カラダを科学する本格的整体ブログ

人間のカラダのおもしろさを、生命科学、スポーツコーチング、認知心理学、動物行動学など、越境しながら学ぶ未来派整体術。

大哺乳類展(海の生き物編)に行ってきました。

2010-08-08 07:15:23 | Weblog
生きていた格好のまま、1億年前?カエルの化石(読売新聞) - goo ニュース

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これまでこのブログでは、とくにカラダの運動について紹介してきました。そこには整体の施術に密接する問題がたくさん含まれていました。

運動機能が実際にどのような仕事をおこなっているかを知ることは、どのように運動機能が障害されるかを知るもっとも基本的な手順です。そのことが、快方にむかってカラダを調整してゆく出発点なのです。

もう一つ、わたしたちのカラダにとって重要な自律神経機能はどのようなものなのでしょうか?

目がかすむ、頭がふらふらする、カラダがだるい、お腹が痛い、頭痛がする、過呼吸や動悸、便秘や下痢など、すべて自律神経の機能が関わる症状です。

じっさいにむち打ち症などの関節傷害になると、運動機能の問題以上に自律神経症状の方が重要になります。大切なことは、運動機能が自律神経機能の一部であるというとらえ方です。この点について、すこし掘り下げてみましょう。


大哺乳類展、人類で大混乱(いまはそうでもないと思います=要確認)

カラダがやりくりしている物理的仕事をすこし掘り下げてみると、そこに多くの場合「驚き」が生まれます。そして、カラダのすごさが実感されます。これは、わたしたちが日ごろあたりにも簡単にカラダを操っているからです。

たとえばわたしの体重は66kgです。これは水を一杯につめたポリタンク3つ分に相当します。手ではともてば持ち上げられない重みです。にもかかわらず、信号の変わり目に横断歩道に駆け込んだり、駅の階段をかけ登るときに、わたし自身はこのカラダの重みをほとんど意識すらしません。

その背後には、数百万年におよぶ人類の直立二足歩行の積み重ねによってもたらされた特殊な能力があります。

ぎっくりごしとか、捻挫をした時とか、体力が衰えたとき、わたしたちはこのカラダの重みに打ちひしがれそうになります。これは、ある意味、高速でカラダを操ることの宿命といってもよいでしょう。

関節に分布する鋭敏な感覚神経は、身体の強度と可動性を生み出す、不可欠の要素なのです。健康なカラダは、ある意味、不可能を可能にする驚異のパワーをもっているといってもよいでしょう。

そもそも、わたしたちの感覚能力は、このカラダを上手にあやつるために発達しました。そして、重さをはかる重量計とか長さをはかる物差しなども、わたしたちの感覚能力に添ってるつくられています。

以前、目の力(視覚)に関連して紹介しましたが、たとえばハエは、わたしたちよりもはるかに高速な視覚情報の処理システムを持っています。でなければ、台所や食卓の小さな空間を、あんなに高速で飛び回ることは不可能です。

どんなに腕を振り回しても、素手でハエを取り押さえることができない理由は、感覚能力がカラダの大きさに制約されているという、生物学的な特性のゆえなのです。

もちろん、そのためにハエは、視覚世界の解像度というものを犠牲にしています。人間的な意味で、世界を「詳しく見る」ことはできないのです。

哲学者ジョン・ロックの『人間悟性論』ではありませんが、「神が見たもうとされたこの感覚能力で、なぜわたしたちは満足してはならないのか(満足すれはよいではないか!)」。わたしたち生き物は、自分のカラダを不可分なく操れるように、感覚を授けられているのです。

しかし、この運動能力がそもそもどこから来たかを考えると、話は一変します。



大哺乳類展、シャチの骨格



わたしたちも、ハエも、鳥や魚たちも、運動の基本的な力学的仕組は、細胞分裂の時に細胞をくびれさせたり、染色体を引き寄せる力と同じものです。

アクチンとミオシンというタンパク質は、細胞のなかに含まれるとても基本的な物質です。この物質は、細胞から取り出しても物質自体としての性質を失いません。

細胞が呼吸によって生み出すATP(アデノシン三燐酸)という物質を、このアクチンとミオシンに振り掛けるとシャーレのなかでも縮むのです。これをアクトミオシンと呼んでいます。

わたしたちのカラダに即していえば、自律神経の能力は、生命活動のより根幹に近いところにあり、そこに奉仕するために運動能力があるといってもよいかも知れません。ただ、そのためには、まだまだ多くの説明を必要とします。

このことを考えるために、現在では多くのとても興味深い生物学的な成果が積み重ねられています。ある意味で、わたしたちは、生命の神秘に迫る幸運な時代に生きているといってもよいでしょう。

次回は、呼吸をテーマに、その点をすこし掘り下げてみたいと思います。


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夏は生き物と触れ合う季節

2010-08-05 20:49:56 | Weblog

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ご無沙汰しておりました。いかがおすごしですか? 
この間、統合医療学会向けの論文提出などの仕事におわれ、なかなか投稿する余裕がありませんでした。
やすらぎ創健堂のhpのリニューアルなどの準備も進めておりました矢先、7月はじめには久しぶりに熱をだしました。気がついたら猛暑のなかにたたずんできたといった感があります。



さて、いつになく暑い夏が続いています。夏といえばビールのおいしい季節ですが、生き物について語り合うにも、またとないくらい季節だと感ずるのはわたしだけでしょうか?

たとえば「夏休みといえば恐竜展」というくらい各地で恐竜の骨格や模型の展示がされています。上野で哺乳類展なども催されていますし、山では昆虫採集の少年たちに出会います。海や川で生き物と触れあうのも夏の醍醐味のひとつです。

生き物の身体は、最先端の科学技術と比べても驚くほど精巧に作られています。免疫の仕組み、時間を感知する仕組み、運動の仕組み、光を感知する仕組み、判断や知覚の仕組みなど、すべてわたしたちのカラダのなかにあって、日常生活に役立っているのですからすごいです。

とわいえ、わたしたちの知覚能力は、そもそも人類のカラダのサイズをコントロールするためのものです。最先端の科学技術といえでも、あくまで「人体」サイズに見合った知覚能力の産物なのですから、あたかも万能の鏡のように思い込んでしまうのは現代文明の奢りというものです。

わたしたちの知能や認識能力はそもそも細胞の力で形作られています。どう逆立ちしても、この順序をかえることはできません。細胞は、わたしたちが感じたり、考えたり、働きかけたりする能力よりも、はるかに小さな世界に精通しているのです。

生命が存在できるのは、地球上の地表面を挟んで上下ほぼ10kmの世界です。ほとんどの生き物は、地球サイズで見れば地表面から上下1kmの薄皮のような空間に、あたかもプレパラートのなかに密封された水滴のように生活しています。大きな目で見ると、多様な生き物が特定の環境の申し子といっていいほどに深く結びついていることがわかります。

詳しく見るとこの範囲はもっと狭くなります。たとえばちょっと砂浜を掘り下げてたり、ドブとか湖沼の泥をさらってみると、ちょっと嫌な刺激臭のする一帯があります。強いにおいのもとになっているのは、硫酸還元菌など嫌気性の菌類です。これらの菌類は、酸素のある環境では生きてゆくことができません。この泥のなかには酸素がないことを示しているのです。

この酸素のない空間には、ほとんど生き物がいません。多くの生き物は、酸素と太陽光線の共存する限られた空間に生きているのです。

医学知識のなかに分け入ると、人間のカラダの仕組みがあまりに複雑なのに目眩(めまい)がしそうになりますが、そもそも生命活動はそれほど複雑な前提条件を必要としません。

生き物のカラダは地球を構成する元素の組成をよく反映しています。あとは水と酸素、そして植物の光合成によって生み出される糖分があれば、どこをひっくり返しても驚くほど多種多様な生き物の営みを目にすることができるのです。

時として体調不良や痛みの原因となる自律神経の働きは、生き物のカラダを構成する細胞が、どのように自分たちの生きる環境を押し広げてゆくかというひとつのテーマのもとに発達しました。

恐竜展をはじめとする夏の生き物をめぐるさまざまなイベントを通じて、このことを掘り下げてみたいと思います。(つづく)

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スーパーサウルスの骨格です。カラダの大きさに対して顎が小さいと思いませんか? じつは、爬虫類は体温調整の機能を備えていません。このため爬虫類は、同じ大きさであれば哺乳類の十分の一程度のエネルギー消費で生命を維持することができるのです。次回は、この点を掘り下げてみます。