Der König Hat Eselsohren

ベルリン修行旅(8)

8月7日(金)

このところ、朝のうちは肌寒かったのに、今日は起きたときからさほど寒くない。
天気予報では、これから日曜まで30度近い気温が続くという。
まぁ、日本に比べたら全然快適。
昨日撮った写真のデータをStefanoに渡す約束をしていたので、今日はPCを担いでいく。

今日の前半はずっと受動態の問題。これは得意だから楽勝。
ただ、耳で聞いて、それを受動態や能動態に置き換えて話す、というのは、日本ではあんまりやらないからなぁ。
後半は昨日の散策の内容について、模造紙に写真を貼ったり、簡単な説明を書き、プレゼンテーション。
どういう順番で何を貼るかを相談していながら、写真を撮った張本人の私としては、この写真とあの写真はワンセット、とか、この写真を撮った意図はこれ、とかを考えているのがなかなか通じなかったりして、疲れる。
結局のところ、少し視点が違うんだろう。

今日は午後のプログラムに両方とも参加するつもりで、わざわざスニーカーを履いてきたのだが、14時からのKate-Kollwitz-Museumの方はあまりにも人が集まってしまったというので、休憩時間中に、出来れば個人的に行ってもらえないかと持ちかけられる。
う~む、いつ、どこに行くのかを見直さなければ…。
でも、個人で行っても、向こうで割引券をもらってくれば、あとで割引分をゲーテから返してもらえるというので、来週にでも一人で行くことにする。
やっぱ、そんなに何十人もの人数で見るのも嫌だし。

代わりに、いつ行こうかと考えていた、Bernauer Str.のベルリンの壁センターに行く。
ここはかつて壁があったところで、壁が作られ始めた頃は、壁沿いに建っていた建物から、人が飛び降りで西側へ逃げたりしたところだ。

途中で軽く昼食も食べたいし、と思って、Bernauer Str.の駅に向かって歩いて行くことにする。
そろそろケバプでも食べたいなぁ、と思うものの、この辺りは旧東独地域なので、ケバプ屋はほとんどない(笑)

駅のところまで出ると、両側に草むらが広がっている。



ここはかつて、壁と壁の間の監視地帯だったところだ。
道路上にはちゃんと、かつてはどこに壁があったかが示されているが、草むらの中に入ってしまうと消えている。
しかも、かつての監視地帯の上には、すでにいろいろな建物が建っていたりする。

通り沿いに西の方へ向かってしばらく行くと、かつてのままの状態が保存されている場所がある。
その手前のところは、監視地帯の中に建っていた教会が、85年に東独によって爆破された場所だ。
現在、教会の塔が建っていた辺りには、教会の鐘が展示され、本堂だった場所には、壁を越えようとして亡くなった人たちのためのKaplleが作られている。
もう少し先に行くと、巨大な鉄の壁が建っている。



ここは2つの鉄の壁が、かつてのベルリンの壁と監視地帯を切り出すようにして残しているのだ。
中の様子は、通りの向かい側にある塔の上から眺めることが出来るが、旧東独側の壁の隙間からも中の様子が垣間見える。





旧西側の方は、少しでも当時の様子を再現しようと、壁を綺麗に修復し、落書きを消したあとも見て取れる。



もう少し先、新しい記念施設を作っている辺りでは、まさに元のままの壁が、中の鉄筋をむき出しにして建っている。



すでに壁がなくなったところには、この右の方にあるような鉄筋をずっと並べることになったらしい。
何とかして残す努力をしないと、壁があった当時の記憶が風化してしまうので、それを防ぐために今必死になっているという感じだ。

保存センターの塔に上って、監視地域を上から除く。



この広さ、もしくはもっと広い空白地域が、ずっと連なっていたんだということと、たったこれだけの距離がとてつもなく遠い距離だったんだ、ということを思い描いてみる。
日本だって、一つ間違えば、他人事ではなかったのだ。

展示場所はものすごく狭いけれど、何しろアーカイブの量が多いので、全部見る気にはさすがになれない。
申し訳ない気もするけれど、写真や映像のところだけをぐるっと見て回るだけにする。
それにしても、南の方にあるCheck Point Charlieや壁博物館の辺りが観光客でごった返しているのに比べると、ここは、人が絶えることはないけれど、観光地といった感じでは全くない。

帰りはさすがに疲れてきたので、地下鉄に乗ってゲーテに戻り、18時からのプログラムまでMediothekに。
勉強もしなきゃならないが、PCを持ってきていると、やはり電池がなくなるまではPCに向かってしまう(笑)

18時からは「Archtektur(建築)」というプログラム。
たぶん近場の古い建物でも解説付きで見て回るんだろう、と思っていたら、S-Bahnで30分くらいかかるMexkoplatzというところまで行くのだという。
利用する線の電車がそんなに多くないのと、参加者が多いのとで、実際に到着したときには19時になっていたf(^_^;
それだけ時間がかかると、電車の中ですら手持ちぶさたなので、隣にいたSophieに、本当にフランスでは休暇が6週間もあるのか訊いてみたら、普通は5週間だそうな。
でも、週35時間勤務というのは表向きで、実際には60時間は働いているという。
それでも日本人から考えたら、何でそんなに休めるのか、とても不思議な気がするが…(笑)

降り立ったMexkoplatzの駅は、この駅舎自体がベルリンでもっとも美しい駅だとされているという。



この辺りは、かつて銀行家が沢山住んでいたところで、今乗ってきたS1は「銀行家線」と呼ばれていたんだと(笑)
今日見る建物は、後にBauhausに参加した建築家が、それ以前に建てたものが中心。
なので、いかにもBauhaus!という感じではなく、伝統的な建物の特徴を多く残していながら、革新的な部分があったりする。






ここはミース・ファン・デア・ローエの初期の建築。
さらにその隣には、学校として建築された建物がある。



のだが庭で見学している途中で、ここの管理をしているおじさんがやってきて説明を始めたあげく、さらに建物の中をあちこち説明しながら案内してくれる。
確かに窓の作りとか、よく考えられてるなぁ、と感心するけれど、時間が…f(^_^;
ここにいる間に、すでに8時半なんですが…。
私も含めて、すでに半分くらいの人は飽きている(笑)

それでも、ちゃんと予定通り回ると言うことで、次は同じくファン・デア・ローエの、いかにもBauhaus風の家。



そこからさらに歩いてU-Bahnに乗り、まだ余力のある人は次の駅で降りてもう一つ見る、というのでご辞退申し上げる(笑)
だって、U-Bahnに乗った時点で、すでに9時15分を回っているのだ。
建物を見るには、さすがに暗くなってきているし、実は今日はもう一つ宿題があって、指定されたKneipeのどれかに行って、そこがどんな感じだったかを明日、宣伝風に説明することになっている。
家からほど近い、ということで、EmmaやSophieと一緒に行くことにしていたので、3人とも見学ツアーからはそのまま離脱。

今日行く予定にしていたKlub der Visionäreという店は、駅から降りてさらにしばらく歩いた、Spree側に注ぐ運河沿いに作られたオープンエアの店。
客はほとんど若者(笑)
着いた時点で、10時をかなり回っていたので、マジで何か食べたいと思っていたのだけれど、ここは飲み物だけで、食べ物はないという…f(^_^;
隅の方に空いている席を見つけ、ビール片手にひとしきり喋ったあと、戻ってくる途中のイタ飯屋でようやく夕食。
夕食と言っても、もう11時だよ…orz

家に帰り着いたときには、すでに12時半。
ドアの鍵が開かなくて、苦労する。
何をどうしても開かない。
おそらく10分以上格闘していたところで、誰かが上がってくる。
向こうも人がいたのでびっくりしたようだったけれど、何の苦もなく一発で開けてしまう。
むむ~。
いったいどうしたら、そんなに簡単に開くんだろう?
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