それでは次に進んで、頭に貼りついた手をどうやれば離すことができるのか?ということになるのだが……。
まず、何が原因なのか?ということを明らかにしなければならない。
しかるのちに原因を除去し、現状の改善をはかる。
これは“縁起の法”と呼ばれ、仏教の基本的思考である。
それでは手が頭に貼りついている原因とは何か?
すなわちそれは《快楽》と《不快》を肉体から受け続けていることである。
目、耳、鼻、口、手のひらという五つの感覚器官を通じて、日々「嬉しい」と「嫌だ」という感情に翻弄され続けてきた結果、心はすっかり肉体に依存してしまったのである。
その依存症を治すためにカウンセラーに相談すれば、その人は頭に貼りついた手をしみじみと見て、まず間違いなくこう言うだろう。
「肉体から送られてくる《快》と《不快》に惑わされることなく、静かなところで、心穏やかに暮らしなさい」
それだけですか?と次の患者を呼ぼうとしているカウンセラーに尋ねれば、
「それだけですよ」と答えが返ってくるだろう。
「精神を集中して、この手に離れろ離れろと念を送ってみるのはどうでしょう?」と尋ねても、
「ああ、それは逆効果ですね」と返ってくる。
「逆効果ですか?」
「下手に意識すると、かえって強く手が頭に貼りついてしまいますよ」
「じゃあ、私はどうすればいいんでしょう?」
「ですから、心を惑わされずに、穏やかに暮らすことですよ」
「それしか、ないんですか?」
「潜在意識のレベルですから、表層意識でどうにかできるものではないんですよ。まあ、心穏やかに暮らして、自然と手が離れていくのを待つしかありませんね」
「自然と、って、どのくらいの時間がかかるんでしょうか?」
「さあ、ねえ」
「さあ、って……でも一年ぐらいすれば、離れますよね」
「潜在意識というのを、ちょっと甘く考えているようですね。いいですか? たとえ肉体をなくして何十年たとうとも、ひょっこり肉体のかたちでカメラに写ってしまう。心の肉体への執着というのは、それほど強いものなんですよ。ましてや肉体をもちながら肉体への執着を滅しようとするんだもの……。どれだけ難しいか、想像がつくでしょ?」
「じゃあ、何十年?」
「そうですね。そのくらいは覚悟しておいた方がいいでしょうね」
「うわあ、何十年もかかるんだ……」
「ああ、誤解しないでください。何十年頑張ったからって必ず離れるわけじゃないですよ。一生かけても一度も離れなかった人も多いんですからね」
「うわあ……」
にほんブログ村
↑
応援のクリックをいただけたら嬉しいです。