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徳川慶喜は、尊王攘夷の最後の将軍! 英雄たちの選択 

2022-06-27 18:54:05 | weblog
徳川慶喜は奇跡と称される政治手腕を発揮し、西欧列強との条約に天皇の勅許を求め成立させ、幕末の攘夷運動を終息させた。
それは天皇の御前で京都留守居役の各藩の代表者16名(大久保利通もその一人)を集め各人に自由に意見を言わせ攘夷に凝り固まっていた孝明天皇に条約勅許を認めさせるウルトラCであった。
これによって日本は全面開国へと向かうことになる

鳥羽伏見で逃げ出したのは、自分の死や薩長軍が怖かったわけではない。
朝敵になるということは慶喜には到底耐えられない出来事だったのだ。
部下をおいて逃げ出したということも非難の的になったが、慶喜はまさにその部下たちを置いて行きたかったのだ。
捨てて行きたかったのだ。
西欧列強の軍事介入という事態を避けるために奔走する慶喜の話を聞こうともせず戦いたがる会津桑名や、同じく軍事クーデターに固執する薩長の半獣人みたいな連中を心底忌み嫌い、大阪に置いて行きたかったのだ。

渋沢栄一のような忠臣もいたのに徳川慶喜公をフォローする出演者もいたね。
NHK 英雄たちの選択「江戸を手に入れろ! 上野戦争 西郷どんの選択」 
森まゆみと言う歴史通のエッセイストが、徳川慶喜公は移り気だっただの幕府内で不人気だの渋沢栄一のような忠臣もいたのに徳川慶喜公に対し慌ててフォローした。

森まゆみに対し歴史学者の家近良樹氏は見事に論破している。
立場や偏見に囚われない自由な発想ができる慶喜公は、硬直化した官僚組織そのものである幕府の旧来の対立構造に
固執する偏見に満ちた勢力からは嫌われた。

現代においても同様である事が森まゆみと言うエッセイストによって証明された。


鳥羽伏見の徳川慶喜公にとっては敵の薩長も配下の会津もそれ以外の連中も、皆やたらと殺し会いをしたがる言葉の通じない理解不能の狂人、あるいは化け物にしか見えなかっただろうな。
それでそんな連中に付き合っているのが心底嫌気が差したんだろう。

幕府最悪の時期にろくな味方もなく最重要の責務を課せられた徳川慶喜公に対してあまりに冷淡ではないかと思う。
彼は敗者として維新回天に貢献したのだと思う。
慶喜公が好戦的な人物だったら、戊辰戦争で全国が焦土と化し、欧米列強につけ込まれていた可能性もある。
 
ならば、薩長戦争や薩英戦争の件は一体どうだろう?
生麦事件もまたしかり。
森まゆみさんの甥に、在日ファンクと言うバンドのメンバーである仰木亮彦さんがいますよ。


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