近況報告blog

その名の通り、近況報告(遠況報告かも)

重い一日

2011年03月12日 00時12分42秒 | 悲しい話
地震の話です。
まだ余震は続いており、危機的状況は抜けていませんが・・・

僕はとりあえず無事でしたが、多くの人にとって辛い一日だったことと思います。
本当に大きな被害が出ていて、軽く記述できるような話ではないことは承知の上ですが、記憶に残しておくために日記に書いておこうと思います。

※初稿時、ちょっと言い過ぎたところがあったので、多少修正しました。気分を害した方がいた場合はごめんなさい(3/12)

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最初の大揺れのとき、僕は会社にいたのですが、めまいがするほどの揺れと、ドサドサ落ちてくる色々なモノを見ながら、これはさすがにヤバイかもと思いました。
生まれて初めて、本当の恐怖を感じた一瞬でした。


その後、揺れはいったんおさまり、社員全員、一時的に近くの公園に避難したものの、しばらくして「もう大丈夫だろう」ということで建物内に戻ることになったんですが・・・
正直、「まだ危ないんじゃないの?」と思っていたら、案の定、建物に戻ってからもう一度でかい縦揺れが到来。

その後もずっと揺れているし、ビルの壁には亀裂まで入っているし。
さすがにそのときは、直感を信じて自分ならではの単独行動をとるべきか、仲間である集団と行動をともにして指示に従い、その中で最善の行動をとるべきか、けっこう悩みました。
結果的には、集団と行動をともにしましたが、それが正しかったかどうかは、無事だった現状からは分からないですけどね。

その後は解散となり、安全面もふまえて、会社にいるか帰宅するかは各個人の自己判断という形になり・・・
僕はそのまま帰りました。

交通手段が途絶えて帰れない人もいたし、建築構造によっては会社のビルにいたほうが安全ということもあるので、会社の判断としては正しかったと思いますが・・・。
余震でぐらつくビルの中、平然と仕事を続けている人がけっこういて、かなりビビりましたね。

やらなければいけない作業があるのは分かるし、状況を気にしながら慎重に作業していた人もいたけれど、「だいじょぶだいじょぶ」っていう気楽な姿勢でいる人も割といたように見えました。
危機意識の違いといいますか・・・。情報とかチェックして、数時間は安全を確保して、その後に遅れをどうにか取り戻すとか、正しい対策を考えるべきなのではないかと思うんですが。

あと、「東北に知り合いはいないから関係ねーや~」とか、声に出して言ってしまう人も見かけました。
被災地にいる家族や友人を心配している人間がいるかもしれない、大勢の人が集まっている中で。
確かに、内心ではそういうことも思ってしまうでしょう。でも、それを声に出して言ったらいけないんですよね。
これに関しては、かなり憤慨してました。


僕は今まであまり大きな地震を体験したことがなく。
ビルの上階で揺れが激しかったとはいえ、これで震度5前後なのだから、震度7とか一体どれほどの恐怖なんだよ!と思うと、今まで自然災害というものを軽く見ていたなと、つくづく反省しています。
防災対策もほとんどしていなかったし。

電話やメールが通じない中での、情報のやりとりについて。
集団の中で、自分がとるべき行動について。
デマゴーグに流されない、冷静な判断力というものについて。
あと、思いやりとか、暖かい言動について。

色々なことを考えさせられた、2011年3月11日。
自分は特に何も出来ていないのですが・・・

まだ気は抜けない状況なので、まずは自分の命を守るところから。
そこからあとのことは、自分なりに頑張ってみよう。

ショッキング過ぎました。

2008年11月05日 03時58分36秒 | 悲しい話
あまり詳しく書きたくはないのですが・・・
11/4のニュースで報道された例の事件です。

なんというか、自分の中のヒーローが一人消えてしまった喪失感といいますか。。。
音楽的に大きく影響を受け、一個人としてもずっと尊敬していた人物の現状を目の当たりにして、やりきれない感がつのります。

彼の生み出した数々の作品に対して、僕はあくまで商品ではなく「芸術」として受け取ってきました。
なので、それらの作品に対する評価は変わることはないのですが・・・
感性を形にするという部分で、作り手本人と完全に隔離されることはあり得ないと思うので、自分の中でそれらの作品を今後どう聴いていくのかという部分で、怖い感じはします。
今までと同じようにピュアな気持ちで聴けるのか、と。
メディアの情報を全て鵜呑みにすることはないですが、無視することもできない。

まぁ、自分の血となり肉となったものであるだけに、それほど簡単に受け取り方が変わることはないでしょうけど・・・。

しばらく前に、テレビでやっていた特番の内容を思い出しました。
デビュー時あたりの古い曲の断片や歌詞が見つかって、それをリアレンジして新作に入れた、というエピソードを語っている内容の番組。
その中で氏は、「いくつになっても、伝えたいことって変わってないんだよね・・・」と話していました。
そのときの表情、語り口を見て、いちファンである自分は、
「そうそう!そうですよね!」と素直に共感したんですよね。
未知のもの、架空の世界のものに対するドキドキ感とか、ちょっとはにかんだスタンスとか、そして若い世代へのさりげない応援とか・・・。

今後、色々な情報や憶測が飛び交うとは思いますが、
そういった共感、憧れ、尊敬を忘れないようにしながら、成り行きを見守ろうと思います。



「きっと忘れない」

2007年05月29日 00時44分59秒 | 悲しい話
これは書かずにはいられませんでした。
ZARDの坂井泉水さんが5/28に亡くなられたそうで・・・。

そのニュースを最初に聞いたときにはあまり実感が湧かなかったのですが、
次第に胸が苦しくなってきました。
僕と同世代の方なら分かると思いますが、まさに青春時代の思い出だったわけで・・・。

代表作とされる「負けないで」や「揺れる想い」はもちろんのこと、
「もう探さない」、「IN MY ARMS TONIGHT」、「もう少し あと少し・・・」、「この愛に泳ぎ疲れても」といった、少し暗めの切ない楽曲に魅了されてました。
聴く人に希望を与える楽曲と、そこはかとない暗さを感じさせる楽曲との対比が絶妙で・・・
自分の音楽観に大きな影響を与えたアーティストの一人です。
中学生の頃、クラスの皆と協力してシングルCDを集めて貸しっこしたり。
織田哲郎と栗林誠一郎の曲のどちらが良いかで議論したり、
カップリング曲の良さを語り合ったり、色々な思い出があります。

その経歴や人気ゆえに色んなゴシップとかもありましたが、
そんなことは関係ないですよね。
15年間に渡って素晴らしい曲を作り続け、その歌声で多くの人に元気を与え続けたという意味で、本当に尊敬していました。
そして何より、曲・歌ともに純粋に大好きでした。

ちょうど昔のJ-POPが懐かしくなって、ZARDを聴きなおそうかなと思っていた矢先だったので・・・。
かなりショックではありますが、これを機に全ZARD作品を改めて集めてみようかなと思っています。
「GOOD-BYE MY LONELINESS」を心の中で歌いながら、ご冥福をお祈りしています。

少し悲しい話

2007年02月18日 01時10分04秒 | 悲しい話
今回の日記は、ちょっと長くて悲しい感じです。
貯蔵庫の雰囲気にはそぐわないですが、どうしても書かずにはいられなくて書きました。


2007/2/16。
10年以上も可愛がっていたセキセイインコのクック君が死んでしまいました。
ここ数ヶ月バタバタし過ぎていたので、群馬の田舎に預けていたんですが・・・

その日の朝、群馬にいる母親と祖母から連絡を受けて・・・。
どうにか予定を調整し、群馬に行ってきました。
老衰の兆しは現れていたし、11年3ヶ月も生きてくれていたので覚悟はしてましたが、正直なところ、最初は実感がなくて・・・。
空っぽになった鳥篭を見て泣きそうになりながらも、まだ実感は無く。
好きだったお煎餅を半分コして庭のお墓に供え、半分は僕が食べて、「ありがとう」って言ってきました。

でも、いま自分の家に戻ってきて、一緒に撮った写真とかを見たりして・・・
どうにも耐え切れなくて、急に辛くなってます。
とはいえ、まだ実感は無いような気もするのだけれど・・・。


ずっと団地住まいだった僕は犬も猫も飼ったことがないんですが、鳥だけはずっと飼っていて。
ジュウシマツ、ヒヨコ、セキセイインコ、いろいろ飼ってましたが、このクックほど良い友達だったのは他にはいませんでした。
11年前というと、僕は16歳。
音楽に目覚め、そしてバンドをはじめて、音楽の仕事で食べていけるようになった過程を、全て見守ってくれていた鳥でした。
彼を肩にのせたまま、作曲してたこともあります。
曲を再生してて、急にシンバルが大きく鳴ったりすると、驚いて飛び回ったり。
普通のインコより臆病でナイーブでしたが、そこがまた僕と通じるところがあって^^;
本当におとなしくて、飼い主を困らせることもせず、音楽をかけると心地よさそうに体を動かして・・・。
プログレとかの変拍子モノをかけると、ちょっと複雑に動いてみせたりして。
僕が帰宅すると、信じられないくらいのタイミングで「オカエリ!」と喋ってくれたり。
そして、いつも、干したばかりの布団のような香りがしていました。

正直なところ、もっとたくさん遊んであげて、もっときちんと健康を考えてやっていれば、もっと長く生きてくれたんじゃないかという後悔もあって。
自分の甘さ、だらしなさ、そういうものを本気で悔やんでいます。
命の重みをもっと真剣に考えるべきだったんじゃないかと。
最後を看取る役目さえ、祖母と母親に任せてしまったわけであり。

でも、クックと約束したことがひとつあって。
篭の中でうつらうつらしてる彼に向かって、僕が約束したこと。
「絶対に音楽で一旗あげてやるから、それまでは生きててくれよ~☆」

その約束は、どうにか守れました。
まだまだではあるけれど、2006年~2007年の間に、人に誇れる仕事をいくつか遂行できました。
ここで発表できないのが歯がゆくもありますが・・・。
その対象は限られた層かもしれないけど、音楽を通じて、人を感動させたり、ワクワクさせたり、そういうことは出来たんじゃないかと思ってます。
あとは、それを続けていくのみ。

僕の左肩にクックがいて、髪の毛をついばんだり、大音量にびっくりして固まったりしている。
そういう様子を思い出しながら、これからも音楽と付き合っていくことになると思います。

そんなことを思いながら、やっと入手したブルーキュラソーを使って水色のカクテルを作り、鮮やかな水色だったクックを思いながら一人で呑んでます。
涙はまだ止まりませんが、前向きな気持ちです。


実は、クックの姿を見ながら作った曲がひとつあります。
バンドをやっていた時代の曲ですが、いまだに僕自身が最高傑作だと認める作品です。メインが7拍子という、プログレめいた取っ付きにくい曲ですけどね・・・。
タイトルは、「SING FOR ME AGAIN」。
音楽家である飼い主を失った小鳥が、その悲しみを綴る歌。
飼い主がいつも聴かせてくれていた曲を歌ってみようとする小鳥が主人公です。
ちょうど今の僕とは立場が正反対ですが、僕とクックは一心同体だったから・・・
歌詞はvocalのKATZ君にも多少協力してもらいましたが、90%は僕の作詞です。
立場が逆転しても、伝えたいことは同じです。
いつか、この曲を完全な形で再レコーディングし、クックに捧げようと思います。
変拍子とか音楽理論とか、そういうことは抜きで、普遍的な感動を誰かに与えられれば、クックも嬉しく思ってくれるはずだから。


こんな個人的な日記をここまで読んでくれた方へ贈ります。
「SING FOR ME AGAIN」
→http://areacyber2.cool.ne.jp/sing.mp3


以下、歌詞。


小さな止まり木と この広い部屋には 思い出だけが佇む
今でも忘れない あの優しい歌は はかない夢のかけら

全てが自然に 流れていたあの空気は
もう戻らない もう帰らない
伸ばせない羽を広げて 飛び立つほどは強くない

まっすぐに 空を見つめて
あの歌を今 ゆっくり歌っても
声にならない 繰り返せない
夜明けに響く かすかな蜃気楼
もう一度 聴かせて欲しい
いつもの顔と いつもの歌声で
感じていたい いつでも傍で
優しく笑って 優しく語って欲しい


いたずらに季節は 音もなく近づいて 静けさを置いていった
二度とは届かない大切な光は 記憶の淵で輝く

それでも消せない 思いだけが胸を焦がす
もう癒せない もう歩けない
ゆるやかに時が止まってしまうのならばかまわない

何度でも 繰り返したい
光と共に 口ずさむように
言葉が空を 駆け上がる時
悲しみをきっと 優しく拭ってゆく  
必ず届く そう信じたい
溢れる思いが 微笑みに変わるなら
まっすぐに 空を見つめていたい
窓ぎわの命は 今日も静かに歌う…