旧 自分ブランド「COMME des KAORI」

私が他の誰でもない私になるために・・・
独立系FPを目指す私の成功ノート

自然に生きる、自然と暮らす「ターシャ・テューダー」最後の言葉

2009年10月14日 | 心=ハート


こんばんは、CFP@aromaです

私にとって「こんな風に生きられたらなぁ・・・」と思うあこがれの人、それは
ターシャ・テューダーTasha Tudor)さんです。
以前、マインドマップ1年生「あこがれの人」ということで、ちょっとだけ紹介したことがあります。(そういえば、最近は全くマインドマップを書いていません。飽きっぽいのかしら

ターシャはアメリカバーモント州でスローライフを営んだ絵本画家・挿絵画家・園芸家・人形作家・創作料理家・・・とたくさんの肩書きを持つスーパーお婆ちゃんです。
残念ながら、昨年618日に92歳で亡くなりました。
私は、哲学者とも言えるターシャの信条、特にライフスタイルが好きで、あんな風になりたいなぁといつも思うのです

ターシャを知ったのは数年前のNHKの番組。ナレーションが女優の斉藤由貴さんなのだが、優しくてとても落ち着く語り口。
なんて美しい庭なんだろう、なんて素敵な女性なんだろう、なんて豊かな生き方なんだろう・・・。そして、私も将来あんな風に生きたい、あんな風に子供を慈しんで育てたい。ターシャの番組や本を見るとなぜか胸がいっぱいになる
それはターシャが素敵な人だからに違いないけれど、ターシャを見ているとどうしても祖母を思い出すから・・・。

私の祖母も花が大好きで、庭にも家の中にもたくさんの花を咲かせていた。料理も得意で、いつも台所に立っていた。
その祖母とターシャの顔、そっくりなんです
色白で鼻が高くていつも髪をきちんとしていて綺麗なお祖母ちゃんだった。
大正生まれなのに女学生時代にはバスケットボールをするような活発な少女だったらしい。そして昔の人はみなそうだが、太平洋戦争から帰還したものの体を患った祖父に代わってよく働いたそうだ

しかし私が中学のときに階段で転び骨折してからは、何かと娘である母が面倒をみるようになり、高校のときには脳梗塞を起こしてそれからは本当に大変だった。同時に祖父まで入院し、大学受験のころは家の中はバタバタ
その後も小さいのから大きいのまで脳梗塞を何度か繰り返し、その度に一人で出来ることが減っていった。介護保険制度が成立した平成12年には早速「
要介護5」と認定され、私が社会人になって数年後に亡くなるまで、家で完全介護をすることとなる。
私も家族の一員として出来ることはしたつもりだが、思うにそれは祖母を抱えて奮闘する母のためだった・・・。
それなのに、私が風邪をひいてしまい、母にうつしたことで祖母に感染し、それをこじらせて高熱を出したことが亡くなった間接的な原因だったと思うと、数年経った今でも悔しくて可愛そうで涙が出てくる
最後の入院をしてからは家族も親戚も毎日病院に通って夕食をみんなで取って深夜帰宅する日が続いた。
しかし母があれだけ毎日病院に通ったのに最期の最後に叔母さんと交代して荷物を取りに帰ったちょっとの時間に祖母が息を引き取ってしまったことは、どれだけ母にとって悔しかっただろうかと思う。
だって10年も介護してきたのに最期を看取れなかったなんて、いくらその背中をずっと見てきた私でも母の胸のうちを本当に理解することはできない

ただ、私なりの解釈としては、きっと祖母はだいぶ前からこの世とあの世の境にいたにも関らず、こちらで看ている母の思いが強すぎて引き止める余り、なかなか逝けなかったのではないかと思ったのだった。
だから傍らを離れたちょっとの間に、祖母はすっとほどけてしまったのかもしれないと

もともと仏教ではこの世に生きていること自体が「苦」であるとしている。
生・老・病・死の4つ全てを「苦しみ」としているが、輪廻の考え方からすれば生まれるとことは前世で卒業できなかったカルマ(業)を背負っての誕生であり、しかも人間は最初からその後に必ず老いや病気や死を抱えた存在であることを単純に考えれば、やはり「生」は「苦」なのである。
それでいて、死ぬ瞬間というのは死んだという自覚がないくらい苦しくないらしいのだ。
「あれ、どうしたんだろう」、「あそこに自分の体があるなぁ」、「もう一度戻りたいなぁ」と天井から見ているのだそうだ。
しかし亡くなった後、お棺の上に刀などを乗せるのは、「もう戻ってきてはいけません」という気持ちを示すためなぜなら、生きていくことそのものが「苦」であるから。
「もう十分苦しんだから現世の苦しみは卒業してください」と断腸の思いでこの刀を置くのである

まぁ、私は死んでみたことはないし、死んだ人しか死ぬことは分からないのだけれど、死んだ人はもう教えてくれないわけで、いつまでたっても謎なのだが、少なくとも葬式というのは死んだ人の供養と言いつつ、本当は残された人のためにあるのだと思う。
四十九日の法要でお焼香をするといつも思う。あぁ、この煙と一緒に、亡くなった人は、魂の分だけが抜けて、あとは量子のエネルギーとなってほどけていくのだなぁと
仏とはほどけた状態。そして宇宙に広がって「空」(くう)に帰るのだ。

そんなことを祖母が亡くなった後、母に話したことがあった。
それはちょうど、交代で祖母を看る病院のベッドの傍らで、私が玄侑宗久さんの中陰の花」を読んでいたためである。

この本から人間の死というものを考え、自分が祖母の死に直面している現実をどう解釈すべきかを探っていたのだろう。
出版されてすぐに母から勧められた本で悲しみから少しだけ立ち直るヒントをもらい、その本から得た私なりの解釈で母も少しだけ元気になったような気がした。
もう、6年前も前のことである

すっかり感傷的になってしまった・・・。
つまりは、それだけターシャを見ていると、祖母を思い出してしまうという話だ。
だから番組を見ていると、それだけで泣けてくることがある。(気が強そうな顔をしていながら、意外に涙もろいんです
まぁ、ターシャに言わせれば、死んでからのことなんてわからないから、今生きていることを楽しんで楽しみは創り出せるものよ

だからこの秋、仙台に「ターシャ・テューダー展」がやってくることを知った時はとても嬉しかった。以前からチェックしていたのだが、なかなか東北での開催がなく、今か今かと心待ちにしていたところ、COOLさんからイベント情報をいただき、実はその時思わず声を上げてしまった
おまけにFP1級試験のすぐ後に開催されることから、勉強の励みにもなった。
COOLさん、ありがとうございました

〔展示会インフォメーション〕
昨年惜しまれつつもこの世を去ったターシャは、アメリカ・バーモント州の村で創作活動を続けながら30万坪と言われる広大な庭でガーデニングを楽しみ、愛するコーギー犬や山羊に囲まれて、生活のほとんどを手作りすると言うライフスタイルを守り続けてきました。
本展では、初公開となる絵本原画や、彼女が日々慈しんで使っていた食器や手書きのレシピ、手作りの人形など約180点を一堂にご紹介します。その中でも注目はコーギーコテージと呼ばれるターシャの住まいを再現したブース。ターシャファンはもちろん、ガーデニングがお好きな方、絵本・人形がお好きな方、スローライフやコーギー犬に魅力を感じる方など、沢山の方にお楽しみいただける、ターシャの魅力満載の展示会です。

早く行きたかったのだが、なかなか時間が取れず、やっと10日に行くことができた
連休中ということ、展覧会が12日までということ、そしてこの仙台展が、昨年3月に銀座からスタートした展覧会の19箇所目、最終会場とあって、KURAXは思った以上に混んでいた。
これまでテレビや本で何度も目にした、ターシャが手作りした品々や、ちょっと汚れたエプロン、お気に入りのドレス、スプーンやお皿や鍋などを並べられると、妙に生々しく、何だか変な気持ちになった。
だってこれら全て、去年までターシャがコーギーコテージで毎日使っていたものなんだから
ターシャもきっと、「あら、はるばる日本で私の道具が展示されているわ」なんて不思議に思って眺めているのではないかと思ってしまった
そうなんだ、ターシャも空に帰ってしまったのだ。

ちょっと落ち込んでしまったとき、何が幸せかわからなくなったとき、頑張っているのに疲れてしまったとき、私は「ターシャ・テューダーの言葉」の本を手に取る。

すると、ターシャの生き方に、考え方にたちまち勇気付けられ、なんて小さいことに捕らわれていたのだろうと気づかされる。

さらに、以前から欲しかった庭の本もコレクションに加わることになり、これでいつでも自然に生きる、自然と暮らすターシャに会えることができると思うと幸せである
仙台での展示会をもって、展示品はアメリカなどの所蔵元に帰るそうだ。良かったね、ターシャ。

きっとこれまで、NHKの番組や展示会を通して、多くの人がターシャの「手作りライフスタイル」に触れ、そこからそれぞれがを描いたことだろう
これから私は、その夢を実現させて、私だけの手作りライフスタイルを確立していくことになる。
私にはどんなコーギーコテージが待っているのかなぁ
また、ターシャが言う、「思うとおりに歩めばいいのよ」って


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2 コメント

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ターシャ・テューダー展 (COOL)
2009-10-15 18:04:40
僕も先月行って来ました。まさに自然と一体化した暮らしぶりは凄く憧れますね。

秋になるとまとめて千本ものローソクを作る、ってところがびっくりでした。
一本でいいからわけてほしい。

冬の寒い夜、かすかなアロマと共にそのローソクの灯りを見つめていたらどんな気持ちになるのでしょうね。

それとあの犬もかわいかったですが、街中で飼うにはむいていなさそうで残念。
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>COOLさん (aroma@CFP)
2009-10-16 17:40:36
コメントありがとうございます。
COOLさんも先月行かれたのですね!ハーブティーとか買ってこられました?
地元、朝日連峰の麓でミツロウをつくっているおじさんがいます。見るからに優しくて少年のように純粋なのでおじさんというより、お兄さんですね。
ミツロウはにおいもよく穏やかな気持ちになれますね♪

コーギーは私も大好きな犬なんです。もともと牧羊犬でしたが、町で飼っている方も結構いらっしゃいますよ。

将来、キャンピングカーでコーギーと一緒に旅行して歩くのも、「可愛い」おばあちゃんになってからの密かな私の夢です
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