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私は40代になってから、それこそ「四十の手習い」とて、たまたま寮の近くにあった大人のための書道教室(書道「林泉会」 主宰:後藤俊秋)で、まったくの素人の状態から書を始め、現在も月に2、3回のペースで通い続けています。
毎回、書の師匠から課題が出され、また年に数回の書道展に出品する作品を作るために、週に数回、寮監室で筆に墨を含ませるよう心がけていますが、多忙な時などなかなか思うに任せず、期限に間に合わせるために、稽古が深夜、早朝になることもあります。
単なる事務処理なら時機を問わず仕上げてしまえますが、私の場合、こういうアート系のことは気が乗らないと手がつけられない質なので、こういうことになりがちです。どちらかというと、早朝の方が筆が走りやすいか。
ある雑誌上で、「競書」といって、ある課題の文章を好きな書体で書にして、数百人で腕を競うコンクールのようなものがあり、師匠の指導のもと、私はこれにも常々応募していますが、今回、珍しく秀作に選ばれて写真版(中央のもの)になりました。本来の大きさは「半切:はんせつ」といって、よく掛け軸になっているサイズです。
「庭前落絮誰家柳 葉裏新聲是處鶯」と書いていますが、意味は「庭前に飛び散る柳の花は何人の家のものだろう。葉がくれに鳴く第一声はここの鶯である。」といったところです。(『墨心』は私の書の雅号)
毎回、書の師匠から課題が出され、また年に数回の書道展に出品する作品を作るために、週に数回、寮監室で筆に墨を含ませるよう心がけていますが、多忙な時などなかなか思うに任せず、期限に間に合わせるために、稽古が深夜、早朝になることもあります。
単なる事務処理なら時機を問わず仕上げてしまえますが、私の場合、こういうアート系のことは気が乗らないと手がつけられない質なので、こういうことになりがちです。どちらかというと、早朝の方が筆が走りやすいか。
ある雑誌上で、「競書」といって、ある課題の文章を好きな書体で書にして、数百人で腕を競うコンクールのようなものがあり、師匠の指導のもと、私はこれにも常々応募していますが、今回、珍しく秀作に選ばれて写真版(中央のもの)になりました。本来の大きさは「半切:はんせつ」といって、よく掛け軸になっているサイズです。
「庭前落絮誰家柳 葉裏新聲是處鶯」と書いていますが、意味は「庭前に飛び散る柳の花は何人の家のものだろう。葉がくれに鳴く第一声はここの鶯である。」といったところです。(『墨心』は私の書の雅号)