鳥取暮らし

水彩画・水墨画・写真とともに普段の暮らしお知らせします。

野の草花。

2012年04月24日 | 日記


ニラです。

今読んでいるは、玉村豊男「隠居志願」。

以前阪急デパートでたまたま彼のブドウの葉っぱの絵を見たことがあります。
それがなかなか感じがよかった印象があります。

この本には、身の回りにある季節の花々を丁寧にスケッチした絵が、エッセーに添えられていて、その絵を見ていると、こういう絵もいいなあと思えてて来るのです。
こういう小さな花を丁寧に描くのはあまり得意ではなく、今まで敬遠してきた画題なので、自分に出来るかなあと心配ですが、絵などは、他人のようではなく、自分で描けるように描けばよいと思っているので、何とかはなるような気がします。
自分で描いた絵を添えて、できたら彼のような文章が書けたらいいなあと思ってはじめたブログです。
そのうち何か自分らしさが出てくればいいのですが…。


画題については、一時描きたい絵がわからなくなり、何をどうしようかと思い悩んだことがあります。
もうフランスの風景は遠くなり、日本の風景も興味がわくものがなく、かといって静物はうまく描けません。

今も教室に通って絵の描き方について教えを乞うようなことをしているのですが、与えられた画題があり、それをきれいな作品に仕上げなければならないとなると、しんどくなります。

絵は、スキに描いていなければ楽しくありません。何かを目指していると「失敗」が出てきます。うまくやろう、失敗したくないと思っていては、やっていることが楽しくなりません。目指すのが高いところであれば、必ずうまくいかないのです。それはおもしろくありません。

ということで、これからはそろそろ教室にもっていく絵も先生流ではなく、自分が勝手に、好きに描いた絵をもっていって、それを見てもらうようなことを始めようと思います。ほかの人たちは、先生のような絵が描きたくてきているようですが、もうそれはいつまでやっていても追いつけないのですから、ちょっと進路変更します。
もう、上手にならなくていいと考えます。進歩しなくていいのです。
教室には、先生の描き方、絵に対する考え方を盗み見しに行きます。
ほかの人たちが、どんなものに目を向けて絵を描いているか教えてもらおうと思います。
ものを見る視点は、年をとるにつれて、ますます狭く、固定したものになっていくのを感じますから。






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