コロナ重篤化から全身麻痺

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年末年始

2022-08-01 09:13:00 | 日記
寝る時に脚を動かして貰う作業に看護師、介護士諸共呆れられていたある日、足の指に水虫が出来てしまう。
靴下さえ履いてないのに何で水虫が出来るのか?
医者にも取り敢えず診断して貰うと、やはり水虫だと言う。
毎朝薬を塗って貰うのだが、日中ずっと痒い。
堪らなくてナースコールを押しては指先を掻いて貰う。
看護師によっては掻かない方がいいと突き放す者もいたし、靴べらを二つ繋げてテープで固定した棒を渡され、それで自分で掻きなさい。と言われたりもした。

所詮靴べらは靴べらだ。腕を伸ばして二つ繋がった靴べらを足の指先まで届かせる。
だが、所詮靴べらなせいか先が孫の手のようにはなっていない。
届いたとしても掻くことが出来ないのだ。

これは困ったと、頭を悩ませ考えた末は、脚を手で引き寄せるだった。
左足を両手で抱えるように引き寄せる。かなり重く感じ中々引っ張れない。

そりゃそうだ。寒くて布団を肩まで上げようとしても、布団が重くて持ち上がらないのだから。

それでも痒みの方が強くて必死に手繰り寄せようとする。

その結果、なんとか膝が曲がり手繰り寄せる事に成功した。

足の指先を自由に掻けるのがこんなに幸せなのかと悦に浸る。
暫くは足は曲げたままにしてようとそう思った。

その水虫のおかげか、痒みのせいで気付けば前より腕の力が上がっていた。
寒くても布団を肩まで上がらなかったのが、今ではそれも出来るようになっている。

しかも、脚が膝から曲がるようになっていた。
これで水虫も自由に掻けるし、寝る時の足の位置も自分で調整出来る。
看護師や介護士に呆れられる事もない。

食事にも少し変化が出始めていた。
この頃には既に固形食に代わっていたのだが、全介助だった食事が時間はかかるが自助具を使って一人で食べれるようになっていた。

ただ、車椅子に乗れるのは一時間半が限界で、それ以上になるとお尻や腰が痛い。
なので食事をした後はナースコールをし、ベッドに横にさせてもらっていた。
でもここはリハビリ病棟であり、車椅子に座って置くのもリハビリだと言う看護師も居て中々ベッドには寝かせて貰えない事もあった。

車椅子に座ってるのも相当キツいのに、なんて意地悪なんだと当時はそう思っていた。

リハビリの方は脚が動くようになった事から立ち上がりの練習へと変わっていった。
これが中々難しい。椅子ぐらいの高さだと低すぎて立ち上がれないので腰ぐらい高さにベッドを上げての立ち上がりの練習。
誰かに支えて貰わないと立ち上がる事は出来なかった。

立つって事がこんなに難しいとは全く思わなかっただけに立ち上がれない事が結構ショックだった。

言語療法があった事もお伝えしておく。
一日40分間だが、その間は言語療法の先生とお話ししたり少し言葉の訓練をしたりしてた。
話の内容は今までの事とかこれからの事とか様々な愚痴だったりとかだったが、喋ることに意味があるらしく内容は何でもいいそうだ。
呂律は未だに戻ってない。

そしてそのまま年末が来る。
まさかの病院で年末年始を過ごすことになろうとは……

世間が年末にどんな過ごし方をしていようと病院での年末は何も変わらない。年始もそうだ。
いつものように起きてリハビリをして食事をする。
一つだけ違うのは年末のお昼には蕎麦が、年始の昼には簡単なお節が出た。
そして年始の挨拶だけが、「明けましておめでとうございます」だった。
ただそれだけだ。
それ以外は何も変わらない。

年始も少し過ぎた頃、歩く練習に切り替わっていた。
平行棒に二人がかりで立ち上がらせて、前と後ろから支えられ歩くと言うものだ。
膝が曲がると言うもの、脚を前に出す行為は中々に難しい。
しかもお尻の筋肉に力が入ってなくて、すぐに脚が崩れてしまう。
足首も動かないので歩き方が抜き足差し足みたいになっている。
こんなんで本当に歩けるようになるのか心配だ。




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