北海道十勝から然別湖くん発信

GAZOOから移転しました。
十勝の鹿追町から情報発信です。
ペットはビーグルとチンチラ。
ゴルフ大好きです。

乳製品の消費拡大

2021-12-29 13:41:35 | 日記

 

乳製品の消費拡大

 

自分達も何かしょうと

息子夫婦の発案でラクレットパーティ。

 

機械は息子が義父から借りてきた年代物。

当時、機械本体より変圧器の方が高かったそうです。

 

熱々のチーズはジャガイモとの相性が最高。

ワインの減り方も最高です。


白いウぺぺサンケ山

2021-12-28 07:19:46 | 日記

鹿追町笹川から

ウぺぺサンケ山パチリ。

この道を通って

とかち鹿追ジオパークへ

通勤していた。

あの山の山頂が鹿追町の北限

1,848mだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウペペサンケ山

 

帯広から見たら

東西ヌプカウシヌプリ(夫婦山)の後ろに

白いウぺぺサンケ山が見える。

どこから見ても

綺麗だよ。

ウペペサンケとはアイヌ語

「雪解け水を・出してくる」という

意味である。

 

▼井上 寿「十勝アイヌ語地名解」より。

 鹿追は昔、アイヌ語で「クテクウシ」と呼ばれていた。クテクウシの「ク」とは弓の称なれども、この場合は機弓、すなわちアマッポーという。クテクとは、柵の跡にして、柵を結びアマッポーを仕掛け、鹿を猟せし所なり。クテク・ウシ(鹿捕り柵、あるもの)のところと訳す。鹿追とは、これを和訳して呼ばれた地名である。

 

▼鹿追町の魅力満載

・シカオイグラフィックスvol.1 https://bit.ly/3EXLZLR

・シカオイグラフィックスvol.2 https://bit.ly/39CsV7H 

 

▼鹿追町のおもしろいこと

https://www.shikaoi.net/contents/sightseeing/

http://tokachibare.jp/about_tokachi/towns/shikaoi/

https://www.shikaoi.net/contents/outdoor/

https://gazoo.com/drive/mura/shikaoi.html

 

▼ジオパーク

http://www.geopark.jp/geopark/tokachi-shikaoi/

https://www.shikaoi-story.jp

 

▼神田日勝記念美術館

http://kandanissho.com

 

▼北海道ツーリズム大学

https://www.ht-univ.com

 

▼グレートフィッシング

https://www.shikaribetsu.com

 

山村留学のまち 鹿追町自然体験留学センター

https://www.shikai-study.jp/

 

▼田舎暮らしのススメ

http://www.tokachi.or.jp

 

▼女性のための農業研修プログラム

http://www.tokachi.or.jp/puremalt/

 

▼トカチナベ

https://tokachinabe.com

 

▼おびひろ観光ナビ

http://obikan.jp


ここで渋沢栄一に繋がる万年

2021-12-21 13:39:49 | 日記

 

音更町万年の万年神社

金属でしかもピカピカは珍しい。

 

 鹿追町の鹿追橋近くの農業用水取水施設から音更町万年地区まで水が引かれていることは知っていたが、最近、気になって水路をグーグルアースでたどってみた。そして現地へ。

 

 高台と平野部の境に水路を引いて、高い方の水路からいくつかに分岐し万年地区を潤す用水網ができていた。そして、また、まとまり然別川へ。ジオジオするではないか・

 

 冬なので、万年神社の前の水路は水が流れていなかったが、用水路の下流のいくつかの用水路がまとまった場所では水が流れていた。鹿追地区から音更町の万年地区へ。水の流れに人の営みを感じた。

 万年神社の南に個性的な邸宅が残っていた。

 調べてみたら、十勝毎日新聞で紹介されていて「日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が十勝清水町に設立した十勝開墾合資会社(通称・渋沢農場)の3代目の農場長を務め、音更初の道議会議員としても活躍した吉田嘉市が100年以上前に建てた旧邸宅が今も町万年地区にあり、異彩を放っている。明治43年十勝開墾合資会社の3代目の農場長として周囲の期待に応えた。その後、音更に移住し開墾に従事。大正9年に万年土功組合を設立し、組合長に就任。地域農業の発展に貢献した」と紹介されていた。

 

 まさか、ここで渋沢栄一につながるとは・・・。

 

 十勝毎日新聞で「先人が遺した物は将来への稔(みの)りをもたらす種となる」この言葉の書が小野信次音更町長室に掲げられている記事を思い出した。

 先人の功績を辿る。まさに温故知新なんだと思う。この地区の開拓100年の標語「今まで100年、これから万年」の言葉って、深いと思う。