1001タイ映画、千夜一画 

タイ映画またはショートフィルム他で心の琴線に触れたアーカイブ。

視力 

2022-03-06 14:31:06 | タイのショートフィルム

 

何年ぶりに自分のブログを見ると時代は間違いなく時代は移っているのが分かる。シーウィの遺体標本は荼毘にふされたり、ファランポーン駅は移転され今は鉄道博物館になってしまったり色々だ。情報のURLは変わってしまつて表示できない画像や動画もあるが全てが今となってみれば愛おしい。タイでは長年暮らしていたが、鬱がひどくなると抜け出すのに苦労する。タイ映画というのは確か「田舎の教師」をNHKの放送をみたのが最初だが、あの雰囲気に出くわす現実はもうない。でもタイ映画の中にはそういう感性がDNA用に受け継がれて言葉では説明できない何かを精霊の用に感じるのが幸せの瞬間。そういった動画も今はLinkがほとん切れていて人に伝えることが難しくなってる。

 

仕事でタイ映画のサハモンコンのような大手製作会社に行くと、責任者はほとんどカンヌとかパリに出張していて話ができるのは部下の若手の社員だ。でもこういう社員は皆が映画監督の卵と自覚していてカフェで映画の話をすると止まらなくなる。また自分のタイ・テーストのSFのアイデアなんかで刺激するとすごく面白がってもらえた。あとで有名になるKディレックの「電気羊は夢をみるか」とか「高い城の男」とかディストピアのようなカオスの世界なのだが、ブレイントーキングは続いた。やはりビルマ出身のジョージ・オウエルの影響が強いのもインドシナ地域の特徴だ。

 

あのジャック・ニコルソンの「カッコーの巣」が大き張り出されてる頃の映画配給会社

は華僑の経営でマダムと娘さんが仕切っていて盛んにタイの古典題材によるポルノを日本へ売ってくれと頼まれた。タイでカッコー・・のような映画を探しているというと無視された。扱っている作品と会社の品性には関係なく、人も興味ある崇高に満ちたアートに反して反比例で資産はガタ減っていくのもタイで学んだ。

 

このアニメの作者は一度会ってインタビューしてみたいクレジットだ。

 

・・・・自己の探求から始めて、中国人の家族にいるという私のアイデンティティは、中国語を話すことを拒否しました。そして、タイの文化が漠然と取り囲んでいる都市、バンコクに住んでいます。私のアイデンティティに混乱し、私は道に迷っています。 

それから私はバンコクの街の近所を歩き回った、そしてたくさんのゴミが残っているのを見つけた。私も毎日歩いていたゴミ箱を通り過ぎます。都市に住む人々がゴミの存在を受け入れない場合、ゴミが目の前に見えない場合、都市は決してきれいにされません。 

この時点から、私は家族との関係へのリンクを見つけました-私は無視する都市だけでなく、重要なことも無視されています。 

なぜ無知は重要なものとして再び評価できないのですか? 

なぜ重要なものを再評価してゴミとして無視できるのでしょうか。 

この紛らわしい状態の間に、それらの無知の痕跡から疑問を投げかけましょう。 

彼らのささやきに耳を傾けると、あなたと私は再び彼らを見るでしょう。・・・(Google訳)

 

 

時勢柄、預言者のようにロシアによるウクライナ爆撃を連想させたり地下鉄に避難している市民を連想できる短い作品だが、言いたいことはよく解った簡潔でいい作品だ。

https://www.viddsee.com/video/sight/2fble?channel=thaifilm&edition=thaifilm&playlist=146


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