2022/9/7(水) 晴
今日の最高気温31°降水確率10%、晴予報に、午前10時からポタリングに出る。
目的地は、八代市鏡町の市指定文化財「鑑内橋」(眼鏡橋)と氷川町指定文化財の「田中五輪塔群」とする。
ルートは、新幹線側道を南進し国道3に出て、宇城市の田圃の中を走り小川工業高校の横を通り、県道14を走る。
鏡町鏡の交差点を右折して、左側の路地の奥に「鑑内橋」(写真1・2参照)はある。
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説明板(写真3参照)には、「この橋は、文政十三年(1830年)頃、種山の名石工、岩永三五郎が造ったといわれており、現在町内に残っている唯一のめがね橋です。
橋の長さは七、二メートル・幅二、八メートル・径間五、五メートルです。
明治十年の西南の役に日奈久南の洲口に上陸して北上する官軍の斥候と、熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候とが初めて出会った所で、その情報によって薩軍は氷川の線に陣地をかまえ両軍が戦いをまじえました。
石橋の老朽化に伴い平成六年(1994年)三月修復されました。」とある。
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鑑内橋を後にして、田中五輪塔群(写真4参照)に移動する。
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一番手前にあるのは、古墳の石棺蓋、宝塔二基、五輪塔七基余り(写真5参照)が出土、確認されたという。石棺蓋は当初から二分割されたものか、断面が奇麗だ。縄かけ突起は、左側は欠損しているが右側は奇麗に残っている。
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説明板(写真6参照)には、「昭和59年(1984年)二月、室谷川改修工事の際に宝塔二基、五輪塔七基余りが出土、確認された。前列左端にあるものは古墳時代の石棺の蓋で前列、後列とも中央にあるものが宝塔それ以外のものが五輪塔です。
●五輪塔というものは・・・?
平安時代中期から戦国時代にかけて数多く造立された石塔の一つで、図のように下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の各部からなっています。五輪塔はそのものが大日如来が座った姿を塔形にイメージしたもので、地輪が足部、水輪が腹部、火輪が胸部、風鈴が顔部、空輪が頭部をそれぞれ表しています。最初の頃は、仏堂の落成とか仏像の開眼供養のために建てられましたが、後世は墓石や供養塔として建てられました。
●宝塔というものは・・・?
石塔の美称として呼ばれる場合と石塔の形を指す場合があります。宝塔は本来ならば多宝塔と呼ぶべきですが、今日では図のようなものを宝塔といい屋根(笠)が二層になっている物を多宝塔と呼んでいます。ここにある宝塔にはそれ一文字大日如来を表す「□」という梵字(古代インドの文字)が彫られています。」とある。
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田中五輪塔群を後にして帰路に就くのだが、氷川町ホームページには宮原字「濱殿」(写真7参照)にキリシタン遺跡があるとあるので一巡する。が、辿り着けなかった。
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帰路の途中、砂川を渡って集落の中を走っていると四面仏(写真8参照)を拝する。
説明文には、「明治の砂川堤防決壊の折現在地に流れ着いた板碑をこゝに鎮座しお祭りをした
正面 大日如来 左面 不動明王 裏面 普賢観音菩薩 右面 阿弥陀如来」とある。
気温は高いが、先月ほどではなくなって来た。帰路を急ぐ。
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17時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)41km→田中五輪塔群39km →熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実6.5時間) 総計80km 走行累計50,726km