コロナ重篤化から全身麻痺

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コロナ

2022-08-08 19:15:00 | 日記
施設での生活が始まり、一月余りが経った日のこと、同室者が入所してきた。

年齢は同じくらいらしい。
当たり障りなく挨拶をして、二、三言葉を交わした後、無言が続く。

部屋が狭いのとベッドの距離が近いのとで、物凄く気まずい空気が流れる。

話を聞くとこによると同室者の人は10月には仕事復帰するためそれまでの期間だけ入所するらしい。
そのせいか、自分はここの人達とは違うぞ的なオーラを出している。

お風呂後の洗濯待ちも鼻で笑い小馬鹿にするし、食事の時の食堂前で待ってるのも馬鹿にしていた。

ついでに言うと、二人部屋にも関わらず、スマホの音を消さない。動画視聴で大笑いする。
あ、この人とは合わないなと思った。

スマホの音に関しては流石に注意したが、動画視聴の大笑いは未だに治っていない。
消灯後も大笑いしてるからこちらが寝不足になった。

指導員に相談しよう。

次の日指導員に相談したところ、大笑いしたらナースコールで知らせてくれとの事だった。
早速夜中の大笑いにナースコールする。
「深夜の笑い声はお隣さんの眠りの妨げになるかれやめてください」
この言葉にその日は笑い声は収まった。

次の日、やはり消灯後も大笑いしてる…

こうなったら直接注意しないといけない。そう思い、「消灯後の笑い声はやめてもらっていいですか?」と声を掛けた。

勿論「あ、すみません」と返ってくるものだと思っていたら、「は?うるさい」だった。

耳を疑った。大の大人が注意されて「うるさい」と言ったのだ。

ここは二人部屋であり消灯と言うルールもあるのにだ。

この人にとってはどうしても笑い声を上げないと行けないらしい。

モヤモヤする中、その日は笑い声を聴きながら就寝した。

同室者が来てから四日目のある日、利用者のなかにコロナが出た。
施設内の職員も大慌てだ。
この日からコロナ患者の隔離と訓練が暫く無くなった。

食事も放送で名前が呼ばれるまで部屋で待機し、お風呂は暫く入れない。

自主練は距離さえ保てばやってもいいらしい。

けど、リハビリの為に入所しているのに訓練が無いとはどう言う事だ。

一日中部屋に篭って暇を持て余す。

同室者の彼は毎日お昼寝していた。

そのせいで夜中眠らず大笑いされるからたまったもんじゃない。

担当の介護員から前の日に入浴の準備をしといて下さいねと言われ「は?何で?面倒臭い」と言い放っていた。

この人とは本当に仲良くなれないなとそう思った。

10日ほど訓練の無い生活が続き、同室者の彼も昼夜が逆転した頃、ようやく規制解除された。

訓練が始まるのだ。

その日は、訓練室の扉の前で待ってましたとばかりに10分前だと言うのに人が集まっていた。

ようやく始まるリハビリに今までの訓練を思い出しながら再スタートした。




退院

2022-08-07 18:04:00 | 日記
手術を受けてから三時間とちょっとが過ぎ、朦朧としたまま目が覚めた。

お腹は術後のため少し痛い。

そのまま四人部屋へと運ばれ尿道にカテーテルがないのを確認する。
あれ?全身麻酔をしたら必ず尿道カテーテル入れるのに入ってない。

?を浮かべながら何やら薬を飲まされた。どうやら痛み止めのようだ。
点滴に繋がれ足には血が止まらないようにと、マッサージする機械が取り付けられている。

そうこうしてる内にオムツを穿かされた。
「オシッコが出なかったらカテーテル入れますのでその時は言ってくださいね」
看護師にそう言われるが、カテーテルなんて冗談じゃない。
麻酔中に入れられて抜くのも痛いのに、はっきりと目が覚めてる時のカテーテルなんて地獄だ。
最初の病院で何度もやられて参ってる。

頑張って夜中にオムツでオシッコをした。
寝ながらだとやはり出にくい…

オシッコが出た事を伝えると、「あ、出たんですね。次からはトイレに行きますか? 行く時は遠慮なくナースコールして下さい」そう言われて安心した。

ナースコールしてトイレに行くのも、ベッドから車椅子に移らなければ行けない。
しかも点滴という邪魔なもの付きだし、車椅子の乗り降りはここの看護師とは初めてだ。

不安なままナースコールを押して、車椅子に乗る時の位置取りやトイレでどう乗り移るとか指示した。

何とかトイレで用を足せる事への安心感たるやなかった。
退院は5日後らしくそれまでの間は用を足すときはナースコールかと溜息をついた。

それにしてもこの部屋は暑い。
暑くて何度も目が覚めた。ナースコールをしてアイス枕を貰うも全く効果がない。

暑いと訴えても隣のお年寄りの患者は暑くないらしく言っても無駄だった。

その日は暑くて何度も目が覚め眠れず、医者にも「暑方寝れなかった」と訴えた。
返ってきた言葉は意外にも「本当だね。空調下げてもらおうか」だった。
言ってみるもんだと思った。

そんなこんなでお昼前の時間に部屋移動と言われて、何故か個室に移動させられた。

聞いてみると、一緒に来た施設の看護師がコロナの陽性になったらしい。(後から聞いたら二回目検査したら陰性で何ともなかったらしいが)
濃厚接触ではないが、一応隔離と言うことで個室に移ったのだ。
空調が自由に設定出来る喜びに笑みが溢れた。

個室に移ってもリハビリのない毎日は本当に暇で、決まった時間に1日三回点滴をして、同じ時間に三食用意される日々が続いた。

その間、ずっとスマホを弄り、トイレの度にナースコールをする。

退院の前の日に病院で最初で最後のシャワーを浴びた。
介助は一年目の新人看護師で頭から身体まで洗ってもらう。
さっぱりして部屋に戻るとシャンプーの良い匂いに包まれていた。
そういえば髭も剃っていない。

そして退院当日。
迎えに来たのは施設の人ではなく母親だった。
介護タクシーを予約しているからと朝早くから迎えに来て、退院の手続きをする。
その間に五日間剃っていない髭を電動シェーバーで剃った。

介護タクシーに乗り込んで見送りに来た看護師に「お世話になりました」とお礼を言って出発する。

出発して三分ほどで施設に到着すると、誰の迎えもなく、その手で部屋まで車椅子を走らせた。

荷物を手の届くとこにまた配置しなくては。
元来せっかちな性格なため、早く元に戻したかった。

本日は日曜日、リハビリの訓練もなく、施設内は静かだ。
バスの時間がまだだと言う母と部屋で過ごしている間に昼食の時間となった。
急いで食べて母の元へ戻ると、バスの来る時間だからとお別れをした。

また明日から施設での生活が始まる。
もう手術をする事はないだろう。

この一年間で一生分の手術をしたはずだ。



盲腸

2022-08-06 09:28:00 | 日記
入所して二週間ほどが経ったある日、深夜に腹痛で目が覚めた。

お腹がチクチクして眠れない。

車椅子でトイレに行って大をしようにも出る気配はない。
でも出せばお腹の痛みも楽になると思い、一生懸命に気張った。

何とか捻り出したものの、お腹の痛みは全く変わらない。
約一時間半もの間真夜中のトイレに篭っていたのを見て、介護員さんが「大丈夫?」と声を掛けてくれた。
その時は何とか大丈夫だったので、大丈夫ですと答えて部屋へと戻った。

眠れないまま朝を迎え、苦しみながらも洗面所で顔を洗ってる時も介護員さんから「お腹の調子はどう?」と聞かれたので正直に「痛いです」と答えた。

顔を洗いベッドへと戻るとそこからはもう動けなくなった。
朝食も朝礼も掃除も出来ずにベッドへと横になったまま動けない。
看護師と先生がやってきてお腹に聴診器を当てて「病院へ連れて行ってくれ」と指示を出した。

午前9時か 頃介護用の車で担当の看護師と総合病院へと向かう。

車に乗って3分もしないところに総合病院はあった。
こんな近くに大きな病院があったんだなぁと感心した。

初診な為長い事待たされる。
約2時間は待たされただろうか。
乗っている車椅子もお尻の限界を迎えた時、ようやく番号が呼ばれた。

「CTと採血をしてきて下さい」と2時間も待っての指示だ。
最初からそちらからさせていただきたい。
無駄なやり取りを経て、看護師に車椅子を押されながら、まずはCTを撮影した。

その後は採血だ。
狭いベッドへと横になり、血を採られた。
そして何故かそのまま点滴をする。

結果はまだ先生が来ていないので何も言えないと言われた。
先生が来るのをゆっくり落ちてる点滴を見つめながら待つ。

一時間以上が経っただろうか、ようやく先生が現れて盲腸だと告げた。
腹膜炎を起こす直前まで来てるので今日手術をしましょうとの事だった。

その前にまたCTと採血をする事になり、意味がわからないまま連れて行かれる。

意味不明な繰り返しをされた後は、またもや先程のベッドへと戻り点滴を打ちながら手術の時間を待った。

施設では入院の準備を進めてくれており、部屋の箪笥から着替えや歯ブラシ、コップ、スマホなどを持ってきてくれていた。

そして二時間ほどが経ち、手術をする前に母親が駆けつけてくれていた。
二、三言葉を交わし、ようやく待ちに待ち焦がれた手術が始まる。

これでようやくお腹の痛みが解放されると、全身麻酔を受けて眠りながらそう思った。






そして訓練の日々

2022-08-05 12:44:00 | 日記
不安を抱いたまま施設での暮らしが始まった。

最初は各担当との顔合わせから始まる。
理学療法士の担当の先生と理学療法士室へと向かう。
そこには他の利用者さん達が沢山リハビリを行っていた。
車椅子の人や、杖を付いた人。
その中でも8割方が半身麻痺の人が多かった。

理学療法士の先生から今まで歩行器で歩いて来たかもしれないけど、もうそれはやめようと言われた。
用意されたのは4点脚の歩行器だ。
それを前に出してから脚を出す。
そうやって歩くらしい。

不安ながらもやってみる。
意外と出来たことに驚いた。

その後はベッドの高さを調整しての立ち上がりの練習。

そして重さ1キロの錘を着けた棒を水平に持ち上げての筋力トレーニングをした。

これが午前のリハビリだ。

昼食を摂った後、13時から始まる作業療法の訓練が始まった。

作業療法では体がどこまで動くか、反射神経はどの程度なのか、握力はどれくらいかなどを測られた。

肩は90度から上には上がらず、腕力もない。握力は15と少なく、反射神経も普通の人の半分以下だった。

まずは肩を動かすリハビリを行った。
坂道になったテーブルに両手で掴む棒の付いた板を真上に滑らす。これを作業療法が始まって20分やる。

その後は立ったまま両腕に1キロの錘を着けてからパズルをする。

パズルが目的ではなく、腕力を着けるのが目的らしい。

この日はこれらの作業をして終わった。

次の日、担当の介護員との顔合わせと、心理療法士との顔合わせをした。

心理療法では、健常者から障がい者になった不安や将来の事などを話した。

昼からはお風呂の時間だ。
お風呂は基本的に月水金になっている。
各自時間が指定されていて、その時間になったら浴場の前で待機する。

勿論ここでも病院とは違い、出来る事は自分でやらなければいけない。
服を脱ぐのも体を洗うのも一人でだ。
流石にお風呂に浸かるのは介護員に手伝ってもらった。
浴室で使う車椅子に乗り、お風呂の淵まで押してもらい介護員の手を借りて立ち上がる。
そして縁に腰掛けそのまま両脚を持ち上げてゆっくりと湯船に入るのだ。

上がる時はもっと大変で、縁にお尻を持ち上げて、そこから車椅子に乗らなければいけない。
失敗すれば大事だ。

無事成功して何とかお風呂から上がる。
体を拭くのも着替えるのも自分でやらなければいけない。
遅い人は本当に遅く、自分が服を脱いでお風呂から上がってきてもまだ着替えてたりする。

何とか着替えも成功し、お風呂で脱いだ洗濯物を洗う事になった。

洗濯機の前はお風呂から上がった人達でいっぱいになり、渋滞している。
順番を待ち洗濯ネットを放り込んでプッシュ式の洗剤を3回プッシュしお急ぎモードで洗濯機を回す。
25分後に仕上がるのでそれまで部屋で待機だ。

25分後、介護員が洗濯物を部屋まで持ってきてくれた。
そしてこれを自分で干す。
Tシャツなどはシワクチャになっているが、広げる力がないのでそのまま干す事になる。
見っともない干し方に萎えながら介護員のチェックを確認して洗濯は終わった。

そして次の日、子供が熱を出していて暫くお休みしていたと言う担当の指導員との顔合わせをした。

指導員とは生活についての不安や今後の目標などについて話をした。
目標は元の仕事に戻りたいだ。
また前のように仕事をしたり、友達と遊んだりしたい。勿論密は避けてだが。

それ以下は考えてない。
そう強く意思表示して、これから一年半ものリハビリを頑張ると誓った。

その後は時間割通りの訓練が行われて、また夜がやってくる。



新生活

2022-08-04 12:37:00 | 日記
施設に到着するとまず一番にトイレの乗り移りを確認された。

病院では出来たものの環境の違う施設では如何なのか?
結果によっては穂高便座を買わなければ行けなかった。

便器の高さ、手摺の位置、何もかもが病院とは違う。
車椅子からの立ち上がりは成功した。
便座に座る。これは向こうも想定内らしい。
さあ、本番は便座から車椅子への乗り移りだ。
病院のトイレとは違い、少し高い手摺を掴んでお尻を持ち上げる。
よいしょと両腕に力を込めて立ち上がった。

出来た。施設のトイレでも便座から車椅子への乗り移りは可能だった。
リハビリの先生も「穂高便座いらなくなったね」と喜んでくれた。

そして施設の事などを指導員の方から説明を受ける。

部屋は基本二人部屋で、今はまだ人が入って来ていないので一人部屋になると言われた。
部屋を見ると物凄く狭い。
ベッドが並んであるのだが、距離が近すぎて二人になった時が物凄く気を遣いそうだと思った。

洗濯は各自自分で行わなければいけない。
大きな洗濯ネットに洗濯物をまとめて入れて、お急ぎモードで洗濯しなければいけないらしい。
そして、洗濯が終わったら各自部屋に用意された洗濯干しに自分で干さなくてはならない。

朝の起床は6時半、就寝は22時。
電気は強制的に消えるらしい。
朝食は8時で昼食が12時、夕食は18時との事だった。
朝食が終わったら、8時50分に部屋の前に整列して点呼を取られる。
その後はラジオ体操だ。
9時には掃除をして、10時からリハビリが行われると聞いた。

退所するまでの期間は1年半。もし、何らかの理由で途中退所する場合は相談して欲しいと言われた。

他にもたくさん説明されたが、新しい環境にキョロキョロしてしまい余り覚えていない。
書類にサインをするのは母に任せた。

この施設での新生活にドキドキしながら母が帰って行くのを見送った。

これからは病院の様にナースコールをすると何でもしてくれる環境じゃない。
基本出来る事は自分でしないといけないと言うのは、それだけで不安になった。