カラダを科学する本格的整体ブログ

人間のカラダのおもしろさを、生命科学、スポーツコーチング、認知心理学、動物行動学など、越境しながら学ぶ未来派整体術。

立つことの進化

2008-09-02 20:24:24 | Weblog

立って活動するためにはどんなことが必要なのだろう?

ふつう、身体の調子がいい時にそんことを考える(意識する)ことはありません。
考えるのは、決まって身体のどこかに不調がある時です。

膝が痛かったり、腰が痛かったり、あるいは足首がうまくかえらなかったり、不調の出方によって、立つことの「難しさ」はさまざまな形で表れてきます。

ホームページでも紹介しましたが、わたしたちは脊柱を運動の支軸として使えるようになるために、長い訓練を必要とします。
まず頚がすわること(3週~4カ月)、腹ばいになって上体を持ち上げられること(3週~5カ月)、座って手を自由に使えること(5カ月~9カ月)。

頚からはじめて、胸椎を固定する能力、さらに脊柱全体を固定する能力、さらに脊柱を固定しつつ手を自由に使える能力、こういった積み重ねの上に、はじめて「立つ」という、大きなステージに上がることができるのです。

じつは、この話には続編があります。
立って歩けるようになって間もない頃、周囲を見渡そうとするとつい転けてしまったり、簡単に尻餅をついていしまいます。

すでに十分に頚が座っているのですが、歩くとなると自由にいかないという訳です。
頚を自由に使うほどに、腰や胸椎部を硬くしておくことが出来ないのです。
立つためには、脊柱全体を懸命に硬くしているといってもよいでしょう。
もちろん、手にものを持とうとしてもうまくいきませんし、走ることも難しい。

やがて駆け足ができるようになりますが、最初の頃は、お母さんとかお父さんとか、目的に向けて一心に走ることで精一杯です。当然、周囲を見渡す余裕はありませんし、他の子供とかけっこをするなどということも不可能です。

「走る」という新たな脊柱の試練のために、ここでも頚を固定することからやりなおすのです。
もちろん手も自由になりません。肩の高さにあげて、とっさの時になにかにつかまろうとするのが精一杯です。

こういった積み重ねをへて、はじめて周囲を見渡しながら走れるようになります。
頚の運動というのは、「目でものを追う」余裕ができるということです。
他者を意識した走りができるようになるのです。
こうやって「駆けっこ」とか「鬼ごっこ」が成り立つ年頃を迎える訳です。

学齢期になって、ドッジボールをするとか、サッカーチームでプレーをことが、いかに高度な脊柱の調整能力に支えられているか、このように考えると感動的でさえありませんか?

つまり、一生懸命走りながら、頚や手をほとんど自由に使える身体になっているのです。
とはいえやはり子供はよく転びます。ここには、意欲と身体能力のバランスの取り方の問題もあるのですが…。



年を取ることは、ちょうどこの逆の過程といってもよいでしょう。腰の柔軟性がなくなってくると、次第に肩を張り、頚を硬くして日常生活を送るようになります。それぞれの部位にどの程度の柔軟性を残せるかが、身体の使い勝手に大きな意味を持つことになります。

いずれにせよ、人間の脊柱は全体でひとつ。持ちつ持たれつで成り立っているのです。

とくに痛みや症状のない人の身体も、たえずこのようなサイクルのなかで、脊柱の使い方をコントロールしていることには変わりありません。

実際にはなにも意識していないのに、驚くべき調整能力を発揮しているなんて、なかなか面白いと思いませんか?

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