妄想ジャーナル

 神仏から日常のささやかなことまで
  ネットという海を得た管理人の妄想はもう誰にも止められない。

“悟り”の開き方 (中編)

2014-05-11 23:34:46 | 日記

 それでは次に進んで、頭に貼りついた手をどうやれば離すことができるのか?ということになるのだが……。
 まず、何が原因なのか?ということを明らかにしなければならない。
 しかるのちに原因を除去し、現状の改善をはかる。 
 これは“縁起の法”と呼ばれ、仏教の基本的思考である。
 
 それでは手が頭に貼りついている原因とは何か?
 すなわちそれは《快楽》と《不快》を肉体から受け続けていることである。
 目、耳、鼻、口、手のひらという五つの感覚器官を通じて、日々「嬉しい」と「嫌だ」という感情に翻弄され続けてきた結果、心はすっかり肉体に依存してしまったのである。
 その依存症を治すためにカウンセラーに相談すれば、その人は頭に貼りついた手をしみじみと見て、まず間違いなくこう言うだろう。
「肉体から送られてくる《快》と《不快》に惑わされることなく、静かなところで、心穏やかに暮らしなさい」
 それだけですか?と次の患者を呼ぼうとしているカウンセラーに尋ねれば、
「それだけですよ」と答えが返ってくるだろう。
「精神を集中して、この手に離れろ離れろと念を送ってみるのはどうでしょう?」と尋ねても、
「ああ、それは逆効果ですね」と返ってくる。
「逆効果ですか?」
「下手に意識すると、かえって強く手が頭に貼りついてしまいますよ」
「じゃあ、私はどうすればいいんでしょう?」
「ですから、心を惑わされずに、穏やかに暮らすことですよ」
「それしか、ないんですか?」
「潜在意識のレベルですから、表層意識でどうにかできるものではないんですよ。まあ、心穏やかに暮らして、自然と手が離れていくのを待つしかありませんね」
「自然と、って、どのくらいの時間がかかるんでしょうか?」
「さあ、ねえ」
「さあ、って……でも一年ぐらいすれば、離れますよね」
「潜在意識というのを、ちょっと甘く考えているようですね。いいですか? たとえ肉体をなくして何十年たとうとも、ひょっこり肉体のかたちでカメラに写ってしまう。心の肉体への執着というのは、それほど強いものなんですよ。ましてや肉体をもちながら肉体への執着を滅しようとするんだもの……。どれだけ難しいか、想像がつくでしょ?」
「じゃあ、何十年?」
「そうですね。そのくらいは覚悟しておいた方がいいでしょうね」
「うわあ、何十年もかかるんだ……」
「ああ、誤解しないでください。何十年頑張ったからって必ず離れるわけじゃないですよ。一生かけても一度も離れなかった人も多いんですからね」
「うわあ……」


                                                                                              
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“悟り”の開き方 (前編)

2014-05-11 12:10:31 | 日記

 人はみな頭に手を貼りつけて生きている。
 この肉体こそが我が本質であると、潜在意識が必死な思いで貼りついている。
 その手を離し、肉体から自由になること──
 これが“悟り”である。

 では、どうすれば悟りを開けるのか?
 どうすれば、頭に貼りついた手を離すことができるのだろうか?
 原理は催眠術と同じである。
 催眠術のデモンストレーションで、片手を頭にぺたりと置かれ、
「さあ、これでもう離れませんよ」と催眠術師に囁かれれば、観客はほんとうに手を離すことができなくなってしまう。
 押しても引いても動かない。
 自分は騙されているんだ。この催眠術師に離れないと思い込まされているだけなんだ。
 何度、自分に言い聞かせても(そしてそれは正しいのだが)やっぱりびくとも動かない。
 では誰がその暗示を解くことができるのか?
 それはその催眠術師だけである。
 同じ技量があっても、他の催眠術師に解くことはできない。
 それぞれの個性や癖があって、錠前は対になった鍵でしか開けられないように、かけられた暗示はかけた催眠術にしか解くことができないそうである。
 それでは、この肉体こそが我が本質であると、頭に貼りついてしまった手はどうすれば離すことができるのだろうか?
 それは己れ自身を頼る他にない。
 かけられた暗示はかけた催眠術にしか解くことができないように、自分自身にかけた暗示は自分にしか解くことができないのである。



                                                                                               
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《美味しんぼ》が見ているもの

2014-05-11 08:18:49 | 日記

 それは福島県民の幸福ではない。
「もう人の住むところじゃない」と主張する福島から県民を救い出そうとしているわけではない。
《美味しんぼ》の原作者が見ているものは反原発運動である。
 このため「鼻血が出ても福島県民は隠している」などと衝撃的なことを書いても、「こんなに騒ぎが大きくなるとは思わなかった」などという能天気な台詞が出てくるのである。
 もしも福島県民の目線があれば、これは『たちまち野菜も魚も売れなくなってしまう死活問題』であるため、大きな騒ぎになるのは充分予想することができただろう。
 しかし目線は反原発運動にあるため、都知事選ではさしたる盛り上がりを見せなかったのに、どうして今、こんなに大きな反響になるのだろうかと、原作者にはピンとこなかったのである。
 回が進んでも、やはり印象操作ばかりで科学的根拠を示すことはなかったようだが、狙いは反原発運動を煽り、あわよくばブーム化することであるから、原作者にはそれで充分なのである。
 ──福島県民のこと? それは行政の仕事でしょ? ボクはただ、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くだけで、それがどうして批判されるのか分からない……。 
 そうして、おそらくこのまま《美味しんぼ・福島編》は終わるのだろう。
 科学的根拠もなく、福島県民の生活もなおざりにされたまま、『原発の建設が今後どう軌道修正されるのか、我々は国を監視することを怠ってはならない』といった風な、一見前向きなラストシーンでこの騒動を収束させるつもりではないだろうか。

 また、原作者は「責任はすべて自分にあり、編集部に抗議文を寄せるのはお門違いである」ともコメントしているのだが、これこそお門違いというものである。
 たとえば『犬猫の殺し方』をテーマとした反社会的漫画が掲載されたケースを思い浮かべてもらえれば、それで反証は充分だろう。
 作家にすべての責を負わせたところで何にもならない。
 話題性を狙い、同様の漫画が別の作家によって発表されるだけのことだからである。
 ために、その責任は掲載した編集部が負わなければならない。
 それが社会のルールというものである。
 原作者はいささか“大物感”に毒されて、こうした良識が見えなくなっているのではないか。

 さて、その責任を負うべき編集部であるが、これが何とも心もとない。
 自分達が掲載したメッセージで、福島県民がどう追いつめられていくのか、まったく考えていない。
 そうとしか思えない。
 真実を暴露し、たとえ福島県民を追いつめることになろうとも、たとえ国と争うことになろうとも、結局、それが日本国民を救うことになる──という覚悟をもってやっているのなら、管理人はむしろ応援したことだろう。
 それが真実か否か、我々はきちんと討議しなければならないと、微力ながら、このブログを通じて訴えもしただろう。
 しかし編集部の出すコメント、及び示される今後の方針は『国民の批判をどうノラリクラリかわしていくか』というものでしかなかった。 
 呆れてものも言えないとはこのことである。
 てっきり社長が出てきてスピリッツの今週号を差し止めるだろうと思っていたのだが、そんなこともなく、小学館はいったいこの事態にどんな見解をもっているのだろうか?
 すでにその責任問題は一編集部を越えて、本丸の小学館にまで及んでいるというのに──
 まさか、それが解らないのだろうか?
 それとも、小学館もまた、この騒動で売り上げを伸ばしたら、あとはノラリクラリで責任を回避しようとでも思っているのだろうか?
 回避できるとでも思っているのだろうか?



                                                                                               
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