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音楽、映画、その他表現物に対する日々の覚え書き

のまネコ問題:灰色を白と言う暴力

2005-09-25 23:22:01 | その他

現在、ネット界を賑わせている「のまネコ」問題。僕は、本当に問題なのはavexがモナーの名前とデザインを少し変えただけで、商標登録出願し商売に利用しようとしている、という点にあるのではなくて、もっと以前の段階から、つまり、あのフラッシュをプロモーションに利用すると決定してしまったことにあるように感じます。

ネット上では、しばしば雑誌や写真集から無許可でスキャンされたアイドルのグラビア画像がアップロードされている。これは著作権法上では完全な「黒」であることは明らかで、当然事務所側はこれらのサイトに警告を発っしたり、場合によっては訴える権利を持っているわけです。それに対してサイト側の方では自発的に「写真集をまるごとアップロードしない」とか「一定期間が過ぎれば消す」などの処置をするわけだけど、だからといって許されないことには変わりはないですよね。さて、法的に黒ではあっても、それらのサイトを全面的に禁止することは不可能であり、訴えたり警告メールを送ることは局所的に行なうしかなく、それによってこれらのサイトが一種の「灰色」の領域に存続するのを現実的には許してしまっているのが現状。しかし、その一方で、そのように許されてしまっているのは、それらのサイトが上記のような自制をしている限り、経済的な打撃以上に、プロモーション効果を暗黙の内に予測しているがためかもしれない、と僕は思います。だからといって、事務所は明示的に許可を与えるのではなく、あくまで体面上では局所的な法執行をつらぬかねばならくて、なぜならそれによってこそ、権利上スーパーフラットであるはずのネット空間に出現した特殊なローカリティーとしての「灰色」の領域が存立しているからです。

著作権法上問題のある楽曲を利用してオリジナルのPVや空耳ネタを披露する通称「黒フラッシュ」。それは2chという暗黒大陸で流通し、これまたしばしば自主的にサーバから消されたりするわけですが、そのために決してこれらがグローバル化することなく、ローカルな盛り上がりとしてその存在が暗黙の内に許されている。そしてそこからまたプロモーション効果が期待されるかもしれない・・・そんなコンテンツホルダーとネットワーカーとのある種の調和というのは成立していた気がするんですね。そしてそのローカリティーを作り出しているのが局所的にしか作用しない著作権法である、と。

こうした「灰色」のローカルな空間があることは、「いきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなる」ネットにおいて、非常に有利なことだと思う。自分で魅力的なキャラクターを作りだすことが出来ず、またおもしろい楽曲を提供してくれるような人脈がない、かけだしのアニメクリエーターにとって、キャラクターを2chAAから拝借し、(著作権フリーの楽曲はたいてい凡庸なものばかりだし、それを魅力的に提示するのは初心者にとってハードルが高くなるばかりなので)商業音楽をパクることによって、いつか商業レベルの作品を作れるようになるまで、技術を磨くのにうってつけの空間じゃないだろうか。その時、自分のいる場が「灰色」であると認識していることは、そこからいつか出ようというモチベーションとして機能すると思う。(もちろん「灰色」である場でしか出来ない表現や魅力もあるので、その場にいつづけること否定するわけではないけれども)。

こうして考えてみると、今回、avexが「灰色」の表現である黒フラッシュをそのままピックアップしてしまったということは、こうしたローカリティーに深刻な影響を与えてしまったんじゃないだろうか。明示的には黒フラッシュを許してはならない側にあったはずのavexがその一つを「白」としてしまったこと。

小倉弁護士はブログ上(「のまネコ騒動」についての違和感)で次のように書かれています。

そういう観点からすると、「恋のマイワヒ」について、おそらく原盤権者の許諾なしに作成されオンラインで公開されたであろうフラッシュ映像を、著作権法を活用して押しつぶすのではなく、むしろ積極的にプロモーション用に活用したAVEXの決断は一種の「英断」として比較的高く評価していたりします。

そうだろうか。これは、「灰色」の空間を破壊してしまうという「暴挙」だったんじゃないだろうか。ある一つの黒フラッシュを「白」としてしまうということの帰結は二通り考えられると思います。

1)それ以外のものが相対的に「黒」とされてしまう。

「恋のマイアヒ」の発売に伴なって、作者のわた氏のサイトから、オリジナルの空耳フラッシュは消されてしまいました。これはおそらく作者の自主的判断というより、avexの指示だったと思います。そして先頃転載されていたpya!からも消去されました。オリジナルは商業化されたことによって、「黒」にされてしまったわけです。また小倉氏は次のようにおっしゃっています。

どうせなら、これをきっかけに、「洋楽の空耳フラッシュはAVEX的にはOK!。だけど優秀作品はプロモで使わせてね」という方針をAVEXが採用してくれれば、AVEXが権利を買い取った楽曲に限られるにせよ、原盤権者の著作隣接権によって阻害されることなくフラッシュ作家が創作性を発揮できるようになるわけで、今回の件は、表現の自由と知的財産権の新たな調和点を見出す一つのエポックメイキングとなる素地があったはずです。

僕はavexは決してそこまで考えていたとはとても思えないけれども、もしこれが現実化したならば、avexが権利を買い取った楽曲以外を使用する黒フラッシュの「黒さ」が必然的に増すことになると思います。そして、黒フラッシュではしばしば、複数の異なる楽曲をミックスするようなものがあったりするんだけど、このようにある領域を「自由として」囲い込むことで、こうした楽曲越境の(あくまで灰色の)自由が疎外されてしまうんじゃないだろうか。

だから、今回のavexの行為をもって「英断」とするのは欺瞞かもしれません。本当にavexが著作権にとらわれない自由な創作の場というのを考えていたのなら、もっと徹底した段階に突き進む可能性を考慮に入れなければならないはずです。というわけで二つ目の帰結。

2)全てを「白」にしてしまう。

もちろんこれは全く現実的ではないし、僕にはそんな世界をほとんど想像すらできない。だから、その世界が到来した時に起こる問題を今指摘して批判するのはよくないことかもしれないけれども、少なくともその時、完全なスーパーフラットが到来し、「灰色」のローカリティーの特殊性は見出せなくなることは確かだと思います。そしてそれは本当に創作活動において幸せなことなんだろうか。またavexにとっても非常にリスキーなことなんじゃないだろうか。

今回、商標登録問題で当初は歓迎ムードだった(「灰色」だったのが、「白」と言われたのだから気分の悪いことではなかったのだろう)2ちゃんねらが、avexとの臨戦体制に入ったことはむしろ良かったんじゃないかと思う。コンテンツホルダー側とネット側とが、ギスギスとした関係にある中で成立する「灰色」の領域という別の調和の仕方だってあるのだ。

さて、今後のavexとの闘争の戦略として、著作権法を楯に取るのはどうも歩が悪いみたい。いっそ、今回のavexの「英断」を「暴挙」として思い知らせるために、avexに限って二つ目の帰結にまで追い込んでやるというのはどうでしょうか。つまり、avexの楽曲(彼等が明示的には何も言ってない以上、権利を買い取った洋楽に限る必要はない。浜崎だろうと大塚愛だろうとなんでも)を勝手に使用した黒フラッシュをオーバーグラウンドでばんばん公開してやるのです。そして文句を言われようものなら「なんで『マイアヒ』は認めたのにこっちは駄目なの?」と反論すればいい。彼等が今回やったことは、つまりはそういうことなのだ。