先月の7月15日に黄斑円孔(右目)の手術をしたが、術後の経過は今のところ順調。
医師の話では「30年、40年前までは不治の病で、放置すればいずれ失明だった」とのこと。
更にこの手術、保健が効いて1万6千円で済んだ。
久々に、有難い世の中になったと感謝の思いが沸いた。
しかも、この間に身体活動の大幅な制限や外界の見え方の変化は、私自身の心身に対する知覚を大きく変えつつあるような気がしている。
術後1週間は、日中は保護メガネをして絶えず足元だけを見続け、夜はうつ伏せで寝る――これは結構つらかった。
視界に入ってくるものは限られ、まるで透明度の低い泥沼の底を這うしかない、病んだザリガニのような気分であった。
その後は、黄斑部分の孔を視細胞がふさぎ、しだいに視神経が根付き視力が出てくる度合に応じて、部分的に鮮明になり、水中から目玉を部分的に出して、外界が歪んで見えるという感覚である。
最終的に視力が回復するには半年~1年かかるという――ただし個人差が大きいとのこと。
いずれにせよ、細胞たちが周囲に合わせて自らを修復してゆこうとする生命力には、つくづく驚異の念を覚えずにはいられない。
今や、歪みはあるものの視界は一気に広がり、泥沼から這い出して、海辺に棲むヤドカリのような気分になっている。
無論この酷暑である――すでに人為による地球温暖化は明確。
恐る恐る、外出は午前中のみ、身の程に応じたことしかしない。
けれども心身一如という言葉があるように、自分の身と心とが一つになり――自分の身が欲するものと、心が欲するものとが一致して齟齬がない――どことなく爽快である。
そこで、一句:
ヤドカリの 星見上げてや 夜明け前
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、それにしても、近頃の世界の動きは凄まじい。
そんな中で、その登場のはじめから得体のしれない不快さを感じ続けてきたトランプ、その人の正体を最近知った。
それは、日本では余り報道されていないが、目下、彼がその火消しに必死になっているエピスタイン・スキャンダル(の再燃)である。
ジェフリー・エプスタイン(両親ともユダヤ人)は、彼のパートナーであるギスレーヌ・マクスウェル(元英国スパイの娘)と共に、富裕層のネットワークを駆使して「影の社交界」を構築していった。
彼らは、フロリダ、ニューヨーク、アメリカ領ヴァージン諸島などで豪華な邸宅を所有し、未成年者を含む若い女性を招き、違法なパーティや性的搾取を行っていた。
2019年エプシュタインが再逮捕された時、10万本の映像ファイルをFBIは押収したが、アメリカ政府は公開を拒否した。
その理由は何と「未成年に関する性的映像=児童ポルノに該当するため、公開はできない」というもの。
エプスタインのプライベートジェット「ロリータ・エクスプレス」には、若い女性たちが富裕男性と共に移動する姿が見られた。
そこに名を連ねたのは、米国の政治・経済・文化界の大物:
ビル・クリントン、ビル・ゲイツ、ロバート・ケネディJr、アラン・ダーショウイッツ(著名弁護士/トランプの弁護人)、エフド・バラク(イスラエル元首相)、アンドリュー王子(英国王室)、ローリング・ストーンズのミック・シャガ—、俳優のデカプリオなど多数の有名人、当然のようにトランプも含まれていた――トランプの現夫人メラニアとの出会いもエプスタインの紹介とエプスタインのが豪語しているとのこと。
エプスタインが再逮捕された時、世論から「全容解明」と「共犯者たちの摘発」が期待された。
実際に彼が証言すれば、政財界、王族、文化界の未成年者売春への関与が次々に暴かれる可能性があった。
しかし逮捕直後に「自殺未遂」、2度目の「自殺」で死亡が確認され(2019年8月10日)、事態は急変した。
何と監視カメラは故障しており、当時看守は「居眠り中」だったという。
因みに、ギスレーヌは2009年以前の未成年売春関与についてのみ起訴され、現在は服役中で健在、裁判中であるが完全黙秘。
トランプは彼女に対して“異常な同情”を示し、記者会見で「彼女には最善を祈る。いい人なんだよ。恋人を失って気の毒だしね」と語っているとのこと。
ところで当局による「自殺」の発表に対しては陰謀論が根強く、トランプ陣営は監房の監視カメラ映像を公開した。
しかし、そこには明かな問題が存在し――映像から3分間がカットされ、映像は編集されたものだった――これが逆に疑惑に火をつけた形になった。
そもそも米国では数千万規模の人々が、Qアノンが掲げる「ディープステート(闇の国家)」とドナルド・トランプの戦いという“神話”――トランプと“Q”がこの腐敗を一掃し、私たちは救われる――を信じ、トランプ自身もこの“期待”を利用してきた。
実際トランプは、「ディープステートを打倒し、すべての悪人(特に小児性愛者)を牢獄へ送る」と宣言し、再選されたのである。
ところが、数週間前に米司法省が匿名のメモを発表し、突然の幕引きを図った:
・エプスタインは「自殺」で死亡した。
・「顧客リスト」は存在しない。
・組織的な児童性愛ネットワークは存在しない。
・「これ以上の捜査の必要はない」。
これはトランプ支持者、特にQアノン信者に絶望的な衝撃を与えた。
今や、トランプ支持者は「3つの陣営」――盲信派(あくまでトランプを信じる)、恐喝説派(トランプは闇の政府に脅されて沈黙)、裏切り派(トランプこそ闇の政府の一部)――に分裂し、とりわけ裏切り派が急増している。
なおトランプを支持してきた“民衆の代弁者”たち――タッカー・カールソン、スティーブ・バノンといった保守系インフルエンサーたち――も次第にトランプから距離を取り始め、新たな標的、トランプを超える“真の黒幕”としての「イスラエル政府」という主張が登場してきた。
例えば、タッカー・カールソンの公開の場での発言:
「エプスタインはモサド(イスラエルの諜報機関)のエージェントだった可能性がある」
「エプスタインが収集した性的映像は、現在イスラエル政府の手に渡っている可能性がある」等。
(以上、主としてユーチューブ:BOGDAN in Ukrina 2025/7/27を参照)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こうして、トランプに対する私の疑念は解明されたが、(余計なことかもしれないが)彼をほぼ無条件で信奉してきた日本の一部著名な保守層はこれからどうするのであろうか。
それにしても、ジェンダー平等という観点からすれば、「Me Too運動」などアメリカは日本より一歩も二歩も先を行っていると思っていたが、「近代社会」に巣食う凄まじい野蛮――国際社会を牛耳る富裕層の間で、未成年の少女たちの性的虐待が大がかりに組織的になされていたという醜悪な実態――を突きつけられて、身の毛もよだつ思いがした。
他方日本では、戦後80年という節目で、先の大戦前後のドキュメンタリーが様々に放映されているが、その中で、あらためて胸を突かれる映像に出くわした。
それは、日本が満州事変を起こし(1931年)、満州国を建国(1932年)、国際連盟を脱退(1933年)し、国際社会から孤立して行く中で、国内では高揚してゆくナショナリズムの姿を映し出したものである。
とりわけ、軍部の指導の下に設立された国防婦人会(1932年大阪で設立され、その後全国組織となる)の女性たちの“生き生きとした姿”と「女性には投票権も何もない当時、国防婦人会の活動は女性が社会に出て男性と同じように振舞うことが許される数少ない機会となっていたのです」とテロップに流れる解説には驚愕した。
私は、以前読んだパール・バックの『男と女』(Of Men and Women, 1941)を思い出した。
そこには、ヒットラーがドイツの民衆の支持を獲得する上で、女性層の支持を如何に有効に取り込んでいったかが記されていた。
彼はまず、全ドイツの立法部及び市会にいた女性を退却させた。
彼女らは重要な労働組織や協同組合で働く、司法官、医者、技術者などであった。
こうして、いかなる女性も、彼女を男性の上におかせるようないかなる地位にも昇ることができなくさせ、女性はいまや「中世紀」に逆戻りさせられた。
ナチの旗のもとに馳せ参じるドイツの女性たちは無知な女性であった。
或は「全ての女性に結婚を与える」というナチの約束に誘惑された女性たちであった。
こうしてドイツも日本と同様、惨憺たる結末――私たちは未だに、そこから立ち直れていない――をむかえたのである。
最後に、パール・バックの意味深な言葉を紹介しよう。
「私たちが戦争と無秩序とを周期的に起こらせることは、女たちを伴わない男たちによって支配される世界では不可避的である。
歴史を指示することに女たちが全面的に参加する時だけ、その時このような社会不安を処理する、一つの均衡が存し得る」(『男と女』文芸出版社 p.184)。
「男たちと女たちとは戦争をもち、子供をもつというこの問題について、なんらかの種類の妥協を達成しなければならぬだろう。
ところが彼らは現在のまま、お互いをなんとかして否認しようとする。
女たちは赤ん坊をもつことで自らを満足させ、男たちは赤ん坊を殺すことで自らを満足させる。
人類にとっては、この無辜の人々の犠牲よりは、もっと有益な何か他の形式の、愉快な犠牲があるべきである」(同上 p.186)
してみれば、現在、核を振りかざしての、気狂い沙汰の「戦争ごっこ」が終わらないのは、女たちが真に賢くはなっていないという証でもあったのだ。
そして私の残りの人生で、どれだけのことができるかと思いめぐらすうちに、ふと破滅寸前まで追い込まれていった学生時代が思い出された。
当時私は、真理の探求という崇高な営みの結果(例えば、アインシュタインによるE=MC2の発見)が、人類的危機(核兵器開発)をもたらしているという現実に打ちのめされ、しだいに身動きできなくなっていった。
しかし今の私は、「現代の主要なテクノロジーが、なぜ人類的危機をもたらしているのか」という問そのものをテーマにしている。
その射程の先に、戦争などの社会問題も、必然的に関わてくる。
私が縄文時代に惹かれるのもそのためだ。
やれるだけのことをやるしかないと思う。
ヤドカリの寿命は(野生で)20年~30年程度という。
何だか新しい命を再び授かったような気がしてきた。
まずは、夜明けを信じて、星空を見上げることにしよう。
P.S. しばらくは目の補養のためにも、ブログサービスの終了が予定されている秋を待たずに、
今回でこのブログを終えることにします。
皆さまには、5年間の励みをいただき、心より感謝しています。
また何かの折に再会できるやもしれませんが、その節はよろしく。
医師の話では「30年、40年前までは不治の病で、放置すればいずれ失明だった」とのこと。
更にこの手術、保健が効いて1万6千円で済んだ。
久々に、有難い世の中になったと感謝の思いが沸いた。
しかも、この間に身体活動の大幅な制限や外界の見え方の変化は、私自身の心身に対する知覚を大きく変えつつあるような気がしている。
術後1週間は、日中は保護メガネをして絶えず足元だけを見続け、夜はうつ伏せで寝る――これは結構つらかった。
視界に入ってくるものは限られ、まるで透明度の低い泥沼の底を這うしかない、病んだザリガニのような気分であった。
その後は、黄斑部分の孔を視細胞がふさぎ、しだいに視神経が根付き視力が出てくる度合に応じて、部分的に鮮明になり、水中から目玉を部分的に出して、外界が歪んで見えるという感覚である。
最終的に視力が回復するには半年~1年かかるという――ただし個人差が大きいとのこと。
いずれにせよ、細胞たちが周囲に合わせて自らを修復してゆこうとする生命力には、つくづく驚異の念を覚えずにはいられない。
今や、歪みはあるものの視界は一気に広がり、泥沼から這い出して、海辺に棲むヤドカリのような気分になっている。
無論この酷暑である――すでに人為による地球温暖化は明確。
恐る恐る、外出は午前中のみ、身の程に応じたことしかしない。
けれども心身一如という言葉があるように、自分の身と心とが一つになり――自分の身が欲するものと、心が欲するものとが一致して齟齬がない――どことなく爽快である。
そこで、一句:
ヤドカリの 星見上げてや 夜明け前
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、それにしても、近頃の世界の動きは凄まじい。
そんな中で、その登場のはじめから得体のしれない不快さを感じ続けてきたトランプ、その人の正体を最近知った。
それは、日本では余り報道されていないが、目下、彼がその火消しに必死になっているエピスタイン・スキャンダル(の再燃)である。
ジェフリー・エプスタイン(両親ともユダヤ人)は、彼のパートナーであるギスレーヌ・マクスウェル(元英国スパイの娘)と共に、富裕層のネットワークを駆使して「影の社交界」を構築していった。
彼らは、フロリダ、ニューヨーク、アメリカ領ヴァージン諸島などで豪華な邸宅を所有し、未成年者を含む若い女性を招き、違法なパーティや性的搾取を行っていた。
2019年エプシュタインが再逮捕された時、10万本の映像ファイルをFBIは押収したが、アメリカ政府は公開を拒否した。
その理由は何と「未成年に関する性的映像=児童ポルノに該当するため、公開はできない」というもの。
エプスタインのプライベートジェット「ロリータ・エクスプレス」には、若い女性たちが富裕男性と共に移動する姿が見られた。
そこに名を連ねたのは、米国の政治・経済・文化界の大物:
ビル・クリントン、ビル・ゲイツ、ロバート・ケネディJr、アラン・ダーショウイッツ(著名弁護士/トランプの弁護人)、エフド・バラク(イスラエル元首相)、アンドリュー王子(英国王室)、ローリング・ストーンズのミック・シャガ—、俳優のデカプリオなど多数の有名人、当然のようにトランプも含まれていた――トランプの現夫人メラニアとの出会いもエプスタインの紹介とエプスタインのが豪語しているとのこと。
エプスタインが再逮捕された時、世論から「全容解明」と「共犯者たちの摘発」が期待された。
実際に彼が証言すれば、政財界、王族、文化界の未成年者売春への関与が次々に暴かれる可能性があった。
しかし逮捕直後に「自殺未遂」、2度目の「自殺」で死亡が確認され(2019年8月10日)、事態は急変した。
何と監視カメラは故障しており、当時看守は「居眠り中」だったという。
因みに、ギスレーヌは2009年以前の未成年売春関与についてのみ起訴され、現在は服役中で健在、裁判中であるが完全黙秘。
トランプは彼女に対して“異常な同情”を示し、記者会見で「彼女には最善を祈る。いい人なんだよ。恋人を失って気の毒だしね」と語っているとのこと。
ところで当局による「自殺」の発表に対しては陰謀論が根強く、トランプ陣営は監房の監視カメラ映像を公開した。
しかし、そこには明かな問題が存在し――映像から3分間がカットされ、映像は編集されたものだった――これが逆に疑惑に火をつけた形になった。
そもそも米国では数千万規模の人々が、Qアノンが掲げる「ディープステート(闇の国家)」とドナルド・トランプの戦いという“神話”――トランプと“Q”がこの腐敗を一掃し、私たちは救われる――を信じ、トランプ自身もこの“期待”を利用してきた。
実際トランプは、「ディープステートを打倒し、すべての悪人(特に小児性愛者)を牢獄へ送る」と宣言し、再選されたのである。
ところが、数週間前に米司法省が匿名のメモを発表し、突然の幕引きを図った:
・エプスタインは「自殺」で死亡した。
・「顧客リスト」は存在しない。
・組織的な児童性愛ネットワークは存在しない。
・「これ以上の捜査の必要はない」。
これはトランプ支持者、特にQアノン信者に絶望的な衝撃を与えた。
今や、トランプ支持者は「3つの陣営」――盲信派(あくまでトランプを信じる)、恐喝説派(トランプは闇の政府に脅されて沈黙)、裏切り派(トランプこそ闇の政府の一部)――に分裂し、とりわけ裏切り派が急増している。
なおトランプを支持してきた“民衆の代弁者”たち――タッカー・カールソン、スティーブ・バノンといった保守系インフルエンサーたち――も次第にトランプから距離を取り始め、新たな標的、トランプを超える“真の黒幕”としての「イスラエル政府」という主張が登場してきた。
例えば、タッカー・カールソンの公開の場での発言:
「エプスタインはモサド(イスラエルの諜報機関)のエージェントだった可能性がある」
「エプスタインが収集した性的映像は、現在イスラエル政府の手に渡っている可能性がある」等。
(以上、主としてユーチューブ:BOGDAN in Ukrina 2025/7/27を参照)
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こうして、トランプに対する私の疑念は解明されたが、(余計なことかもしれないが)彼をほぼ無条件で信奉してきた日本の一部著名な保守層はこれからどうするのであろうか。
それにしても、ジェンダー平等という観点からすれば、「Me Too運動」などアメリカは日本より一歩も二歩も先を行っていると思っていたが、「近代社会」に巣食う凄まじい野蛮――国際社会を牛耳る富裕層の間で、未成年の少女たちの性的虐待が大がかりに組織的になされていたという醜悪な実態――を突きつけられて、身の毛もよだつ思いがした。
他方日本では、戦後80年という節目で、先の大戦前後のドキュメンタリーが様々に放映されているが、その中で、あらためて胸を突かれる映像に出くわした。
それは、日本が満州事変を起こし(1931年)、満州国を建国(1932年)、国際連盟を脱退(1933年)し、国際社会から孤立して行く中で、国内では高揚してゆくナショナリズムの姿を映し出したものである。
とりわけ、軍部の指導の下に設立された国防婦人会(1932年大阪で設立され、その後全国組織となる)の女性たちの“生き生きとした姿”と「女性には投票権も何もない当時、国防婦人会の活動は女性が社会に出て男性と同じように振舞うことが許される数少ない機会となっていたのです」とテロップに流れる解説には驚愕した。
私は、以前読んだパール・バックの『男と女』(Of Men and Women, 1941)を思い出した。
そこには、ヒットラーがドイツの民衆の支持を獲得する上で、女性層の支持を如何に有効に取り込んでいったかが記されていた。
彼はまず、全ドイツの立法部及び市会にいた女性を退却させた。
彼女らは重要な労働組織や協同組合で働く、司法官、医者、技術者などであった。
こうして、いかなる女性も、彼女を男性の上におかせるようないかなる地位にも昇ることができなくさせ、女性はいまや「中世紀」に逆戻りさせられた。
ナチの旗のもとに馳せ参じるドイツの女性たちは無知な女性であった。
或は「全ての女性に結婚を与える」というナチの約束に誘惑された女性たちであった。
こうしてドイツも日本と同様、惨憺たる結末――私たちは未だに、そこから立ち直れていない――をむかえたのである。
最後に、パール・バックの意味深な言葉を紹介しよう。
「私たちが戦争と無秩序とを周期的に起こらせることは、女たちを伴わない男たちによって支配される世界では不可避的である。
歴史を指示することに女たちが全面的に参加する時だけ、その時このような社会不安を処理する、一つの均衡が存し得る」(『男と女』文芸出版社 p.184)。
「男たちと女たちとは戦争をもち、子供をもつというこの問題について、なんらかの種類の妥協を達成しなければならぬだろう。
ところが彼らは現在のまま、お互いをなんとかして否認しようとする。
女たちは赤ん坊をもつことで自らを満足させ、男たちは赤ん坊を殺すことで自らを満足させる。
人類にとっては、この無辜の人々の犠牲よりは、もっと有益な何か他の形式の、愉快な犠牲があるべきである」(同上 p.186)
してみれば、現在、核を振りかざしての、気狂い沙汰の「戦争ごっこ」が終わらないのは、女たちが真に賢くはなっていないという証でもあったのだ。
そして私の残りの人生で、どれだけのことができるかと思いめぐらすうちに、ふと破滅寸前まで追い込まれていった学生時代が思い出された。
当時私は、真理の探求という崇高な営みの結果(例えば、アインシュタインによるE=MC2の発見)が、人類的危機(核兵器開発)をもたらしているという現実に打ちのめされ、しだいに身動きできなくなっていった。
しかし今の私は、「現代の主要なテクノロジーが、なぜ人類的危機をもたらしているのか」という問そのものをテーマにしている。
その射程の先に、戦争などの社会問題も、必然的に関わてくる。
私が縄文時代に惹かれるのもそのためだ。
やれるだけのことをやるしかないと思う。
ヤドカリの寿命は(野生で)20年~30年程度という。
何だか新しい命を再び授かったような気がしてきた。
まずは、夜明けを信じて、星空を見上げることにしよう。
P.S. しばらくは目の補養のためにも、ブログサービスの終了が予定されている秋を待たずに、
今回でこのブログを終えることにします。
皆さまには、5年間の励みをいただき、心より感謝しています。
また何かの折に再会できるやもしれませんが、その節はよろしく。