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東京パリ日記

パリ日記第2章、終了。東京生活、再開。

『SAINT LAURENT/サンローラン』

2015-12-06 10:04:27 | シネマ・アート
『SAINT LAURENT/サンローラン』

役者というのはすごいなー
役によってあれほど変われるんだもんな。

イヴ・サンローランの映画がほぼ同時期に2本作られたというのは、
それだけサンローランという人、メゾンの存在感、時代を変えたインパクトの大きさなど、
そしてイヴ個人の生活の波乱万丈、スキャンダル、いろいろあって、
それらをどう切り取るか、どの視点で描くかで全く違った物語になり得る、
それくらいの“素材”ってことなんだろうな。


以前観た方。
映画『イヴ・サンローラン』


ベルジェとの関係の描き方もずいぶん違っていて、
より親密な個人的パートナーであった前回と比べて今回のはビジネスライクな関係。
イヴはより孤独で、壊れ方も酷く、あんな酒と薬漬けの生活でよく死ななかったよ!
(しかしわんこが。。。)

出演者も前作が舞台役者系だったのが今回は映画界のスターたちといった感じ。
前作がイヴのデザイナー人生をより細かく辿っていたのに対して、
今回は仕事以外の面が多かったような。

どちらか1本を選ぶとしたら私は『イヴ・サンローラン』かな。


しかし美女たちといいファッションといいほんと美しい。


「SAINT LAURENT/サンローラン」 本予告

『ディオールと私』

2015-10-01 21:40:04 | シネマ・アート
『ディオールと私』

見逃していたこの映画、恵比寿ガーデンシネマで特別上映してたので見れた。
観れてよかった!

ハイファッションの世界について特別な興味や予備知識のない私から見ても、
最後、初めてのショーを終えた新デザイナー・ラフと彼の右腕ピーターの感極まった様子に、
彼らにかかっていた重圧、ディオールの伝統の重みが如実に表れていた。

その日を迎えるまでに、就任した喜びと驚き、実際に作業を始めてみると思うようにいかない焦り、怒り、
そして最後の感涙。

それにしてもムッシュー・ディオールの存在感は亡くなってずいぶん経つ今でもすごく大きいんだね。
アトリエずっといるんだね。(笑)

そしてオートクチュールを手仕事で作り上げてる職人のみなさん!
主役はむしろこちらだよね。
デザイナーのイメージを具体化していくその過程にびっくりした。

スケジュールがおしてるというのに職長が不在!
なぜならNYに出張してるから!顧客に呼ばれて!
ってのもすごい世界だなあ。
ドレスのお直しにパリから飛んでいくと。

ショーに間に合わないとラフ氏は相当お怒りだったけど、
ああいう顧客のお買い上げがあってこそあの豪華なショーもできるわけで。
ジレンマですな。

しかし「デザイナー」というのがどういう仕事なのか、
その範囲の広さというか、ちょっとイメージ違ったかも。
そういう意味でもおもしろかった。

『バレエボーイズ』

2015-09-07 19:10:51 | シネマ・アート
映画『バレエボーイズ』予告編


NHKで放送した短いバージョン(45分か50分だったかな)を見たときから、
すごく興味深かった本作。

その後、去年のローザンヌの決勝にシーヴェルトが残ったのを見て、
なんだかとってもうれしかったし。(笑)

興味深かったのはノルウェーの教育事情。
高福祉で有名な北欧。さすが、教育環境は充実してるよね。
ルーカスが入学を許可されたイギリスのロイヤル・バレエ・スクールの1年間の学費が4万ユーロとは!
オスロに残れば学費無料、留学したら高額。。。(奨学金もらえたのかな)

15歳でロイヤルに留学を決めたルーカスが両親と一緒に寮に行き、
学校の説明などを受けてる場面で思ったのは、
英語で苦労しないのやっぱ強みだよな、という点。
ヨーロッパで、世界で仕事を見つけていく可能性を考えたとき、
言葉がハードルにならないのは強いですよ。
ましてや15歳、初めての一人暮らし。

そして本題のバレエ。少年3人それぞれの選択。
ほんと厳しい世界だよねえ、バレエって。
身体的条件によって、どうしても限定されてしまうこともある。
努力だけではどうにもならないことがある。

でも3人のたわむれてる様子はほんと微笑ましくて、幸せな時、って感じ。
その先の道はそれぞれ分かれていくかもしれないけれど、(実際分かれたけど)
ああいう友人、ああいう時間は貴重なものだよね。

アジア系ということもあってか、シーヴェルト応援モードになっちゃったよ。
いいキャラしてるよね彼。

こうやって取り上げられたことで、世界中にファンも生まれたことでしょう。
ダンサーとしてのルーカスとシーヴェルトのこれからの活躍が楽しみ。

『わたしはロランス』

2015-08-27 19:31:58 | シネマ・アート

『わたしはロランス』(《Laurence Anyways》グザヴィエ・ドラン監督 2012年カナダ・フランス)

私がグザヴィエ・ドランに衝撃を受けた作品。
いつもセレクトが素敵な目黒シネマさんで観てきた。
(8/28まで!)

3時間近い長さと、前回見てからだいぶ経ってるせいか、
覚えてないシーンもありつつ、記憶に刻まれている場面ではやっぱり涙。

『Mommy』もそうだけど、ドランは若いのに大人の描き方が素晴らしい。
ロランスとフレッド、そしてロランスとロランスの母親。
痛いほどわかる、心の傷。衝撃。心境の変化。

人は孤独だし、でも他人の温かさがものすごく必要な時もある。
人生に同志がひとりいたら、それはなんて幸せなことだろう。

この作品を撮った時、ドラン23歳!?
どんだけ人生経験積んでるの!!

メルヴィル・プポーも素晴らしかったし、
ドラン作品ではおなじみスザンヌ・クレマンがまたすごい。
そしてナタリー・バイの母親がステキなんだこれがまた。

ロランスの“革命”によって登場人物それぞれの心に広がるさざ波、大波を、
それぞれの演技が観る者に伝えてくれる。

はあ。。。

3時間弱、長くない。

『彼は秘密の女ともだち』

2015-08-12 21:06:12 | シネマ・アート
『彼は秘密の女ともだち』(≪Une nouvelle amie≫ フランソワ・オゾン監督 2014年フランス)

【予告編】彼は秘密の女ともだち


オゾン監督の新作、今年はフランス映画祭に行かずだったのでやっと観れた。
この、おもしろなところと、くぅってなるところ、その絶妙なバランス。
重くならず、ちょっと都合よすぎな気がしないでもないけど、
いろいろ考えさせられる内容だった。

偏見、世間からの目、常識、みたいなものからの解放。
こうあるべきと“世間”から課せられた、あるいは刷り込まれた意識からどう解き放たれ、自分の願望の方をより大切にできるか。

世間の常識と違ってもいい、自分の幸せを大切にしていい、
というメッセージは、最近特に意識されてきているように感じる。
そういう映画に自分が惹かれているということかもしれないけど。

マイノリティであるが故の苦悩、自分の中の罪悪感との葛藤。
周りの人にとっての衝撃、受け入れていく過程。

“自分自身”でいること、そしてそれを理解してくれる人がいることの大切さ、すばらしさだよなあ!

それにしてもロマン・デュリスの女性っぷりはお見事。
毎度のことだけど、素晴らしいな、役作り。
アナイス・ドゥムースティエもいい。
二人をとりまく人々も、なんかこう、あーこういう人いるわ、
悪気はないんだろうけど無神経、とか、
悪気はないんだろうけど無理解、とか。

で、最後のあれは、どうなんですか、どういうことなんですか!オゾン監督!

『チャップリンからの贈りもの』

2015-08-01 10:40:52 | シネマ・アート
『チャップリンからの贈りもの』(グザビエ・ボーボワ監督 2014年フランス)
原題:La rancon de la gloire

ミシェル・ルグランの音楽にのせて展開されるおばかな“犯罪”。
これをどこまでほんわか笑って、温かいいいお話として受け止めていいものか、ちょっと悩む(笑)

こういう、困っている人側に絶対に立つところがフランスだなあという風にも考えられるかな。
日本だったら、いくらお金に困ってるからって許されない、
頑張って働いて稼ぐべき、困っている人は他にもいくらでもいる、
という“正論”出て、批判が大半を占めて、あのようなエンディングにはなりにくい気がする。

他者への寛容さ、失敗が許される世の中。
そういう前提があってこその物語かもしれない。

『フレンチアルプスで起きたこと』

2015-07-30 09:53:52 | シネマ・アート
『フレンチアルプスで起きたこと』
(リューベン・オストルンド監督 2014年スウェーデン・デンマーク・フランス・ノルウェー合作)

7月4日(土)公開『フレンチアルプスで起きたこと』予告編


この映画は怖い!カップルで観る人たちは要注意だぞ!(笑)

ヴァカンス先で遭遇した雪崩という危機に、期待とは違った夫の行動。
その事実を消化しきれない妻。
それを夫にぶつける妻。
自分のとった行動も妻の言葉も受け入れられない夫。

映画を見ている時は、うわー出た、男のメンツ!プライド!と思ってたんだけど、
鑑賞後に監督のプロダクション・ノートを読んで、
なるほどなーーーと。

夫は妻や子供たちを守るべきであるという社会通念。
しかし現実に危機に遭遇した際、男たちは期待通りの行動をどれくらい取れるものか。
期待値と現実の差に、本人も周りも驚き落胆し幻滅していまう。

そして妻は子の面倒を見て当然だという社会通念があるように、
男女問わず、いろんな社会的な役割、理想像、期待を、
本人の意志とは関係なく背負ってしまっている面。

自分に対してこうあらねばと無意識に思っているという側面と、
それと同時に他者に対してもこうあってほしいと勝手に当然のように思っているという両方。

深い。

いやとにかくほんとに、カップルで行くと気まずい雰囲気になる可能性高いので、
そのつもりでね!(笑)
映画はおもしろいよ!

ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ

2015-07-01 11:04:37 | シネマ・アート
ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ 書物がひらくルネサンス
2015年4月25日(土)~2015年7月12日(日)@印刷博物館


さすがヴァチカン、持ってるものが違う。
という気にさせられる。
これがごくごく、ごく一部なんだろうし。

世界で一番売れてる本は聖書、とは言うけれど、
目の前に15世紀の古ーい聖書があると、当時のキリスト教、宗教の持つ力を感じる。
宗教という求心力があったからこそ、これを広めたい、知らしめたいという思いも強く、
そのために技術が追求され、向上し、美しくなり。

キリスト教に影響を受けた音楽や絵や文学などが生まれ、
それらひとつひとつがその先の芸術の基になっていく。

すげえ!すげーよ!

と、壮大な気持ちになってるとまんまとヴァチカンの思う壺だけど、(笑)
一方で、今が宗教の縛りがない自由な時代でよかった!とも思うんだよね。
自分が当時に生きていたら、当時の空気にのってうまいこと暮らせてただろうか。

あんまり自信ないわー、と思ったり。

(実際、自由のない国や地域もありますからね、現代においても)

しかしとにかく、美しい本がたくさんでした。
書いてある中身が同じならなんでもいいではない、
美しさへのこだわり、究極を追求する姿勢、素晴らしい。

というわけで、さすがは印刷博物館の作る図録、立派。
買ってうちの本棚に並べました。

『Mommy/マミー』

2015-05-09 19:47:00 | シネマ・アート
映画『Mommy/マミー』グザヴィエ・ドラン監督 予告編 4.25公開


私、何度視界が曇ったことか。
すごいよドラン。

前回見た『Laurence Anyways 私はロランス』が私のドランデビューだったわけだけど、
ロランスの痛みや強さにもすごく感動したし、
今回も、3人それぞれが持つ傷、それを一時忘れる瞬間の幸福、
見えたか見えないかの希望、そしてさらなる傷、それらに深く深くやられた。

見て一週間は経ってるはずだけど、いまだに思い出し涙しそうだ。

ドランが描く戦う女性たち。
どこかのインタビューか番組でなぜ母と息子をまたテーマに選んだのか聞かれ、
「描いているのは女性。男性よりも女性は戦っているから。権利や自由のために」
というようなことを言っていた。

母でなくても、女性でなくても、
常にマジョリティーで順風満帆でなんの心配ごともない人以外は(そんな人いるのかしら)、
自分の持つ傷、不安、迷いなどを、登場人物にみるんじゃないだろうか。
私はドランの映画にいつもそれを見る。そして感動。

もう一度映画館に行くべきかも。

ボッティチェリとルネサンス

2015-04-04 00:17:49 | シネマ・アート

ボッティチェリとルネサンス――フィレンツェの富と美
2015/3/21-6/28@Bunkamuraザ・ミュージアム

イタリア絵画なんて久しぶり。どうしたんだろう急に。
なんとなく気になって行ってきた。

ずらっと並んだ聖母子の絵。
この時代の絵の人物ってなんだか無表情よね、と思いながら見始めたんだけど、
同じボッティチェリが描いていても時代によってマリアもイエスも表情が変わる。
順風満帆だった頃、やがて時代が変わり未来に暗雲が。
その気配が、マリアとイエスの表情に表れる。

世界の中心だったフィレンツェ。
メディチ家の富が集めた芸術家と芸術作品。

どういう時代にどこに生まれるか、巡り合わせだよね。

この前、庭園美術館で見たアールデコと古典主義も、
1920年代のパリという時代と場所に居合わせた、引き寄せられた、というのを強く感じた。

今回のルネサンスにもそれを感じたなー。
いるべくしていたのか。それが神の意志か。
なんて。聖母子見過ぎたかな。(笑)

しかし描かれる女性像があまりにも美化、理想化されていて、
当時の女性たちにしてみたら息苦しかっただろうなあ。
「あるべき姿」を他人に決められる、そうあることを求められる息苦しさ。
(それは現代にもあるけど)

ルネサンスを華やかに彩ったボッティチェリが、
時代が変わり晩年は困窮して人知れず亡くなったというのはなんとも切ない話。

『春』のような華やかな絵を描いていた頃を思い出したりしていただろうか。