妄想ジャーナル

 神仏から日常のささやかなことまで
  ネットという海を得た管理人の妄想はもう誰にも止められない。

どうしてオウム事件は未だに不可解なのか? (後編)

2014-05-04 11:58:08 | 日記

 実行犯、そして一般信者たちの証言はある一つの事実を指し示しています。
 それは、オウムの社会は我々の棲む社会と同じ密度を持っているということです。
 天秤の二つの皿──
 右の皿に我々の棲む社会が乗るならば、左の皿にはオウムの社会が乗り、そして天秤の腕はどちらにも傾くことなく、二つの皿は釣り合っているということです。
 だからこそ、将来を嘱望されていた若者がオウムに集い、すでに社会的地位を得ていた大人もオウムに集い、オウムの社会の中でそれまでと同じように生活していたのです。

 さあ、もう大抵の人が理解できなくなっているでしょうね。
 狂ったオウムと我々の社会が同じだなんて、なに言ってんだ、こいつ、と思われてることでしょうね。

 はい、もちろんオウムの社会は幻想でした。
 麻原彰晃は(自称するところの)最終解脱者でも何でもありませんでした。
 オウムの信者はみんな騙されていたのです。
 信者たちには禁欲を説きながら、自分は二十人以上の愛人を抱えて、贅沢に暮らしていたのです。
 でも、これは何を意味するのでしょうか?
 信者たちの証言によって、オウムの社会は我々の社会と同じ密度をもっていたことが証明されました。
 でも、そんなオウム社会はただの幻想に過ぎませんでした。
 稀代のペテン師である麻原彰晃にみんな騙されていただけでした。
 これは何を意味するのか?
 つまりそれは、我々の社会もまた単なる幻想に過ぎないということです。
 オウム社会と大差ない、物欲にまみれた幻想であるということです。
 これが真実──。
 かつて日本中を恐怖の渦に巻き込んだ、麻原彰晃率いるオウム真理教が我々の社会に突きつけた真実です。

 けれどもこれは、いわゆる「有識者」には絶対に受け入れることのできない類の真実なのです。
 なぜなら「有識者」とは、単なる“ブランド”であり、実体のない、我々の社会の中でのみ生息できる幽霊のようなものだからです。
 その社会がオウムと似たり寄ったりの下らない幻想であることを認めてしまえば、今まで築き上げてきた「有識者」というブランドもたちまち真昼の幽霊のように霧散するしかなく……自分のアイデンティティーが単なる“虚像”であることを認めるしかなく……これを本能的に知る彼ら「有識者」は、目の前の真実を忌避し、ために「オウムとは何であったのか?」という問いには永遠に「不可解」「不可解」と答えるしかないのです。


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