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カラダを科学する本格的整体ブログ

人間のカラダのおもしろさを、生命科学、スポーツコーチング、認知心理学、動物行動学など、越境しながら学ぶ未来派整体術。

呼吸(17)

2011-09-22 18:50:25 | Weblog

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このブログで幾度となく紹介してきた南一夫先生の『内臓体壁反射による観察と調整/概論』の韓国語版が、さる7月ついに出版されました。

イラストや本文の説明もハングル表記に改められ、細部にまで注意を払った丁寧なつくりになっています。韓国では民間療法の営業が許可されていませんので、この本は、当然のこととして医療関係者向けの本として出版されています。むこうでのセミナー開催など、今後の展開を楽しみにしています。 

 

(画像をクリックすると拡大表示されます)


さる10月24・25日、大阪のホテル・モンテ・ラ・スーで開催された一般社団法人身体均整師会の全国講習会で講師をつとめました。このブログで紹介してきた体内の器官の役割と機能についての考え方をベースに「脊髄神経反射の基礎」として講義しました。参加された方から、「話がわかりやすい」との声を寄せていただきました。

「呼吸の話」として2010.9月からこのブログで考えてきたことが、いろいろな意味で発展性をもっているのを実感しました。とくに大切だと思うのは、生命進化との関わりを意識しながら、体内における電磁気力(化学的な能力)の進化と、機械的な能力の進化を二元的な目でとらえることです。

前者は、おもに体内におけるタンパク質の合成能力によってもたらされ、後者は筋肉を中心に体内の器官や脈間の構造や形状によってもたらされます。消化管を例に化学的な能力と機械的な能力を整理してみると次のようになります。

体内での化学的な力の進化とは、つまるところ酵素の種類と活性の問題であり、DNAの遺伝子配列に依存する力といえます。一方、体内の機械的な能力の進化は、DNAを含む身体の発生過程に刻まれた力であり、ひとたび身体が作られたのちはおもに神経系による制御に依存する力といえるでしょう。

いずれのプロセスも、エネルギー源としてのATP(アデノシン3燐酸)によって生み出される活動です。したがって、呼吸による酸素の供給と消化管からの糖質の供給、それを使った細胞内での呼吸(内呼吸)が活動の必須の条件です。このような条件を生み出すためには、体内の血液循環が重要な意味を持ちます。

わたしたちの体内で末梢の血液循環のコントロールをおこなっているのは自律神経系です。そのような観点から、自律神経系の機能に対する理解が大きな意味を持つのです。

この点を少しくわしく見てみることにしましょう。

呼吸と生命の進化

あらゆる生命活動の基本は細胞にあります。機械的な能力の進化は、細胞の持つ生命力を飛躍的に増大させ、生物による環境へのコミットメントをより深くしました。

しかし、酸素のない地域、たとえば硫酸還元菌が活動するヘドロのなかや、無酸素あるいは貧酸素水塊のなかではほとんど生命の姿が見られません。機械的な力を発揮する生き物は、すべて多細胞生物であり、酸素を使って有機物を分解するための専用の器官であるミトコンドリアを細胞内に持っているという特徴があります。

「呼吸の話」は、そもそも呼吸というものが、わたしたちの身体の生理にとってどのような意味を持つのかということ明らかにするためにはじまりました。

その際、とくに呼吸の働きというものが、生物における機械的な能力の進化と結びついているという視点を持つことがとても重要だと述べてきました。

酸素は生物の生活圏にあるもっとも化学的な活性の強い物質です。それゆえに、生物の身体にとっても大きな脅威です。活性酸素というのは、酸素が体内で有害に作用するときに用いられる言葉です。

生物の進化にとって、酸素を利用できるか否かが一つのボトルネックになっていて、ここを通過できなかった生き物は、今日の酸素が豊富な環境では、無酸素土壌(湖沼のヘドロのなかなど)や無酸素水域(水の循環のない沼地の底など)に追いやられてしまったのです。

このような事実から考えると、生命活動のエネルギー源であるATPを作り出すためにその酸素を用いるということは、細胞にとって大きな賭けでした。現存する多細胞生物の細胞は、すべて細胞内にミトコンドリアを備え、酸素によって糖質を分解することによってエネルギーを生み出して生きているのですが、これはそのような細胞だけが、多細胞化を成し遂げることができたということを意味しています。下の図は、ミトコンドリアの概念図です。

すべてのはじまりはミトコンドリアの細胞内共棲

酸素を利用する上で重要な役割をはたすミトコンドリアは、特殊な性質を持った細胞内器官です。

わたしたちの細胞の持つDNAは、父親と母親の持つ遺伝情報を半分ずつ引き継いでいます。細胞内のさまざまな器官は細胞の核のなかにおさめられたDNAに基づいて複製されるのですが、ミトコンドリアだけは自らのもつ別個の遺伝子によって、ミトコンドリア自身からしか複製させません。

このことを受精の段階までさかのぼって考えるとおのずとわかることですが、わたしたちの体内の細胞が備えたすべてのミトコンドリアは、受精による父方母方の遺伝子の合体の影響を受けることなく、すべて卵細胞に備わっていたミトコンドリアに由来します。つまり、ミトコンドリアはすべて母親に由来するミトコンドリア独自の遺伝子に基づくものなのです。

このようなことから、ミトコンドリアは進化の過程で細胞内に取り込まれた共生細菌の一つであろうと考えられているのです。

このことはわたしたち生命の身体に二つの大きな画期をもたらしました。一つは、酸素の化学的な能力を活用した高能率のエネルギー産出です。このことをてこにして多くの多細胞生物が生まれました。わたしたちは、そのような多細胞生物の一つです。

そしてもう一つは、多細胞化による体内の分業化です。この分業化の過程で生命にとって不可欠となったのが、機械的な能力の活用です。化学的な能力を発揮するために、機械的な力が重要な鍵を握っていることを前々回に紹介しましたね。

機械的な能力と多細胞生物

化学的な能力は、物質を構成する原子核と電子の間に働く相互作用です。たとえば食塩として親しまれている塩化ナトリウムは、塩素とナトリウムの化学的な力によって生み出された化合物ですが、その際、塩素の電子とナトリウムの原子核が引き合い電子を共有することで、塩化ナトリウムの分子が形作られています。

このような電子と原子核の間の相互作用は、そもそも原子と原子が密着した短いスパンのなかでしか発生しません。たとえばアルカリ金属であるナトリウムは水と反応すると激しく燃焼します。しかし、水と接することがなければこのような化学的なエネルギーが発散されることはありません。

生命に備わった機械的な能力は、まさしく金属ナトリムを水と接触させ化学的なエネルギー(ポテンシャル)を解放するための杖のような役割をはたいしてるといえるでしょう。

たとえば、食べ物をつかんで口の中に放り込み細かく噛み砕くことによって、はじめて唾液のなかに含まれたアミラーゼが食べ物なかの含まれた糖質の原子に作用することができます。

空気に含まれた酸素を、横隔膜の力で肺のなかに引き込み血液と接触させることで、はじめて赤血球に含まれたヘモグロビンのなかの鉄分と反応させ体内に安全に取り込ませることができます。

解剖学書を開いてみると、わたしたちの身体はあまりに複雑で理解を寄せ付けない混沌のように見えます。しかし、原理的にとらえてみると、細胞の持つ化学的な能力と、これを助ける機械的な能力を生み出す器官との分業体制であることがわかります。

その基本的な姿は、単細胞の生き物と変わりがないのです。より正確にいうならば、単細胞の生き物が持っていた秩序をしっかりと維持しながら、これを拡張してきたといえるのです。

近年では、あらゆる生命現象を進化の観点から位置づけるとうことが、広く生命科学全体のなかで意識されています。進化のなかに、生命が自分の姿や形を作ってきた方法・論理というものが凝縮されているからです。

機械的な能力の進化

先ほどは、多細胞生物の起源を細胞内のミトコンドリアの共生というきわめてシンプルな進化的な出来事へとさかのぼってみましたが、機械的な能力を理解するうえでもこれと同じことがなりたちます。

生き物の機械的な能力を考える上で、このような点を理解しておくことがとても大切です。たとえば、わたしたちの運動能力と細菌やアメーバの運動能力とてるもなく大きなギャップがあるかにみえます。しかし、そこには同じ共通の素材から発達してきた確かな印が刻まれています。

多くの生き物は、機械的な能力を作り出すためにあらゆる場面でミオシンとアクチンという高分子の繊維質を使います。アメーバも粘菌も軟体動物も脊椎動物も節足動物も共通です。そして、わたしたちの筋肉の収縮もこのミオシンとアクチンの繊維の滑走という現象によって引き起こされています。

細胞の作りだす機械的な能力には、いま紹介したミオシンとアクチン以外にも、繊毛によるもの、鞭毛によるものの3つがあります。いずれも単細胞も生き物のなかに見出される機械的な能力です。

生物の多細胞化が、ミトコンドリアの細胞内共生というとてもシンプルな出来事に帰着したように、機械的な能力の進化も、多くの生き物に共通するシンプルな現象の応用によってなりたっているのです。

いま紹介した3つの機械的能力は、いずれのわたしたちの体内で活用されています。繊毛による運動は、気管の上皮細胞や腎臓の糸球体などで見られます。鞭毛による運動は精子の運動に活用されています。ミオシンとアクチンによる運動は、あらゆる細胞の細胞分裂をはじめ、消化管の平滑筋や心臓の筋肉、骨格筋で見られます。

(つづく)

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呼吸(16)

2011-06-15 07:01:22 | Weblog

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前回、身体の内圧のお話をしました。身体の内部の圧力というものは呼吸にとってもそうですが、さまざまな身体の働きにとってとても重要な問題です。

これまで生命活動の基本は電磁気力による物質の合成力にあると述べてきました。これに対し、体内の圧力とか器官の運動能力は機械的な力(仕事)です。

これまで小腸や肺に注目して、器官のもつ電磁気力と運動能力の関係を紹介してきましたが、このような関係はつきつめれば多細胞生物の生命活動全般を特徴付ける特徴です。

伝統的な生物学では、おもに機械的な仕事の能力の観点から生き物の進化をとらえてきたののに対して、90年代以降の分子生物学や遺伝子工学の進歩に支えられた生物学では電磁気力の観点から生命の活動をとらえることに主眼が置かれてきました。

もちろん両者は相互に補完的な意味を持っていて、より総合的に統一されてゆくことによって生命の成り立ちといいものがよりはっきりと理解できるようになります。わたしたち人間が、なぜこのような姿をし、このような生活をしているのか、すべての出発点はこの点にあるといっても過言ではありません。

このことは、医学にもそのまま跳ね返ります。分子生物学や遺伝学観点から考えられた健康と、さまざまな運動の観点から考えられた健康は、本来別々のものではありません。

両者が統合されて、わたしたちの生活に役立ち、生活設計の指針を与えてくれるものとなることが望まれています。

今回は、このような観点に立ち返って、このブログ(『呼吸』についての解説)で展開している話題の意義をよりはっきりさせてみたいと思います。


生き物を支える機械的な仕事能力

これまで説明してきたように、生き物の活動は、基本的に電磁気力によってさまざまな物質を合成したり分解することによっていとなまれています。電磁気力とは量子力学の概念で、原子のなかの陽子と電子の間に働く力です。

具体的には、ある物質の原子が他の物質の電子をとらえようとしたり、ある物質の電子が他の物質の陽子と結びつこうとして発揮されるとても強い力です。この力はとても大きな力です。しかし、私たちの生活する日常世界では、電磁気力の大きさを実感する場面はあまり多くありません。

重力については、荷物を持ったり階段を登るときなど、たえず身近に感ずるのに、なぜ電磁気力は意識することがないのでしょう?

じつは、ここに、わたしたちの身体にける電磁気力と機械的な力の関係を考える、とても重要な問題がはらまれているのです。

物理学(量子力学)では、物質を構成する力には4つの種類があることが明らかにされています。

一つは核エネルギーです。原子核が分裂したり融合して壊れるときに出る力で、とても強いエネルギーを発します。この威力は、福島原発の爆発でいやおうなく日常の世界にさらけ出されました。

次に電磁気力で、これは原子核の陽子と電子の間に生ずる力です。核エネルギーほどではないけれども、やはりある程度、強い力を持っています。一般に化学物質の力、たとえば物が燃えるとか、ダイナマイトが爆発するとかといった力は、電磁気力になります。

そのほかに、重力、弱い力の二つを加えた4つが、物質世界を構成している力です。

電磁気力が日常の生活空間であまり実感されないのは、そのエネルギーの大きさと関わりがあります。電磁気力は、きわめて強いために、日常の生活空間では安定した状態に至るまで即座に発揮されてしまうからです。

たとえばわたしたちの身体には、さまざまな物質が取り込まれています。その一つ一つの原子ではたえず何らかの電磁気力を発揮しています。しかし、この力は即座に他の物質と反応してエネルギー的に中立的な状態になっています。

なかには電解質の形で、わたしたちの体内を漂っている物質もあります。これらの物質は、酸素を運搬したり、糖分を分解したいり、たんぱく質を分解するために役立っています。そして、生きているかぎりはたえず一定の秩序にしたがってコントロールされ、全体としてわたしたちの肉体を電気的に中立な状態にたもっています。

仮に死んでしまうとどうなるでしょう? たとえば胃にたくさんの酸(胃酸)がありますが、この電磁気力によって内臓の壁が溶けてゆきます。また空気中や肺にある酸素によって、無秩序に組織の酸化が進んでゆきます。生きているということは、このような身体の内外にある電磁気力を統御することでもあるのです。

病院の検査でさまざまな血清成分の濃度をはかりますが、これはこのような物質秩序が保たれているかを知るための検査です。

現代の医療は、まず体内の電磁気力のバランスがしっかり保たれているかどうかという点に、疾病のシグナルと読み取ろうとしていることを示しています。

このような事例を考えていただけばわかるように、通常わたしたちは、さまざまな電磁気力が中和された世界、体内的には適切にコントロールされた世界に生きているといってもよいでしょう。起こるべく化学反応はとめることはできませんが、ほっておけばどんどん進行し、安定した状態でバランスをとっていると考えてよいのです。

そのようななかで、鉄がさびるとか、石鹸で汚れが落ちるとか、ものが燃える、雷が落ちるとかといった現象は、電磁気力の片鱗を垣間見せてくれるわかりやすい現象といってよいでしょう。

 

機械的な力の意義

このような環境で生物が電磁気力を活用するにはある程度の手助けが必要です。

たとえばナトリウムやカリウムなどの金属は水と反応すると水素を発生して燃焼します。これは電磁気力による現象です。しかし、それぞれを別々の容器にいれて隔離しておけば反応しません。電磁気力が発揮されないのです。

電磁気力を発揮させるためには、ナトリウムやカリウムを容器からだして、ビーカーのなかで水と混ぜなければなりません。わたしたちが手足でおこなう仕事、このような仕事を「機械的な仕事」と呼びますが、機械的な仕事の手助けによって、電磁気力が発揮されやすい条件を整えなければならないのです。

木々の葉っぱなどは、枯れ落ちる過程ですでに空気中の酸素の酸化作用で分解されていますが、実際には細菌や菌類などが取り付いて分解されてゆきます。

細菌や菌類は、その過程で大きなエネルギーを取得し、細胞分裂して増殖します。

しかし、これらの生き物は、木々の葉っぱをかき集めたり、小さく刻んだりするような機械的な力を持ちません。日ごろは、土のなかや空気中にシストと呼ばれる休眠状態になってじっとしています。

雨などが降って落葉した木々の葉っぱや枯れ枝などが湿った状態になると、表面に取り付いて活動をはじめエネルギーを取り出すことができるのです。

ほぼすべての生き物は、電磁気力によって炭水化物を分解して生活のためのエネルギーを得ています。この炭水化物はそもそも植物の光合成によって生み出されたものです。

植物は、葉緑体のなかで太陽エネルギーを利用して炭素と水から炭水化物を合成します。つまり炭水化物には、そもそも太陽から注がれた膨大なエネルギーが固定されているのです。

このエネルギーは、たんに砕いたり、すりつぶしたり、かき混ぜたりといった機械的な力では取り出すことはできません。電磁気力によって分解することによって、はじめて大きなエネルギーを引き出すことができるのです。

細胞は、このようにして自らの生活に必要なエネルギーを得て、生活を成り立たせているのです。

細菌や菌類は、機械的な力は持ちませんが、電磁気力はしっかりと持っています。電磁気力はすべての細胞に備わった基本的な力です。

細菌や菌類は、機械的な力が使えないという制約がある反面、エネルギー消費をとても小さく抑えることができます。そして、身近な条件が整うまで辛抱強く待つ能力を備えているといえるでしょう。

 

機械的な仕事を活用するとは?

木々の葉っぱを巣のなかに運び込んで細菌や菌類を増殖させ、増殖した細菌やきのこを食べるアリ(ハキリアリ)がいます。

このは、アリは顎や手足を使って機械的な仕事をおこない、利用しやすい形態で日常世界からエネルギーを取り出しています。

太陽から注がれた膨大なエネルギーは、植物の体内で炭水化物に合成され、植物の体内に蓄えられています。ただし、植物の身体のなかにたえず利用しやすい形(エネルギーを取り出しやすい形)で存在するわけではありません。

植物の身体は、セルロースと呼ばれる硬い骨格で細胞が保護されています。このセルロースを分解するために多くのエネルギーが必要なのです。

仮にわたしたち人間が、木々の葉っぱを一生懸命噛み砕いて、胃や小腸に送り込んでも、機械的な仕事に見合うだけの十分なエネルギーを取り出すことができません。そればかりが、処理できない有害な物質を含んでいてとても食べられたものではありません。

したがって、炭水化物を含んでいないわけではないけれども、木々の葉っぱの栄養価は「0(ゼロ)」ということになります。わたしたちには、利用することのできない炭水化物なのです。

この点はハキリアリも同様です。しかし、木々の葉っぱを食べることができるきのこや細菌の身体は、ハキリアリとって、十分にエネルギーを取り出しやすい食べ物になります。十分に栄養価のある食べ物なのです。ハキリアリの例に見られるように、機械的な力を活用すると、有利な形で生活環境からエネルギーを取り出す可能性が生まれるのです。


生物進化の二つの方向性

一般に栄養価は、分解に必要なエネルギーと得られるエネルギーの差し引きで決まります。

動物の持っている消化管の能力には、適正な分解力というものがあります。いま紹介したように、木々の幹や葉っぱをそのまま食べていたのでは、わたしたちは十分なエネルギーを取り出すことができません。

食べる、噛み砕く、消化するなどの機械的な仕事をこらしても、そのことで失うエネルギーの方が多ければ、その食べ物はわたしたちにとって栄養とはならないのです。

しかし、ハキリアリのように、木々の葉っぱを利用して細菌やきのこを増殖(栽培?)すればそこから大きな栄養を得ることができました。

さらにいえば、このようにして養われたハキリアリの肉体は、栽培されたきのこや細菌以上にエネルギーを取り出しやすい形態、つまり栄養豊富な食べ物になっています。

このハキリアリの肉体を食べるためには、二つの方法があります。

一つはハキリアリの身体に取り付いて、より高い繁殖力や分解能力を発揮すること、つまり電磁気力を高めて直接食べてしまう方法です。

こういった性質をもった生き物のことを、病原菌と呼びます。そして身体に取り付く能力のことを感染力といいます。これは、細胞の持つ電磁気力によって、ハキリアリの進退を食べ物にしていまおうとするもので、おもに原核生物=細菌類に見られる進化の戦略です。

もう一方は、ハキリアリを上回る機械的な仕事の能力をそなえて、口から食べ物としてハキリアリを食べてしまうとするものです。

アリはとても個体数の多い生き物ですから、さまざまな方面からアリを食べるために特別に進化した生き物がたくさんいます。よく知られているのはアリクイで、長い舌をのばしてなめとるようにアリを食べることができます。

先ほどの原核生物の進化戦略とは対照的に、こちらの生き物は、機械的な能力を高めて栄養価の高い食べ物を利用しようとする進化の戦略をとった生き物といえるでしょう。

じつは、このような多元的な進化の痕跡が、今日のわたしたちの身体のなかに、さまざまな形で残っています。

生きるということは、たえず他の生き物の食べ物にもなりうるという、宿命を負っているのです。

(つづく)
 
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呼吸(15)

2011-04-20 11:59:25 | Weblog

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わたしたちの体内には、運動する能力を持った器官と、運動しない器官のあります。たとえば肝臓、腎臓、脾臓、脳などは、それ自身は運動する能力を持たない器官です。

(ただし繊毛などで水流を制御する能力や遊走する細胞で異物を貪食する能力なども含めると、まったく運動する能力を持たないともいえないのですが・・・。)

一方、消化管や呼吸器、循環器はいずれもそれ自身が運動する能力を持った器官です。そして、消化や吸収、呼吸の能力において、器官のもつ運動能力が重要な意味を持つことを、これまで繰り返し紹介してきました。

前回はとくに、このような体内器官の運動における「内圧の平衡性」についてご紹介しました。

たとえば血圧を測定するとき、上腕を圧迫するカフにかかる空気圧によって、間接的に血管の内圧を計測します。これは、液体の内部では、すべての点で内圧が平衡するという性質、一般に「パスカルの原理」として知られているものの応用です。血圧の測定は、このような圧力の均質を前提にしてはじめて成り立つのです。

直感的には誰もがよく知っていることですが、ブレーズパスカルの有名な流体静力学の原理「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当りの圧力をそのままの強さで、流体の他のすべての部分に伝える」という性質があります。

これは、密閉容器内の流体は本来、「内圧の平衡」した状態にあるということを示しています。生命活動とは関わりなく生み出される物理現象です。

生体内部は、全体が一つの密閉容器であり、さらに血管、結合組織、筋肉、体内器官など一つ一つがより小さな密閉容器を作っていると考えてよいでしょう。つまり生体内部は、いくつものコンパートメントに分かれた密閉容器の集合体なのです。

じつは、このように考えるととても説明がしやすくなる現象があります。すこし、呼吸器から離れますが、呼吸器の特殊な性質を理解する大きなポイントですから、少し掘り下げてみましょう。

たとえば尿意を感じておしっこをするとき、膀胱内圧の上昇が生じています。内圧の上昇が尿意のスイッチとなり、同時に尿意をとめるスイッチともなっています。

生体内は、全体が一つの密閉容器のようなものですから、指先などで外から下腹を圧迫しても尿意を引き起こすことができます。

あるいは、トイレで大を足すとき、直腸の筋肉が働いて内容物を押し出すのにあわせて下腹の内圧が高まります。このとき、多くの人は尿意が高まります。

イヌやネコの場合、かならずしも尿意と便意が一致しないように見受けられます。これは四足の生き物の腹部が、背骨からぶら下がった状態にあって、そもそも強い圧力を受けていないからではないかと考えられます。腹腔の内圧がそもそも低い状態にあるから、イヌやネコの場合に尿意と便意が一致する必然がないのです。

なかには膀胱の容積が満たないのに尿意や膀胱の痛みを感ずる方があります。前立腺が肥大して膀胱を圧迫していたり、女性の生殖器脱のある方に起こる症状です。

このような現象のなかには一定の原理が働いています。まず第一に膀胱のような器官の内圧が基本的に平衡であること、第二に指による圧迫や直腸圧の上昇、前立腺や生殖器官の位置異常など、外部からのの圧迫はそのまま内圧の上昇に結びつくこと、第三にこのような内圧の上昇はたえず神経系によって感知されていて内圧の変化に対し、これを平衡に戻すように生体が反応を起こすこと。

このことからわかるように、一件複雑に見えるわたしたちの身体は、全体が閉じられた水袋の性質を持っていて、圧力の変化がさまざまな生理反応を生み出す重要なスイッチとなっているのです。

このような内圧の平衡の考え方は、骨組織にも当てはまります。

骨組織は、広い意味での結合組織ですが、硬く鉱物的です。化石のような形で死後も長くもとの形態を保持する組織です。だからわたしたちは、遺骨というものに、特別の意味を感じてきたのだと思います。

このようなことから、わたしたちは骨組織をなんとなく無機的な非生命的な存在と考えがちですが、骨の周りには骨膜があり、多くの神経が分布していて、骨折をすると強い痛みを発します。

骨のことを、無機的な非生命的な支柱のように理解していると、なぜ骨膜に多くの神経が分布しているのかが理解できません。骨膜の感覚は日常的なあまり意識されないので、生理学でもほとんど蚊帳の外に置かれた感があります。

しかし、骨組織を一つの密閉組織だと考えるとどうでしょう。

生体内の多くの器官は、一つの密閉組織として管理されていて、内圧の変化がたえずモニターされていると考えてみてください。

こう考えると、骨膜に多くの神経が分布していて、骨にかかるせん断力や歪力をたえずモニターしていることが理解できます。他の器官と同じく「内圧の平衡」の原理にしたがっているのです。

ぎっくり腰で強い痛みの生ずるような場合、ほとんどは特定の腰椎が強く後方に張り出し、関節内圧の平衡が保てなくなっています。そして、とくに腰痛の関節が平衡状態になり、強い筋力が発揮される身体の前傾位置でふっと腰の力が抜けてしまいます。

わたしたちは意識していないけれども、骨組織は、自分にかかるせん断力や歪力が一定の限度を超えないようにたえず周囲の筋組織に情報を発信しているのではないでしょうか。膀胱内圧がたかまって尿意が高まるのと同じ原則が働いているというわけです。

そもそも駆けたり、階段を駆け下りる動作では、体重の5~6倍の力が下肢にかかります。しかし、それだけの重みを支えるには、骨組織はあまりに脆弱です。現に、なにげなく手をついただけで骨折したという例がたくさんあるのです。

このような条件のものもとで骨組織が壊れないように保つためには、内圧の平衡にそった骨組織への防御の仕組みを仮定しないと説明がつかないように思われます。

どのような物理エネルギーも、高度な情報処理をおこなえば、信じられないような仕事に変換することができます。

お湯を沸かす仕事から得られるエネルギーは、単純に使えばジャガイモをゆでるとか、入浴して身体をたためるくらいにしか利用できませんが、もし伝達可能な情報の形に変換すれば、パソコンの画面表示や動画の配信、ネエオンサインやコンピュータゲームのような形で利用することができるようになります。

わたしたちの身体は、身体の重みによって生ずるエネルギーを、内圧の平衡の原理を応用して読み取り、運動の制御や身体運動のエネルギーへと転換して利用しているというわけです。

そもそも圧力に対する感受性は、生命が単細胞の生活を営んでいたころから受け継いできた基本的な性質です。さまざまな深度で生活している海の生き物のことを考えると、そのことがよくわかります。

生き物の身体を構成している細胞は、じつはわずか2層の脂肪分子の薄い膜によって外界とヘだてられています。たとえるなら牛乳の皮膜に覆われた水滴のようなものといってもよいかもしれません。

もしこれが、閉じられたビニールの水袋であれば、深海のような高い水圧の環境では押しつぶされてしまうでしょう。

自らの形を保ち続けるためには、膜のうちとそと、つまり体内と体外の圧力差をなくすような働きを持っていることが不可欠なのです。

深海とか湖底のような高い水圧のかかる環境にある生き物は、わたしたちからは想像がつきませんが、高い圧力をもった細胞を持っているはずです。それぞれの生き物は、自分の生活環境と細胞の内圧を平衡状態にすることで生きてゆくことができるのです。

5000mを越える高山に登るときには、高地順応のために3000m付近でしばらく身体を慣らしてから登山をおこないます。もし高知順応をおこたると、顔や手足、とくに肺の内部の上皮細胞がパンパンに腫れて、肺水腫で命を落とすこともあります。

平地で買った袋菓子をもって山に登ると、1000mくらいの高さで袋がパンパンに膨らんでしまいます。これとおなじことが体内器官に起こるのです。

このような圧力の変化に対して、わたしたちの身体が内圧の平衡を保とうとする性質を持っていなければ、高地順応という手続きが意味のないものになっているでしょう。

わたしたちの身体は、深い海の底や5000mを超えるような高山で生きてゆくことはできていないけれども、内圧の平衡に対する感度を持っていて、ある程度の圧力の変化に対して自らの力で適応し、体内の細胞の秩序を保っていることが理解できるでしょう。

さて、じつはこのような観点で見ると、むしろ細胞の存在が周囲の圧力変化の危険にさらされる機会は、陸上の方がずっと大きいことが分かります。

水中に生活していることは、生命の身体も外部の環境も、総じて圧力の平衡の取れた状態にあります。

しかし、陸上では、生命は自分の体内こそ密閉された空間として保つことができますが、身体の内と外で、大きな圧力の差が生まれてしまいます。

気圧と水圧では、そもそも周囲の圧力環境に大きな違いが生じます。

そして、水中では、周りの水の水圧に押されて、身体のあらゆる部分が体重を支える支持面として作用しますが、陸上の生き物では、自らの重みをすべて足裏面で支えなければなりません。

わたしたち人類に当てはめるなら、同じ静脈でも、下肢の静脈では、頭部周辺の静脈とは比べ物にならないくらい大きな圧力にさらされることになります。頭部を浅い海面にたとえるなら、足先はいわば深海で生活する別の生き物といってもよいくらい大きな圧力のなかで細胞の活動がおこなれます。

だからといって内圧の平衡という基本的な原理をまったく捨て去ってしまったかというと、けっしてそうではありません。むしろ内圧の平衡という原則をうまく活用しながら活動の場を拡張してきたと考えられある材料がたくさんあります。

内圧の平衡といっても、とくに陸上で直立姿勢をとるわたしたちのような多細胞生物では、さまざまな複雑な事情が働いてくるのです。

次回は、この点にもう少し踏み込んでみましょう。呼吸器の働きには、このような内圧の生理的な作用についての理解が、重要な鍵を握るように思われるのです。

(つづく)
 
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呼吸(14)

2011-03-24 08:00:47 | Weblog

【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
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震災の日から、ようやく二週間がすぎようとしています。いまだに余震がつづき、原子力発電所の事故や計画停電、さまざまな物資の不足などもあって、落ち着いた日々がもどってくるには少し時間がかかりそうです。

創健堂にいらっしゃる方も、みなさんいずれもいつになく緊張されているように見受けられます。11日の金曜日以来、とてつもなく長い時間が経過したように思うのはわたしだけでしょうか?

一日にも早く復興がすすみ、被災されたかたがたの生活に安心と落ち着きが戻ってくることを願っています。

さて、作年夏から予告をしていたのですが、先日ようやくHPのリニューアルを終えました。下は、そのトップページの様子です。

 

まだ工事中のページもありますが、全体としてかなり内容の加筆しました。ブログについても、この「カラダを科学する」ブログとあわせて、日常生活での姿勢の観察を紹介するブログをはじめました。

新しいHPの「院長」のページに両方のブログのリンクをはりました。いつもお読みいただいている方々には本当に感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします。

こちらのブログでは、今後とも身体生理の踏み込んだ話題について紹介してゆきたいと思います。原稿をまとめるのに時間がかかってしまって恐縮ですが、今後ともお付き合いをお願いいたします。

さて、前回は呼吸をテーマに、肺における運動機能について説明をしてきました。

現在、医療の現場でも「呼吸指導士」という資格がつくられて、お薬中心の治療の欠点を補おうとする取り組みがでてきました。大きな書店の医療関係のコーナーにゆくと「呼吸指導士」の資格試験用のテキストがたくさん並んでいます。とてもよいことだと思います。

とはいえ呼吸と運動との関わりは、医療現場のような管理された空間だけの問題ではありません。日常の仕事や生活の空間で、いかに自立自助してゆくかということが大切だと思います。

これまで紹介してきたように、わたしたちの肺は、かなりの密度で上皮細胞、間質、血管が押し詰められた空間です。一回一回の息の出し入れごとに、密集した「上皮細胞」の湿り気を帯びた隙間を、乾燥して比重の軽い「空気」が出入りするわけです。かなり大きな困難が伴います。

肺胞表面の上皮細胞が分泌するサーファクタントがとても重要な意味を持っていることはいうまでもありませんが、これらの細胞を袋状の形態に保っておく「間質」の弾性繊維の網の目の構造がとても重要であることはいうまでもありません。

間質の弾性繊維は伸縮性を持っています。横隔膜の力で胸腔が押し広げられ、その圧力(陰圧)で肺が拡張されるるときは、引き伸ばさればねエネルギーを蓄えます。肺胞の拡張を制御するのです。

横隔膜がゆるんで胸腔が小さくなってゆくときは、逆に縮んで肺胞が自然にもとの形状にもどるようにリードします。

肺の運動は、胸腔の外側をとりまく筋肉(肋間筋や横隔膜)によって引き起こされ、間質の弾性繊維によって作られた区画(パーテイション)の伸縮をもたらします。その結果、そこに貼り付けられた上皮細胞のシートが、漏れなく均等に引き伸ばされたち縮んだりするようにできているのです。

さて、肺と腸は人体のなかでもとりわけ大きな上皮細胞のシートを持った器官です。いずれの器官も上皮細胞の作り出す広大な面積をいかに有効に活用できるかに、器官の能力がかかっています。しかし、それぞれの器官の運動の仕方に大きな違いがありますね。

その際、いずれの器官においても重要なのが、「内圧の平衡(均等)」だということを憶えておきましょう。これは、広大な表面積をもつ器官の宿命といってもよいでしょう。

たとえば、ある部分だけが引き伸ばされたり、大きな圧力をうけ、ある部分は縮んで不活発なままであったとしたら、表面積20平方mといっても、見かけだおしです。肺や腸の機能の多くは、使われることなく終わってしまうでしょう。

ただ「内圧の平衡(均等)」を生み出す方式に肺と腸では大きな違いがあります。これは、酸素の吸収と食物の吸収という性質のことなる仕事のためです。とくに地上での生活において、このことが顕著になります。

呼吸で扱う酸素や二酸化炭素、水は、2~3個の原子で作られた低分子の物質です。中学校の理科(=「無機化学」)で扱う物質です。吸収するのにさして化学的エネルギーを必要としない物質といってもよいでしょう。

これに対して、腸から吸収する糖質やたんぱく質、脂肪は極めて高分子の物質です。お肉の主成分であるたんぱく質は3万個に及ぶ原子によって作られています。高校の生物(=「生化学」)で扱う物質です。体内に取り込んだり、取り出したりするのに、とても大きな化学的エネルギーを必要とします(わたしたちは、これを分解するときの熱で生きているのですが)。

水中で生活しているときは、いずれも水の中に溶け出した形で漂っています。高分子のエネルギー源も、微生物やさまざまな生き物の消化作用で分解され、ある程度分解された溶液状態(スープ状態)でただよっています。

前回紹介したクラゲなどの腔腸動物(ポリプと呼ばれます)では、呼吸系と消化器系は特に分離されていません。「胃水管系」と呼ばれる袋状の体内器官に取り込まれ、同じように吸収されるのです。

ある程度安定した環境が長い時間にわたって持続していると、生物はかならず一定の進化を起こします。その結果、より運動能力の高い、よい高エネルギー消費型の生き物が生まれてきます。一般に、生態系の頂点に立つ生き物です。

海では、脊椎を持たない生き物の頂点にイカがおり、脊椎を持つ生き物の頂点にクジラやシャチなど哺乳類がいます。

これらの生き物は、化学的の面から見ても理にかなった身体を持っています。高度な運動能力は、発達した神経系と筋肉組織なしには生まれません。これら、高エネルギー消費型の器官を使い切るには、肺と腸の発達が不可欠なのです。

より高度な酸素の吸収能力、より高度なエネルギー源の吸収能力が、高い捕食能力の基盤なのです。

いいかえると、肺と腸の上皮細胞の面積をできるだけ大きくし、できるだけ無駄な使い切ることがこれらの生き物の特徴になっています。

もちろん、同じ面積を小さな身体のなかに押し込んで、しっかり使いきれてこそ、高度な能力が生まれるのです。

数回前に、爬虫類や両生類のキャリアー制約について紹介しました。これらの生き物は、広大な肺の表面積をコンパクトに体内に納めることが出来なかったために、運動と呼吸がうまく両立できませんでした。このため「待ち伏せ」によって捕食活動をしなければなりませんでした。

呼吸量が少ないということは、神経系の発達にも大きな制約をもたらします。

ライオンや犬、猫など、とくに肉食獣の子供は、じゃれたり、遊んだり、兄弟同士で取っ組み合いをしたりしながら成長します。これらの生き物は、学習をつうじて、生まれ持った運動能力を、デザインしなおす能力も備えているのです。

爬虫類の脳は、わたしたちの脳幹と呼ばれる部分で構成されています。その多くは、運動機能の調整に関わる神経系です。これに対し、哺乳類の脳は、大きな大脳がのっかりました。情動に関係する神経系、記憶に関係する神経系が加わり、運動機能を調整す小脳もとても大きくしわだらけになりました。

わたしたの持つ運動能力の可塑性(彫刻できる能力)は、脳という器官ならではの能力です。これこそが、肺の能力の発達によって哺乳類が獲得したもっとも大きな力といってもよいのかもしれません(たとえば鳥類と比べたときに)。

次回は、こういったことを下敷きに、肺と腸で生み出される「内圧の平衡」の違いに注目しながら、肺の運動を見てみることにしたいと思います。

(つづく)
 
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呼吸(13)

2011-02-22 12:47:45 | Weblog

【増刷】南一夫『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』
(韓国語版出版決定、日本語版も増刷中)
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身体均整師会hpリニューアル
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任天堂のwii Fit ボードを購入しました(下図)。一昨年来、理学療法関係の方々の間で話題になっていましたが、先日、身体均整師会の札幌の全国講習会で実際に使っている様子を見ることができました。

 

モバイルパソコンにbruetoothを接続して、信号の受け渡しができることも確認できました。重心動揺の計測を考えていますが、解析ソフトなど配布されている方があるようなので、申し込んでみようと思っています。いずれ経過が報告できるとよいと思っています。

さて前回は、身体の器官における運動の能力について考えましょう、というところまでお話をいたしました。医学では、肺の「実質」と「間質」という風に〈場所)によって呼吸器の疾患を分類して考えていますが、運動という観点で見ると「間質」が大きな役割を果たしていると申しました。

まず、「間質」が運動に対してどういう役割をしているのか具体的に見てみましょう。

肺の「実質」の方は、肺胞の内壁を構成する領域で、外界と直接接している領域です。細胞という観点から見ると、たくさんの細胞がギャップ結合と呼ばれる強固な接着方法で結合され、びっしりと敷き詰められたシート(上皮細胞のシート)になっています。この上皮細胞のシートは、人間の身体の内部と外部を分ける障壁の役割をはたしているのです。

一方、「間質」の方は、実質の領域と違って細胞がまばらにしか分布していません。細胞同士の空間はヒアルロン酸が充填されたが空間(水袋というべきか)になっていて繊維性のコラーゲンが分布しています。前々回に紹介したように弾性繊維と呼ばれる比較的強固なコラーゲン繊維が強固な網の目をつくっているのです。

このように、「間質」の領域はかなりの弾力性をもった空間(水袋)になっていて、変形が可能な領域なのです。間質が、肺の運動性を作るのは、このような理由によるのです。

コラーゲン繊維はたんぱく質の繊維で、引っ張りに強く弾力性を持っています。もちろん、このコラーゲン繊維を作り出したのは細胞(繊維芽細胞と呼ばれる)です。前回紹介した血液同様、人間の化学力によっては作り出せない複雑で高度な分子構造を持っています。

ヒアルロン酸とかコラーゲン繊維という言葉はどこかで耳にされたことがあるでしょう。たとえば膝が痛いときに整形外科で関節にヒアルロン酸の注射をしてもらったとか、「肌の張りがなくなるのはコラーゲンが不足するからだ」といったり、ほとんどは肺以外の部位の話だと思います。

じつは、肺の間質の構成は、皮下の組織や関節の内部と非常によく似ていますです。腸も、心臓も、腎臓も、表面の細胞層(上皮細胞のシート)の下は、みんな同じような作りになっているのです。

組織学では、こういった領域を「広義の結合組織」と呼んでいます。皮膚の運動性も関節の運動性も、肺の運動性も、腸の運動性も、心臓の運動性も、すべてこの結合組織に依存しているという点では一緒です。

そう聞くと人間の身体がやけに単純に見えてくるかもしれません。わたしたちの身体は元はたった一つの細胞(受精卵)なのです。ある意味では当然のことなのです。

大きな目で見ると、細胞の化学合成力はすべてたんぱく質の合成です。おなじように、運動について考える際にも、すべてに共通する基盤に焦点をあわせてみると、とても単純な生き物特有のやり方というものが見えてくるのです。

なぜこんなつくりになっているのでしょう? そんなこと頭で考えても分かるわけがないと思われるかもしれません。しかし、じつはそれほど難しい問題ではありません。ヒントは、たった一つの受精卵から身体がつくられたという点にあります。

わたしたちの身体は、そもそも受精卵がもっていた秩序にそって作られています。そして、すべての生物が同じ秩序にそって身体を構成しています。近年の生物学のもたらした成果を利用しながら、じっさいに結合組織を持っていない生き物の生態を見てみるとよいのです。

結合組織を持たない生き物とはどのような生き物かというと、上皮細胞のシートだけでできた生き物です。たとえばポリプと呼ばれる生き物、イソギンチャクとかクラゲなどの刺胞動物がこれに相当します。また雨上がりの林や植え込み沿いの道路などで目にするコウガイビルは、体内に空間を持っていますが、ヒアルロン酸やコラーゲンに相当するものが充填されていない状態(偽体腔と呼ばれる)の生き物です。

葛西臨海水族園のクラゲの動画をyou tubeにアップしてみました。

http://www.youtube.com/watch?v=5RAe-0e6Abc

クラゲは運動能力を持っています。しかし、筋肉があるのは傘の先端部分だけです。ここにある環状筋と呼ばれる筋肉が伸び縮みして全体がゆらめいています。しかし、その身体は、外側と内側の上皮シートが中膠といわれるコラーゲン繊維で結び付けられただけです。

バネが縮むような勢いもありませんし、水を押しのける硬さもありません。優雅でのんびりしてなんとなく癒される動きですが、運動というものの基本的な性質を考えるとなんとももどかしい動きです。

上皮細胞は身体と外界の境界を作る細胞群です。さまざまな情報の処理をおこなうことも必要ですし、損傷しやすいので活発に細胞分裂もしなければなりません。上皮細胞が運動の能力を持たないのは、このような外界との障壁としての役割をまっとうするためです。

運動を作り出す細胞は、この上皮細胞の裏側に、さまざまな分化して発達します。筋肉、骨格、繊維性の組織などがこれに相当します。

身体をつくる組織の構成が、運動上、どのような制約をもたらすかなんとなくイメージしていただけたでしょうか?わたしたちの莫大な表面積をもった肺は、運動の能力を持たなければ機能しないことはよくご存知のとおりです。

紹介したミズクラゲの表面積(直径20cmのものとして約314平方cm×2)ですが、肺の表面積はその約1800倍(100平方m)もあります。そこに5リットルの血液の16%、ほぼ800ccがあって、一回の拍出25ccが送り出されます。

表面積の発達と運動能力の発達は、呼吸の能力の両輪なのです。じつは、このような広大な肺の表面積をつくることは、じつは生物の論理からすると難しいことではありません。下の図をご覧ください。

生き物の身体は、たとえば木々の枝の伸び方、根のはり方を見ていただければわかるように、ちょっとした成長時間の違い(細胞分裂の回数の違い)で一気に表面積を増やせるようにできています。

問題は結合組織の発達の側にあります。この点を理解するためには、結合組織がどのように運動を作っているのかという点をあきらかにしなければなりません。次回は、この点からはじめてみたいと思います。

(つづく)
 
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呼吸(12)

2011-02-04 16:58:11 | Weblog

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今年の冬は空気の澄んでいるという点では、まれに見る年かもしれません。「見ると長い生きできる」という伝説をもつ「カノープス」という星が、東京あたりの緯度でも見ることができるというお話を先日、お客様に教えていただきました。

カノープスは、りゅうこつ座の星で、太陽をのぞくとシリウスのついで明るい星だそうです。東京からは、南の地平線から2度の高さにあるそうで、よほど空気が澄んでいないとまず見えることはないそうです。この冬の東京は寒くて乾燥がきついのですが、なにか記憶のかたすみに残る冬のようにも思えます。

空気のきれいさを実感させてくれる写真をいくつか紹介して見ます(幅が広いのスクロールしてご覧ください)。

さて、冬休みから急ピッチでhpのリニューアルの作業をつづけています。内容を詳しく見直すのは久しぶりなので、あらため興味深く再読しています。

昨年度は、統合医療学会にむけて身体均整法のエビデンスという趣旨で論文を書きました。またこのブログの冒頭でいつも紹介しております南一夫先生の『内臓体壁反射による異常観察と調整テクニック/概論』の編集・出版作業も二年前になりますが、このホームページの原稿以降の仕事です。

南先生の本は、韓国語の翻訳作業も終わり、まもなく出版にいたる運びですが、韓国のスタッフの方々のご尽力もあって大いに期待が高まっています。

こういったさまざまな経験は、わたくにとって大きな勉強でした。今回のリニューアルでは、こういった経緯をふまえてより豊富な材料を生かしたいと思っています。とかく聖体とか手技療法というものは不明瞭で神秘がかったものと思われがちですが、わたしは、簡明でわかりやすということに本来の価値があると思っています。大切なのは、業者の利益ではなく、利用する人たちにとっても価値です。その意味で、これまで以上に身近なわかりやすい手引きになればと思っています。まもなくアップできると思いますので、よりお願いいたします。

さて、前々回まで、肺の働きについて説明してきました。肺の機能の回復、安定をどのように図るかが課題でした。その基盤は細胞です。わたしたちの健康の基盤も細胞にありますし、肺の能力の基盤も細胞にあります。化学的に物質を合成する細胞の能力が極めて高く、そのことがあらゆる生命活動の基盤になっていることを紹介してきました。

日々、駅頭とかオフィス街とか運転免許の試験場などで、日本赤十字の方たちが、献血の募集をしていますが、このことは現代の科学技術を結集してもいまだに血液をつくることができないということをしめしています。細胞の能力の高さを示すわかりやすい例といえるでしょう。細胞が作り出す物質は、たとえば鉱物に含まれているような物質に比べると、はるかに高分子で複雑な構造を持っているのです。そして、わたしたちの身体は、だれもがそういった物質を作り出す力をもっているのです。日本赤十字の方たちはその力を貸してほしいと訴えられているわけです。

生き物(細胞)の持つ力の細やかさ、高度さは、わたしたち一人一人のなかに宿っているのですが、それらはいまだ科学技術の手の届かないところにあるということを、理解しておかなれかばなりません。

医学では、主として薬の投与によって病や身体の不調を克服するという立場から、臓器や器官の働き、人体の生理が研究されています。これは細胞のもつ高い化学合成力の一部を、人為的にコントロールできないかという発想にもとずいています。しかし、これまで説明してきたように、細胞の持つ化学合成力に注目してみると、たんに薬理に還元できないさまざまな働きの重要性がよりクローズアップされてきます。

たとえば、腸においては、腸壁の運動や温度というものが化学合成力に大きな影響をあたえます。運動しているときとしていないとき、温度が高いときと低いときで腸壁の働きは10倍・20倍の開きがでます。呼吸においても同様で、運動や温度、湿り気といったものが、酸素の血液への取り込みに大きな影響を与えています。

ここでいう運動とか、温度といったものは、素朴な物理現象です。医学があつかう薬理にくらべると現象としては素朴ですが、生物の身体はさまざまな能力が影響しあって、全身的な関連性を持って営まれています。温度の管理、運動の管理、骨格の構造、神経や血管の走行などが、それぞれに独自の進化を経ながら、相互に影響しあって全身の活動を作り出しています。この点について、わたしたちは、もっと踏み込んで理解し、健康の管理や増進に役立ててよいのではないかと考えています。

今日の最新の生物学において、運動とか、温度管理といったことが、それぞれ独自の進化を遂げてきたことが次々と明らかになりつつあることを考えると、このような見方には、薬理学にはない別個の可能性があると思われます。

たとえば前々回、カエルにくらべラットの肺には、おなじ1立方㎝あたり十倍もの表面積(ガス交換に使われる面積)があることを紹介しました。呼吸器の進化というものを端的に表している出来事ですが、想像力をはたらかさえてみると単位体積あたりの表面積が十倍にも増えると、即座に空気の流れ(流動性)に大きな抵抗が生ずることが予測できます。

たとえば染物をするとき、絞りをいれて独特の文様を作り出すという手法がとられます。強く締め付けた部位は染料に浸しても染まらずに白く残るのです。おなじように、カエルにおいて1立方㎝あたり10平方センチ(2㎝×5㎝)だった肺の表面積を、100平方センチ(2㎝×50㎝)の表面積に引き上げると、空気との接点という点ではむしろ不利になりかねないのです。

10平方センチのサランラップと100平方センチ(2㎝×50㎝)のサランラップを、1立方㎝に押し込めたとき、どちらの表面の方が水と接しやすいかと考えると分かりやすいでしょう。100平方センチの表面積が押し込められた1立方㎝の肺は、それだけでは空気が流れ込まず、ガス交換の場としては機能しなくなるでしょう。

このためには、サーファクタントのように肺の表面張力を下げる界面活性物質が大きな役割をはたしていることは、20世紀の生理学が明らかにした偉大な成果なのですが(このために呼吸不全で命を落とす新生児が大幅にすくなくなりました)、同時に呼吸器をとりまく運動がよりいっそう重要な意味を持つことはあきらかです。運動する能力をもった100平方センチと運動する能力をもたない100平方センチでは、同じ肺でもその意味はまるで違うのです。

消化や呼吸の機能が生命活動に影響を与えるほどに低下していると、当然、血液の組成に影響が表れてきます。現代の医療は、たしかにこの点にたえず注意を払っています。血圧をはかり、体温や脈拍数をはなり、血液検査を行うのはそのためにです。ただ血液の組成に影響が表れていたとすれば、かなり状態が悪くなったときだといえるでしょう。たとえば腸の消化・吸収の働きが低下してくると、食欲が低下して、身体がやせてきます。身体が冷えやすくなって、疲れやすかったり、精神的にも落ち込みやすくなります。

でも、だからといって血糖値が低下してくるかというと、まずそういったことはありません。潰瘍などの組織的な病変があるかというと、必ずしもそうではありません。身体的には、さまざまな症状があらわれていても、このような場合、医学的には病気とはいえないのです。不調があればまず医療機関で検査を受けてみることは必要ですが、検査でとくに問題がないからといって健康だといわれて、納得がいかないという方が現実に少なくありません。

細胞の力に注目しながら、どのように身体の仕組みが成り立っているのかを読み解いてみることには、医学的な疾患と身体症状(実感)との間のグレーゾーンを読み解く意義が期待されるのです。

肺の疾患には、実質性と間質性の二つがあります。実質というのは、空気と上皮細胞との接点となる肺胞の空間で、間質とは、上皮組織の背後にある血管とか弾性繊維の領域です。最近、イレッサの副作用として生じた間質性肺炎の問題で、国と製薬会社が和解交渉のテーブルをけったということが社会的に問題となっていますが、ここでいう間質性肺炎というのは、肺の上皮組織の背後にある血管とか弾性繊維の領域=間質に生じた肺炎という意味です。

呼吸における運動的な要素は、この間質の性質によってもたらされます。間質の組織は、肺の表面積を生み出している肺実質とは、まったくことなる作られ方をしています。たとえば実質の組織は盛んに細胞分裂をおこないますが、間質の組織はあまり細胞分裂をおこないません。実質の組織は、隙間なく細胞が敷き詰められていますが、間質ではまばらにした細胞が分布しません。

このような組織的な特徴の違いは、消化器にも、泌尿器にも見られる普遍的な違いです。あらゆる臓器や器官の運動性にかかわる動物の身体の基本的な特性があらわれているのです。次回は、このあたりことからはじめて、運動というものが、どのようにわたしたちの身体の生命力をもたらしているかを考えてみたいと思います

(つづく)
 
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呼吸(番外編)

2011-01-21 18:46:13 | Weblog

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ごぶさたしていましました。遅ればせながら、今年最初の書き込みです。あけましておめでとうございます。今年の冬は、寒さ、乾燥ともに、なかなか実力派でたのもしいかぎりです。

 向こうをはって、わたしも「今年は寒くて、ほんとによかったえすね!」と、何かひとつくらいない自慢できるようなことがないかと探してみますが、

 寒すぎて顎がいたくなる人が多いですね。

寒いと胃がはりますね。

乾燥がひどくて最近は霜柱さえたたないですね。

朝起きると喉がからからですね。

 

どうもなかなかさえない話ばかりです。

 

今年は寒くて、鮭がたくさんとれますね。

ゲレンデの雪がさくさくで、スキーにはもってこいですね。

 

こういった話題が、どこかに転がっていなかと探してみるのも冬の楽しみかたかもしれません。あえてやせ我慢ぎみに申し上げると、今年の冬は空気が澄んでいて景色がよく見えます。これは、日々、富士山をのぞむわが家のゆるぎのない実感です。

朝夕に中央線に乗る方は、富士山はもとより、手前の丹沢の山塊が手に取れるほど近くに感じる姿を、連日目にされていることでしょう。丹沢山塊の一番南端の山は、かの阿夫利神社で有名な大山です。

 その大山の山すそには、新宿から小田急線で1時間もかかけて神奈川県の伊勢原まで出向かなければならないことを知れば、寒さに震えながらも、「今年の冬は、東京の空気がほんとうにきれいで」と、だれもが少し自慢してみたくなるのも、あながちやせ我慢ともいえなかろうというものです。

 この澄んだ空気が、呼吸器の働きに関係があるのはいうまでもないのですが、「ヒト万能PS細胞は、上皮性組織が盛んに細胞分裂するということから、当然、予測されたことではあるのですが云々」などといった話は、今日は置いておいて景色のお話を続けましょう。

 さる月曜日に小仏峠を経由して城山、高尾山を歩きました。山道には、氷の造形とでもいいたくなるような不思議な形がいっぱい転がっています。

 さて、相模湖ごしに見える富士山の姿も、例年になく凛として生き生きしていますが、城山山頂近くにあって、ついに今年の寒さと乾燥のすばらしさを実感するすばらしい景色に出会いました。

 20年来高尾山に登りつめていることは多くの方の知るところで、いまではもう登っているのか下っているのかの区別もつかないくらいに無意識に山中を漂っている、といってはいい過ぎですが、それでも、ふと気がつくと高尾山を歩いているといった感じなのですが、この20年来にしてこれほどの景色を見たのは、正直な話、はじめてだと告白せざるをえません。

 澄んだ大気のおかげで、まるでもう、房総半島が丸ごと見えてしまうのです。これにはもう伊能忠敬もびっくりといった感じです。もちろん、そこにそうして房総半島があったことは、昼夜分かたず少なくとも一万年くらいは変わりがないのですが、海の向こう側の景色というのは、湿り気の関係でなかなか見えるものではないのです。

 

筑波山などは、「青梅丘陵か!」といいたくなるくらいはっきり見えていました。利根川をこえて、霞ヶ浦をこえて、茨城は水戸のすぐ手前ですから、距離的には、伊能忠敬+間宮林蔵くらいの驚きです。

 というわけで、今年の冬は、そっと足を休めて遠くの景気を眺めてはいかがでしょうか?高いところなら、そこには、きっと大きな感動があることでしょう。この眺望は、春まで待ってはくれませんよ。

 (つづく)

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呼吸(11)

2010-12-25 10:47:32 | Weblog

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いよいよ年の瀬も押し迫ってまいりました。創健堂の営業は年内は28日までで、新年は1月6日からの営業となります。新年早々ですが、1月8日と22日の土曜日は札幌の講義でお休みになります。日程をご確認の上、ご予約ください。

肺の話というテーマで長く続けてきましたが、いよいよ本題に入ってゆきたいと思います。現代は研究分野の専門化がすすみ、呼吸といっても往々、必要に応じた簡略化された説明がなされていることが多いと思います。しかし、実際の呼吸の機能とか運動について考えるには物足らなさを感じるものがほとんどです。

わたしたちが何気なくすごしている日常の背景には、このような素材がこのように働き、その結果として酸素が取り込まれていという物質的な根拠が横たわっています。生活に密着したとても基礎的な問題なのですが、そういった観点で呼吸の機能を簡潔に整理してある文献というのはなかなか見当たりません。

魚釣りをするにも、勘と経験に頼る方法と、分析と研究による方法の二つがあると思います。実際にはどちらか一方が他を退け合るものではなく、鋭い勘とか深い経験は綿密な研究と分析があってこそ成り立つというのが、真実だと思います。

詳しく掘り下げてみることによって、わたしたちは呼吸というものにより親しくなることができます。そして、その知恵に教えられることは非常に多いように思われます。そのような視点をベースに、わたしたちの肺がどのような姿をしているのかということを詳しく見てみることにしたいと思います。

肺胞とはどのようなものか

肺の組織をみてみると、肺胞がつらなるような形でぎっしりと密集しているのがわかります。肺胞の総数は、資料によって違いがありますが3億個とも5~6億個ともいわれます。いうまでもありませんが、この驚くべき数の肺胞は、すべてたった一つの細胞(受精卵)から生成してきたものです。そこには、身体ができる上での基本的なルールがあります。

 

この肺胞の数はいったいどのような意味を持っているのでしょう? 肺の能力を示す代表的な数値として肺活量があります。これは拡張期と収縮期の肺の容積の差をあらわします。肺のなかにははき出せず残るに空気があります。これを残気と呼びます。残気の量は、一般に呼吸量の三分の一に相当するといわれます。

わたしが中学校時代に計測した肺活量が3,500ccくらいでしたが、これば同級生のなかでかなり少ない方で、多い友達は5,500ccくらいはあったと思います。この計算ですと5,500ccの肺活量を持つ人は、2,750ccの残気があることになります。つまり、多く見積もっても肺の容積は10リットルに満たないと思われます。仮に肺胞の総容積が10リットルだった仮定すると、10リットルで3億個ですから、1リットルのなかに3千万個、1ccのなかに3万個の肺胞が入ることになります。

肺胞の表面積

肺胞と聞くと、なんとなくバルーン状の姿を想像します。実際に組織の写真を見てもそのようにみえます。しかし、1ccを3万個のバルーンに分けるということと、ちょっと日常的なスケールでは想像がつきません。すくなくとも肺胞の大きさは小さな泡ブクひとつにも満たない小さなものだということがわかります。少なくとも肺のなかの表面積を著しく大きくしていることはまちがいありません。実際に、哺乳類のマウスと両生類のカエルの肺を比べたデータでは、カエルの1ccの肺は総面積20平方センチメートルの表面積を持つのに対し、マウスの1ccの肺は800平方センチメートルの表面積を持つそうです。

わたしたち人間の肺の内壁の面積は100平方メートル、ほぼテニスコート一面分の面積といわれます。肺胞は驚くべきほどの表面積を肺の内部にもたらしているのがわかります。先の計算に従えば、10リットルで100平方メートルですから、1リットルのなかに10平方メートル、1ccのなかに100平方センチ(10cm×10cm)の表面積があることになります。実際の肺の組織を見てみると、袋状の器官というよりは、実質臓器といってもよいほどに中身が密なことが分かります。

肺胞の厚み

1ccのなかに10cm×10cmの表面積を生み出すわけですから肺胞の厚みはかなり薄くなければなりません。肺胞の壁は、血液中への酸素の拡散を妨げないようにできるだけ薄い方が好ましいと述べました。実際に肺胞の厚い身は20ミクロンほどです。この厚みは、肺胞の表面を覆う上皮細胞、それらを結び付ける基底膜、血液を運搬する血管、内部を支持する弾性繊維からなります。20ミクロンの厚みとは、通常の書籍の一ページあたりの厚みをさらに50等分に細分化した厚みに相当します。

これほどの薄い厚みですが、じっとしているわけではありません。呼吸にあわせて膨らんだり縮んだりしなければなりません。多くの人は、通常一分間に16回程度呼吸します。これは一時間にして960回、一日に換算すると23、040回、夜間に呼吸が少なくなることを見込んでも、一日ざっと20,000回の拡張と収縮を繰り返すことになります。わずか20ミクロンの厚みの素材が、一日20,000回の伸縮に耐えるのですからその強度はある意味では驚異です。

肺活量は、この肺胞の収縮と拡張の差を示す量です。仮に6000ccの肺活量を持つ人は、ちょうど牛乳パック6つ分の空気を肺胞の内壁に触れさせることになります。100平方メートルという面積は10m×10mですから、小学校の教室よりも少し広いくらいの面積に牛乳パック6つ分の空気を薄く押し広げる形になります。

肺胞の強度

電子顕微鏡の画像を見ると分かるように、肺はかなりしっかりしたい支持組織のなかに埋め込まれています。肺胞の壁面は、空気と接する表面は立った一層の上皮細胞のシートで覆われていますが、内側で弾性繊維の網の目によってしっかりと裏打ちされているのです。カエルの姿を思い浮かべていただくと、のどやおなかを風船のように膨らませている姿が思い起こされます。

拡張力のある肺は、より多くの酸素を取り入れる上でとても有利に思われます。しかし、このような拡張性を持った柔らかな肺は、運動時には役に立ちません。なぜなら身体を効率的に動かすために、身体各所に強い力が発生するからです。このことは、両生類や爬虫類の捕食活動に大きな制約をもたらしているのです。

カエルやヤモリ、カメレオン、ワニなどを想像していただくと分かるように、肉食の両生類や爬虫類は、ほとんどがじっと姿をくらまして瞬時に獲物を捕まえる性質を持っています。これは運動しながら同時に呼吸をすることができないからです。爬虫類のなかで獲物を追いかける生き物としてはコモドオオトカゲが知られています。しかし、それでさえ10m程度走るのが精一杯です。

爬虫類における運動時の呼吸制限は、キャリアー制約と呼ばれています。これに対し、哺乳類のとくにウマやイヌなどの仲間は、長距離を移動する生き物です。このような生き物にとって、運動と呼吸の両立は生きてゆくうえで不可欠の要素です。

奇妙なことですが、わたしたちの身体は、100人いれば100人とも間違いなくこういった緻密な肺胞組織を作り上げる能力を持っています。これはまさしく、運動しながら同時に呼吸できるすぐれた肺であり、哺乳類という動物の「綱」に受け継がれている遺伝的な共通性なのです。

肺の進化がもたらした身体の機能

心肺機能が傷害されると真っ先にダメージを受けるのは脳神経系です。4分間の心肺停止では、生命機能維持に決定的なダメージを受けることが知られています。高地の登山で酸欠に陥った人(高山病と呼ばれる)が、頭痛やめまいなど中枢神経障害を訴えることを考えても、酸素の不足がもっとも応えるのは神経系です。

仮に、わたしたちの心や意識が脳神経系の生み出すものだとすれば、1ccのなかに3万個の部屋を分ける極小の細胞の営みが、わたしたちの心や意識を支えているといいっても過言ではありません。呼吸器の発達による酸素の供給力の増大は、心や意識の発生に先立って、神経系の発達をもたらしました。

たとえば哺乳類は錐体路系と呼ばれる独自の運動コンロトールの神経系を持っています。錐体路系は意識的な運動コントロールにかかわる神経系で、運動能力の進化を促す重要な要素です。イヌやネコの子供を見ても分かるとおり、哺乳類の赤ちゃんは、小さいときにじゃれあったりあま噛みをしたり、遊びを通じて運動コントロールを身につけます。このような傾向は、とくに肉食の哺乳類に顕著に見られます。

このような運動能力の可塑性(変化する能力)は、やがて哺乳類に身体の形や大きさ、構造の変化、生活様式や食性の変化など、驚くほどの多様性をもたらしました。いまの世界で、哺乳類ほど多様な生活圏に適応しているグループはいないのです。

わたしたちの生命活動そのものの基盤に、大量の酸素を取り込むことを可能にした呼吸器の能力が強く組み込まれているのが分かります。

(つづく)
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呼吸(10)

2010-12-11 16:44:32 | Weblog

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呼吸に関連して発生してくるさまざま症状の背景について考え対処の方法を探りだずことが、この「呼吸の話」のテーマです。体内器官の働きは、通常、自律神経などの作用で自動的にコントロールされていて、ほとんど意識にのぼることがありません。逆に違和感に襲われるととても不安になります。誤嚥による肺炎とか、気管支喘息など、肺の疾患が疑われる場合は、まず病院を受診して検査を受けることが必要です。

その一方、症状があっても病院の検査で異常の見つからない場合も少なくありません。このような症状を一般に不定愁訴といいます。なぜそのような症状がでてくるのでしょう? 検査をすりぬけた疾患が隠れているということもあるかも知れませんし、もしかしらた肺の生理活動のなかにそのような症状を生む芽があるのかもしれません。とくに過呼吸や胸のつかえなどは、多くの人が訴える症状には身体の仕組みとの深いかかわりがあるのではないかと考えられます。

器官の運動機能と症状の関連

そういった点を判断する上で肺の機能についての理解は不可欠です。とくに、それぞれの器官がもつ運動の性質にはよく注意しておかなければなりません。なぜなら運動のなかには、さまざま不快感を生む要因がはらまれているからです。たとえば、目はたえず二つの焦点を一致させようとして繊細な運動コントロールをします。ものを見ると目が痛かったり頭痛がするということの背景には、このような目の運動が関わっています。

 

目の運動は、頭の位置を安定させる仕組みとも密接に関わりあっています。小さな文字を凝視する運動では、そもそも可動性の大きな頭を、たえず安定した位置に保たなければなりません。そのために持続的な緊張が生じるのです。これらの運動は無意識的であるために、とめることができません。それゆえに、さまざまな症状の発生にかかわりやすいのです。

胃や腸の運動は、とくに就寝中に活発になります。これらの器官は食べたものと消化液をよく混ぜあわせ、広き消化管の内壁をあますところなく活用するために活発かつ連続的な運動を必要とします。胃や腸の運動のもとになる平滑筋は、短い筋繊維がギャップ結合という方法で長く連なった組織で、緊張が伝播しやすい性質を持っています。日中覚醒している時は、このような運動が起こらないよう、中枢神経系がブレーキをかけているのです。

上に掲げたような頭位を安定させる筋群の緊張は、就寝中に頭の位置の変化によって興奮を引き起こし覚醒をうながします。寝た気がしないといった寝覚めの悪さをもたらすのです。中途覚醒で睡眠の質が低下すると就寝時の胃腸の自然な運動が妨げられ平滑筋にこわばりが残ります。そのことが腸内の運動を低下させ、温度の低下、さらに腸内細菌の変化を引き起こし、さまざまな腹部の不快感を引き起こすようになります。不定愁訴を考える上で、このような体内器官の運動の連鎖的な不調和についてよく理解しておくことが必要なのです。

運動の性質を決定する器官の目的と構造

それぞれの器官は、働きにあわせて運動の様式を持っています。器官の運動を知るためには、そもそもわたしたちの身体生理がどのように営まれ、そのためにその器官がどのような役割を演じているのかを知らなければなりません。

呼吸器に関係する運動を理解するためには、呼吸のもつ基本的な意味に立ち返って、呼吸器の運動の性質や運動の制御を知らなければなりません。その意味でここまでとくに二つの点を強調してきました。

1.細胞のもつ化学的な力が生命活動の基本にある。
2.そのことが、さまざまな器官の構造を決定している。

わたしたちの身体は、細胞を基盤として成立っています。さまざまな器官の持っている役割は、そもそも単細胞が細胞内で営んでいた生理機能の延長線上にあります。この点をふまえると、一見複雑に見える呼吸器や循環器、消化器や泌尿器の機能の基本的な性質を理解することが出来ます。

どのような器官も、長い進化の過程をへながら変化し改良されて現在の姿を獲得しています。体内器官を比較検討してみるとそこに生命特有の論理が働いているのがわかります。生命は、細胞という基盤を発展させながらさまざまな環境と適応し、その棲息範囲を広げてきたのです。

呼吸と運動のかかわり

わたしたちの呼吸は、横隔膜や肋間筋などによる運動によって血液と酸素の接点をより大きくしようとする志向性を持っています。しかし、この運動はたんに筋肉の作用のみに終始するわけではありません。そこに、たえず空気が出入りする空間が確保されなければならないからです。呼吸器の運動と消化管の運動と大きく違うところです。

さらに、酸素の強い酸化力に対する防御も大きな課題です。そのためには、酸素の取り込みと血液の循環を一体化して、体内に余分な酸素をためない工夫がなされています。

呼吸と循環が一体化すると、そこに新たな問題が発生してきます。たとえば、わたしたち人類は直立二足歩行をおこないます。このため、立っているときと横になっているときで、心臓と頭の位置関係が大きく変わります。頭部の血液循環を保護するためには姿勢による血圧調節が不可欠です。呼吸と循環が一体化するということは、姿勢による呼吸調節が必要になることを意味するのです。

手技療法の作用は、とくに運動機能や神経機能の調整とかかわりが深いのですが、生物学的な基礎をしっかりとふまえて「生」の営み全体の協調をはかるものでなければなりません。

よく観察してみると、わたしたちの呼吸器は、このようなさまざまな運動の要請をうまく満たすように作られています。ただ、そのことがさまざまな不定愁訴の原因を引き寄せている面も否定できません。次回はいよいよ呼吸器の運動について掘り下げてみたいと思います。

(つづく)
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呼吸(9)

2010-11-22 08:49:32 | Weblog

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呼吸のための仕組み


 実際に血液の可動性と呼吸の効率の例で考えてみましょう。小腸の仕事と比べると、肺の仕事はとても単純です。しかし、それゆえの難しさもあります。
 小腸で取り込まれる炭水化物は、植物の光合成など、生命活動の結果として生み出された有機物です。炭素と酸素と水素の原子がたくさん結びついてできる大きな分子をしています。さらにたんぱく質のように窒素分を含んだより高分子で複雑な構造をしたものもあります。
 これらの物質を取り込むために、かなり大きなエネルギーを必要とします。小腸の表面の上皮細胞と呼ばれる細胞は取り込みのための専門の細胞ですが、他にも消化液を分泌する上皮細胞、さらに周囲を取り囲む筋肉、血液を供給する血管など、多くの組織が一体となって、消化液をかけたり、反応温度を上げたり、細胞をよく運動させて食べ物とよく接触させるなど、取り込みの仕事を補佐しています。
 これに対し、肺で取り込む酸素は酸素原子二つが結合した無機物です。赤血球のなかにあるヘモグロビンは鉄を含んだタンパク質で酸素と結びつきやすい性質を持っています。酸素を取り込む作業は、両者をまぜわせる作業です。物理学的にいうと「拡散」という単純な現象です。

肺の構造上の特性

 肺の上皮細胞に求められる最大の仕事は、空気と血液ができるだけ大量に接触できるようにすることです。結合を邪魔しないことも大切な仕事です。肺の上皮細胞はかぎりなく薄く出来ていることが好ましいのです。腫れたり異物が付着して分厚くなることが酸素の取込みのもっとも大きな障害になります。
 こういったことが、具体的な肺の姿におおきな影響を与えています。たとえば小腸は、上皮細胞のシートがもれなく筋肉によってくるまれるようにしてつくられていますが、肺のなかには、肺の上皮シートは薄い袋状の構造になっています。表面の界面活性剤(サーフォクタント)を分泌する細胞以外、すべて血液と空気の接点をつくる薄いシートの表面積を大きくすることに徹しているのです。
 もちろん、これは空気中に酸素が豊富に存在することによって成立つ話です。動物のなかにはイソギンチャクやクラゲなど、消化吸収のための器官を持っていても、酸素を取り込むための特別な器官を持っていない動物もいます。これらの生き物では、酸素の取り込みは、それぞれの細胞が自前でおこなっているのです。

体内の役割分担とわたしたちの身体

 じつは単細胞の生き物は、酸素の取込み、栄養の吸収、運動、情報の収集、老廃物の排泄といった仕事を、全部一つの細胞でおこなっています。もちろん、わたしたちの細胞も、みずから酸素を取り込み、炭水化物やタンパク質を吸収したり、老廃物を排出していることにかわりはありません。ただ単細胞の生き物は、外部の環境から自ら物質の取込みをおこなっているのに対し、わたしたちの体内の細胞は、呼吸器とか消化器といった専門の器官で、より効率的に取り込まれた物質を取り込んでいるという違いがあります。
 このようにして作り出された体内環境の安定が、わたしたちの身体を大きくしたり、様々な環境のなかでも活動できる能力を生んだり、より高度な運動や情報操作のできる身体を生み出しているのです。体内環境の安定は、細胞の生活の基盤であり、わたしたちの健康の基盤です。
 進化にともなって身体が大きくなってゆく過程でもっとも速く発達した器官が消化管の能力です。やがて、消化管の能力が高まってくると、取り込んだ栄養を分解するために、まとまった量の酸素を確保することが不可欠になります。このようにして専門の呼吸器が誕生します。
 じつは、わたしたちが生まれる時も、呼吸器は、消化管の一部が分化してつくられてくるのです。呼吸器が消化管と分離してくるのは、これまで説明してきたように、酸素を取り込む作業が、栄養素を取り込む作業とは、大きく異なる原理によっているためです。

呼吸の効率を考える基本モデル

 より多くの酸素とより多くの血液が接するためにどのような呼吸の仕組みが考えられるのか、次の四つのモデルを例に考えてみましょう。
(1)は、血液と空気がひとつの空間に漠然と一緒に置かれた状態です。
(2)は、血液を薄く広げた状態です。こうするとより多くの血液が空気と接することが出来ます。ただし、この場合の弱点は、広い面積が必要なことです。
(3)は、血液に流れをつけた状態です。(2)よりも多くの空気と血液が接することが出来ます。この場合の弱点は、血液の流れをつくるためのエネルギー源が必要なことです。
(4)は、空気に流れをつけた状態です。(3)よりのさらに多くの空気と血液が接することができます。ただし、この場合の弱点は、血液中の水分が大量に失われてしますことです。

 

 ここで示したモデルは、実際の呼吸仕組の進化と対応しています。たとえば魚類の鰓は、水の流れに勢いをつけています。上のモデルでいえば空気に流れをつける(ただし鰓の場合は水ですが)仕組です。
 ウーパールーパーのような外部に露出した呼吸器は、血液と水との接点を増やす工夫です。水流のはげしい環境を選んで生活すれば、鰓を持っているのと同様の効果がああります。

 呼吸が、血液の可動性と空気(水中では水)の可動性の両方、より正確にいえば相対速度に影響されるのがわかると思います。わたしたち人類の肺が、薄く押し広げられた広大な肺胞の表面積、血液の可動性、空気の可動性によって、うまくその点を満たしていることが理解できると思います。
 このような人類の呼吸器には、利点と弱点の両方があるのです。

(つづく)
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