昔、駅逓という制度があった。昔の道の駅。
鹿追発祥の地に駅逓があった。
駅逓制度が大化の改新
からあるそうです。
今の道の駅より
多機能。
鹿追町も
開拓の歴史が残されています。
本州各地から
集団移住してきた。
隣町の音更村から分村し鹿追村が誕生した。
分村して91歳。
明治の末期から大正の初期にかけて、北海道の開拓に夢を持ち、安住の地を求めて渡道した者、未開の大地に一攫千金の野望に燃えて、津軽海峡を渡った者もあったろうが、これを迎えた北海道の大自然は、想像を遥かに越える厳しいものであった。
厳冬期に零下30度を越える酷寒は掘っ建小屋を直撃し、尺余の積雪は吹雪となって舞い込み、布団の上にも雪が積もる有様であった。
農繁期には、夜明けとともに野良に出て、ハエ、蚊、虻を払い除け、大木を切り倒し笹藪の根を掘って、芋、麦、ソバなどの種を播き、収穫の秋に期待したが、冷害凶作に見舞われると、自家用の食料にも事欠く状況の中で開拓は進められた。(鹿追町史から)
開拓のころの句
「開墾のはじめは豚とひとつなべ」
この句をもとにした十勝のお菓子も
あります。大変な苦労をして
現在の十勝があります。
鹿追町を詳しく知りたい方は
▼
http://www.tokachi.pref.hokkaido.jp/d-archive/sityousonsi/shikaoi_gaiyou.html
コメント
- あざいちゃん [2011年7月9日 15:35]
- 音更村から分村したんですね。勉強になります!
今日は暑いので、ソフトクリーム・アイスクリームが売れています! - 然別湖くん [2011年7月9日 20:30]
- 週末、天気が良く、暑いと
売り上げがすごく違うね。
日曜日はばん馬があるから来訪者に期待だね。
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