生きていた格好のまま、1億年前?カエルの化石(読売新聞) - goo ニュース
身体均整師養成講座、受講生募集中
http://www.kinsei-gakuen.com/
【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
(韓国語版出版決定、日本語版も増刷中)
http://www.kinsei.ne.jp/tosho_info.html
これまでこのブログでは、とくにカラダの運動について紹介してきました。そこには整体の施術に密接する問題がたくさん含まれていました。
運動機能が実際にどのような仕事をおこなっているかを知ることは、どのように運動機能が障害されるかを知るもっとも基本的な手順です。そのことが、快方にむかってカラダを調整してゆく出発点なのです。
もう一つ、わたしたちのカラダにとって重要な自律神経機能はどのようなものなのでしょうか?
目がかすむ、頭がふらふらする、カラダがだるい、お腹が痛い、頭痛がする、過呼吸や動悸、便秘や下痢など、すべて自律神経の機能が関わる症状です。
じっさいにむち打ち症などの関節傷害になると、運動機能の問題以上に自律神経症状の方が重要になります。大切なことは、運動機能が自律神経機能の一部であるというとらえ方です。この点について、すこし掘り下げてみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/a8/14a3c9d53b90f94a6159748b8dc5f0ba.jpg)
大哺乳類展、人類で大混乱(いまはそうでもないと思います=要確認)
カラダがやりくりしている物理的仕事をすこし掘り下げてみると、そこに多くの場合「驚き」が生まれます。そして、カラダのすごさが実感されます。これは、わたしたちが日ごろあたりにも簡単にカラダを操っているからです。
たとえばわたしの体重は66kgです。これは水を一杯につめたポリタンク3つ分に相当します。手ではともてば持ち上げられない重みです。にもかかわらず、信号の変わり目に横断歩道に駆け込んだり、駅の階段をかけ登るときに、わたし自身はこのカラダの重みをほとんど意識すらしません。
その背後には、数百万年におよぶ人類の直立二足歩行の積み重ねによってもたらされた特殊な能力があります。
ぎっくりごしとか、捻挫をした時とか、体力が衰えたとき、わたしたちはこのカラダの重みに打ちひしがれそうになります。これは、ある意味、高速でカラダを操ることの宿命といってもよいでしょう。
関節に分布する鋭敏な感覚神経は、身体の強度と可動性を生み出す、不可欠の要素なのです。健康なカラダは、ある意味、不可能を可能にする驚異のパワーをもっているといってもよいでしょう。
そもそも、わたしたちの感覚能力は、このカラダを上手にあやつるために発達しました。そして、重さをはかる重量計とか長さをはかる物差しなども、わたしたちの感覚能力に添ってるつくられています。
以前、目の力(視覚)に関連して紹介しましたが、たとえばハエは、わたしたちよりもはるかに高速な視覚情報の処理システムを持っています。でなければ、台所や食卓の小さな空間を、あんなに高速で飛び回ることは不可能です。
どんなに腕を振り回しても、素手でハエを取り押さえることができない理由は、感覚能力がカラダの大きさに制約されているという、生物学的な特性のゆえなのです。
もちろん、そのためにハエは、視覚世界の解像度というものを犠牲にしています。人間的な意味で、世界を「詳しく見る」ことはできないのです。
哲学者ジョン・ロックの『人間悟性論』ではありませんが、「神が見たもうとされたこの感覚能力で、なぜわたしたちは満足してはならないのか(満足すれはよいではないか!)」。わたしたち生き物は、自分のカラダを不可分なく操れるように、感覚を授けられているのです。
しかし、この運動能力がそもそもどこから来たかを考えると、話は一変します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/06/60dd1a38ab19d714dde1c37fc4c50b42.jpg)
大哺乳類展、シャチの骨格
わたしたちも、ハエも、鳥や魚たちも、運動の基本的な力学的仕組は、細胞分裂の時に細胞をくびれさせたり、染色体を引き寄せる力と同じものです。
アクチンとミオシンというタンパク質は、細胞のなかに含まれるとても基本的な物質です。この物質は、細胞から取り出しても物質自体としての性質を失いません。
細胞が呼吸によって生み出すATP(アデノシン三燐酸)という物質を、このアクチンとミオシンに振り掛けるとシャーレのなかでも縮むのです。これをアクトミオシンと呼んでいます。
わたしたちのカラダに即していえば、自律神経の能力は、生命活動のより根幹に近いところにあり、そこに奉仕するために運動能力があるといってもよいかも知れません。ただ、そのためには、まだまだ多くの説明を必要とします。
このことを考えるために、現在では多くのとても興味深い生物学的な成果が積み重ねられています。ある意味で、わたしたちは、生命の神秘に迫る幸運な時代に生きているといってもよいでしょう。
次回は、呼吸をテーマに、その点をすこし掘り下げてみたいと思います。
やすらぎ創健堂に戻る。
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【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
(韓国語版出版決定、日本語版も増刷中)
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これまでこのブログでは、とくにカラダの運動について紹介してきました。そこには整体の施術に密接する問題がたくさん含まれていました。
運動機能が実際にどのような仕事をおこなっているかを知ることは、どのように運動機能が障害されるかを知るもっとも基本的な手順です。そのことが、快方にむかってカラダを調整してゆく出発点なのです。
もう一つ、わたしたちのカラダにとって重要な自律神経機能はどのようなものなのでしょうか?
目がかすむ、頭がふらふらする、カラダがだるい、お腹が痛い、頭痛がする、過呼吸や動悸、便秘や下痢など、すべて自律神経の機能が関わる症状です。
じっさいにむち打ち症などの関節傷害になると、運動機能の問題以上に自律神経症状の方が重要になります。大切なことは、運動機能が自律神経機能の一部であるというとらえ方です。この点について、すこし掘り下げてみましょう。
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大哺乳類展、人類で大混乱(いまはそうでもないと思います=要確認)
カラダがやりくりしている物理的仕事をすこし掘り下げてみると、そこに多くの場合「驚き」が生まれます。そして、カラダのすごさが実感されます。これは、わたしたちが日ごろあたりにも簡単にカラダを操っているからです。
たとえばわたしの体重は66kgです。これは水を一杯につめたポリタンク3つ分に相当します。手ではともてば持ち上げられない重みです。にもかかわらず、信号の変わり目に横断歩道に駆け込んだり、駅の階段をかけ登るときに、わたし自身はこのカラダの重みをほとんど意識すらしません。
その背後には、数百万年におよぶ人類の直立二足歩行の積み重ねによってもたらされた特殊な能力があります。
ぎっくりごしとか、捻挫をした時とか、体力が衰えたとき、わたしたちはこのカラダの重みに打ちひしがれそうになります。これは、ある意味、高速でカラダを操ることの宿命といってもよいでしょう。
関節に分布する鋭敏な感覚神経は、身体の強度と可動性を生み出す、不可欠の要素なのです。健康なカラダは、ある意味、不可能を可能にする驚異のパワーをもっているといってもよいでしょう。
そもそも、わたしたちの感覚能力は、このカラダを上手にあやつるために発達しました。そして、重さをはかる重量計とか長さをはかる物差しなども、わたしたちの感覚能力に添ってるつくられています。
以前、目の力(視覚)に関連して紹介しましたが、たとえばハエは、わたしたちよりもはるかに高速な視覚情報の処理システムを持っています。でなければ、台所や食卓の小さな空間を、あんなに高速で飛び回ることは不可能です。
どんなに腕を振り回しても、素手でハエを取り押さえることができない理由は、感覚能力がカラダの大きさに制約されているという、生物学的な特性のゆえなのです。
もちろん、そのためにハエは、視覚世界の解像度というものを犠牲にしています。人間的な意味で、世界を「詳しく見る」ことはできないのです。
哲学者ジョン・ロックの『人間悟性論』ではありませんが、「神が見たもうとされたこの感覚能力で、なぜわたしたちは満足してはならないのか(満足すれはよいではないか!)」。わたしたち生き物は、自分のカラダを不可分なく操れるように、感覚を授けられているのです。
しかし、この運動能力がそもそもどこから来たかを考えると、話は一変します。
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大哺乳類展、シャチの骨格
わたしたちも、ハエも、鳥や魚たちも、運動の基本的な力学的仕組は、細胞分裂の時に細胞をくびれさせたり、染色体を引き寄せる力と同じものです。
アクチンとミオシンというタンパク質は、細胞のなかに含まれるとても基本的な物質です。この物質は、細胞から取り出しても物質自体としての性質を失いません。
細胞が呼吸によって生み出すATP(アデノシン三燐酸)という物質を、このアクチンとミオシンに振り掛けるとシャーレのなかでも縮むのです。これをアクトミオシンと呼んでいます。
わたしたちのカラダに即していえば、自律神経の能力は、生命活動のより根幹に近いところにあり、そこに奉仕するために運動能力があるといってもよいかも知れません。ただ、そのためには、まだまだ多くの説明を必要とします。
このことを考えるために、現在では多くのとても興味深い生物学的な成果が積み重ねられています。ある意味で、わたしたちは、生命の神秘に迫る幸運な時代に生きているといってもよいでしょう。
次回は、呼吸をテーマに、その点をすこし掘り下げてみたいと思います。
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