35、冷たい雨
(奏士の自宅)
冷たく凍りついたような空気の中に、
携帯の着信メロディーが鳴り響く。
いつの間にか降り出した雨が、
私たちの姿に悲しみを囁いているみたいに、
部屋の窓を叩いて、涙の滴の様にガラスを伝う…
♪~MY LONELY TOWNメロディー~♪
私はすすり泣きながら携帯を手にした。
携帯画面を見ると着信は茜からだった。
着信音はずっと鳴り続いている。
私は取らずに携帯のPowerボタンを押し、電話を切った。
コンコンコン!
誰かが玄関のドアをノックする音が聞こえる。
蒼 「奏士…誰か来たよ」
奏士くんは座り込んだまま、私の呼びかけに応えず黙っていた。
コンコンコン!
蒼 「奏士。私が出てもいい?」
奏士「…うん」
奏士は下を向いてボソッと言った。
コンコンコンコン!
私は涙を拭いて、携帯を持ったまま玄関に行き、
ゆっくりドアを開けた。
開けた瞬間、驚きと強い衝撃が私の胸を貫き、
眼を大きく見開いて息を呑んだ。
そこに立っていたのは…敦美さんだった。
蒼 「え…っ」
敦美「あらっ、蒼さん。
貴女、まだ奏ちゃんと続いていたんだぁ。
案外しぶといんですね」
蒼 「な、何の用?」
敦美「貴女に用なんか無いわよ。奏ちゃん居るんでしょ?
邪魔よ、どいてっ!(蒼を払い飛ばす)」
敦美さんは強引に玄関の中に入ると、
腹立ち紛れに私を押しのけて、
ズカズカと部屋へ入っていった。
蒼 「きゃっ。痛ぃ…」
私は押された反動で壁にぶつかりその場に倒れたのだ。
敦美さんは倒れた私の姿を見て鼻で笑い、
笑顔で部屋の中に入った。
敦美「奏ちゃん、入るわよぉー」
奏士くんはその声に顔を上げて、敦美さんを見た。
そして彼女を見たまま、ゆっくりと立ち上がった。
敦美さんは画架に立てかけてあるキャンバスの絵を見て…
敦美「あはっ(笑)奏ちゃんったら呆れた。
まだ飽きずにこんな絵描いてるの?
こんなのばっか描いてたら画家なんか到底なれないわよ」
奏士くんは鋭い目つきで敦美さんを見ながら、
ゆっくり彼女に近寄いた。
奏士「お前…何しに来たんだ。勝手に入って来るなっ!」
敦美「奏ちゃん、私奏ちゃんに渡したいものがあってね…」
奏士くんは玄関をチラッと視線を向けて、
腕を押さえて座り込んでる私を見た。
そして急に、敦美さんの洋服の襟を右手で掴み、
左手で彼女の肩を押して、
凄い勢いで入口脇の壁に押し付けたのだ。
ドンッ!
敦美「痛いっ!奏ちゃん!何するのよぉ…」
奏士「痛い?…ふっ(笑)…
お前が僕の大切な人達を傷つけた痛みに比べたら、
こんなことは大したことないさ。なぁ」
蒼 「奏士!?…」
敦美「ち、ちょっと痛いから離してよ…」
奏士「お前が居なければ…(身体を震わせながら)
お前さえあの時来なければ、僕たちは…
僕達はこんな風にはなってない…」
蒼 「奏士…」
敦美「奏ちゃん…離して…」
奏士「僕を気安く呼ぶな…
いいか…二度とうちに来るな。KATARAIにも大学にも…
蒼や頼先輩や…讓や安西や美並達の前にも…
二度とその面見せるなっ!!」
敦美「わ、分かった。分かったから…。
もう…は、離してよぉ…」
蒼 「奏士!もう離してあげて!?」
私は立ち上がり、奏士くんの傍に近寄って腕を握った。
奏士くんは、敦美さんを離して玄関に突き飛ばした。
奏士「帰れっ!今度蒼を傷つけたら、徒じゃすまさないぞっ!
いいなっ!!分かったら、僕達の前に二度と現れるなっ!!」
敦美「わ、分かったわよ(怯えながら)もう来ないし会わないわ…」
敦美さんは慌てて落としたバッグを拾い、
玄関から出ると走って階段を駆け下りた。
蒼 「奏士…」
奏士くんは玄関のドアを閉めると、
玄関に落ちていた白い封筒を拾った。
そして封を切り、開けて中身を見るとその場で破り、
部屋に入って、キャンバス横のゴミ箱に破った封筒を捨てた。
蒼 「奏士…」
奏士くんはゆっくり私に近づいてきて、
私を無言のまま強く抱きしめた。
いくら鈍感な私でも彼が何を言いたいのか、
今どう思ってくれてるか、手に取るようにわかった。
暫くの間、奏士くんはずっと私を抱き締めたまま立っていたけど…
やっと重い口を開いた。
奏士「蒼…痛くなかった?」
蒼 「うん。大丈夫」
奏士「そう…」
♪~♪~♪~♪(蒼の携帯着信音)
奏士「電話。出たら?」
蒼 「茜からだから後でいい。今は奏士とこうしていたい…」
奏士「うん…」
私も奏士くんの背中に手を回し、彼の胸に顔をうずめて、
やっと収まった呼吸と心臓の鼓動を聞いていた。
(蒼の自宅)
茜 「…蒼ちゃん出ない(携帯を切る)
何で切るの?いったい何してるの!?」
ヤス「おい、落ち着けよ。きっと、一色さんと居るんだよ」
茜 「今日は帰ってきてもらわないと!
ちゃんと話せって神道社長に言われてるのに」
(回想シーン)
(スター・メソド、社長室)
コンコン。
神道「はい。入って」
茜 「金賀屋です。失礼します(ドアを開けて社長室に入る)」
神道「おお、茜ちゃん。撮影終わったかい?」
茜 「はい」
神道「お疲れさん。座って」
茜 「はい、失礼します(ソファーに座る)」
神道「電話で言った話しと言うのは、蒼さんの件だ」
茜 「えっ、蒼ちゃんのこと。
社長。あの、蒼ちゃんがまた何かやらかしたんですか?」
神道「いやっ(笑)そういう訳じゃないんだが、
蒼さんは付き合ってる彼と寄りが戻ったらしいね」
茜 「え?…あっ、はい」
神道「さっき、光世と一緒に新橋に行って、
伯社長とドイツの写真集の契約を成立させた。
後から蒼さんも来て、伯社長と挨拶を交わしたんだが、
社長が帰った後、いきなりモデルの仕事は今回だけで、
ドイツ行きはスタッフとして行きたいと言い出してね。
理由は彼と和解したから、
光世とは仕事での関係だけでいたいと言ってるんだ」
茜 「は、はい…」
神道「私はそれがいけないこととは思わない。
寧ろ好きな彼と和解するのは良いことだ。
ただ、彼女にとって一色くんが良い男性だとは思えないんだ」
茜 「はい…」
神道「昨夜も言ったが彼はまだ学生で、
光世に聞けば、美大の3年生らしいじゃないか。
順調に進級したとしてもまだ1年は学生生活がある。
恐らく芸術家を目指してるんだろうから、
現実的な将来の展望なんてまだ考えてはいまい」
茜 「はぁ。でも私は一色さんと話しました。
彼は真剣に蒼ちゃんを愛していて、
今すぐではないけど将来結婚を考えて付き合ってるって。
だから蒼ちゃんとは、いい加減な思いではないと思うんです」
神道「そう。でもそうだとしても、彼は自分のことで精一杯だ。
好きな彼女がいても、他の女性に手を出す血気多感な時期だ。
私にも大学時代にそんな時期があったから分かるんだよ。
美大の学費は誰が出してると思う?多分、彼の親だ。
1年間150~200万近くかかる学費を自分で払うのは厳しい。
奨学金を借りてもせいぜい50万、それでも100~150万。
アルバイトしてるにしても、彼はバイクを持っていたし、
一人暮らしなら尚自由な金なんて無いはずだ。
親の拗ねをかじりながら芸術を学ぶ彼に、生活の危機感はない。
そんな相手が蒼さんの将来を真剣に考えてるだろうか」
茜 「学費に200万…」
神道「ああ。それが現実だよ。
それに、私は光世と二人で見てしまったんだ。
魂の抜けたような蒼さんを…
あんな姿を見てしまったら、
彼が彼女を幸せに出来るとは到底思えないんだよ」
茜 「はい…」
神道「光世はもっとそう感じてる。
あいつは昔、婚約者を事故で亡くしててね」
茜 「え!?」
神道「光世は自分の楽しみや新たな恋を求めるわけでもなく、
ずっと自分を責めながらこの五年間生きてきて、
ただ写真の世界の中だけで生きてる。
戦場に行ってた時も光世は、
ファインダーから飛び込んでくる世界を覗きながら、
自分の死を見つめていたんだ。
そんなあいつが、蒼さんに会って息を吹き返した。
長い魂の眠りから覚めたみたいにね」
茜 「そうだったんですか。
東さんにそんな過去があったなんて…」
神道「だから私は蒼さんの幸せも、光世の幸せも望んでる。
もちろん茜ちゃんもだよ。
私に関わる人達には幸せになってほしい。
だから本気でモデルとしてうちに入り、
ドイツに行くことを説得して欲しい。
一色くんと別れさせる必要はないが、
契約後は勝手に会ったりさせないで欲しい」
茜 「え…」
神道「まぁ、ドイツに行ってしまえば、彼との縁は切れるだろうがね。
茜ちゃん、君はこの世界の人間なんだ。
分かるだろう?君ならよく理解してるはずだ。
だから、お姉さんを説得してくれるね」
茜 「は、はい…話してみます」
茜 「あんなこと言われたら、私の仕事まで差し障るのよ」
ヤス「おい、そんなこと言ってもさ。
メールして、大切な用事があるって送ったら?」
茜 「う、うん」
ヤス「茜、俺は思うんだけど…東さんは別としても、
神道社長の考えには首を傾げるんだよね」
茜 「え?」
ヤス「俺は大学なんて出てないけど、専門学校で美容のこと学んでた。
親に頼れなかったから奨学金を借りて、
学費もバイトして稼ぎながら勉強してたんだよね。
卒業して美容院で働いてる頃、当時高校生だった茜と知り会って、
茜がモデルの仕事して、もっと仲良くなって頻繁に会ってさ。
あの当時は俺も見習いで金はなかったし、
デートらしいデートもできなったもんね。
それからお前が19歳になって、本格的に付き合いだしてさ、
それでも俺はまだ安月給で、茜のほうが給料良かったじゃん」
茜 「うん」
ヤス「そんな俺たちだったけど、
二人で助け合いながら何とか楽しく生活もやってたよな」
茜 「うん。そうだよね」
ヤス「確かに一色さんのとった行動は軽率だったとは思うよ。
だけど、彼の目を見た時思ったんだよ。
凄く純粋に蒼ちゃんを愛してるんだって。
俺には時々…神道所長は東さんの為に、
蒼さんを利用してる様に感じる時があるんだよ」
茜 「え?…そうなの?」
ヤス「うん。だから、いい話しだと思って一度は賛成はしたけど、
蒼ちゃんは本当にそれで幸せなんだろうか。
俺はなんか引っかかるんだよね」
茜 「じゃあ、どうすればいいの?
蒼ちゃんと一色さんをこのままの状態で付き合わせたまま、
神道社長を納得させる方法ってないの?」
ヤス「んー。あっ!…そうだ。茜、お前がモデル引き受ければ?」
茜 「え!?」
ヤス「そうだよ。お前がモデルとしてドイツに行ったら?」
茜 「は!?」
ヤス「そんで、蒼ちゃんにツイン・ビクトリア遣らせてすり替わったら?
双子なんだし、見た目も声も一緒だから分かんないさ。
それで俺も同行して、婚前旅行兼ねてさ!
そしたら会社の経費で旅行費も出るし、いいアイディアじゃん!」
茜はヤスくんの頭を木杓文字で叩いた。
コン!(頭を叩く音)
ヤス「痛てっ!もう!茜、何するんだよっ!
あーっ(頭を摩りながら)そんなもんで叩くかよぉ…うっ…」
茜 「何言ってんの!?ヤスの馬鹿!
そんな簡単にすり替われるはずないでしょ!
蒼ちゃんにあんな激しいアクション出来る訳ないんだからっ!」
ヤス「ただ言ってみただけじゃん。
そういう選択もありってことだよ。
何か俺さ、一色さんに頑張って欲しいんだよな。
俺よりずっと年下だけど、
俺達が忘れかけてるピュアな愛情を持ってるっていうか、
何か彼を見てるとさ、
茜と知り合った頃の、ただ楽しかった時を思い出すんだよね」
茜 「うん…。それは確かに。
私も蒼ちゃん見てると、そう感じるのよね…」
茜とヤスくんは、私と神道社長の狭間で揺れ動いていた。
(奏士の自宅)
奏士くんは私から離れて、キッチンに行くと、
紅茶の入ったマグカップを2つ持ってきた。
テーブルに置くと泣きはらした目で私を見ていった。
奏士「シャワー浴びてくる。
ちょっと頭冷やして冷静にならなきゃね(笑)
アップルティー飲みながら待ってて」
蒼 「うん」
奏士くんは窓際のローチェストの上にある、
CDステレオのスイッチを入れるとバスルームに行った。
♪~♪~♪~♪
私は、さっき奏士くんが破り捨てた封筒が気になって、
ゴミ箱のそばに行き、入れ損ねた封筒の切れ端を拾ってみた。
それは、敦美さんが奏士くんに持ってきた、
彼女の結婚式の招待状だった。
蒼 「え?…結婚式の招待状?…なんで奏士くんに渡すの…」
私は何もなかったように、残りの紙屑も一緒にゴミ箱に捨てた。
蒼 「これで、彼女との問題は本当に終わったんだ…」
私はリクライニングソファーに座って、
マグカップを持って紅茶を飲んた。
♪~I'm walking away~
from the troubles in my life.
i'm waiking away~oh to find a better day~♪
スピーカーから流れてきた曲は、クレイグ・デイヴィッドの、
“ウォーキング・アウェイ”だった。
その曲は彼女の元を去っていく男性の心を切々と語った歌。
♪~Sometimes~some people get me wrong,
when it's something I've said or done~♪
私はマグカップをテーブルに置いて、
無意識に曲に合わせて歌詞を口ずさんでいた。
蒼 「僕は時々、人に誤解されることがある。
僕が言ったことややったことで…」
♪~♪~♪~♪
私は何だかその歌詞と奏士くんの心が重なってるように感じて、
音楽を聴きながら夢中で口ずさんでた。
蒼 「…眠れない夜を過ごすような人生はもうまっぴらだ。
もちろん喧嘩をするのも残念なことだけど レディ…」
そうするうちに奏士くんがタオルで髪を拭きながら、
バスルームから出てきた。
奏士「蒼、お待たせ。ちょっとすっきりしたよ。
さっきはごめんね。もう大丈夫だからね」
蒼 「奏士…(曲を聞きながら)この曲…」
奏士「ん?これは“ウォーキング・アウェイ”っていう曲だよ」
蒼 「奏士も聴いてたんだ…」
奏士「うん。蒼もR&B聴くんだね」
……♪~Things you say, you're driving me away~
Whispers in the powger room baby,
don't listen to the gemes they play~♪
蒼 「君の言うことは結局僕を遠ざけることになっているんだよ…
そんなゲームには耳を傾けないで…
奏士も私にそう言いたいの?」
♪~Girl I thougt you'd realise, I'm not like them other guys
Cos I saw them with my own eyes,
you should've been more wise, and~♪
奏士「君なら気がつくと思ったんだ。
僕は他の奴らとは違うと言うことを、
だって僕はこの目で確かめたんだもの
君は賢くなるべきだ」
奏士くんは私に微笑みながら言った。
奏士「蒼なら気がつくはずだ。僕が他に奴らと違うって。
後は蒼次第だよ。僕の心は変わらない」
私は奏士くんの言葉にいつも以上の安らぎを感じた。
目の前に立っている奏士が、ひと回り頼もしく大きく見えた瞬間だった。
(続く)
この物語はフィクションです。
(奏士の自宅)
冷たく凍りついたような空気の中に、
携帯の着信メロディーが鳴り響く。
いつの間にか降り出した雨が、
私たちの姿に悲しみを囁いているみたいに、
部屋の窓を叩いて、涙の滴の様にガラスを伝う…
♪~MY LONELY TOWNメロディー~♪
私はすすり泣きながら携帯を手にした。
携帯画面を見ると着信は茜からだった。
着信音はずっと鳴り続いている。
私は取らずに携帯のPowerボタンを押し、電話を切った。
コンコンコン!
誰かが玄関のドアをノックする音が聞こえる。
蒼 「奏士…誰か来たよ」
奏士くんは座り込んだまま、私の呼びかけに応えず黙っていた。
コンコンコン!
蒼 「奏士。私が出てもいい?」
奏士「…うん」
奏士は下を向いてボソッと言った。
コンコンコンコン!
私は涙を拭いて、携帯を持ったまま玄関に行き、
ゆっくりドアを開けた。
開けた瞬間、驚きと強い衝撃が私の胸を貫き、
眼を大きく見開いて息を呑んだ。
そこに立っていたのは…敦美さんだった。
蒼 「え…っ」
敦美「あらっ、蒼さん。
貴女、まだ奏ちゃんと続いていたんだぁ。
案外しぶといんですね」
蒼 「な、何の用?」
敦美「貴女に用なんか無いわよ。奏ちゃん居るんでしょ?
邪魔よ、どいてっ!(蒼を払い飛ばす)」
敦美さんは強引に玄関の中に入ると、
腹立ち紛れに私を押しのけて、
ズカズカと部屋へ入っていった。
蒼 「きゃっ。痛ぃ…」
私は押された反動で壁にぶつかりその場に倒れたのだ。
敦美さんは倒れた私の姿を見て鼻で笑い、
笑顔で部屋の中に入った。
敦美「奏ちゃん、入るわよぉー」
奏士くんはその声に顔を上げて、敦美さんを見た。
そして彼女を見たまま、ゆっくりと立ち上がった。
敦美さんは画架に立てかけてあるキャンバスの絵を見て…
敦美「あはっ(笑)奏ちゃんったら呆れた。
まだ飽きずにこんな絵描いてるの?
こんなのばっか描いてたら画家なんか到底なれないわよ」
奏士くんは鋭い目つきで敦美さんを見ながら、
ゆっくり彼女に近寄いた。
奏士「お前…何しに来たんだ。勝手に入って来るなっ!」
敦美「奏ちゃん、私奏ちゃんに渡したいものがあってね…」
奏士くんは玄関をチラッと視線を向けて、
腕を押さえて座り込んでる私を見た。
そして急に、敦美さんの洋服の襟を右手で掴み、
左手で彼女の肩を押して、
凄い勢いで入口脇の壁に押し付けたのだ。
ドンッ!
敦美「痛いっ!奏ちゃん!何するのよぉ…」
奏士「痛い?…ふっ(笑)…
お前が僕の大切な人達を傷つけた痛みに比べたら、
こんなことは大したことないさ。なぁ」
蒼 「奏士!?…」
敦美「ち、ちょっと痛いから離してよ…」
奏士「お前が居なければ…(身体を震わせながら)
お前さえあの時来なければ、僕たちは…
僕達はこんな風にはなってない…」
蒼 「奏士…」
敦美「奏ちゃん…離して…」
奏士「僕を気安く呼ぶな…
いいか…二度とうちに来るな。KATARAIにも大学にも…
蒼や頼先輩や…讓や安西や美並達の前にも…
二度とその面見せるなっ!!」
敦美「わ、分かった。分かったから…。
もう…は、離してよぉ…」
蒼 「奏士!もう離してあげて!?」
私は立ち上がり、奏士くんの傍に近寄って腕を握った。
奏士くんは、敦美さんを離して玄関に突き飛ばした。
奏士「帰れっ!今度蒼を傷つけたら、徒じゃすまさないぞっ!
いいなっ!!分かったら、僕達の前に二度と現れるなっ!!」
敦美「わ、分かったわよ(怯えながら)もう来ないし会わないわ…」
敦美さんは慌てて落としたバッグを拾い、
玄関から出ると走って階段を駆け下りた。
蒼 「奏士…」
奏士くんは玄関のドアを閉めると、
玄関に落ちていた白い封筒を拾った。
そして封を切り、開けて中身を見るとその場で破り、
部屋に入って、キャンバス横のゴミ箱に破った封筒を捨てた。
蒼 「奏士…」
奏士くんはゆっくり私に近づいてきて、
私を無言のまま強く抱きしめた。
いくら鈍感な私でも彼が何を言いたいのか、
今どう思ってくれてるか、手に取るようにわかった。
暫くの間、奏士くんはずっと私を抱き締めたまま立っていたけど…
やっと重い口を開いた。
奏士「蒼…痛くなかった?」
蒼 「うん。大丈夫」
奏士「そう…」
♪~♪~♪~♪(蒼の携帯着信音)
奏士「電話。出たら?」
蒼 「茜からだから後でいい。今は奏士とこうしていたい…」
奏士「うん…」
私も奏士くんの背中に手を回し、彼の胸に顔をうずめて、
やっと収まった呼吸と心臓の鼓動を聞いていた。
(蒼の自宅)
茜 「…蒼ちゃん出ない(携帯を切る)
何で切るの?いったい何してるの!?」
ヤス「おい、落ち着けよ。きっと、一色さんと居るんだよ」
茜 「今日は帰ってきてもらわないと!
ちゃんと話せって神道社長に言われてるのに」
(回想シーン)
(スター・メソド、社長室)
コンコン。
神道「はい。入って」
茜 「金賀屋です。失礼します(ドアを開けて社長室に入る)」
神道「おお、茜ちゃん。撮影終わったかい?」
茜 「はい」
神道「お疲れさん。座って」
茜 「はい、失礼します(ソファーに座る)」
神道「電話で言った話しと言うのは、蒼さんの件だ」
茜 「えっ、蒼ちゃんのこと。
社長。あの、蒼ちゃんがまた何かやらかしたんですか?」
神道「いやっ(笑)そういう訳じゃないんだが、
蒼さんは付き合ってる彼と寄りが戻ったらしいね」
茜 「え?…あっ、はい」
神道「さっき、光世と一緒に新橋に行って、
伯社長とドイツの写真集の契約を成立させた。
後から蒼さんも来て、伯社長と挨拶を交わしたんだが、
社長が帰った後、いきなりモデルの仕事は今回だけで、
ドイツ行きはスタッフとして行きたいと言い出してね。
理由は彼と和解したから、
光世とは仕事での関係だけでいたいと言ってるんだ」
茜 「は、はい…」
神道「私はそれがいけないこととは思わない。
寧ろ好きな彼と和解するのは良いことだ。
ただ、彼女にとって一色くんが良い男性だとは思えないんだ」
茜 「はい…」
神道「昨夜も言ったが彼はまだ学生で、
光世に聞けば、美大の3年生らしいじゃないか。
順調に進級したとしてもまだ1年は学生生活がある。
恐らく芸術家を目指してるんだろうから、
現実的な将来の展望なんてまだ考えてはいまい」
茜 「はぁ。でも私は一色さんと話しました。
彼は真剣に蒼ちゃんを愛していて、
今すぐではないけど将来結婚を考えて付き合ってるって。
だから蒼ちゃんとは、いい加減な思いではないと思うんです」
神道「そう。でもそうだとしても、彼は自分のことで精一杯だ。
好きな彼女がいても、他の女性に手を出す血気多感な時期だ。
私にも大学時代にそんな時期があったから分かるんだよ。
美大の学費は誰が出してると思う?多分、彼の親だ。
1年間150~200万近くかかる学費を自分で払うのは厳しい。
奨学金を借りてもせいぜい50万、それでも100~150万。
アルバイトしてるにしても、彼はバイクを持っていたし、
一人暮らしなら尚自由な金なんて無いはずだ。
親の拗ねをかじりながら芸術を学ぶ彼に、生活の危機感はない。
そんな相手が蒼さんの将来を真剣に考えてるだろうか」
茜 「学費に200万…」
神道「ああ。それが現実だよ。
それに、私は光世と二人で見てしまったんだ。
魂の抜けたような蒼さんを…
あんな姿を見てしまったら、
彼が彼女を幸せに出来るとは到底思えないんだよ」
茜 「はい…」
神道「光世はもっとそう感じてる。
あいつは昔、婚約者を事故で亡くしててね」
茜 「え!?」
神道「光世は自分の楽しみや新たな恋を求めるわけでもなく、
ずっと自分を責めながらこの五年間生きてきて、
ただ写真の世界の中だけで生きてる。
戦場に行ってた時も光世は、
ファインダーから飛び込んでくる世界を覗きながら、
自分の死を見つめていたんだ。
そんなあいつが、蒼さんに会って息を吹き返した。
長い魂の眠りから覚めたみたいにね」
茜 「そうだったんですか。
東さんにそんな過去があったなんて…」
神道「だから私は蒼さんの幸せも、光世の幸せも望んでる。
もちろん茜ちゃんもだよ。
私に関わる人達には幸せになってほしい。
だから本気でモデルとしてうちに入り、
ドイツに行くことを説得して欲しい。
一色くんと別れさせる必要はないが、
契約後は勝手に会ったりさせないで欲しい」
茜 「え…」
神道「まぁ、ドイツに行ってしまえば、彼との縁は切れるだろうがね。
茜ちゃん、君はこの世界の人間なんだ。
分かるだろう?君ならよく理解してるはずだ。
だから、お姉さんを説得してくれるね」
茜 「は、はい…話してみます」
茜 「あんなこと言われたら、私の仕事まで差し障るのよ」
ヤス「おい、そんなこと言ってもさ。
メールして、大切な用事があるって送ったら?」
茜 「う、うん」
ヤス「茜、俺は思うんだけど…東さんは別としても、
神道社長の考えには首を傾げるんだよね」
茜 「え?」
ヤス「俺は大学なんて出てないけど、専門学校で美容のこと学んでた。
親に頼れなかったから奨学金を借りて、
学費もバイトして稼ぎながら勉強してたんだよね。
卒業して美容院で働いてる頃、当時高校生だった茜と知り会って、
茜がモデルの仕事して、もっと仲良くなって頻繁に会ってさ。
あの当時は俺も見習いで金はなかったし、
デートらしいデートもできなったもんね。
それからお前が19歳になって、本格的に付き合いだしてさ、
それでも俺はまだ安月給で、茜のほうが給料良かったじゃん」
茜 「うん」
ヤス「そんな俺たちだったけど、
二人で助け合いながら何とか楽しく生活もやってたよな」
茜 「うん。そうだよね」
ヤス「確かに一色さんのとった行動は軽率だったとは思うよ。
だけど、彼の目を見た時思ったんだよ。
凄く純粋に蒼ちゃんを愛してるんだって。
俺には時々…神道所長は東さんの為に、
蒼さんを利用してる様に感じる時があるんだよ」
茜 「え?…そうなの?」
ヤス「うん。だから、いい話しだと思って一度は賛成はしたけど、
蒼ちゃんは本当にそれで幸せなんだろうか。
俺はなんか引っかかるんだよね」
茜 「じゃあ、どうすればいいの?
蒼ちゃんと一色さんをこのままの状態で付き合わせたまま、
神道社長を納得させる方法ってないの?」
ヤス「んー。あっ!…そうだ。茜、お前がモデル引き受ければ?」
茜 「え!?」
ヤス「そうだよ。お前がモデルとしてドイツに行ったら?」
茜 「は!?」
ヤス「そんで、蒼ちゃんにツイン・ビクトリア遣らせてすり替わったら?
双子なんだし、見た目も声も一緒だから分かんないさ。
それで俺も同行して、婚前旅行兼ねてさ!
そしたら会社の経費で旅行費も出るし、いいアイディアじゃん!」
茜はヤスくんの頭を木杓文字で叩いた。
コン!(頭を叩く音)
ヤス「痛てっ!もう!茜、何するんだよっ!
あーっ(頭を摩りながら)そんなもんで叩くかよぉ…うっ…」
茜 「何言ってんの!?ヤスの馬鹿!
そんな簡単にすり替われるはずないでしょ!
蒼ちゃんにあんな激しいアクション出来る訳ないんだからっ!」
ヤス「ただ言ってみただけじゃん。
そういう選択もありってことだよ。
何か俺さ、一色さんに頑張って欲しいんだよな。
俺よりずっと年下だけど、
俺達が忘れかけてるピュアな愛情を持ってるっていうか、
何か彼を見てるとさ、
茜と知り合った頃の、ただ楽しかった時を思い出すんだよね」
茜 「うん…。それは確かに。
私も蒼ちゃん見てると、そう感じるのよね…」
茜とヤスくんは、私と神道社長の狭間で揺れ動いていた。
(奏士の自宅)
奏士くんは私から離れて、キッチンに行くと、
紅茶の入ったマグカップを2つ持ってきた。
テーブルに置くと泣きはらした目で私を見ていった。
奏士「シャワー浴びてくる。
ちょっと頭冷やして冷静にならなきゃね(笑)
アップルティー飲みながら待ってて」
蒼 「うん」
奏士くんは窓際のローチェストの上にある、
CDステレオのスイッチを入れるとバスルームに行った。
♪~♪~♪~♪
私は、さっき奏士くんが破り捨てた封筒が気になって、
ゴミ箱のそばに行き、入れ損ねた封筒の切れ端を拾ってみた。
それは、敦美さんが奏士くんに持ってきた、
彼女の結婚式の招待状だった。
蒼 「え?…結婚式の招待状?…なんで奏士くんに渡すの…」
私は何もなかったように、残りの紙屑も一緒にゴミ箱に捨てた。
蒼 「これで、彼女との問題は本当に終わったんだ…」
私はリクライニングソファーに座って、
マグカップを持って紅茶を飲んた。
♪~I'm walking away~
from the troubles in my life.
i'm waiking away~oh to find a better day~♪
スピーカーから流れてきた曲は、クレイグ・デイヴィッドの、
“ウォーキング・アウェイ”だった。
その曲は彼女の元を去っていく男性の心を切々と語った歌。
♪~Sometimes~some people get me wrong,
when it's something I've said or done~♪
私はマグカップをテーブルに置いて、
無意識に曲に合わせて歌詞を口ずさんでいた。
蒼 「僕は時々、人に誤解されることがある。
僕が言ったことややったことで…」
♪~♪~♪~♪
私は何だかその歌詞と奏士くんの心が重なってるように感じて、
音楽を聴きながら夢中で口ずさんでた。
蒼 「…眠れない夜を過ごすような人生はもうまっぴらだ。
もちろん喧嘩をするのも残念なことだけど レディ…」
そうするうちに奏士くんがタオルで髪を拭きながら、
バスルームから出てきた。
奏士「蒼、お待たせ。ちょっとすっきりしたよ。
さっきはごめんね。もう大丈夫だからね」
蒼 「奏士…(曲を聞きながら)この曲…」
奏士「ん?これは“ウォーキング・アウェイ”っていう曲だよ」
蒼 「奏士も聴いてたんだ…」
奏士「うん。蒼もR&B聴くんだね」
……♪~Things you say, you're driving me away~
Whispers in the powger room baby,
don't listen to the gemes they play~♪
蒼 「君の言うことは結局僕を遠ざけることになっているんだよ…
そんなゲームには耳を傾けないで…
奏士も私にそう言いたいの?」
♪~Girl I thougt you'd realise, I'm not like them other guys
Cos I saw them with my own eyes,
you should've been more wise, and~♪
奏士「君なら気がつくと思ったんだ。
僕は他の奴らとは違うと言うことを、
だって僕はこの目で確かめたんだもの
君は賢くなるべきだ」
奏士くんは私に微笑みながら言った。
奏士「蒼なら気がつくはずだ。僕が他に奴らと違うって。
後は蒼次第だよ。僕の心は変わらない」
私は奏士くんの言葉にいつも以上の安らぎを感じた。
目の前に立っている奏士が、ひと回り頼もしく大きく見えた瞬間だった。
(続く)
この物語はフィクションです。
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