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粟屋かよ子・Ψ(プサイ)が拓く世界を求めて

量子力学の理解を深めつつ、新しい世界観を模索して気の向くままに書きたいと思います。
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ヤドカリの 星見上げてや 夜明け前(最終回)

2025-08-12 14:36:51 | 日記
先月の7月15日に黄斑円孔(右目)の手術をしたが、術後の経過は今のところ順調。
医師の話では「30年、40年前までは不治の病で、放置すればいずれ失明だった」とのこと。
更にこの手術、保健が効いて1万6千円で済んだ。
久々に、有難い世の中になったと感謝の思いが沸いた。

しかも、この間に身体活動の大幅な制限や外界の見え方の変化は、私自身の心身に対する知覚を大きく変えつつあるような気がしている。
術後1週間は、日中は保護メガネをして絶えず足元だけを見続け、夜はうつ伏せで寝る――これは結構つらかった。
視界に入ってくるものは限られ、まるで透明度の低い泥沼の底を這うしかない、病んだザリガニのような気分であった。
その後は、黄斑部分の孔を視細胞がふさぎ、しだいに視神経が根付き視力が出てくる度合に応じて、部分的に鮮明になり、水中から目玉を部分的に出して、外界が歪んで見えるという感覚である。
最終的に視力が回復するには半年~1年かかるという――ただし個人差が大きいとのこと。
いずれにせよ、細胞たちが周囲に合わせて自らを修復してゆこうとする生命力には、つくづく驚異の念を覚えずにはいられない。

今や、歪みはあるものの視界は一気に広がり、泥沼から這い出して、海辺に棲むヤドカリのような気分になっている。
無論この酷暑である――すでに人為による地球温暖化は明確。
恐る恐る、外出は午前中のみ、身の程に応じたことしかしない。
けれども心身一如という言葉があるように、自分の身と心とが一つになり――自分の身が欲するものと、心が欲するものとが一致して齟齬がない――どことなく爽快である。
そこで、一句:
ヤドカリの 星見上げてや 夜明け前
      
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、それにしても、近頃の世界の動きは凄まじい。
そんな中で、その登場のはじめから得体のしれない不快さを感じ続けてきたトランプ、その人の正体を最近知った。
それは、日本では余り報道されていないが、目下、彼がその火消しに必死になっているエピスタイン・スキャンダル(の再燃)である。
ジェフリー・エプスタイン(両親ともユダヤ人)は、彼のパートナーであるギスレーヌ・マクスウェル(元英国スパイの娘)と共に、富裕層のネットワークを駆使して「影の社交界」を構築していった。
彼らは、フロリダ、ニューヨーク、アメリカ領ヴァージン諸島などで豪華な邸宅を所有し、未成年者を含む若い女性を招き、違法なパーティや性的搾取を行っていた。
2019年エプシュタインが再逮捕された時、10万本の映像ファイルをFBIは押収したが、アメリカ政府は公開を拒否した。
その理由は何と「未成年に関する性的映像=児童ポルノに該当するため、公開はできない」というもの。

エプスタインのプライベートジェット「ロリータ・エクスプレス」には、若い女性たちが富裕男性と共に移動する姿が見られた。
そこに名を連ねたのは、米国の政治・経済・文化界の大物:
ビル・クリントン、ビル・ゲイツ、ロバート・ケネディJr、アラン・ダーショウイッツ(著名弁護士/トランプの弁護人)、エフド・バラク(イスラエル元首相)、アンドリュー王子(英国王室)、ローリング・ストーンズのミック・シャガ—、俳優のデカプリオなど多数の有名人、当然のようにトランプも含まれていた――トランプの現夫人メラニアとの出会いもエプスタインの紹介とエプスタインのが豪語しているとのこと。

エプスタインが再逮捕された時、世論から「全容解明」と「共犯者たちの摘発」が期待された。
実際に彼が証言すれば、政財界、王族、文化界の未成年者売春への関与が次々に暴かれる可能性があった。
しかし逮捕直後に「自殺未遂」、2度目の「自殺」で死亡が確認され(2019年8月10日)、事態は急変した。
何と監視カメラは故障しており、当時看守は「居眠り中」だったという。
因みに、ギスレーヌは2009年以前の未成年売春関与についてのみ起訴され、現在は服役中で健在、裁判中であるが完全黙秘。
トランプは彼女に対して“異常な同情”を示し、記者会見で「彼女には最善を祈る。いい人なんだよ。恋人を失って気の毒だしね」と語っているとのこと。

ところで当局による「自殺」の発表に対しては陰謀論が根強く、トランプ陣営は監房の監視カメラ映像を公開した。
しかし、そこには明かな問題が存在し――映像から3分間がカットされ、映像は編集されたものだった――これが逆に疑惑に火をつけた形になった。
そもそも米国では数千万規模の人々が、Qアノンが掲げる「ディープステート(闇の国家)」とドナルド・トランプの戦いという“神話”――トランプと“Q”がこの腐敗を一掃し、私たちは救われる――を信じ、トランプ自身もこの“期待”を利用してきた。
実際トランプは、「ディープステートを打倒し、すべての悪人(特に小児性愛者)を牢獄へ送る」と宣言し、再選されたのである。
ところが、数週間前に米司法省が匿名のメモを発表し、突然の幕引きを図った:
 ・エプスタインは「自殺」で死亡した。
 ・「顧客リスト」は存在しない。
 ・組織的な児童性愛ネットワークは存在しない。
 ・「これ以上の捜査の必要はない」。
これはトランプ支持者、特にQアノン信者に絶望的な衝撃を与えた。
今や、トランプ支持者は「3つの陣営」――盲信派(あくまでトランプを信じる)、恐喝説派(トランプは闇の政府に脅されて沈黙)、裏切り派(トランプこそ闇の政府の一部)――に分裂し、とりわけ裏切り派が急増している。

なおトランプを支持してきた“民衆の代弁者”たち――タッカー・カールソン、スティーブ・バノンといった保守系インフルエンサーたち――も次第にトランプから距離を取り始め、新たな標的、トランプを超える“真の黒幕”としての「イスラエル政府」という主張が登場してきた。
例えば、タッカー・カールソンの公開の場での発言:
「エプスタインはモサド(イスラエルの諜報機関)のエージェントだった可能性がある」
「エプスタインが収集した性的映像は、現在イスラエル政府の手に渡っている可能性がある」等。
          (以上、主としてユーチューブ:BOGDAN in Ukrina 2025/7/27を参照)

      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こうして、トランプに対する私の疑念は解明されたが、(余計なことかもしれないが)彼をほぼ無条件で信奉してきた日本の一部著名な保守層はこれからどうするのであろうか。
それにしても、ジェンダー平等という観点からすれば、「Me Too運動」などアメリカは日本より一歩も二歩も先を行っていると思っていたが、「近代社会」に巣食う凄まじい野蛮――国際社会を牛耳る富裕層の間で、未成年の少女たちの性的虐待が大がかりに組織的になされていたという醜悪な実態――を突きつけられて、身の毛もよだつ思いがした。

他方日本では、戦後80年という節目で、先の大戦前後のドキュメンタリーが様々に放映されているが、その中で、あらためて胸を突かれる映像に出くわした。
それは、日本が満州事変を起こし(1931年)、満州国を建国(1932年)、国際連盟を脱退(1933年)し、国際社会から孤立して行く中で、国内では高揚してゆくナショナリズムの姿を映し出したものである。
とりわけ、軍部の指導の下に設立された国防婦人会(1932年大阪で設立され、その後全国組織となる)の女性たちの“生き生きとした姿”と「女性には投票権も何もない当時、国防婦人会の活動は女性が社会に出て男性と同じように振舞うことが許される数少ない機会となっていたのです」とテロップに流れる解説には驚愕した。

私は、以前読んだパール・バックの『男と女』(Of Men and Women, 1941)を思い出した。
そこには、ヒットラーがドイツの民衆の支持を獲得する上で、女性層の支持を如何に有効に取り込んでいったかが記されていた。
彼はまず、全ドイツの立法部及び市会にいた女性を退却させた。
彼女らは重要な労働組織や協同組合で働く、司法官、医者、技術者などであった。
こうして、いかなる女性も、彼女を男性の上におかせるようないかなる地位にも昇ることができなくさせ、女性はいまや「中世紀」に逆戻りさせられた。
ナチの旗のもとに馳せ参じるドイツの女性たちは無知な女性であった。
或は「全ての女性に結婚を与える」というナチの約束に誘惑された女性たちであった。
こうしてドイツも日本と同様、惨憺たる結末――私たちは未だに、そこから立ち直れていない――をむかえたのである。

最後に、パール・バックの意味深な言葉を紹介しよう。
「私たちが戦争と無秩序とを周期的に起こらせることは、女たちを伴わない男たちによって支配される世界では不可避的である。
歴史を指示することに女たちが全面的に参加する時だけ、その時このような社会不安を処理する、一つの均衡が存し得る」(『男と女』文芸出版社 p.184)。
「男たちと女たちとは戦争をもち、子供をもつというこの問題について、なんらかの種類の妥協を達成しなければならぬだろう。
ところが彼らは現在のまま、お互いをなんとかして否認しようとする。
女たちは赤ん坊をもつことで自らを満足させ、男たちは赤ん坊を殺すことで自らを満足させる。
人類にとっては、この無辜の人々の犠牲よりは、もっと有益な何か他の形式の、愉快な犠牲があるべきである」(同上 p.186)

してみれば、現在、核を振りかざしての、気狂い沙汰の「戦争ごっこ」が終わらないのは、女たちが真に賢くはなっていないという証でもあったのだ。
そして私の残りの人生で、どれだけのことができるかと思いめぐらすうちに、ふと破滅寸前まで追い込まれていった学生時代が思い出された。
当時私は、真理の探求という崇高な営みの結果(例えば、アインシュタインによるE=MC2の発見)が、人類的危機(核兵器開発)をもたらしているという現実に打ちのめされ、しだいに身動きできなくなっていった。
しかし今の私は、「現代の主要なテクノロジーが、なぜ人類的危機をもたらしているのか」という問そのものをテーマにしている。
その射程の先に、戦争などの社会問題も、必然的に関わてくる。
私が縄文時代に惹かれるのもそのためだ。
やれるだけのことをやるしかないと思う。

ヤドカリの寿命は(野生で)20年~30年程度という。
何だか新しい命を再び授かったような気がしてきた。
まずは、夜明けを信じて、星空を見上げることにしよう。


P.S. しばらくは目の補養のためにも、ブログサービスの終了が予定されている秋を待たずに、
   今回でこのブログを終えることにします。
   皆さまには、5年間の励みをいただき、心より感謝しています。
   また何かの折に再会できるやもしれませんが、その節はよろしく。
   




バルファキスの「テクノ封建制」

2025-07-13 15:18:56 | 日記
最近、ヤニス・バルファキスによる著書『テクノ封建制』(TECHNOFEUDALISM、2023年)を読みました。
タイトルの「封建制」という用語に一見ギョッとしましたが、おかげで、ようやく現代世界の具体的な流れを一望できる所まで来たような気分になれました。
著者バルファキスは1961年アテネ生まれで、あのギリシャ経済危機の際に財務大臣に就任し(2015年)活躍した人です――現在はアテネ大学の経済学教授。

ここでは『テクノ封建制』そのものではなく、その邦訳に添えられた斎藤幸平(東大准教授、経済思想家、1987年生まれ、著書『人新世の「資本論」』は世界的ベストセラー)による解説「日本はデジタル植民地になる」の紹介によって、「テクノ封建制」の意味を探ってみたいと思います。
というのもこの解説が、「テクノ封建制」という我々にとっては比較的なじみのない言葉が、世界の文脈の中でどう見られているか、日本にとってはどうなのかといったことも含めた、要点を得たものになっていると思うからです。

とりあえず『テクノ封建制』の目次を示しておきます:
第一章 ヘシオドスのぼやき
第二章 資本主義のメタモルフォーゼ
第三章 クラウド資本
第四章 クラウド領主の登場と利潤の終焉
第五章 ひとことで言い表すと?
第六章 新たな冷戦――テクノ封建制のグローバルなインパクト
第七章 テクノ封建制からの脱却
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
解説:日本はデジタル植民地になる(斎藤幸平)pp.301-307

・「新しい封建制」をめぐる議論が世界的に盛り上がっている。
(J・コトキン『新しい封建制がやってくる――グローバル中流階級への警告』p.319)
ソ連崩壊→(30年)→グローバル資本主義の成れの果ては、自己否定としての「テクノ封建制」
                 :固定化された身分、格差の拡大、自由が奪われた社会
・日本:デジタル技術の開発でも後れをとり、AI楽観論、テクノ封建制の危険性に気づいてない
                                       (p.301)
・実際には、この30年(日本が停滞している間)で、時代が大きく変わった:
2000年代初頭:水平的で透明性の高い民主主義が世界規模で実現ともてはやされた
 (J・リフキン『限界費用ゼロ社会――<モノのインターネット>と共有型経済の台頭』
  A・ネグり、M・ハート『<帝国>――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの
                                可能性』p.319)
  インターネットによって、情報は「無償」(フリー)になり「自由」(フリー)になる。
  この情報技術が提供する二重の「フリー」な世界が経済を成長させ、民主主義を広げる。
  新しい水平的な世界への希望                  (pp. 301-302)
 ↓
But! 四半世紀後
現実に起きたデジタル社会の発展:楽観的なネット神話の時代は終わった。
  クラウド、ビッグデータ、モノのインターネットからなる「ネクスト・インターネット」
  つまり、限界費用ゼロ社会も水平な革命運動も到来せず。(p. 302)

・ デジタル経済の台頭→ 資本主義は姿を大きく変えた:「資本主義は死んだ」とさまざまなとこ
 ろで言われるようになり、その代わりに現れたのが「テクノ封建制」。
 『マクドナルド化する社会』(J・リッツァ、1993年):20世紀の合理化の帰結
         グローバル化による文化の世界的な均質化に関する最近の(定量化)思想の
         中で、ファストフード店の原理がますます多くの分野を支配するようになった。       
 ↓
21世紀の「グーグル化する世界」:
 GAFAM(Google, Apple, Facebook(現Meta), Amazon, Microsoft)に代表される巨大テッ
 ク企業はプラットフォームの独占により富を集中させると同時に、ますます強欲に収奪的に 
 なっている。
 プライバシーは侵され、データの収集とアルゴリズムによる解析で、我々の生活はかってな
 いほど量化され、商品化されるようになった。
 経済格差はかつてなく広がっている → デジタル・プロレタリアートの出現 (p.303)
              :バルファキスの用語では、クラウド・プロレタリアート
 ネット空間ではフェイクニュースがあふれ、フィルター・バブルの下、社会の分断が進む。
 アルゴリズムに任せっきりの人間の知性は劣化し、AIの指令に任せるようになりつつある。
 権力者にとっては、人々の監視や誘導が容易になった。
 イスラエルでガザの市民を見張り、殺害するレーダーやドローン、監視カメラが今後はテロ 
 対策などの名目で先進国内にも導入されて、市民の動向の把握や運動抑圧に使われ、「内戦 
 化」していくだろう。
 いまや民主主義さえも存続の危機に陥った。(p.303)

それがなぜ「封建制」なのか?
バルファキスによれば:
資本主義の特徴は、市場における商品の生産活動を通じた利潤の獲得競争。
封建制の特徴は、そのような生産活動を行わず、独占によって富を増やす。
封建領主は、農奴に自分の土地を耕させ地代(レント)を奪い取り、取り巻きの家臣にばらまく。
これと似たやり方が現代に復活:
現代の封土や荘園にあたるデジタル空間のクラウド上で、人々から利子や手数料、特許のライセンス利用料といったレントをふんだくる、ピンハネが横行している。(p.303)
テクノ封建制のクラウド領主がいるのは、シリコンバレーを中心としたアメリカのデジタル帝国。
その支配は世界全体に及び、GAFAMのような自前のプラットフォームをもたない日本やEUといったグローバル・ノースの国々も、アメリカのデジタル植民地になっていく。(pp. 303-304)

この流れに唯一抵抗できるのは、アリババやテンセントなど独自のプラットフォームをもつ中国だけ → プラットフォームをめぐる覇権争い → 米中間の地政学的緊張関係高まる → 第三次世界大戦のきっかけ?
中国以外の国は(日本も!)、デジタル帝国によって収奪され続けることになる。
GAFAMのような企業はデータを抽出し、それをビッグデータとして加工している。
そうしたデータやアルゴリズムは製品の生産やマーケティングに欠かせないものになっているが、ほとんどの企業は金をだしてGAFAMから買うしかない。
アマゾン・ウェブ・サービス等が提供するデータセンターやサーバー代も支払う必要あり。(p.304)

日本のような自前のプラットフォームを持たない国では、デジタル・トランスフォーメーションを進めれば進めるほど、富はアメリカへと流出していく。
デジタル赤字は年々増加し、本書の刊行年(2025年2月)には7兆円に近づくとされ、そのことが円安の一因になっているという指摘もある。
日本国民は、アメリカのデジタル帝国の荘園を耕すクラウド農奴なのである。(p. 304)

今や、GAFAMのような数少ない巨大テック企業が荘園としてのプラットフォームを支配し、経済的権力を集中させ、地球上のほとんどの人々との間に非対称な関係を築いている。
彼らにとって、自分たちの独占的地位を脅かすような企業が出てくれば、買収すればいい。
肝心な技術は特許で徹底的に守る。
独占して「規模の経済」が作用するようになれば、ユーザーの退出費用が大きくなり、私たちは不利な条件でも呑まざるを得なくなる。
 ↓
資本主義の抱えるパラドックス(経済成長してるのに、労働生産性の停滞と格差の拡大):
近年のIT革命にもかかわらず、労働生産性の伸び率は低下している。(p.305)

このパラドックスは、「テクノ封建制」のもとでの投資の多くが剰余価値の生産ではなく、収奪のための投資だと気づけば理解できる。
①イノベーションも今では、生産過程以外の場所でおきていると言える――より多くのデータを引
 き出し、流通やレントの次元で効率性を高めることで、価値を収奪するための技術に莫大な投資
 → 一部の企業は膨大な利潤を上げるが、全体としてのパイが増えることはない → 収奪が資本
 投資の主目的になることで、実体経済の生産活動はますます周縁化され、増えているのは、デジ
 タル領主に群がりおこぼれに与ろうとするコンサルタントやPR広告業などの「ブルシット・ジ
 ョブ」(無意味な仕事)ばかりである。
②デジタル経済が引き起こす環境負荷も極めて深刻。
 膨大な電力、冷却用の水、レアメタル。鉛、水銀、カドミウムなどのさまざまな汚染物質の拡散。
 Eゴミと呼ばれる電子機器などの廃棄物:中国やアフリカなどですでに問題になっている、
③電力需要の急増。
 アマゾンやマイクロソフトは、AIを開発するための電力をまかなうために原発の調達へ。
 デジタル化は効率性を高め、環境にやさしい社会を作るように見えて、実態は大きく異なる。
                                (pp. 305-306)
「テクノ封建制」について:
・その概念の是非をめぐりさまざまな論争が繰り広げられている。
・「監視資本主義」「プラットフォーム資本主義」「レント資本主義」など、むしろ事態を資本主義
 の発展段階として捉える議論もある。
 ↓
このような事態を解決する方法として:
・プラットフォームを公共財にしていく
・GAFAMの独占を解体して競争を取り戻す
・国家の法規制によってプライバシー保護を重視していく
等をめぐっても意見の相違がある。
その上で、そうした社会を公正な「デジタル資本主義」と見なすのか、それとも資本主義を超えた「プラットフォーム社会主義」と見なすのかについても、多様な見解がある。(pp. 306-307)」

斎藤氏の考え:
・独占やピンハネに基づいた「テクノ封建制」をよりよい公正な「デジタル資本主義」に改善する
 可能性については懐疑的。
・この本が描く社会の変化を「封建制」と呼ぶことの弊害もある
 → 封建制を脱し、よりよい資本主義や自由市場経済を目指すべきという含意が生まれる懸念
・デジタル技術が私たちの生活に欠かせないものとなり、公的な意義を持つようになっているから
 こそ、そもそも私企業に十分な規制もないまま、管理や開発を委ねることは本来許されるべきで
 はない。
 デジタル経済を<コモン>に転換するにはどうすればよいのか、私たちは真剣に考えるべし。
 単にオープンAIのような人工知能企業やTSMCのような半導体製造メーカーを日本に誘致して、
 経済特区を作り経済を成長させようという楽観論は全く的がはずれている。
 日本のこれ以上の没落を避けるためには、バルファキスの警鐘から学び、危機感をもって対策を
 練らなければならない。(p. 307)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
斎藤氏による「解説」の紹介は以上です。

私自身の、世界の現状に対する考えは、これまで何度も指摘してきたように「20世紀にミクロ世界にまで進出した新しいテクノロジ― ――核開発に始まり、コンピュータ(半導体がベース)、遺伝子操作、人工知能、等々――が19世紀までの古いマクロ世界でしか通用しない機械論的発想の下で処理されているという「ミスマッチ」が起こす必然的な自己崩壊過程」というものであり、これを変える必要は感じていません。

他方でバルファキスの『テクノ封建制』は、現在の資本主義がどこまで変質してしまったかを経済学の立場から具体的に示してくれています――とりわけ21世紀に入って、世界中がデジタル経済の罠にがんじがらめに縛られ、いまや「封建制」へと変貌したといいます。
因みに『テクノ封建制』の最後は、有名な『共産党宣言』(1848年)を模して「万国のクラウド農奴よ、クラウド・プロレタリアートよ、クラウド封臣よ、団結せよ! 心の鎖以外に失うものはなにもない!」で締め括られています。

これに対する私の脱出法は、これも何度も主張してきましたが「根本的には(量子力学の観測問題の解決を含む)新しい哲学、世界観の確立が求められる」というものです。
『テクノ封建制』のおかげで、具体的な手がかりがつかめそうな気もしているところです。
それは、デジタル経済の網の目が(私のいう)「ミスマッチ」――それは新テクノロジーの性質上、人間生命界を逸脱する可能性を持つ――を固定化し、見えにくくしているという発見です。
辛抱強く、丁寧にほぐしてゆくしかありません。


P.S. 実は7月15日に黄斑円孔の手術(右目)をする予定で、その後一週間は自由に動くことは
   できません。
   さらに、goo blogのサービスによる、このブログもこの秋には終了が言い渡されました6。
   今後のことは、術後の回復を待って考えようと思っています。

AIによる日本神話の解明?

2025-07-01 17:04:58 | 日記
「AIによる分析」には興味深いものもある。
とりわけYouTube上の一部をにぎわしている、AIによる「日本(人)論」――AIが理解やコントロールができない唯一の国としての日本、今後のグローバルな危機において唯一生き残れる国は日本、等々――は面白い。
その根拠は、日本人の心や行動が「沈黙」、「間」、「空気を読む」といった明示的でないもの、つまりコンピュータに入力できないものに多く依存しているからであり、また災害時に(他国のようには)略奪や混乱が起こらず、冷静に秩序と和を尊ぶ倫理観が根付いているからであるという。
AIのデジタル知能が最後に、己の知能の限界を認め、そこに日本(人)がいたということが実に愉快でもあり、十分に納得もいった。

ところで最近、YouTubeの<JAPANのすばらしき心>という少々いかがわしいチャネルに、タイトル「日本の闇の歴史が判明しました」という動画が載っていた。
ナレーションは言う。
「令和7年、日本で最も進んだAI研究施設に1つの依頼がきました。
それは、日本の古文書を徹底的に解析し、真実を明らかにしてほしいと。
そこで世界最先端の言語解析AIが、古事記、日本書紀、竹内文書、物部家秘録、一般に公開されていない“真の出雲神統譜”を解析した結果は驚くべきものでした」。
「日本の神話は単なる物語ではなく封印された敗者の記録であり、日本昔話も単なる御伽噺(おとぎばなし)ではなく消された王朝の痕跡を伝えるための断片でした」。

日本の神話には、アマテラス、スサノヲと並ぶ三神のひとつであるツクヨミ――太陽神アマテラスと同格に語られるべき月の神――の記述が少なく、途中から消えてゆく点にAIは着目し、厖大な資料を横断検索した。

そこで明かになったこと:
出雲王朝は、ツクヨミ信仰を国家の柱にすえていた――元々、出雲王朝はスサノヲと深い関わりがあり、さらにスサノヲとツクヨミとは同一神という説もある。
ツクヨミは太陽信仰ではなく、“月神信仰”に基づく女性中心の統治体系を象徴していた。
それは、男性の武力と支配に対抗する月と水を司る女性たちの国――日本書紀や古事記が描かなかったもう一つの系譜。
天皇家の記録では、出雲の巫女制度と祭祀体系は“異端”とみなされ、その影響を排除するため、ツクヨミの神話的役割が意図的に削除・矮小化された形跡がある。
つまり古代日本には、太陽の王権に滅ぼされた月の王権があった。
「日本の神話構造は勝者の物語であると同時に、敗者を沈黙させる“儀式”でもあった」

ツクヨミの系譜をさらに辿る先に――各種の古文書と照合し――御伽噺の謎解きがあった。
〇 浦島太郎
浦島 ➡ 裏の島:かつて大和王権から追放された異端の血統の末裔の人々
 竜宮 ➡ 神話から抹消されたもう一つの王朝の記憶
 玉手箱 ➡ 王権に対する封印の象徴、開くことはその記憶を白日の下に戻す行為
 浦島太郎は裏切り者ではなく、封印された真実を最後に知る“証人”であり、
                          物語は封印された王朝の最後の灯。

竹取物語や桃太郎といった昔話にも同じような痕跡――消された(追放された)血統、海を超える旅、封印の象徴、天から降りた者――がある。
いずれも出雲王朝の断片的な記録と自然に重なってくるという。
〇 竹取物語
 かぐや姫が帰っていった場所である月は、単なる天体としての月ではない。
 ここには、亡命王族ツクヨミの伝承を神格化した痕跡がある。
〇 桃太郎
 大和王権による出雲征伐の軍事伝承と一致する記述を抽出すると、桃太郎は出雲征伐の実働隊
 であり、征伐の正当化の物語とみなせる。

こうして彼(AI)は「日本神話の核は征服と封印の歴史であり、敗者の存在を恐怖に変えて神社に封印し支配の装置として利用した」と結論する。
実は、このような封印の象徴として大物主の分析に入るのであるが、私の知識(イメージ)とかなりずれているので、これ以上は略す。
いずれにせよ、最初からAIに読み込ませた資料そのものの限界もあり、あまり深入りするのも危険だと(私には)思えた。

ここで思い出されるのは、今は亡き田中英道氏(この4月30日ご逝去)による、「日本昔ばなし」の分析である。
氏は浦島太郎の竜宮や桃太郎の鬼ケ島に間しては、当時多く渡来していたユダヤ人の居住地と考えていた。
とりわけ竜宮は、琉球、すなわち沖縄のことで、そこで暮らした長い年月が、いわゆる欠史十代に相当するのではないかという興味深い説も展開しておられた。

今回の「AIによる分析」はどこまで信頼できるのかは皆目見当がつかな、私が妙に得心したのは
・ツクヨミの記述がなぜこんなに少ないのか
・かぐや姫の故郷がなぜ月なのか
・玉手箱と封印の暗号
といったところ。
ただし、記紀に詳しい出雲征伐を、桃太郎の単なる鬼退治で片づけるのはさすがに単純化しすぎ。
これもAIの限界か。
田中氏が生きておられれば、どのように応じられたか興味がわく。

最後に、思わぬ拾い物をしたような気になった。
ここには、母系から父権へという大きな変曲点が、日本の歴史の中で示されているのではないかと思えてきた。
しかもこの問題は、日本の皇室が消滅の危機にさらされている――その理由は、明治期に発足した旧態依然たる皇室典範(男系男子)と大正期に発足した中途半端なジェンダー平等(側室制度廃位)の結合からきている――という切迫した現実に深くかかわっている。
日本が真に世界の危機や平和に貢献できるためには、まずこの課題を解決せねばなるまい。

ハラリのエイリアン・インテリジェンス

2025-06-12 22:46:34 | 日記
これまで何度か強調してきたように、私はまともな汎用人工知能(AGI=Artificial General Intelligence :人間が実現可能なあらゆる知的作業を理解・学習・実行することができるAIで、AI研究においては主要かつ最終的な目標とみなす研究者が多い)は作れないと思っています。
それは、人工的なまともな生物を新たに作れないのと同程度の意味においてです。
ここで「まともな」と言った意味について少し解説しておきます。
現在すでに、人工的にウイルスを作ることはできる所まできているといえます――自己増殖機能をもつレプリコンワクチンはその例でしょう。
しかしウイルスは、核酸(DNAまたはRNA)とタンパク質の殻から成り、それ自体としては増殖機能をもたない単なる物質にすぎません――つまり「まともな」生物ではない。
それが自己増殖という生物機能をもつためには、他の生物体である細胞の中に取り込まれる必要があります。
つまり、ウイルスを生物たらしめるためには、少なくとも既に生物たる細胞の存在が必要なのです。

現在の地球上の全生物は、およそ40億年前の地球環境の絶妙なタイミングで、無数の試作のうちのたった1つの細胞ルカ(LUCA=Last Universal Common Ancestor 最終普遍共通祖先)から発生したと考えられているようです――先日TVで山中伸弥教授による解説で初めて知りました。
つまり、地上の生物は、ひとりの親LUCAから生まれた、文字通り「皆がきょうだい」ということになります――全てが同一の20種類のアミノ酸なる材料を中心に作られます。
以来40億年、この地球生態系に新たな別系列の生命は出現していません。
DNAの突然変異――これは量子力学的にも自然に発生します――を通じて新種は絶えず出現しますが、地球生態系との絶えざる相互作用を通じた自然淘汰の中で、単一の地球生命体としての唯一無二の歴史をこれまで形成してきたのです。
人工的に新たな生命体を作りたいと思うものは、まずこの40億年という単一の歴史への――恐らくは無謀な――挑戦であることを心に留めるべきでしょう。


さて、ハラリのストーリーは次のように語られます(べージ数は『NEXSUS 情報の人類史』):
・「10万年に及ぶ発明や発見や偉業の後、人類は自ら存亡の機を招いた。
 自身の力を誤用して、生態系崩壊の危機に瀕している」(上 p.7)。

・「私たちはなぜ、いっそう多くの情報と力を獲得するのがこれほど得意でありながら、知恵を身
 につけるのが格段に下手なのか?」(上 p.8)。
 
・「意図せざる結果を伴う強力なものを生み出す傾向の始まりは、蒸気機関の発明でもAIの発明
 でもなく、宗教の発明だった。[・・・]  
 人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうした
 ネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使い易くなってしまっている」
                                    (上pp.9-10)。

・「AIが自ら決定を下したり新しい考えを生み出したりすることのできる史上初のテクノロジー
 であるという事実を肝に銘じるべきだ。[・・・]
 AIは自ら情報を分析するのに求められる知能を持っており、したがって意思決定で人間に取っ
 て代わることができる。
 AIはツールではない――行為主体なのだ」(上 pp.20-21)。

・「今や、意識を持たないものの非常に強力な[非有機的な]エイリアン・インテリジェンス(AI)
 を創り出した。
 もし私たちが扱いを誤れば、AIは地球上の人間の支配に終止符を打つばかりか、意識の光その
 ものも消し去り、宇宙をまったくの闇の領域に変えてしまいかねない。
 それを防ぐのは、私たちの責任だ」(下 p.273)。                                                                      


対する私のストーリーはこうなります:
・人類は早い所でおよそ1万年前(メソポタミア地域)に「文明の出現」なる段階に移行:
   旧石器(打製石器、骨角器)→ 新石器(磨製石器、土器)
   狩猟・採集・漁猟の獲得経済 → 農耕・牧畜の生産経済(定住)
 これはやがて、都市、支配・被支配の構造をもつ社会、文字、国家、宗教、戦争といったものを
 可能にし、自然からの乖離も――自然を支配するという意識の下で――進んだ。
 他方で日本の縄文時代は、新石器でありながら狩猟・採集の定住生活を営み――自然との共存と
 いう意識の下で――戦争も差別もない平和で文化度の高い時代が1万年以上も続いたことが、近
 年明らかにされ、注目もされつつある。

・近代西洋における科学革命(17世紀)や産業革命(18世紀後半~19世紀)は、一方で呪術的世
 界観からの解放を促すとともに、他方で世界支配貫徹への野望をたきつけた。
 19世紀末までには、(マクロな)物質世界は機械論的世界観で基本的に掌握可能となった。

・20世紀は、現代まで続くカオスの始まりであった。
 前半は、ミクロな物質世界が機械論では理解不能であることが明確になったにもかかわらず、マ
 クロとミクロを統一する新しい世界観を確立できないまま2つの世界大戦に突入した。
 1945年の核爆弾の製造・投下は、機械論で突っ走った人類にとって致命的な暴挙であり、思考
 停止の始まりといえる――まさに「狂ったサル」(セント=ジェルジ博士)。

・ 戦後は、このような知の分裂状態を修復することもなく、いよいよ機械論の権化ともいえるコ
 ンピュータの開発合戦が進み、デジタル革命が世界を席巻するようになっていった。
 DNAの発見や遺伝子操作技術などのバイオテクノロジーも、機械論的発想――カット&ペース
 ト――の下、長足の「進歩」をとげ、軍産医複合体などと言われる展開を示すほどになった――
 後に、新型コロナパンデミックに対して遺伝子ワクチンを接種する世界規模の人体実験という 
 惨禍をもたらした。
  
・21世紀には、それまでの急激な情報技術(IT)やそれに伴う情報環境の開発の結果、国際的に 
 インターネット社会が到来し、子供から大人まで仮想世界での交流も当たり前になった。 
 同時にITの開発競争やインターネットによる情報発信は、国家間の覇権争いに直結し、さらに
 国家権力を超える力をもつに至ったビッグ・テックと国家の全面対決も可能にした。
 他方で、ネット社会から得られるビッグデータを背景に、AI開発が急速に進化し始め、2022年
 11月にOpen AI社がリリースしたChat GPTにより、生成AIブームが巻き起こり、一部には
 汎用人工知能(AGI)や人工超知能(ASI)の実現に向けた議論も活発化してきた。


こうしてハラリとは内容がやや異なる部分もあるものの、現在のAI開発に抱く危機感は共有でき
ているようです。
私には、今や待ったなしのAIの洪水の中で、個人も組織も国家も「今だけ、金だけ、自分だけ」と急き立てられもがくばかりで方向を見失い、世界は沈没しかけているように見えます。
AIに対する考察でハラリと私の決定的な違いは、ハラリがAIをツールでなく行為主体と見なしているのに対して、私はあくまでツールと見なすべきで、(根本的なところで)行為主体にはなりえないと思っている点です。
この点を明確にしないと、具体的な解決策は見えてこないのではないかとすら思っています。

実は1999年公開のアメリカ映画『マトリックス』(キアヌ・リーブス主演)を観た時も、ある種の深い疑念が沸き、それはいつまでたっても消えませんでした。
この映画は、近未来SFに革新をもたらした記念碑的作品といわれています。
手元のスマホで検索すると「AIに支配された世界で、仮想空間(マトリックス)と現実が交錯する世界で、救世主ネオ(キアヌ・リーブス)が、人類を支配する機械に立ち向かうSFアクション映画」と紹介されています。
宗教的背景も感じさせる、一見、深くて壮大なストーリー展開で、リアルとバーチャルが入り混じっており、私にとっては複雑怪奇な描写が多いのです。
そもそもこの映画の中で「マトリックス」とは、AIの電力源としてカプセルに閉じ込められている人類に、夢を見させる――現実世界で普通に生きていると勘違いさせる――ために、AIが創り出したコンピュータ・シミュレーションの仮想世界という代物です。

これはもしかしたら、ハラリの主体性をもったAI(エイリアン・インテリジェンス)の1つの具体例になるのではないかと思いました――実際、『マトリックス』のAIは徹頭徹尾人類を手玉にとっています。
細かい話を抜きにすれば、両者ともテーマは「コンピュータとの戦い」です。
しかし私に言わせれば、それは違います。
本来、突き詰めれば、結局「悪質なコンピュータを作り、悪質なプログラムを作成し作動させる(させた)人間たちとの戦い」なのです。
それなのに映画では、最後までAI(コンピュータ)を操作している人間は登場しません。
因みに『マトリックス』の第3作目(Revolution)の最後は、機械自身が愛の存在を重要視しはじめ、人類と機械の共存への道が開けることを予感させるような朝日のシーンで終わっているとのことです――私自身は解説を読むまでは、このシーンの意味はさっぱり分かりませんでしたが。

実は映画では、AIが必要とするエネルギー――現在この需要は馬鹿にならず、そのために原発の増設が求められているという、何とも惨憺たる現実があるのですが――は電池用カプセルに閉じ込められている人間から搾り取られているわけですが、これでは次世代を産むことは不可能です。
となると、この「電源装置」は早晩(せいぜい数十年か――人類の平均余命?)閉鎖です。
映画では、過去の人類とロボットの戦いで、人類がロボットのエネルギー源である太陽光を隠す目的で、地球を人工雲で覆ったために、ロボットは人体からエネルギーを取ることに切り替えたという設定になっているのですが、人間自体のエネルギー源はどうなるのでしょうか?
AIは人間電池の必要性からカプセルの中で人間を生かしているわけですが――それもほんの数十年?――むしろ、まずは人工雲を取っ払い人類を絶滅させればよいだけのことではないでしょうか。
つまり、この場合のAIの行為は、素人目にも初歩的に非合理で、AIの名に値しません。
おそらく映画『マトリックス』は、仮想空間と現実を交錯させるという壮大なエンターテインメント(=商売)を成功させたいためだけに――そのためには夢を見る人間が必要――非合理的で子供じみた発想「人間電池」を作り出したのでしょう。

それにしても、人類がいなくなった後のAIが「生きる」目的は何でしょうか。
それはハラりのいうエイリアン・インテリジェンス(AI)のみの闇の宇宙に相当するのでしょうか。
私の考えではAIは行為主体たりえないので、このような質問自体が無意味となります。
AIが非有機的な機械であるかぎり、どれほど複雑であろうとも、主体者たりえないのです。
例えば、人間による遠隔操作を必要とせず、AIによって自ら標的を識別し攻撃を行うLAWS(自律型致死兵器システム)といえども、これを作成し最初の作動スイッチを入れるのは人間です。
この点を見失うと、あたかもAIが行為主体であるかのように錯覚し、その強力な力を見せつけられれば、人間がAIの奴隷になるかのような無力感に陥ることになるでしょう。
最後にハラリが「闇の領域」や「意識の光」について言及しているのも、このことと関係しているように、私には思えて仕方ありません。

要するに、ハラリのエイリアン・インテリジェンスは、科学的思考を放棄した結果、浮かび上がった想念ではないでしょうか
このような非科学化の道は1945年の原爆投下の時点から始まっていたというのが、私の主張の1つです。


これ以上の展開・考察は、今月下旬の学会参加と三内丸山遺跡訪問の準備のため中断します。

ハラり著『NEXUS 情報の人類史』 

2025-05-26 04:55:21 | 日記
近年、一部ネット上で日本人論や日本文明論の国際的見直しが盛んです。
とりわけ最近は、AIによる分析結果――“AIが支配できない唯一の国は日本”、“世界を救えるのは日本のみ”等々――に一部の人々は沸き立っているように見えます。
確かに、世界のデジタル化の波に乗り遅れ、失われた30年と言われたこの時代の評価を反転するような現象には一理あるような気がします。
というのも、現在のAIが獲得している知能というのは、言語にしろ図形にしろ音声にしろ、いずれも明示的な入力に対して明示的に応答するものであり、日本人の得意とする(?)“空気を読む”“沈黙”“間”等がもたらす秩序や知恵は扱えないからということです――例えば、海外の少なからぬ有識者が口をそろえて絶賛するのは、海外では通常みられる災害時における市民の暴徒化が発生しないとのこと。

何となくもやもやと私なりに思いをめぐらしていましたら、イスラエル出身の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの著書『NEXUS 情報の人類史』(2025年3月)が出版されたことを知りました――彼も日本人に期待している一人です。
原著のタイトルは NEXUS: A Brief History of Information Networks from the Stone Age to AI (2024年) で、「石器時代から」という言葉が用いられている点が、いかにもハラりらしいと思いました。

おかげで、私のテーマの1つでもある縄文文化の考察にも大いに役立ちそうだと思いました。
前回の彼の著書『ホモ・デウス』に比べて、格段にすっきりと分かりやすいのも魅力でした。
因みにNEXUS(ネクサス)とは、訳者(柴田裕之)によれば「一般的には“つながり”“結びつき”“絆”“中心”“中枢”などを意味するが、本書ではさまざまな点をつなげている情報がネクサスとなる」(下巻p.281)とのことです。

ここでは、大部なので(訳本は上・下2冊)、プロローグとエピローグを中心に紹介し――特にプロローグは27頁も用いて全体の意図と概略に当てています――私自身の考察は次回に回す予定です。
関心のある方は、直接手にとって読まれるようお勧めします。
なお、引用が多くなったのは、微妙な表現も多く誤解を恐れたためでもあります。
まずは目次から始めます。


<目次>
プロローグ
第Ⅰ部 人間のネットワーク
第1章情報とは何か?
第2章物語――無限のつながり
第3章文書――紙というトラの一嚙み
第4章誤り――不可謬という幻想
第5章決定――民主主義と全体主義の歴史
第Ⅱ部 非有機的ネットワーク
第6章新しいメンバー――コンピューターは印刷機とどう違うのか
第7章執拗さ――常時オンのネットワーク
第8章可謬――コンピューターネットワークは間違うことが多い
第Ⅲ部 コンピューター政治
第9章民主社会――私たちは依然として話し合いをおこなえるのか?
第10章全体主義――あらゆる権力はアルゴリズムへ?
第11章シリコンのカーテン――グローバルな帝国か、それともグローバルな分断か?
エピローグ


<プロローグ>(上巻 pp.7-33)
「私たちサピエンスは[・・・]10万年に及ぶ発明や発見の偉業の後、自ら存亡の危機を招いた。
自身の力を誤用して、生態系崩壊の危機に瀕している。
そのうえ、私たちの制御をかいくぐって人類を奴隷化したり絶滅させたりする可能性を持つ、人工知能(AI)などの新しいテクノロジーをせっせと創り出している。
ところがサピエンスは、存亡にかかわるこれらの難題に、団結して取り組もうとはしていない。
むしろ、国際的な緊張が高まり、グローバルな協力はますます困難になり、各国は最終兵器を備蓄するばかりで、新たな世界大戦はもはやありえないものには思えない」(p.7)。

「私たちはDNA分子から彼方の銀河まで、あらゆるものについて厖大な情報を積み上げてきたにもかかわらず、その情報のいっさいをもってしても、“私たちは何者か?”“何を希求するべきか?”“良い人生とはいかなるものか?”“その人生をどう生きるべきか?”といった、人生にまつわる肝心な問いの答えは得られていないようだ。[・・・]
私たちはなぜ、いっそう多くの情報と力を獲得するのがこれほど得意でありながら、知恵を身につけるのが格段に下手なのか?」(pp.7-8)。

「意図せざる結果を伴う強力なものを生み出す傾向の始まりは、蒸気機関の発明でもAIの発明でもなく、宗教の発明だった。預言者や神学者たちは、愛や喜びをもたらすはずの強力な霊を呼び出した挙句、ときおり世界を流血であふれ返らせてきた」(pp.9-10)。
「人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなってしまっているというのが、本書の核心をなす主張だ」(p.10)。

◎情報の素朴な見方
「[誤解されやすい]素朴な見方によれば、大規模なネットワークは個人にはとうてい望めないほど多くの情報を集めて処理することで[・・・]ネットワークは強力になるばかりか、賢くもなるという」(p.12)。
「この素朴な見方は、いっそう強力な情報テクノロジーの追及を正当化し、コンピューター時代とインターネットの半ば公式のイデオロギーとなってきた。
ベルリンの壁が崩れ、鉄のカーテンが消滅する数カ月前の1989年6月、当時アメリカの大統領だったロナルド・レーガンは次のように宣言した。
“全体主義による支配というゴリアテが、マイクロチップというダビデによってすみやかに打ち倒されるだろう”」(pp.14-15)。
「情報の素朴な見方を最も簡潔に捉えたのは、“世界の情報を整理して、普遍的にアクセス可能で有用なものにする”というグーグルの企業理念かもしれない」(p.16)。

◎素朴な見方派 VS 懐疑派(原文では グーグルVSゲーテ)
「人類は近年、数世代にわたって、情報生産の量とスピードの両方でかってないほどの増加を経験してきた。
どのスマートフォンにも、古代のアレクサンドリア図書館の蔵書を上回る量の情報が入っているし、ユーザーは一瞬のうちに世界中の何十億という人とつながることができる。
ところが、これだけの情報が息を呑むようなスピードで行き交っているのにもかかわらず、人類はこれまでにないほど自滅に近づいている」(p.17)。

「多くの企業や政府が、史上最強の情報テクノロジー、すなわちAIを開発しようと先をあらそっている。
一流の起業家である、アメリカの投資家マーク・アンドリーセンは[・・・]2023年6月6日の小論を“AIの開発と普及は、私たちが恐れるべきリスクには程遠く、自らや子供たちや未来にとっての道徳的義務なのだ”と締めくくっている」(p.18)。
レイ・カーツワイルも同意見であり、「AIは、病気や貧困、環境悪化、人間のあらゆる弱点の克服といった、私たちが直面している差し迫った難題に対処することを可能にしてくれる、肝心要のテクノロジーだ。
この新しい有望なテクノロジーを実現させることは、私たちの道徳的義務」と主張している(p.18)。

他方の懐疑派には、哲学者や社会学者だけでなく、多くの一流のAI専門家や起業家もいる――ヨシュア・ベンジオ、ジェフリー・ヒントン、サム・アルトマン、イーロン・マスク、ムスタファ・スレイマン等々。
AI研究者2778人を対象とした2023年の調査では、回答者の3分の1超が、最悪の場合、高度なAIが人類の絶滅という悲惨な結果につながる可能性を最低でも10%と見積もった。
さらに、中国、アメリカ、イギリス、日本を含む30近い国の政府が、AIに関する「ブレッチリ―宣言」――「これらのAIモデルの最も重大な能力から、意図的な、あるいは意図せぬ、深刻な、壊滅的でさえある害が生じる可能性がある」ことを認めている――に署名した。(p.19)

専門家たちが警告する筋書は以下の2つ:
①AIの力のせいで既存の人間の対立が激化し、人類が分裂して内紛を起こす。
 20世紀の冷戦では鉄のカーテンで分断~21世紀にはシリコンのカーテン(シリコンチップと
 コンピューターコードでできている)で分断された新しいグローバルな対立の可能性あり。
②シリコンのカーテンは、全人類をAIという新しい支配者から隔てるようになるかもしれない。
 我々は人間以外の知能の全体主義的な潜在能力にそろって脅かされる。
 AIは、サピエンスの歴史の道筋ばかりか、あらゆる生命体の進化の道筋さえも変えかねない。
 ↑
 注:「私たちはみな、AIが自ら決定を下したり新しい考えを生み出したりすることのできる史上
   初のテクノロジーであるという事実を肝に銘じるべきだ。[・・・]
   AIは自ら情報を分析するのに求められる知能を持っており、したがって意思決定で人間に
   取って代わることができる。
   AIはツールではない――行為主体なのだ」(pp.20-21)。

◎情報を武器化する
「もしカリスマ的な指導者や人知を超えたAIに力を譲り渡すのを避けたのなら、私たちはまず、情報とは何かや、人間のネットワークを構築するのに情報がどう役立つかや、情報が真実と力にどのように関連しているかをもっとよく理解しなければならない。
ポピュリスト達が情報の素朴な見方に懐疑的なのは正しいが、力こそが唯一の現実で情報はつねに武器であると考えるのは間違っている。
情報は真実の原材料ではないが、ただの武器でもない。
これら2つの極端な見方の間には、人間の情報ネットワークや、力を賢く扱う私たちの能力についての、もっと微妙なニュアンスを含む、希望に満ちた見方が入り込む余地がある。
本書は、そのような中道を探求することに捧げられている」(p.28)。

◎ 今後の道筋
第Ⅰ部:人間の情報ネットワークがたどってきた発展の歴史を概観する。
 ・情報ネットワークの構築で直面した主なジレンマへの回答 → 大きく異なる人間社会の形成
 ・いわゆるイデオロギーの争いや政治的争いは、じつは対立する種類の情報ネットワークの衝突
 ・大規模な情報ネットワークにとって不可欠だった2つの要因(神話と官僚制)の考察
第Ⅱ部:私たちが全く新しい種類のネットワークを作り出していることの説明
有機的情報ネットワーク → 非有機的情報ネットワーク: エイリアンイン・テリジェンス(AI)
第Ⅲ部:非有機的情報ネットワークの脅威と将来性に、異なる社会がどう対処できるかの考察


<エピローグ>(下巻 pp.263-274)
・「新しい情報テクノロジーの発明は、いつも主要な歴史的変化のきっかけとなり、それは情報の
 最も重要な役割が、既存の現実を表示することではなく、新しいネットワークを編み上げること
 だからだというのが、1つの教訓だ」(p.266)。
古代メソポタミアの粘土板 → 税の支払いの記録など → 最初の都市国家の成立
聖典 → 預言者の幻視の正典化 → 新しい種類の宗教の拡大
新聞と電信 → 大統領や国民の言葉の迅速な伝搬 → 大規模な民主主義体制と全体主義体制

・「印刷機や羊皮紙の巻物は、人々を結びつける新しい手段を提供してくれたが、AIは私たちの
 情報ネットワークの歴とした一員であり、独自の行為主体性を持っている。
 今後の年月には、軍隊から宗教まで、あらゆるネットワークが厖大な数のAIを新たなメンバー
 として迎え入れるだろう。
 だがAIは、人間とは違うやり方でデータを処理する。
 AIという新しいメンバーは、人間のものとは異質の決定を下し、異質の考えを生み出す。[・・・]
 人間とは異質の行為主体が多く加われば、軍隊や宗教、市場、国家の形態も必ず変わる。
 政治や経済や社会の制度がまるごと崩壊し、新しい制度がそれに取って代わる」(pp.267-268)。

◎最も賢い者の絶滅
 「もし私たちが真に賢いのなら、なぜこれほど自滅的なことをするのだろう?[・・・]
 自滅への道を突き進ませるものが、何か私たちの本姓の中にあるのか?
 それは私たちの本姓ではなく、情報ネットワークのせいだと、本書では主張してきた。
 人間の情報ネットワークは、真実よりも秩序を優先するせいで、これまでたびたび多くの力を生
 み出したが、知恵はほとんどもたらさなかった。
 たとえば、ナチスドイツは非常に効率的な軍隊を築き上げ、狂気の神話のために使った。
 それが途方もない規模の苦難と、何千万もの人の死と、最終的にはナチスドイツの崩壊にもつな
 がった」。(pp.270-271)

 「人類の長期的な幸福のためには自己修正メカニズムが重要であるにもかかわらず、残念ながら、
 政治家はそのシステムを弱める誘惑に駆られかねない。
 本書を通して見てきたとおり、自己修正メカニズムを無力化することには短所が多いのに、政治
 的には必勝法になりうる」(p.272)

 「私たちは今や、意識を持たないものの非常に強力なエイリアン・インテリジェンスを創り出し
 た。もし私たちが扱いを誤れば、AIは地球上の人間の支配に終止符を打つばかりか、意識の光
 そのものも消し去り、宇宙をまったくの闇の領域に変えてしまいかねない。
 それを防ぐのは、私たちの責任だ」。(p.273)

 「幸い私たちは、危険に気づかないまま自己満足したり、やみくもに絶望したりするのを避けれ
 ば、自らの力を抑制し続けられるような、バランスの取れた情報ネットワークを創出することが
 できる。[・・・]
 より賢いネットワークを創り出すには、むしろ、情報についての素朴な見方とポピュリズムの見
 方の両方を捨て、不可謬という幻想を脇に押しやり、強力な自己修正メカニズムを持つ制度や機
 関を構築するという、困難でかなり平凡な仕事に熱心に取り組まなければならない。
 それがおそらく、本書が提供できる最も重要な教訓だろう」。(p.273)

以上