2023/10/7(土)曇
今日は最高気温予報27°と絶好の自転車日和に、目的地を県立装飾古墳館の横山古墳として午前10時前からポタリングに出る。
往路は、熊鹿ロードを北進し、宮原から国道3を北進する。道の駅「夢大地」から田圃の中の農事用道路を装飾古墳館目指して走る。途中、土手いっぱいに咲いた彼岸花(写真1参照)を見る。
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古代ハス園から東側の古墳館用車道を上ると、岩原古墳群の手前の右側に横山古墳(写真2参照)がある。
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もう一段上がると岩原古墳群(写真3参照)が広がる。
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その中でも双子塚古墳(写真4参照)は最大の前方後円墳、墳丘の長さ107m×後円部直径57m×高さ9m、日本有数の国指定史跡とである。
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今日の主目的は、説明盤(写真5参照)の写真の撮り直しである。
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復原の経過(写真6参照)。「横山古墳は、昭和43年、九州自動車道建設に伴う埋蔵文化財調査の祭、植木町で発見されたものです。
昭和44年、県教育委員会では「横山古墳調査団」を組織し、発掘調査を実施しました。
調査終了後、古墳の石材は、将来、完全復元をするため保管してまいりました。
それから24年後の平成5年、この古墳は、肥後古代の森の一角に適所を得て、復元が実現したものです。」とある。
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横山古墳(写真7参照)。「古墳の所在地。移転復元前の横山古墳は、鹿本郡植木町大字有泉字横山にありました。この場所は、植木町の東部にあたり、古墳は小丘陵の端に位置していたものです。現在、九州自動車道の敷地になっています。近くには、町指定名勝「小野の泉水」があります。
古墳の時代。この古墳が造られた時代は、石室の構造や出土遺物から、古墳時代後期(6世紀後半)頃と考えられます。石屋形、左右両屍床のほか、通路等にも多量の人骨が埋葬されていましたので、この古墳がかなり長期間にわたって使用されたことがわかります。」とある。
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移転前と移転復原後の横山古墳の位置図(写真8参照)。
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墳丘(写真9参照)。「墳丘は調査時の計測では長さが39.5m、前方部の幅19m、高さが3m、後円部の直径29m、高さ5mの小型の前方後円墳でした。
築造当時と比較して明らかに変形している考えられる箇所については、今回の復原の際、修正を加えました。」とある。
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出土遺物(写真10参照)。「発掘調査の結果、古墳の内外から多数の遺物が発見されました。古墳築造時の副葬品としては、多数の須恵器をはじめ、鉄製品(馬具・武具・刀子)、装身具(玉類)等、総数二百数十点が出土しています。」とある。
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石室(写真11・12参照)。「石室は、後円部にあり、入り口は西に設けられています。入り口から長い羨道(通路)が続き、その奥に玄室が設けられています。玄室は、石灰岩や安山岩を積み上げて造られ、一辺が3.8mの隅丸のほぼ正方形をしています。
正面には石屋形が設けられ、中央の通路を挟んで左右に痛いしで仕切って造った屍床があり、石屋形前には灯明台のようなものが造り付けられています。」とある。
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装飾文様(写真13・14参照)。装飾は、石室の奥に設けられた石屋形の袖石等によく残っています。石屋形の右袖石には、上部に同心円文が、下部に双脚輪状文、周囲に三角文等が、赤・青・白の顔料を使って描かれています。また、左袖石には、連続三角文が同様の顔料を使い二列にわたって施され、上部には双脚輪状文が描かれています。
この他、屍床の仕切り石のも赤・青・白の顔料で三角文等が施されています。とある。
ここを折り返し点として帰途に就く。帰路は方保田経由とする。
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15時過ぎに帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)29km→横山古墳32km→熊本(自宅)
総所要時間5.5時間(実4.5時間) 総計61km 走行累計56,546km
横山古墳
2016/1/27(水) 曇
今日は、何となく風邪気味。
単なる経験則だが、こんな時は運動して一汗かけば体調がよくなる。
そういう訳でロードバイクに跨り、15時出発。
さて、行先は・・・?山鹿市鹿央町岩原古代の森の横山古墳(写真1参照)の写真を撮りに行こう。
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横山古墳は、前方後円墳(写真2参照)で、元熊本市北区植木町にあったものだが高速道路の敷地となり撤去を余儀なくされた。
その後古代の森熊本県立装飾古墳館の建設に伴い、その敷地内に復元されたものである。
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この古墳には、全国に四例、釜尾古墳、弘化谷古墳、王塚古墳にしか発見されていない「輪状双脚紋」が描かれている石屋形がある。
横山古墳の場所:(マップファン地図)
出発が遅かったので、帰宅は19時と暗くなってしまった。あと30分早く出発すれば薄暮の内に帰宅出来たのだが・・・。だが、体調が良くなったので良しとしよう。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→横山古墳27km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実4時間) 総計54km 走行累計14,880km