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そんな独りよがりの書き捨て日記です。

心の故郷フィリピンでイラチを治す旅【その⑤セブ経由でレイテ島タクロバンへ】

2025-03-31 17:40:57 | 旅行

 

ミンダナオ島Dipologを出発して向かったのが

Cebuの中心地の対岸にあるマクタン空港

 

セブ島は、首都で便利ながらも人で溢れ治安の悪いマニラ周辺と異なり

ボラカイなどのリゾート感溢れる観光地が多いため

最近では海外からの直行便も多く

インバウンド観光客で賑わっているんです。

 

その分、観光地価格なのでフィリピン通としては

あまり面白くない土地なんですけどね

 

空港ターミナルも昔は田舎の空港丸出しでしたが

いまではインバウンド観光客向けに洗練されていてとても便利

 

あと近頃はレチョン(炭火焼=特に豚の丸焼きのこと)が人気らしく

レチョンのお店も数軒あってビックリ

実は、食べようかなぁと相当悩んだんですけどね

 

保安検査場の先には

いかにも白人系の好きそうな飲食店があり

フードコートもそこそこ充実してました

搭乗ゲート前の待合室はこんな感じ

丁度お昼時だったので、何か食べようかな?と思いつつ

すぐにレイテ島タクロバンなので

結局ドーナツとコーヒーだけで我慢して

飛行機に乗り込みました。

 

この日は、レイテ島上空も大雨で

着陸寸前で視界が悪化してゴーアラウンド

久々にスリル満点のランディング

 

 

約35年前に暮らしていた頃と同じ古いターミナルビルが懐かしかった~

このレイテ島

1985年に革命で失脚してハワイに亡命した当時の独裁者マルコス大統領の嫁で

天下の悪妻と呼ばれたイメルダ・マルコスの生まれた土地で

 

夫を暗殺されたコラソン・アキノにとっては憎むべき対象だったので

アキノ政権下では、ネグレクトされ開発から完全に干された地域。

 

ご参考までに、フィリピンの主要言語の分布図でご説明すると

北部のルソン島の大きな湾がある辺りがマニラで

薄いクリーム色、黄土色、紫色の地域が

 フィリピンでの標準語となっているタガログ語圏

中央から南の紅色がタガログにつぐセブアノ語圏

レイテ島、サマール島は中央東部の茶色の部分でワライ語圏


なんせ、180以上の言語が存在し、いまも100以上の言語が使われている国
 
私も任地がレイテ島タクロバンでワライ語圏のため
家の女中、車の運転手、日常の生活ではワライ
仕事先では、秘書がセブアノだったりワライだったり
インストラクターは、ほとんどがタガログで
マニラに出張することが多かったので
基本は英語とタガログで通してましたが
レイテ島ではそのどちらも通じないことも多くて苦労しました。

 

あと、当時は隣のサマール島とレイテ島の山間部は

NPA(New Peoples Army:新人民軍)というゲリラの巣窟で

観光客が訪れる土地ではありませんでしたが

近年は資金源だった中華人民共和国とも国交が結ばれ

ゲリラ活動はとりあえず収まっているそうでした。

当時から島の中央には世界最大の地熱発電所があり

電力が安定しているのかと思ったら

送電線や電柱・電線が台風が来るたびに断線して

切れた電線を盗んでしまうので

年がら年中停電だらけ


上水道も水源のダムの取水口が

大雨が降ると詰まってしまい断水


更には市街地の配管が細すぎて

新しい住宅地では需要が賄えず

ほとんどチョロチョロとしか水が出ず

苦労していましたが

台風の後

インフラが整備されて改善されたとか

“災い転じて福となす”

な面もあったんだそうです。

 

空港には、当時の赴任先のプロジェクトの幹部の一人で

タクロバンで借りてた家を紹介してくれた仲良しが迎えに来てくれていて

ホテルのチェックインの時間まで

久しぶりのタクロバン周辺を案内してくれました。

 

車を運転してくれたのが私が帰国した後で生まれた娘さん

いまは高齢者医療の医師として勤務しているんだと聞いてビックリ


長男はマニラでIT業界で働き

次男はなんとカソリックの神父になって

バチカンで修行中だそうで

驚かされる事だらけ(笑)




私がいた頃は、まだ新婚で第一子のゴッドファーザー(洗礼時の保証人)にさせてもらったほど
仲良しだったんですよ。(因みに彼女の左が、まだ30歳になりたてのわたくし

 

レイテ島という土地は

いつもトラック諸島近海で発生した台風が直撃するところで

2013年11月には、フィリピン災害史上最大級の被害を与えた”台風ヨランダ”

(895hPa 最大瞬間風速90m/s: 時速にして324km/h)

によって暴風雨と高波で死者・行方不明者8,000人を超え

タクロバン市は壊滅的な被害を蒙ったため

FBで友達になっている友人・知人は無事だったと知らされたものの

安易には訪れられないなと、10年以上訪問するのを諦めていました。

 

最初に連れて行ってくれたのが

空港近くできた元市長の公邸で

いまはPacific Point Events Place and Resort Inc.と言う場所

太平洋戦争の激戦地だったこともあり

敷地内にはいくつもの日本軍のトーチカ跡もあったりするんですよ

(英語ではPillboxと言います)

続いて訪れたのは

米軍の司令官マッカーサーが意地をかけてレイテ島を攻略して

上陸を果たした場所で

上陸した時の情景を銅像にしたモニュメントがあり、いまは国立公園になっています。

太平洋戦争開戦当時

日本軍の猛攻に劣勢を強いられて

マニラ湾の要塞コレヒドール島の米軍基地に籠っていたマッカーサーが

日本軍の空爆によって命からがらオーストラリアに逃げたのですが

その時に「I shall return(私は必ず戻ってくる)」との言葉を残し

 



 

その約2年半後の1944年10月

タクロバンでとってもお世話になったマルコスのブレインの一人で

歴史の生き証人の方から聞いた話では

タクロバン沖の水平線が見えなくなるほどの連合軍の軍艦が集結し

圧倒的な物量による艦砲射撃と空爆で日本軍を叩き

この地で、「I have retuned!(私は帰ってきた)」と宣言した歴史的な場所で

日本人にとっては、つい悲しみと悔しさに苛まれる場所なんです。

 

一応、戦勝国側にとっては平和の礎となった場所と

定期的に記念式典が執り行われていて

2019年の10月20日には75周年記念式典と


それ以前の50周年だったかな❓

世界の主要国の国家元首による碑が飾られていましたが

ロシアがエリツイン、アメリカがクリントン、日本が村山で

つい、うぅ~んと唸ってしまいました。

 

その近くには

大韓民国のメモリアルパークがあり

話を聞くと、台風ヨランダで壊滅的な被害を受けたあと

韓国は災害復興支援のために韓国軍を約1年間派遣して

瓦礫の撤去や道路、インフラの整備に大活躍したそうで

それを記念してそんな一角ができていました。

2013年10月ということで

まだ東日本大震災と津波の復興で、日本にはあまり余裕がなかったのかもと

言い訳気味に考えてみましたが

 

やはり石橋を叩いても渡らない日本人気質

イケイケドンドンの韓国人の方が偉いよな と恥ずかしい限りでした。

 

その後、レイテ島ではランドマーク的存在でもある有名なPaloの大聖堂を訪れ

その敷地内に集団埋葬されたことを知りました。

ただでさえ南国の上に、電気も水道も失った被災地で

身元確認のために遺体を安置したり保存などできるわけもなく

いたるところで集団埋葬されたとのこと

 

続いて、レイテ島では常に中心地であったタクロバン市から

隣のPalo市にProvincial Government(地方政府)の庁舎も移転されたそうで

Tacloban市民の彼女達はちょっと悔しそうでした。(笑)

その後、タクロバン市庁舎を訪れてから

夕食の約束をしてホテルに送ってもらい

シャワーを浴びて少し仮眠してから

約束していたレストランへ

(緑のポンチョを着てるには、ウーバーの配達人)

このレストランは、シーフードでそこそこ人気と聞いて決めたのですが

医師になった娘さん、実は甲殻類アレルギーでほとんど食べられず

何か食べられるものをと勧めたのですが

遠慮していて申し訳なかったなぁ

娘さんは翌日から36時間勤務とのことを聞いて

長居しては迷惑だろうなと早々に切り上げて

 

ホテルに戻り最上階のレストランで

ビールとFish &Chipsを注文したのですが・・・

ショボすぎてガックリ

 

その昔は、市街地の中心にショーパブがあって

夜な夜な真夜中まで飲み歩いたもので

 

運悪くNPAのゲリラの暗殺部隊(通称スパロー)が店に来ると

店のママが「いまスパローが来たから裏口から逃げて」と

離れたところに停めてあった車まで忍び足で移動して

音を立てないようにドアを開け、車内では背を丸めて運転席に座り

エンジンをかけたら一気に全速力で発進して逃げ帰ったこともありましたねぇ

 

 

それほどショーパブが好きだったのに

今回は、つい面倒になってしまい断念

 

いまやもうすっかり爺さんになっちゃったんだなぁと実感

 

【”その⑥昔の家と職場で思い出に浸る”に続く】

 


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