2023/3/15(水) 晴
今日は、最高気温予報21°早朝の気温5°20°超えの陽気に遠出も頭を過ったが、熊本博物館の3月19日までの「熊本城と明治維新」企画展に行くことにする。その後は、明治維新繋がりで花岡山陸軍埋葬地探訪として、午前10時半からポタリング出る。
2時間以上にいたと思う博物館を後にして、途中昼食を取り花岡山へ移動する。
花岡山登口に放牛石仏五体目(写真3参照)が鎮座する。光背部が割れているのが痛々しい。一礼して、ここから右の坂道を登る。
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墓石が並ぶ坂道を登り車道に出てUターン気味に右折して、駐車場から山頂(西)方向に進むと左側に「県官墓地」がある。
石碑には、「明治九年十月神風連之変・軍官民戦死者追福碑」(写真4参照)とある。
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石碑の後ろ側は、神風連の変で殺害された熊本県令安岡良亮の墓(写真5参照)になっている。
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その奥に「陸軍大将乃木希典の娘恒子の墓」(写真6参照)がある。
標柱が痛んでいて詳細は読めないが、乃木大将が熊本鎮台に赴任しているとき生まれた娘が夭折したので、ここに埋葬されたようである。
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一際大きい石碑には、「軍人軍属合葬之碑」(写真7参照)とある。
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標柱(写真8・9参照)には、「官軍墓地(陸軍埋葬地)」とある。
説明文には、「この墓地には、明治九年(1876)神風蓮の変に倒れた熊本鎮台司令長官種田政明少将、参謀高島重徳中佐、大島邦彦中佐以下将兵百十六名を葬るために設けられた。
西南戦争の際に薩軍の砲台となり、一時荒廃し第二次大戦後も荒れていたのを、地元の努力で整備し、昭和五十五年熊本市指定史跡となった。」とある。
「官軍墓地」というので、西南戦争関連墓地と思っていたが違っていた。認識を改める。
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墓地南側から全景(写真10参照)を望む。写真左端から種田政明少将、高島重徳中佐、大島邦彦中佐の墓石。
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説明板(写真11・12参照)には、「官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地)・廃刀令などに憤激、欧風化に抗議して挙兵し熊本城などに斬り込んだ明治九年の「神風蓮の変」。
この反乱は明治政府に不満を持つ士族の蜂起(西南の役)の前ぶれとなりました。
ここ花岡山陸軍埋葬地には、この神風連の乱に倒れた熊本鎮台司令長官種田政明少将・参謀高島重徳中佐、大島邦彦中佐以下116名が葬られ、隣接する県官墓地には同じく神風連の刃に倒れた県令安岡良亮の墓もあります。・・・」とある。
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墓地北側に「薩軍砲座の址」がある。
花岡山
2019/1/19(土) 晴
今日は、昼から自由時間が出来た。取敢えず図書館に行き返本してその先は・・・ということで、花岡山(祇園山)標高132.2mに行った。
かつては朝日山、勢高山とも言ったという。明治2年に桜を植えてから現在の名称になったという。
花岡山といえばこの仏舎利塔(写真1参照)
ほぼ市内全域から見える。
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由来書(写真2参照)では、昭和29年4月に建立され、インドのネール首相から送られた10粒の舎利の一つがお祀りしてあるという。
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山頂の一番高い位置には、「熊本バンド奉教の碑」(写真3参照)がある。
この青年たちは明治4年(1871)に設立された熊本葉学校で、アメリカ人ジェーンズに学び、キリスト教を受け入れた者たちという。後、同志社に転校し卒業した。
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説明板(写真4参照)では、同志社の宣教師が、熊本から青年たちを熊本のグループという意味で熊本バンドと呼び始めたことからとある。
NHK大河ドラマ「八重の桜」で、新島八重が生意気盛りの青年たちに手を焼くというストーリーで登場した。
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加藤清正公腰掛石(写真5参照)
腰を下ろすには少し大きすぎるようだが・・・
この石は安山岩。
熊本城の石垣用に、ここ祇園山、独鈷山、松尾山から採ったという伝承がある。
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写真5でははっきりしないが、この石(写真6参照)には矢穴(楔)の跡が並ぶ。
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清正公と花岡山といえば、2柱の稲荷大明神が同行されて肥後に来たという話を抜く訳にはいかない。
その1柱がここ「清藤大明神」(写真7参照)。肥後国の守り神としてここ花岡山に祀れている。
もう1柱は「緋衣大明神」。熊本城東の石垣の麓の熊本城稲荷神社に、熊本城の守り神として祀られている。
ちなみに、細川忠利公にも「三吉大明神」という稲荷神が同行され、高橋稲荷神社に祀られている。
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山頂からの東南方向の眺望(写真8参照)。
線路は九州新幹線・鹿児島本線。
熊本駅は右側。
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今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→花岡山8km→熊本(自宅)所要時間6時間(実2時間) 総計25km 走行累計26,909km