(第一三共のmRNA)、コスタイベ(Meiji Seikaファルマ社のレプリコン)です。
カタカナの販売名だけを聞かされたら、通常の病院で処方される薬品名同様、ほとんど何も分からないでしょう。
しかも、5種類のどれかを選ぶのは、被接種者ではなくて医院が選ぶというのです。
つまり、医院を選んだ段階で、どのワクチンかは決まってしまっているのです。
まして「定期接種」などと言われれば、何となく接種する必要があると思えてしまうでしょう。
エスカレーターに乗った夢遊病者のように。
しかしこれ、実は狂気の沙汰なのです。
これを理解するために、今一度、レプリコンへの道をまとめてみました。

コロナワクチンの「開発」史:
<ステップ1.従来型の不活化ワクチン>・・・最も安全
① 全粒子不活化ワクチン(中国製)
 ・実際のウイルスを培養増殖し、ホルマリンで失活させる(従来タイプで一番安全)。
 ・動物(馬や犬など)には以前から実施(獣医学の方が進んでいる)
 ・表面のスパイク(蛋白)は失活しているので細胞のACE受容体に結合せず、細胞に侵入しない。
 ・この不活化ウイルスに抗原抗体反応が作用し、病気の発症を予防する機序が働く。
 ・全粒子を使っているので、スパイク以外の蛋白粒子にも抗体ができ、抗原性が多少変わっても
  長く効く可能性がある。
② スパイク蛋白の不活化ワクチン
 ・新型コロナウイルスのスパイク蛋白だけを取り出して不活化。
②’スパイク蛋白を失活しないで用いる(アメリカ、キューバ)
 ・細胞の損傷は少ないが、ACE2が出ている血管内皮などの細胞に結合する可能性がある
→失活してないので何が起こるか不明(現状では副作用は少ないようである)。

<ステップ2. 人工遺伝子ワクチン>
③ DNAワクチン(イギリス・オックスフォード大学が開発)
 ・アデノウィルスベクターを使用したDNAワクチン――チンパンジーのアデノウィルスの中を
  取り出して、コロナウイルスのスパイク蛋白を作らせるDNA部分を入れたもの
→チンパンジーのアデノウィルスを用いており、人間のものは使われてない
→安全かの議論あり、血栓などの副作用が最も強く、全世界に出回ったが使われなくなった。
④ mRNAワクチン(アメリカ製;ファイザー、モデルナ)
 ・スパイク蛋白を作るmRNAを人工的に合成し、脂質ナノ粒子のカプセルで包んだもの。
 ・より詳しくは、人工mRNAはこのままでは体内で異物と認識され炎症反応が生じる。
このメカニズムを解明したのがカリコ博士らで彼らは化学的なある装飾を施すことで、細胞内
で作られるmRNAに近づけ、炎症反応をおさえた(→ノーベル賞;現在は批判されてる)。
この時、体内で作られるスパイク蛋白質の量も著しく増える。
 ・mRNAは生体内ではあまりにも分解されやすいのでカプセルが必要であったが、油の膜は全 
  ての細胞に取り込まれる――特異的受容体がない。
→血流に乗って身体中のどこの細胞にも届く――むろん生殖細胞にも。
→これがワクチン接種後の福反応が全身に出てくる根拠。
 ・細胞に入り込んだmRNAは、そこで細胞質内のアミノ酸を使ってせっせとスパイクを作る。
→細胞の消耗が激しい。
 ・同時に、作られるスパイク蛋白自体が毒性を持つことが分かってきた――現在4~5種。
 ・しかも感染拡大がおさまらない。
 〇 2022年夏以降、日本を除く世界が接種を中止した。

<ステップ3. 人工ウイルス>
⑤ レプリコンワクチン (日本製;開発はアメリカ)
 ・mRNAワクチンに自己増殖させる「レプリカ―ゼ」という酵素を追加したもの
それによって、接種量を少なくすることができることをねらった。
 ・しかしこれでは、mRNAの悪影響(あらゆる細胞に入る、スパイク自体が毒、等)はそのま
  まで、更に長期間に渡る(←mRNAの自己増殖)ことになり被害が増大するだけ。
 ・しかもmRNAに自己増殖機能が加われば、もう立派なウイルス、mRNA型人工ウイルス
→汗、尿、便、呼気、輸血などを通じて非接種者にも、ワクチンの成分が感染する可能性も否
定できなくなってくる――村上康文、井上正康、福島雅典、長尾和宏先生方も同意見。
 ・(人が)同時に別のウイルスに感染すると、新種のウイルスが合成される可能性もある
 ・生態系・人間社会への影響を考えると、史上、最悪の危険なワクチンとなる可能性あり。
 ・日本でのみ認可――開発したアメリカも、1万6千人の治験を行ったベトナムも認可せず。

以上を見ると、ステップ1→2→3 が狂気の沙汰であることはお判りでしょう。
そしてステップ2そのものを、欧米は2022年の夏には中止したのです。
そこには、接種をほとんどしていないアフリカが最も早く感染が終息したという知見もあります。
なお、今回の日本の定期接種では、ヌバキソビッドだけは不活化ワクチンと言ってますが――開発は、これもアメリカ――接種するスパイク蛋白の生成に遺伝子組み換えの処方をもちいているので、全くの従来通りというわけではありません。

なぜこんなことが起り得るのでしょうか。
伝統を重んじるはずの日本が、真逆の機械論的綱渡り――結局は、遺伝子の切って貼っての操作による人体実験――に国民を駆り立てているとしか思えません。
赤坂ニュースで村上康文東京理科大名誉教授は驚くべき発言をしていました:
安倍元総理とは大いに議論した。
変異もあるのでスパイク蛋白を利用した免疫は相当リスクがあり、しかも日本は初期には(過去からの免疫のため)感染者が極めて少なかったので、むしろワクチンは打たない方が良いと。
ところがオリンピック開催の問題が出てきて、アッという間に打つという方向に流れが変わったと。
何のことはない、政治家のトップがすでに正気ではなかったのです。

けれども私にとっては、ややこしい免疫について調べてみてみて、少なからず学びがありました。
自然の節理、とりわけ生命の掟とは何という絶妙なものであることか。
対する人間の浅知恵(とりわけ機械論的発想)の滑稽なまでの不器用さ。
けれどの、これには多くの人の命がかかっているのです。
このような驕りを捨てなければ、人類は早晩、自滅するでしょう。

最後に明るいニュースです。
・日本看護倫理学会が「新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの 
 懸念、自分と周りの人々のために」という緊急声明」を発表(2024/08/08)。  
・札幌大谷大学が 「『新型コロナウイルスワクチン(レプリコン)』の接種について」(札幌大
 谷学園 理事長 種市政己)という声明を発表(2024/10/01)。 
・『私たちは売りたくない!~“危ないワクチン”販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭』(著
 者:チームK、方丈社、9月18日発刊)は、ワクチン接種で死亡した同僚・影山晃大(26歳)
 の無念を無駄にすまいと執筆を決意したもの。
 すでに第6まで重刷が続き、私の手元にはまだ届いていないが、日本もようやく動き始める気配
 を感じます。
・WHO脱退の国際世論も高まりつつあります。

いずれにせよ、レプリコンが感染するとなればなおのこと、誰もがワクチンから身を守る必要があります。
一つは、基礎的な免疫力をつけること。
もう一つは、解毒、デトックス――これには、排便、排尿、発汗が有効です。
つまりは、各人の事情に合わせた健康な心身活動をたもつことですね。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

日本人の国民性とは

2024-09-27 22:12:32 | 日記
現在、世界は急激な知性の劣化に見舞われているのではないでしょうか。
まざまざとそう思ったのは、新型コロナ・パンデミックで世界中が遺伝子ワクチン接種に狂奔する姿を目の当たりにしたときでした。
それはまた、このブログ開始のきっかけでもありました(最初のブログ記事「私達世代が最後のまともな人間になるのか?」2021/1/12)。
なぜこんなことが起る得るのでしょうか。
専門家は一体どこへ行ったのでしょうか。
現代は、科学・技術が高度に発達した文明社会のはずだったのではないでしょうか。
さまざまな陰謀論も飛び交いましたが、私は単純に「ついに知性の劣化が始まったのだ」と思いました。

そしてようやく世界中が、このワクチンの異常さ――死亡を含めた多種多様な副作用、接種しても感染するブレイクスルー、全般的な免疫力の低下、等々――に気づき始めた時、日本だけが異なる対応をとりました。
つまり日本以外は、たとえ知性が劣化しても、まずは(2022年には)接種を中止してみるという、生体としての健全な本能にしたがったのです。
ところが日本だけは延々と打ち続けました(続けさせられました)。
それどころか、更に悪質なレプリコンワクチンも日本だけが認証しているというお粗末さです。
大本営発表――今では本部はアメリカ?――に従うだけの戦時下の日本と、どこが違うというのでしょうか。
こうして日本の知性の劣化は、世界トップレベル、更には、もはや麻痺状態に陥っているとしか言いようがありません。

一体なぜ日本においてのみ、このような異常事態が発生し得たのでしょうか。
歴史的に構築される国民性という観点から大雑把に考えてみました。
取りあえず粗くみて、日本人の精神性を形成したと思われる3つの時代区分が浮かびます:
A.縄文文化の時代(≳1万年間)
    家族的親和性に基づいた“和の精神”、“自然との共生”の平和で平等な母系社会。
    世界最古クラスの高度な精神性(縄文土器・土偶など)をもつ社会の長期に渡る継続。   
B.武力による統一化時代(弥生~江戸時代:約2000年間)
大陸からの盛んな渡来・帰化・侵入・侵略に対して国を統一していった父権制社会。
日本独特の道徳心・美学・文藝・芸能・職人気質・武士道・町人文化などの熟成。
C.欧米思想による近代化時代(明治維新~現在:約150年間)
    明治維新では、西洋列強による支配に抗し、表面的・性急な近代化=西欧化を推し進め
    軍事大国をめざした――家族制度は、町人ではなく武士階級をモデルとした家父長制。
    第二次大戦後は米軍の占領を経て半ば従属国となり、今や米国の軍・産・政・経を支える
    半ば傀儡政権と化しているように(私には)見えます――日米合同委員会、FMS協定等。

まず、現在の日本精神の麻痺状態についてですが、これは明らかに戦後、巧妙に仕組まれた、がんじがらめの対米従属の網によるものです。
従ってこの呪縛から逃れるためには、私たち自身による、先の大戦(後)の総括をすべきでしょう。
これに関して、米スタンフォード大学フーヴァー研究所の西鋭夫教授は、著書『占領神話の崩壊』(中央公論新社2021年)の序に
「昭和20年の敗戦から日本が弱くなったと言われてきたが、敗戦で日本国民が弱くなったのではなく、原因は米占領中に“日本”を米国へ売った輩(やから)が政府内に、官僚村に大勢おり、米国追随の、無防備の生きざまを“平和主義”と教育したからだ。
・・
日本国民が大切にしなければならないのは“神話”ではなく、“真実”だ」(pp.14-15)
と述べています。

なるほど・・・ではその「日本を米国に売った輩」の精神、更にはそのような輩を許してきた日本人の精神はどこで形成されたのでしょうか。
西教授は同書のあとがきに
「日本人ほど学問を崇める国民は世界でもまれだ。
だが、日本には“言ってはいけない”“書いてはいけない”ことが多い。
明治維新の元年から“言論の自由”はない。
時の政府に自信がないので、批判を受け止めるだけの度量もなく、反対意見を許さない」(p.611)と述べています。

つまり、日本人のこの“自分の頭で考えない”主体性のなさは、敗戦だけではなく、すでに明治維新から準備された根が深いものではないかということです。
私自身も以前から、現在は明治維新からつながっているという気がしていました。
これが3つ目の時代区分C.として、明治以降を一括りにした理由でもあります。
それはまた敗戦の総括が必然的に明治維新にも及ぶことを意味します。
そうして初めて、中国や朝鮮を含む東南アジア諸国との実のある友好関係も築けることでしょう。

例えば、福沢諭吉は『学問のすすめ』五編(明治7年)に
「古の政府は力を用い、今の政府は力と智とを用ゆ。
 古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪う。
 古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。
 この勢いに乗じて事の轍を改むることなくば、政府にて一事を起こせば文明の形はしだいに具わ 
 るに似たれども、人民にはまさしく一段の気力を失い文明の精神はしだいに衰うるのみ」
と歎いています。
つまり、江戸時代の政府は武力で民を支配していたが、明治政府は心まで支配している。
従って主体性が育たず、外見だけの先進国でその精神は衰退してゆくばかりと言っているのです。
夏目漱石も、その著書『坊ちゃん』で、日露戦争勝利に沸く日本を「滅びるね」と一蹴しています。

私はかつて、大学院で物理学を研究していた頃、アメリカと日本の大学院生の気質を比較した文を、米国の学術雑誌の中で見つけ、我が意を得た思いをしました。
それは「アメリカの院生はまず自分のテーマを探しそれに必要な技術を身につけようとするが、日本の院生は自分の手持ちの技術が使えるテーマを選ぶ」という趣旨の内容でした。
私は西欧化で最低学ぶべきものは、近代科学の歴史とその精神だと思っています。
近代科学の精神――それは本能の自然で健全な拡張――を身に着ければ、熱しやすく冷めやすいと言われる日本人の弱点も少しは克服されると思います。
まして遺伝子ワクチン騒動に巻き込まれることもなかったでしょう。
現在、国内でレプリコンワクチンの治験がなされているようですが、先日1万円を支給されてワクチンを接種された方が死亡され、付き添っていたその娘さんに不正出血があり、その娘さんが通っていた美容院が閉店の処置をとったというX(旧ツイッター)上の情報を見ました。
つくづく恐ろしい国だと思います。

ところで明日は知る人ぞ知る、「9.28 国民集会・パレードデモ有明」の日。
第1回(4.13 池袋デモ)、第2回(5.31 日比谷パレードデモ)に続く、第3回目の「WHOから命をまもる国民運動の日」(個人参加)が予定されています。
恐らく万のオーダーの参加者と思われますが、日本の大手メディアはどこも報道していません。
この市民運動に私は大きく期待しつつも、どうしてもある種の危惧を禁じえません。
実は、その説明もあって、わざわざ“日本精神の三層構造”的なものを持ち出したのです。

その危惧というのは、この運動の主催者らの(一部?)の考え方に、いわゆる「万世一系」とか「男系男子」という発想が見えることです。
彼らは従来の親米保守――最近は拝米保守と言ってるようですが――とは違って、しかし日本の伝統を尊重し日本の誇りを取り戻すために、「万世一系」や「男系男子」に行きつくようです。
これらの考え方は、B.の時代の権力闘争の中で、権威付けのために作り出され、あろうことか、近代化であるはずの明治時代の大日本帝国憲法と皇室典範に、初めて明記されたものです。
因みに、明治は女性の男性に対する相対的地位も日本史上最低という時代錯誤を犯しています。
私の母は大正生まれでしたが、兄達から絶えず「女は黙れ」と暴力を振るわれたと語っていました。

更に史実から言っても天皇家は「万世一系」でも「男系男子」でもありません。
神道学者・歴史家・皇室研究者である高森明勅氏によれば
「皇室では同じ血を引く者同士の近親結婚が行われ、男系・女系、言いかえれば父方・母方の血筋がともに血統としての意味を持つ『双系』的結婚観があった。・・・
女性の血統も『皇統(天皇の血筋)』として機能できたのが伝統なのです」。
ではなぜ奈良時代末期から江戸時代初めまで860年間中断したかというと、中国に定着していた男尊女卑――中国は女帝が一例のみ――の影響を受けたためです。
これは高群逸枝による女性史研究にでてくる、「ヒメ・ヒコ」制にも通じます。
なお、古代史上の女性天皇である推古天皇、持統天皇、元明天皇などはいずれも大きな役割を果たし、「女帝は単に次の男天皇への中継ぎ」という見方は完全に誤りです。

いずれにせよ、最初の天皇とされる神武天皇自身がその権威を、天照大神という女神の子孫ということにおいているのであって、これこそが日本精神史の起点でもある縄文時代A.の影響を如実に表しているものと思われます。
結局彼ら(男系男子論者)は、史実にももとる明治の皇室典範にしがみついて「日本は昔から・・・」などと主張しているだけです。
しかも現在、国民の7~9割が女系天皇・女性天皇を容認しています。
これだけの国民を敵にまわしてまで嘘を主張する益がどこにあるのでしょうか。
国際的な男女平等度を比較するGGI(ジェンダーギャップ指数)は146ヵ国中、日本は118位です――参考までに、韓国94位、中国106位、ネパール117位、コモロ119位。
現代日本の精神性――それを担う人々の半数は女性――が国際的にもいかにお粗末か分かります。


戦争惨禍を含めて、むごたらしい報道が世界中から聞こえてきます。
世界がますます分断され、混沌として出口が一向に見えてこない現代。
日本はこの世界危機のただなかで、麻痺状態から這い出さなくてはなりません。
幸い日本には、かつて長期にわたり継続できた高度な文明社会である縄文時代の体験があります。そこでは、人々の平和共存、自然との共生、高度な精神文明が実現していました。
私たちはこれに学び、ズタズタにされた(してきた)現状をつなぎ合わせて、新しい次元で縄文社会をめざす必要があります。
私たちが心の中に縄文時代を思い起こすとき、古くて新しい日本人の国民性が生まれるでしょう。
日本が世界の危機の解決に貢献できるとすれば、これをおいて他にないでしょう。

レプリコンワクチンの近況

2024-09-13 06:50:46 | 日記
前回、レプリコンワクチンについてちょっと書きましたが、早速友人から以下のようなより正確な状況が送られてきました。

https://x.com/hudikaha/status/1832341634937450770
https://x.com/all_japan_voice/status/1832476123428708358

要約すれば
「政府発表のレプリコンワクチン接種分(10月1日から)はまだ未製造であることが判明」
 
9月2日、東京理科大学村上康文教授による、レプリコンワクチン製造会社である「明治製菓ファルマ」(政府発注先)への1時間に及ぶ電話取材の結果、以下の事実が判明:

①政府発表のレプリコンワクチン接種分は現時点でまだ未製造。
②「シェディング問題」やエクソソームの実態などよく知っていないようで検証していない。
③製造に関する補助金はすでに得ているが、もしレプリコンワクチンが世に出て薬害が検証され
れば、製造は拒否できる――補助金授受は関係ない。
④政府からレプリコンワクチン製造を請け負ったことで、クレーム電話や明治製品不買運動が非
常に激しくなり、2つの生産工場を閉鎖した。
なお、「危険なレプリコンワクチンが日本人に接種されることは海外ではすでに広まっていて、日本に対する風評被害――日本に行かない方がいい、日本人は海外に出ないで欲しい、等々――が噂されているそうです。

なお、レプリコンワクチン=自己増殖型mRNAワクチン は米国のArcturus Therapeuticsが開発し、ベトナムでの大規模な治験(第Ⅰ~第Ⅲ相臨床試験)を経て、世界に先駆けて日本で認可され(CSL,2023;Sheridan,2024)、以来日本は世界で唯一の認可国となっています。
レプリコンワクチンは、これまでのmRNAワクチンの抗原産生機能に加え、自分自身を複製する機能があるため、少量の接種で長期間スパイクタンパク質を産生します。
この「自己複製するmRNA」のために、レプリコン自体が接種者から被接種者に(汗や空気などを通じて)感染(シェディング)するのではないかとの懸念があるのです(Seneff & Nigh,2021)。

以上ですが、つくづく日本人の国民性について考えさせられました。
というのも、海外で開発され危険視されている「いかがわしい物」を日本政府だけが認可・使用する等という現象がなぜ出てくるのか――今回ようやく市民運動による阻止が功を奏しそうですが。
考えられるのは、政府の完全な対米依存体質、国民に科学的精神が育っていない、大本営発表しかしないマスコミ、世界中の笑いもの・モルモットにされている無知で善良なる民、等々。
他方で、やたらとに喧伝される(ユーチューブBrilliant Japan等)日本人の優秀さ。
一体このような国民性がいつどこから出てきたのかと考える時、これまでの日本の長い歴史に思いをはせざるを得なくなりました。
ここからの考察は次回に回します。


いまどきの終末論

2024-09-06 22:33:59 | 日記
最近、海外では一部、装いも新たに終末論がでてきている。
それは現在、とりわけ2020年頃より世界中がカオス的な様相を帯びてきていることと無関係ではなさそうだ:
2020年:新型コロナパンデミックの発生
2021年:遺伝子ワクチンの接種が世界中で始まる
2022年:ウクライナ・ロシア戦争が勃発
2023年:パレスチナ・イスラエル戦争が勃発
2024年:両戦争は拡大し、終戦の目途が立たず、核使用や第三次大戦なる言葉も出現しはじめた。

そもそも世界の「滅亡予言」は、16世紀の占星術師ノストラダムスによる「1999年滅亡説」や、マヤ文明による(暦の区切りから連想された)「2012年終末信仰」など様々ある。
しかし、未だ我々が存在しているのであるから、これまでについてはいずれも的中してないことになる。
実は日本においても、平安時代中期に末法思想が広まったことがある。
終末論とは少し違うが、まずこれを見ておく。

末法思想とは、仏教の予言に基づく思想である。
始祖である釈迦の入滅後、年代が経つにつれてその教えが廃れ、悟りを開けず、現世では救われることのない末法の世が来るというものである。
釈迦入滅から1000年後、あるいは2000年後(説によっては1万年後)に来るという。
詳しくは正法の時代、像法の時代、末法の時代、法滅の時代と続くようである(ネットより)。
平安時代中期、世間では疫病の蔓延・地震などの頻発もあり、この頃から末法思想へとつながる「死後の世界」に対する関心が強く意識されるようになり、1052年から末法の時代が始まると考えられるようである。
死後は、永遠の至福が約束される「極楽浄土」へ行きたいと阿弥陀如来(生ある物すべてを救う仏)が大流行し始めたという。
このように見てくると、「末法思想が発生する原因」といい、「末法思想が広まる環境」といい、「阿弥陀如来の流行」といい、意外に合理的で感心した。
ただし、釈迦の死後、彼ほどの覚者が現れないという前提の下である。
因みに次なる覚者と約束された菩薩(修行者)が弥勒で、釈迦入滅後56億7千万年後――少なくとも太陽系の爆発後に現れる――という誠にインド的発想には恐れ入る。

さてウィキペディアによれば、「終末論とは、(個人の死を超えた)歴史には終わりがあり、そのことが歴史そのものの目的でもあるという考え方であって、最後の審判と義人選別救済という終末論は、本質的に一神教のものである」という。
ここで私は面白いことに気づいた。
それは一神教の方が全体主義的であり、仏教の「天上天下唯我独尊」や多神教の方が、ある意味で個人をより尊重しているように思えることである。
確かにゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも一神教で軍神が原型であるから、最後の勝敗――つまり最後の審判――が全体の目的になるのは当然であろう。

最近の状況との関連で、(一部で)にわかに脚光をあびているのが旧約聖書――これはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典でもある――のエゼキエル書の38章、39章に出てくるエゼキエル戦争の予言である。 
エゼキエルはバビロンでの捕虜生活からイスラエルに生還した預言者で「これより多くの時が経ち、人々が安寧に暮らしている時、突然北方の大国とその連合国がイスラエルに攻めて来て終末戦争が起る」
と予言している――世界最終戦争であるハルマゲドン(新約聖書)より前に起るので、最終ではない。                                        
現在に当てはめれば、ロシアとイランとトルコなどが連合を組んで、イスラエルに攻め込むが、イスラエルが勝利するという筋書の予言になようだ。
連合軍の進行中には、巨大地震、同士討ち、疫病、豪雨や硫黄なども降ってきて、世界が目撃する。
イスラエルが大勝する理由は、イスラエルと世界が神を知るためであるとされる。

ここで注目すべきは、エゼキエル戦争の環境が現在整ってきたと見られている点である:
①そもそもイスラエル国はなかったのであるが――AD70年頃国を失い世界に離散――1947年
 パレスチナの地に“建国された”
②ロシア、イラン、トルコは仲が悪かったが、近年の各国間の急激な変化で関係がよくなった
③2020年8月13日、トランプ米大統領の仲介でイスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)が国交  
 樹立、正常化で合意「アブラハム合意」・・・聖書に登場するアブラハムにルーツをもつ3つの 
 宗教の合意。
④第三神殿建設の条件が整う。
 エルサレムにはイスラエルの神殿が過去2回破壊され(第一神殿、第二神殿)、現在その立て直
 し(第三神殿)の準備が整ってきた。
 調度品は全て準備されており、いけにえになる完全な赤い雌牛5頭が2000年ぶりに見つかり、
 米テキサスからイスラエルに運ばれ、厳重に管理・飼育されている。(以上、ネットreal int.jp)
これらを見ると――日本ではほとんど報じられていないが――彼らの思考(感情?)の根底が如何に彼らの信ずる宗教に支配されているか驚くばかりである。

米ワシントンD.C.在住の国際政治アナリストである伊藤貫は、長年アメリカのユダヤ人を観察してきて得た結論をユーチューブで語っていた。
「ユダヤ人は、自分たちは絶対正しい、神に選ばれ救われる者だというゆるぎない信念を持っている。彼らは猛烈に議論をふっかけ、反論してこない奴は馬鹿だと言いながら、自分の論理矛盾には頓着しない。
議論で互いの内容を深める事に関心はなく、相手に勝つことだけが目的」と。
ただし、理系の人は除外していたが。

ところで私は無論、こういった終末論に組するものでは全くないが、現在、ある意味で、世界があたかも終末的な様相を呈してきていると切実に感じる。
第二次世界大戦以来、核に手を染めた人類を、ビタミンCの発見で著名なノーベル賞生化学者セント・ジェルジ博士は「狂ったサル」と揶揄した――原題はThe Crazy Ape and What Next ? (1970)。
彼は人類の歴史を現代科学の登場の前後で2つに分ける。
そして「最初の時期においては、人間は生物の同じ種としての仲間が生まれ、自分自身とその五感とを適応させる対象としての世界に住んでいました。
ところが第二の時期においては、人間は未知の宇宙的な世界に、一人ぽつねんと足を踏み入れたのです。・・・・・
しかもわれわれはこの事態に、洞窟に住んでいた原始人と同じ頭脳で対処しなければなりません」と彼は言う。(『狂ったサル』(pp.12-14))

現在、事態はもっとはるかに進行しているように思う:
パンデミックを利用した人工遺伝子ワクチンの人類に対する人体実験
核の脅しをちらつかせながら拡大する戦争“ゲーム”
今やAI兵器まで作るデジタル偏執狂
生成AIが作り出す嘘と本当の倒錯的世界
もはや意味のない――意味をなさない――世界が広がり始めている 
逆説的ではあるが、だから余計に、エゼキエル戦争などという非科学的なオカルト予言にしがみつくのであろうか。
完全に麻痺しているとしか言いようがない

そして残念なことに、その最も麻痺が進行している国が、どうやら日本であるらしい。
というのも、諸外国が中止してもなお人工遺伝子ワクチンを打ち続け、その為、諸外国ではとっくにおさまっているCOVID-19の感染者が目下、上昇し続けているのである。
しかもあろうことか、この秋以降の新型コロナ定期接種(65歳以上か)で自己増殖型レプリコンワクチンを、世界の中でこれまた日本だけが接種するという。
日本人の心は素晴らしいとユーチューブでは様々に宣伝され(宣伝し?)いい気になっているが、見ようによっては、主体性のひとかけらもない単なるモルモットにすぎない。
このまま行けば、日本はいずれ注射で文字通り消滅するだろう。

日本のことを考えていると気がめいってくるので、以下に世界の終末論に対する私自身の方法論を、(いつもと趣旨は同じであるが)述べておく。
まず、この狂った世界が出現する直接のきっかけは、人類がミクロ世界(量子力学が支配する世界)の扉を開いたことである。
セント・ジェルジは、これを「宇宙的な世界」という。
問題は、このミクロ世界の内容の検討――とりわけ人間との関係――が不明確なままに、戦時中という緊迫した状況の下で、いきなり原爆開発という邪悪で巨大なテクノロジーの餌食に飲み込まれていったということである。
以降は、思考停止に陥ったまま、私の指摘するミスマッチ――ミクロ世界に基礎を置く技術を、マクロ世界の技術の考え方である機械論を用いるというミスマッチ――の下で強引に処理するという野蛮な世界が出現した。
実は、量子力学は機械論とは矛盾する部分を本質的に含んでおり、そのことがミクロ世界の理解を困難にしている。
そこで、本来はミクロとマクロを統一した世界観を確立して機械論を克服すべきであるところを、安易に機械論に従っている点が問題なのである。

このまま進めば、確実に人類は自滅すると私は思っている。
それを回避する方法は、戦前の思考を取り戻すことから始めるしかない、そして
①あらゆる核開発の禁止(例外は放射線治療のみ)
 核反応は生命(進化)世界の否定
②バイオテクノロジーの分野の量子力学的解明→機械論の克服を
 現在の遺伝子操作は機械論そのもの――Cut and Paste(切って貼って)
 →生命の秩序の崩壊?
③脳の量子力学的解明→心身問題の解明も
 現在の生成AIは、人間の脳のニューロン・システムを機械的に真似たもの。
 ハルシネーションの出現などの原因となっているのではないか。
④新しい世界観の確立
 縄文の世界は一つのモデルになる。

以上

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

AI の開発は欠陥商品に向かっているのか

2024-08-16 08:45:06 | 日記
最近、生成AIについていろいろ調べてゆくうち、欠陥商品ではないかという思いがつのってきた。
AI(人工知能)開発は、これまで2回のブームと2回の冬の時代を経験している。

第1次AIブームは1960年代前後が中心で、1956年のダートマス会議のワークショップで「ロジックセオリスト」と呼ばれるプログラムが発表されたのがきっかけ。
ロジックセオリストは数学の定理を証明するAIで、数値計算しかできないと考えられていた当時のコンピュータが、知的な数学の問題を解くのを目の当たりにして、コンピュータの可能性への期待が一気に高まった。
しかし、当時のAIは、迷路やチェスなどの限定されたルールの中で、ルールとゴールが決まっている世界の問題(トイプロブレム;おもちゃの問題)しか動作できないものであった。
「組み合わせや状況分枝などが複雑な現実の問題は解けない」という限界が明らかになり、1970年代になるとAIへの研究熱は急速に冷めていった。

第2次AIブームは、「トイプロブレム」しか解けなかったAIが現実の問題にも適用できることが分かり始めた1980年代から始まった。
その中心となったAIは「エキスパートシステム」と呼ばれ、AIに専門的知識を大量に覚えさせ、与えられた問いに対して専門家のように推論を行うことを目指した。
有名な例は「MYCIN」という、感染症の血液疾患患者を診断し抗生物質を処方するように設計されたAIで、その精度は、専門医には劣るが、専門ではない医師には勝るほどであった。
しかし、曖昧な症状――例えば、「おなかのあたりが痛い」「何となく気持ちが悪い」など――に対して診断することは難しく、専門家の知識は覚えられても、人間のもつ膨大な常識を覚えさせるのはとても難しいことが分かり、第2次ブームも下火になった。

以上いずれも、AIは限定的な知識しか獲得できないという限界に直面し冬の時代に席をゆずった。
この限界を克服し、2010年以来第3次AIブームが始まった。
これをもたらしたものは「ニューラルネットワーク」と「ビッグデータ」という2つの要素である。
ニューラルネットワークとは、人間の脳の神経細胞(ニューロン)による信号の電気的・化学的伝搬の働きを模したモデルである。

ビッグデータは、ニューラルネットワークで学習させるための十分なデータ――volume(量)、
velocity(速度)、variety(多様性)という3つのvを備えたデータ群――であるが、1990年代以
降のWebの発達やSNSの浸透により、これが確保されるようになった。
大手IT企業を中心に、インターネット上でデータ管理を行うサービスが次々と発表された。
主なものは、2006年にアマゾンがAWS (Amazon Web Service)、2008年にグーグルが GAE
(Google App Engine)――現在の Google Cloudにつながる――2010年にマイクロソフトが
Windows Azure――現在のMicrosoft Azureにつながる――を発表した。
これらの技術は、2012年にディープラーニングが注目される少し前に整備され、その後のAIを実
用レベルに押し上げる土台になった。

こうして大量のデータを自ら学習することでブレークスルーが発生した。
ディープラーニングとは、ニューラルネットワークがその内部構造として持つ「層」――無論、人間の脳のニューロンがもつ層構造を真似ている――の数を増やし、よりディープに(深く)して、判断の精度を上げたものである。
人間が課題解決のために必要な項目(特徴量)を設定してコンピュータに学習させるのが、「機械学習」であるが、ディープラーニングの発明により、人間が特徴量を設定しなくても、画像認識や自然言語処理などができるようになり、AIの活動範囲が飛躍的の拡大した。
現在は第4次ブームとも言われているが――ビルゲイツは「2023年からAIの時代が始まった」と言っている――単純作業に有効であったAIを創造性を必要とする領域にも進出を始めた。
絵画、音楽、文章などを生成するAIであり、世界中で使われ進化をし続けているチャットGPT
の話題には事欠かない。


ここで結論を先に述べておくと、この開発・進化には大きな危険が伴っている欠陥商品ではないかということである。
すでにチャットGPTを世に出したオープンAI社のCEOであるサム・アルトマン氏自身も含めた「AIによる人類絶滅のリスクに対する声明文」が2023年5月30日に発表されている(Center for AI Safety, 2023/05/30・https://www.safe.ai)が、それはAIの威力・影響力の大きさを前提に、それが悪用された場合の危険性を想定したものである。
私はむしろ、AIそのものの研究・開発における疑念を科学的に明らかにしたいと思っている。
それは私が以前から提起してる(新しいテクノロジーと古い機械論の)ミスマッチと関係している。

まず注目したいのは、このニューラルネットワークが実際の脳内のニューロン(人間の脳で100億~1000億個)の働きそのものではなく、その信号の電気的・化学的伝搬をコンピュータ上で機械的にまねた人工物だという点である。
そレ故、コンピュータ上でいくら人工ニューロンの数を増やし層を増やしても、一部の研究者が妄想するようには、意識が発生するわけではない。
しかし何かおかしなことが起るはずで、その一つが「ハルシネーション」(hallucination; 幻覚)
と言われる現象ではないかと思う。
これは「学習したデータからは正当化できない回答をAIが堂々と生成する現象」である。

以前のブログ「AIのゆくえと人類のゆくえ」(2023/4/27)で、チャットGPTの試しを紹介したことがある。
「AIについて、関西弁で説明してください」と入力したところ、瞬時に教科書的な説明文の出力があり、見るとその所々の末尾が取ってつけたような関西弁になっていた。
続いて、「AIについて、山口弁で説明してください」と入力すると、ほぼ同様の内容で、今度は違う場所が、これまた関西弁で表現された文が瞬時に送られてきた。
そこで「これは山口弁でなく、関西弁です」と入力すると、「大変失礼しました」と返事があり、すぐに瞬時に同様の(若干表現を変えた)関西弁の出力であった。
以後、私はすっかり興味をなくし、この種の利用はしていない。
つまり、AIは私の質問の意図も、自分の知識も何も知っていない。
通常の知性であれば、「私は山口弁を知りません」と言えばよいだけのこと。
この間違っても堂々と答えてくる、つまりハルシネーションである。
敢えて言えば、相手は機械なのであるから「堂々と」もへったくれもない。

実は、間違いがなぜ起るか追及できないというのが「ブラックボックス問題」と言われる物である。
ニューラルネットワークが、人間の脳のように情報同士の関連性を把握しているという点は、人の(生物の)脳の仕組みの理解に大きな示唆を与えると思われるが、何かが欠けている。
恐らくそれは意識(が無いこと)とも結びつくように私には思われる。
AIが(今のやり方で)どれだけ進歩しても意識は発生しないと私が確信している所以でもある。
少なくとも量子力学的な考察が必要と私には思える――バイオテクノロジーに対する見解と同じ。

そこで私が一番気になっていることを2つ述べる。
それは、よく言われる偽情報の拡散や格差拡大――ホワイトカラーを中心に現在の5割近くの職が無くなるという説が有力のようだ――あるいはAI兵器の開発や管理社会の徹底などという分かりやすいものではない。
1つは上で説明したように、現在のAIにはハルシネーションやブラックボックスが存在する欠陥商品ではないかというものである。
むろん、これらを取り除くための改良はなされるであろう――ブラックボックスに対してはXAI(Explainable AI: 説明可能なAI)などの開発が進んでいるようである――が、本質的な部分は残り、より確率的に発生しぬくくなるが、発生したときはより大きな被害が生じるという形になるのではないか。
この点でこれは原発事故に似ている。

もう1つは、人間の知能、知性、一言で言えば、人間の脳の機能の低下ないし破壊である。
もともと、産業革命は筋肉による肉体労働を機械によるものに替えていった歴史である。
そして人工知能(AI)とは、まさに知能労働を大々的に機械に替えようというもの。
これが進めば、人間は知能を使わなくて済むということ、結局は知能の退化につながるのは必然ではないだろうか。
今や、グーグルによる検索にも「AIによる概要」というのが出てき始めている。
これまで人の手により回答されていたものが、次々と生成AIによって回答される世界になるのか。
何だか、無味乾燥なゴミを食べさせられているような感覚に陥った。
そのうち、感覚も麻痺してくるだろう。
もしかしたら、パンデミックという恐怖の下で、世界中の人が黙々と遺伝子ワクチンを受け入れた背景には、やはり知の劣化の進行という現実があったのではないか――このブログの第1回目「私達世代が最後のまともな人間になるのか」(2021/01/12)に感じたとおりである。