厚木福音自由教会

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2月1日 聖日礼拝

2015-02-01 10:30:00 | 4.聖日礼拝メッセージ

みことばを実行する人になりなさい
ヤコブ1:19-27


私たちはクリスチャンとして、「恵まれた信仰生活」を歩んでいるでしょうか?その第一の指標となるのは、「みことばとの関係が良好かどうか」ということです。今日は、みことばについて聖書は何と語っているのかを確認してみましょう。
『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(Ⅱテモテ3:16-17)』
みことばは安らぎを与えるだけでなく、私たちの過ちを正します。時にみことばに扱われる痛みは必要です。その目的は、私たちが整えられるためなのです。
『それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。(Ⅱペテロ1:20-21)』
 物事には様々な見方があっても、本来みことばの示す真理は一つです。自分の都合で解釈し、選り分けてはいけません。
『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(へブル4:12)』
私たちはディボーションの中で、みことばから物事を判別する力を努力して身に付ける必要があります。
『この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすればあなたのことで繁栄し、また栄えることができるからです。(ヨシュア1:8)』
『あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。(ヨハネ13:17)』
サッと読むだけでなく、いつも口ずさみ、蓄えましょう。守り行うためであり、それは私たちの祝福のためです。これこそが主の心からの願いなのです。

これらのみことばから分かるように、みことばは神の言葉であり、真理であり、人を変える力があり、何が正しいことで間違っているかを判別することができます。みことばを実践することは恵まれた信仰生活を歩むためには不可欠であり、恵まれた信仰生活は祝福された日々の歩みに繋がります。みことばをただ聞くだけの者ではなく、実践する者となりましょう。