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熊本から気ままに山と自転車のブログ

久米野眼鏡橋・竈門菅原神社

久米野眼鏡橋・竈門菅原神社
2022/1/26(水) 晴

今日も晴天で最高気温予想14°と暖かいので、気温が上がった10時からポタリングに出る。
目的地を和水町指定文化財焼米(やいごめ)六地蔵、岩尻六地蔵と竈門神社として出かけたが、途中、山鹿市小原の熊本県指定史跡長岩横穴群と和水町久米野眼鏡橋も観る。

岩尻六地蔵を後にして竈門神社に移動途中で、久米野川に架かる「久米野眼鏡橋」の標柱(写真24参照)を見る。
輪石が奇麗に整形されていて全体が美しい。標柱を見ると大正七年架設とあるので比較的新しい。それでも100年経っている。下流の竈門眼鏡橋を確認したところ、大正十年架設とあった。


下流側(写真25参照)から観る。


上流側(写真26参照)から観る。


久米野眼鏡橋を後にして、竈門菅原神社(写真27参照)に移動する。「のぶ」さんのブログ「くまもと自転車紀行」に竈門菅原神社の天井に「プロペラ」が奉納してあるとあり、今日の目的は前回訪ねた時その確認を忘れたので再訪する。
鳥居扁額は「太〇天満宮」とある。私には〇の字が読めないが、気になる。


拝殿は、成人式の後だけに多くの参拝があったためか、前回訪問した時と雰囲気が変わっていた。
プロペラ(写真28参照)は、確か天井に固定してあった。ここを最後にして、14時過ぎ帰途に就く。


16時過ぎ帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)40km→竈門菅原神社30km→熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実5.5時間) 総計70km 走行累計45,388km

(追記):27日、朝庭の梅花を見たところ花がチラホラ咲いていた。我家の開花宣言です。写真を撮ろうとして初めて気づいた事だが、梅花はほぼ下を向いて咲いていた。逆光で撮り辛いが止むを得ない。



竈門菅原神社
2021/12/19(日) 晴/曇

今日は、最高気温予報11°と10°を越える暖かさに誘われ、午後0時半からポタリングに出る。
目的地を和水町指定文化財用木(もといぎ)六地蔵と竈門菅原神社として出かける。

用木六地蔵を後にして、県道3に戻り北進→県道16に右折→県道315に左折→竈門眼鏡橋を見て、菊池川沿いの竈門集落に移動する。
竈門菅原神社(写真5参照)は、公民館の東側にある。


鳥居の右側に「コスプレで竈門菅原神社に参拝される方へのお願い」(写真6参照)と題する告知板がある。
竈門神社が、鬼滅の刃の竈門炭次郎で話題になっているというが、これほどに参拝者が増えているのか。西南戦争関係本を読んでいて「炭次郎」という名前があったように思うが、軽く読み飛ばしたのでどんな立場の人だったか忘れた。


拝殿(写真7・8参照)の腰壁にも「お願い」文書が掲示してある。


掲示文書(写真9参照)には、「・・・当宮は平安時代の永祚元(989)年に赤穂大膳守重孝が筑前国大宰府の神霊を勧請した神社です。歴史書には「竈門菅原天満宮」とあり、令和3年で御鎮座1032年を数えます。
この地は古来「カグ」と呼ばれていたようで、太宰府の「竈門」や神社の影響もあり「竈門」の地名になったようです。・・・」とある。平安時代の時代区分を「中世」としてはどうかという説もあるが、それを裏付ける歴史であると思う。


拝殿横には、沢山の絵馬(写真10参照)


境内には、菅原神社によくある神牛像(写真11参照)が鎮座する。


その横に「農地解放記念碑」(写真12参照)がある。
当時の農地を所有していなかった農民の喜びが、また元地主の嘆きが伝わってくるように思う。


現在時刻15時、帰途に就く。17時前帰宅。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→竈門菅原神社30km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実4時間) 総計61km 走行累計44,660km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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