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編物handmade azur ~手編み三昧の日々です

昔のおやつ

こんばんは。最近クラッカーにハマったazurです。

おやつという題ですが、私の場合クラッカーはおやつではなくて、食事。
時刻的には朝なので朝食のような
寝る前、空腹に耐えきれず食べてしまうことが多いので夜食のような
ややこしい生活してるとホントにいろいろややこしいですね。

特にお気に入りはこの2種類。

 
 
プレーンなのはちょっと塩味キツめかなと思いますが、その塩がおいしい。
薄くマーガリンを塗って食べるのが私の定番ですが
冬の間は温かいものが恋しくて、カップスープとともにいただいていました。

 
ポタージュが好き。
薄め(お湯多し)に入れて、クラッカーをちょっと浸して食べる(お行儀はこの際忘れてください)のが好き。クラッカーのキツめの塩味と薄めのスープでプラスマイナスゼロな感じになる。気がする。

先日、夕食がカレーだったので ←ちなみに翌日もその翌日もカレーです。もっと言うと、その翌日(明日ですが)はカレーうどんです。
次の日の朝はクラッカーにカレーを付けて食べてみました。
美味しかったけどちょっと塩辛い。でもカレーを薄めるのはアレだしな、、、
私的にはカップスープとの方が好きでした。

トマト&バジル味はポタージュとも合うけど、チーズと食べるのがおいしかった。
試してないけどオリーブオイルとも合うでしょうね。


シリアルからクラッカーに移行して、次は何にハマるんだろうな。
飽きっぽいから嗜好が次々変わります。


✻ ー ✻ ー ✻ ー ✻


今は自分で買物に行ける(滅多に行かないけど)し
出歩かなくてもネット買いできるし
大富豪じゃなくても食べたいものがすぐ手に入って、なんてスゴい時代を生きてるんだろう……と、たまに思います。

子供の頃はそういうわけにいかなかった。
小学生までは妙なものをおやつと称して食べてた気がします。
田舎なので、自力で行ける範囲にお店がなかった。1軒だけ駄菓子屋さんがあったけど。

その駄菓子屋さんは、昔の田舎によくあった(今でもあるのかもしれんが、私はあんまり知らない)いわゆる「何でもちょっとずつ置いてるお店」で
品数や種類はあんまりないんだけど、お菓子やパン、レトルト食品、乾物などの食料品から 台所&洗濯洗剤のような日用品まで幅広く売られていました。
スーパーマーケットをギューッと思いきり縮めたような感じかなぁ。

生鮮食料品はあまり置かれてなかったかなぁ。
まあ、家族分の野菜は作ってるお宅が多かった(今も多分そうだと思う)し
魚・豆腐などは、荷台にホロをかぶせた軽トラックで移動販売してくれる人もいたしな。
それに魚はけっこういただくことが多かった。海のそばなので。


余談ですが
私は無類の肉好きですけど、子供の頃から魚も嫌いではなく、むしろ好きでよく食べていました。
とにかく新鮮で「さっきまで泳いでた」とか「今そこで釜茹でしてきた」のが食卓に出ることが多く、恵まれていたと思う。

ナマのシラスをごっそりいただいて、ポン酢で食べたり
自宅で茹でた茹でたてをほおばったり
アレはうまかったよなぁ。

今も実家に行くと魚のお裾分けをちょくちょくいただきます。
スーパーで買った魚はあまり食べたい気がしないのね、、、贅沢なことですが。

野菜もね、祖母が 祖母が亡くなってからは父が作っていたから、贅沢に食べて育ってきたと思います。


話は戻って、そのお店
お菓子は駄菓子と呼ばれるものが多かった気がする。
っていうか、自分に直接関係あるのは10円30円で買えるコーナーだったから、そこしか見てなかったのかもしれん。

旧・実家(私は4歳までそこにいた。らしい。記憶がほとんどない)から、20mくらい坂を下ったところにあって
曾祖母に連れられてよく行ったらしい。

曾祖母だけじゃなく、ご近所の皆さん(大人)はそのつどお金を払わず、ツケで買い物していた。
ソレを見た私はよろしくない学習能力を発揮し
ヨチヨチ歩けるようになると、曾祖母が目を離したスキに坂をよちよち下っていき、そのお店に行き、お菓子を持ち帰るという行為に及ぶようになってしまったらしい。全然覚えてないんですけど。
ゆってみれば イヤゆってみなくても、ドロボーであります。

与えたはずのないお菓子をむしむし食べている私を見て、母が慌てて支払いにいく、ってなことがちょくちょくあったらしい。
お店のおばちゃんは「かまへんかまへん(笑)」と言ってくれたらしいが
母は「もう、わりてよ(申し訳なくてね)。いくら叱っても行くし。しゃあないさけ(仕方ないから)、azurの分は必ずツケといてって言うてたんやで」
と、大人になってから睨まれたけど、

今ニラまれてもな。 (;・∀・)

そりゃまあ2歳や3歳の子にツケはわかりませんわいな。お金という認識すらわかってなかったと思うし。

そういうわけで
4歳まではお菓子にも困らなかった気がします。 ←こら。


ところが4歳のとき、同じ地区の海辺のミカン畑を宅地化して新居を建てて、引っ越したんですね。
お店が遠くなってしまい、ひとりでは行かれなくなったんですね。

まあ、その頃には、「この世にはお金というモノがあって、それがないとお店から品物を持ち帰れない」とわかるようになってきていたと思います。
たとえひとりでお店に行けたとしても、お菓子を持ち帰れない・子供はツケができない・お金と交換しないのは悪いことで、してはいけないとわかってきて
大人に連れられて行くか、お金を持ってるときに行くか、するようになっていくわけですね。

大人たちは(農作業で)いない、曾祖母は常に家にいるけど
「ひいおばあちゃん、おかしん(お菓子のこと。子供の頃はそう呼んでいた。ちなみに、大人たちは「かしん」と呼んでいました)買いにいこらよ」
「あかんあかん。家でいてな」
そうそう連れていってはくれない、
お金は持っていない、

そうなると自力でなんとかせねばおやつがないわけです。
その頃には妹が2歳で、曾祖母は家のことを全部こなしながらふたりの曾孫の世話もしてたんですから
飛び回り盛りの姉とよちよちな妹を連れて、そうそう出掛けるのはアレだっただろうなと思う。
ベビーカーもなかったしな。オッパ(背負う)で対応してた気がする。


妹とふたり よくおやつと称して食べてたのは、梅干しと海苔と漬物。これは常に家にありました。
フツーはご飯のオトモですが、炊飯技術はまだ身につけていない年頃でしたので、ご飯ナシ。
どれも美味しいけど、お腹の足しにはあんまりならない。

海苔は味付け海苔です。焼き海苔は焼いてもらわないといけませんから、自力では何ともできなかったんですね。

漬物は曾祖母や祖母が常時なにかしら漬けていて、季節で品は変わりましたけども、欠かしたことがない感じでした。
春から秋はスオケと呼ばれるヌカ漬け(だと思うけど)が主で、キャベツ、キュウリ、茄子など。
冬は大根と白菜。大根の漬物はほぼ年がら年中あったと思う。

私は特に梅干しが好きで、なかでも種を割ると出てくるモノ(多分胚なんじゃないかと思う)がすごく好きでした。
1度に5個も6個も食べて、めっちゃ叱られた。
「1日2個まで!💢」
自宅で漬ける梅干しは塩分がものすごいですからねー。その影響か、私は今でも買った梅干しだと塩辛さが物足りない。

漬物で好きだった(今でも好きですが)のはセンタクと呼ばれるもので
深漬けのキュウリと茄子を薄く切り、水にさらして塩抜きし、生姜を散らしたもの。
これを味の素とお醤油でいただく。
お茶漬けが何杯でも入ります。
(食べたくなってきた、、、)

干しワカメもよく食べた。
ワカメは、葉っぱ(?)部分より株の方がおいしいです。食べごたえもあります。 ←最も要らない情報ですな。

妹の大好物はウツボの佃煮でした。多分今も好きなんじゃないかと思うけど。
これは実家辺りではなかなか売られておらず、和歌山市内に行かないと手に入らなかった。
市内に買物に行くと、必ず買ってました。
でないとギャン泣き。

一度、買うのを忘れて帰途に着き、車内で思い出した妹がギャンギャンになり
ウツボの佃煮のために市内に戻ったことがありましたっけね。
当時は高速道路がなかったので、できたんだろうな。イヤ高速走ってても、途中で降りて戻れーっっっ(ギャンギャン)だったかもしれん。

小さい頃の彼女はとにかく食べ物の好き嫌いが激しく、ミルクもよく吐いて、相対的に身体が小さくて弱かった。
重病や難病ではなかったけど、何度か長期間入院したこともあり、母は苦労したと思う。

妹の入院中は母がいなかったわけですが
私は淋しかった記憶がない。中1まで曾祖母がいて、大人になるまで祖父も祖母もいた。
学校から帰ると家に誰もいないという日は滅多になかった。
小さい頃からひとり遊びが好きだったし、特に苦労はしなかったな。

少し大きくなる(小学生の頃)と、妹と磯によく行きました。
岩場で貝を採って遊んだり、ウニを割って身を食べたり、フグの産卵に出くわしたり
家から金網と醤油を持ち出して、磯で貝を焼いて食べたりもした。

注:子供だけで火遊びしてはいけません。

今の子は子供だけで磯の遊びにいくところからして、禁止されてるかもね。
昔はおおらかだった。 ←違うような……


✻ ー ✻ ー ✻ ー ✻


昔のことを思い出していて、ふと、その理不尽さに首を傾げたんですが

私の生まれて初めてのお小遣いは、1日50円でした。
多分小学生の頃。
1週間分350円を土曜か日曜にもらってたと思う。

中学生になり、お小遣いは月1000円になりました。

・・・あれ?
50円✕30日=1500円
月1000円だと、

減ってないか??? (;一_一)

中学生になって行動範囲も広がり、欲しいものも必要なものも増えて、
なのになんでお小遣い減るんや。

当時の私にもそのくらいの計算はできたから、理不尽さを訴えたと思うんだけど
母に何と言われて ごまかされ イヤ 黙らされ イヤ 説得されたのか
全然思い出せない。

どういう理屈を言われて引き下がったんだろう私。
まあ、くれないものはくれないのだから、引き下がらずを得なかったんだろうけれど。

母に聞いて……も、覚えていないでしょうね。



今回の作品

ご注文品のキーホルダー、ストラップ、モチーフ(素材)です。


ストローハットのキーホルダー。
麦わら帽子を土台にして、小さな花とサテンリボンを飾っています。

ご希望で、帽子・花・リボンの色をご変更できます。
今回は


ピンクグラデの花と


ピンクのリボンでお作りしました。


裏側はこんな感じ。↑
帽子の中(本物はアタマが入るところ)に中綿を詰めています。



サンダーソニアのモチーフを、ご希望でストラップにさせていただきました。
ころりんとした花が可愛らしい。


花には中綿を詰めて形を整え、ビーズでフタしています。


裏側です。
表とあんまり変わらないけど、ストラップ金具のビーズは表側に付いています。


編地には表と裏があります。
往復編みで編むときは表裏同じになりますが、同じ方向にグルグル編んでいく場合は表と裏ができます。

手編みは、棒針編みもかぎ針編みも、原則右から左に編み進みます。(逆方向に編む編み方もあります)
棒針編みの場合、メリヤス編みにするなら、表編と裏編が必要になります。表も裏も表編で編むと、ガーター模様(ガーター編み)になります。
かぎ針編みには表編・裏編という概念はありません。

サンダーソニアの画像の葉っぱを見比べるとわかると思いますが、1枚目が引き抜き編・細編(こまあみ)・長編・長々編の表側、3枚目がその裏側です。


おまけには


サンダーソニア1輪でストラップをお作りしました。



たんぽぽのモチーフです。
4枚重ねの花は大きさ5cmくらい。山吹色とレモンイエローが明るくて可愛らしいです。
チラ見えのガク(リーフグリーン)が好き。

幼稚園や保育園などにご入園されてたんぽぽ組になったので、「帽子や鞄に付けてあげたい」とご注文くださることが多いです。
このご時世 我慢の多い毎日、お子さんもご家族もすごく大変だと思うけど、少しでも元気になれるお手伝いができればいいなと思います。



今回はこのへんで。
またお会いできますように。

どうぞよろしくお願いいたします。

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