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熊本から気ままに山と自転車のブログ

西福寺古墳群

西福寺古墳群
2020/10/2(金) 晴

降水確率0%快晴、最高気温予想29°。今週はストレスの多い一週間だったので、少し遅い出発になったが正午0時から西福寺古墳群を目的地にポタリングに出る。

今日は安全第一と熊鹿ロード(写真1参照)を走る。
沿線は、彼岸花は盛りを過ぎ、田圃は黄金色に輝いている。収穫も始まっていた。


コスモス畑(写真2参照)が見えた。


コスモスを秋桜(写真3参照)と書くが、云言い得て妙。


ここ西福寺古墳群は、肥後古代の森山鹿地区(写真6参照)の一部。チブサン古墳、オブサン古墳が近くにある。


交差点からは、周溝を廻らした方墳(写真7参照)が見える。


西福寺第2号方形周溝墓(写真8参照)には、東側に石段が施設してある。


説明盤(写真9参照)には、一辺12.5m、周溝は幅2.3m、深さ0.8m前後、東側に幅2.5mの土橋が設けられる、とある。


周溝墓の南側交差点側の西福寺第2号石棺(写真10参照)
となっているが、左側の窪地が石棺跡で棺体は別の所で保管されているのか?


西福寺第2号石棺説明盤(写真11参照)


第2号石棺の東側に西福寺第3号石棺(写真12参照)
これも、右側の窪地が石棺跡で棺体は別の所で保管されているのか?


西福寺第3号石棺説明盤(写真13参照)


公園は広く、他の場所で出土した石棺も設置してある。
駐車場から第2号方墳方向(写真15参照)を見る。
駐車場から方墳の間の広場には、土壙墓跡や中世火葬場跡等の発掘史跡が沢山あるが省略する。


陶板製の「古代の森案内図」(写真16参照)


第2号方墳から駐車場方向(写真17参照)を見る。
北の端にオブサン古墳があるが、ここからは見えない。
各地で発掘された石棺は、右手方向斜面にある。


舞野第1号石棺(写真18参照)山鹿市平山舞野出土


同上説明盤(写真19参照)


舞野第2号石棺(写真20参照)山鹿市平山舞野出土


同上説明盤(写真21参照)


竜宮石棺(写真22参照)山鹿市小原竜宮出土


同上説明盤(写真23参照)


家形石棺(写真24参照)菊池川流域


同上説明盤(写真25参照)


西牧第2号石棺(写真26参照)山鹿市西牧上ノ山出土


同上説明盤(写真27参照)


鍋田東石棺説明盤(写真28-1参照)山鹿市鍋田出土


同上説明盤(写真28-2参照)


郷原第1号石棺(写真29参照)山鹿市鹿央町岩原出土


同上説明盤(写真30参照)


郷原第2号石棺(写真31参照)山鹿市中央町岩原出土


同上説明盤(写真32参照)


原部石棺(写真33参照)山鹿市鹿本町来民出土


同上説明盤(写真34参照)


浦大間石棺(写真35参照)山鹿市鹿央町上千田出土


同上説明盤(写真36参照)


秋永遺跡第5号石棺(写真37参照)上益城郡益城町出土


同上説明盤(写真38参照)


石塚石棺(写真39参照)上益城郡益城町甘木石塚出土


同上説明盤(写真40参照)


ここの石棺類も当初は封土があったろうと思うが、露出された状態では風化するのではなかろうかと心配する。数年単位のであれば風化はなかろうが、数十年、数百年の単位では風化が考えられるので、本体は屋内で管理され、屋外設置はレプリカでいいのではないかと思う。

現在時刻14時45分帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)33km→西福寺古墳群33km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4.5時間) 総計66km 走行累計35,396km


2020/9/13(日) 晴
山鹿市博物館横の路を北に辿ると、右側に散策路が整備してあり、その途中に石棺レプリカが(写真5参照)があった。


その陶製の説明盤(写真6参照)がある。


西福寺摩崖仏方向から来る道との交差点に、西福寺古墳群(写真7参照)の入り口があった。が、今日は先を急ぐので後日の楽しみとする。


交差点右手前には、西福寺古墳群説明盤(写真8参照)があり、資料とするため写真を撮る。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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