♪♪長谷川弓子の・・・ 「私の歌は君の歌」

私のメロディーをあなたに届けたい・・・

かわさきFM DJノブのディアフレンド新曲発表

2016-03-30 | Weblog


かわさきFM、DJノブのディアフレンド生放送終了!ゲストに岸井千恵子さんをお迎えして番組企画の新曲(鎌倉暮色)を生歌披露して頂きました。

もう桜の季節、という事でラジオで皆様には見えないけど桜柄の和服をリメイクした洋服を着てきました。春の嵐で髪ボサボサだけど!如何ですか?

今日の晩御飯は近所の土手で摘んだつくし第2弾❗️佃煮にしました。
春爛漫ですね~






茶寮遊旬でのライブ報告

2016-03-26 | 音楽




3月22日に宮前区役所のお隣のレストラン、茶寮遊旬で開催された、シャンソンミニライブに桂宏美ちゃんとゲストで出演したときの写真です。

当初20分ステージの予定だったのが急遽1時間に変更になり、慌てて自宅に譜面を取りに帰りましたー。



レストランの外の桜、こんな感じでした


宮前区役所のお隣、レストラン茶寮遊旬でライブに出ます

2016-03-17 | 音楽





3月22日(火曜日)
川崎市宮前区役所のお隣の茶寮遊旬で
開催されるライブに出ます

音楽のある素敵な午後をご一緒に🎵
開場 午後1時
開演 午後1時半
チャージ 1000円(紅茶のドリンク付き)

出演 石川健二 Vocal
長谷川弓子 Piano&Vocal
桂宏美 ヴィオリラ&Vocal
篠原志津子 Piano

他、シャンソンを歌うシンガーの方々も‼️

昼下がりの午後、お洒落なレストランで美味しい紅茶を頂きながらゆったりしたひと時をご一緒しませんか?
お近くの方、ぜひ足をお運びくださいね。

もちろん、私はおっぱいの歌、歌います❗️

私の乳癌闘病記と乳房再建手術

2016-03-14 | 健康

乳癌の手術から2年経ちました。
私の乳癌闘病記を
ホームページからリンクしていましたが、ブログの方が閲覧者が多いようなので、ブログに記事を移殖しました。

長いですが、皆様の何かの参考になればと思っています。
ご意見、ご感想は
nayobikamusic✳︎gmail.com

✳︎を@に変換して、メールにてお寄せ下さい




乳癌患者会 Kshs(キチンと手術・ホンネで再建の会)に
寄贈させて頂いた私の作品 【おっぱいドクターのうた】初期のCD
ミーティングルームのおっぱいの隣に置かれています

記 ・ 2015年4月3日

実は私、2014年4月3日に、乳がんの摘出手術と乳房再建手術を受けました。
もうご存知の方も多いですが、基本、病気のことは1年隠し続けていました。

 複数のミュージシャン仲間に【元気なんだし、そろそろカミングアウトしたら?
せめて♪おっぱいドクターのうた♪歌う時だけでも覆面シンガーソングライターをやってるより
体験談として歌った方が伝わるよ!】とアドバイスを受け、
また、私自身もカラオケ全国大会の審査員を勤めさせていただいている身、
出場者の皆様だって健康になるために歌ってらっしゃるのだから、私が手本とならなければならない、
そして、乳房再建ヌード写真だって顔がついているから素晴らしいのであって
クリエーターの私が覆面で音楽やるなんて、もっての他、と気がついたのです。

事の起こりは2013年のの12月です。自治体で実施されている毎年の成人定期健康診断をそろそろ受けなければ、と思い、
いつもは一番最後に受けている乳房のレントゲン写真、マンモグラフィーなのに何故かその年に限って一番最初に
地元の病院に撮りに行きました
ドクターの触診でも何もなく、年末に、結果を聞きにいきました
何もないだろうと、タカをくくってたら、たぶん大丈夫だろうけど疑わしい所見があるので
この病院で日をあらためてエコー検査を受けて、と言われました。

ええっ!何か問題あるの?まさか?でも触診でも何もなかったし自分でもシコリも何も触れることはできない、
きっと間違いよ、そう思いました
隔年で実施されている、自治体の検査、2年前の検査結果をひっぱりだしてみると
【明らかに良性】と記載された影が描かれていました。

ほらあ、良性じゃない、、大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせながら年末をすごし
お正月はそんな事も忘れていつもと変わらず過ごして正月休み明けにエコー検査を受けに行きました。
何かあるわけないじゃない・・そう言い聞かせて診察台にのりました。
エコー検査の器具が乳房の上を行ったり来たり、、グルグル撫で回され、何か寸法を測られ、、
ドクターに重くハッキリと大きな声で
【乳癌の疑いがあります。1,1cm。乳房を残して手術できます】と言われました。
映画のワンシーンのように、私にはその声にエコーがかかって聞こえ、
その声のトーンは一生忘れる事ができないくらい、ずっしりと重く心に響きました。

【紹介状を書きますので精密検査を受けてください】

もう、頭の中は真っ白です。呆然としたまま、レントゲン写真を自宅に持ち帰りました。

その日から、私の生活は一変しました。

乳癌だったらどうしよう、どうすればいいの?血縁にも乳癌はいないし、そんな筈はない、
でもハッキリとドクターに乳癌の疑い・・と告げられた・・
乳癌の治療ってネットで調べればいいの?図書館?わたし、親より先に死ぬの?成人しているとはいえ子供は?
孫の顔を見る事もできないで死んでしまうの?
おっぱいは残せるって話だけど、形はどうなるの?
腕があがらなくなってしまうの?手指が思いどおりに動かせなくなって
もうピアノが弾けなくなるのでは?不安と疑問が次から次へと押し寄せてきます。
寝込んでしまいました。食事ものどを通りません。

そうだ!お母さんが乳癌闘病中で乳癌治療に詳しい友人がいる!相談に乗ってもらおう!そう思って電話をしました。
友人はさすがに治療に詳しく、順序だてて、乳癌はステージ数ではなく、
癌のタイプにより治療法が違ってくること、また癌の治療法は自分で選択していかねばならない事など
わかり良く説明してくれました。
そして、手術を受けるならこの先生が名医、と4、5人のドクターの名前と病院を教えてくれました。

そして、まだ癌と決まったわけではない、シコリに触れられないなら良性の可能性もあるから大丈夫大丈夫と
自分を奮いたたせて大学病院で数々の精密検査を受け、結果を2月4日に聞きにいきました

混んでいる大学病院、順番待ちをしている間、待合室に貼られているカツラのポスターが目に飛び込んできます。
いよいよ私の検査結果の番になりました。
ドアをノックして診察室に入ります。
わたし【食事が喉をとおりませんでした】
ドクター【そうですか、結果は癌でした】

あっさりと告知され、ステージ1の早期癌であること、部分切除の対象になるけれど
乳房の下部にできた癌であるため、切除後は乳房が変形してしまいます、と説明を受けました。

母も娘も奈良の実家に帰っていてわたし、ひとりでした。

娘と母にメールで検査結果、癌であったことを知らせました。
ちょうど東京に大雪が降り、なのにベランダの鉢植えのアロエに花が咲き、
私が死んでも季節に逆らって力強く生き残っていく生命がある、と、アロエの花を見て泣きました。

【患者】の【患】の字は串刺しの心、と書く・・・
癌告知でまさしく心が串刺しになってしまったのです。

それからは大学病院との戦いが始まりました。この大学病院で手術を受けたくない、
検査ばかり数多くされて検査結果を書いた紙は乳癌の病理検査の用紙を1枚くれただけ、説明もなおざり、
シコリに触れられないと訴えると、ドクターに
【そんな小さなものは触ってもわかるわけがないし、知る必要もない。ウチも混んでるからねえ、
早く予約しないと手術は連休明けになるよ、今手術したらあと5年、10年生きられるんだから!】と予約を急かされました。

転院する!そう決めて、友人が教えてくれた名医の中から[皮下乳腺全摘同時再建]という
一回の手術で綺麗に乳癌の摘出手術と再建手術をしてくれるという、
会った事もなければ話した事もない南雲吉則というドクターを主治医に決めて
ナグモクリニックに電話しました。
ここならば、部分切除による著しい乳房の変形を避けるため皮膚と乳頭を残し、
癌と乳腺を全摘出、シリコンを挿入して形を整え
放射線の治療も省略できる手術を施してくれるからです。
そう、わたしは、部分切除ではなく乳房全摘出の道を選んだのです。

さて、転院といっても、転院の仕方がわかりません。父を21年前に癌で亡くしていますが、
あのときは母にまかせっきりだったし。
嫌だと言っても地元の病院であるため、救急などでまたお世話になることも
あるかもしれない、円満に転院するにはどうすればよいのか・・
大学病院の手術の予約はもう既に、半ば強引に入れられてしまっていました。

ナグモクリニックの受付けの方は丁寧に何を持っていったらいいか、
大学病院にはどうすればよいか、教えてくださいました。
毎朝毎朝、クリニックに電話して質問しましたが、うるさがる風でもなく、
親身に【ああ、昨日の方・・】と質問に快く答えてくださいました。
受付けの方の電話の応対でだんだん気持ちがほぐれ、少しずつ少しずつ、気持ちが明るくなりました。

そして、3月にクリニックが大崎から半蔵門に移転するので、クリニックが移転してからの日に診察予約を入れてください、
と言われて、大学病院から渡されたたった1枚の薄い小さな封筒を持参して初診にいきました。
あれだけ検査づけにされて、えっ?これだけ?何が入っているの?という薄さの封筒です

出来たばかりの真新しい大きなクリニックでまず、診断医の松永先生の診察を受けました。
わたし【あの、本当に癌ですか?】
松永 【ああ、もう皮膚まで来てるよ、同時再建できますが、皮膚は切らなくちゃいけないかもね、
こちらのMRIの結果次第だけど、でも病理検査の結果も何も全く入ってないなあ】
わたし【あっ、病理検査の結果のコピーを持ってきてます】
もしかしたら、何も診断書が入っていないかもしれないと思いたった1枚渡された
病理検査のコピーを自分で持ってきていたのです。
松永 【ああ、よかった、それ貸して】

次に南雲先生の診察です。上半身裸の上にケープ1枚かけたまま、診察台の上でずいぶん待たされ
いきなりカーテン越しに、肩から入ってきて【南雲です、宜しく!】と握手を求められました。
癌告知でパニックになり自分では、殆ど詳細な調査もせず
ヤマカンだけで命を託す主治医にすると決めたドクターとの初対面でした。
乳癌の専門医という事でとてもこわそうなドクターだろうと緊張していたのに、
南雲先生の登場の仕方は、なんだか郷ひろみみたいで、
拍子抜けして、一気に気持ちがほぐれました。
そして、軽く触診した後、撮ったばかりの画像を見ながら同時再建後、
シリコンはやはり人工物なので壊れることもある、その時は入れ替えが必要、
またバランスをとる為に豊胸する側の乳房と全部人工物の乳房とは経年で左右差が出てくるので、
年数が経てば修正が必要なこと、でも医学は進歩していくから、ドンドン良いのが出来てくるよ、
と説明を受けました。
ちょうど、乳癌治療に伴う乳房再建のシリコンが健康保険適用になったばかりで、
健康保険で癌の手術と再建手術ができますが、健側の乳房豊胸手術は健康保険では認められず、自費です。
また、まだ早期なので100パーセントとは言えないが転移してる可能性が少ないこと、
手術後の病理結果次第でホルモン治療、また抗がん剤も必要になるかもしれないと
告げられました。
致し方ない、まさか癌になるなんて思ってなかったから癌保険にも入っていませんでした。
そして、わからない事があったらメールを下さい、とアドレスを知らされ
4月3日に手術日を予約して手術日を待ちました。

南雲先生って、なんだかTVにレギュラー番組を持って出てるらしい、
娘が先生の出ている番組をかけてくれました。
普段はTVは見ているようで殆ど見ていない事が多い、特に健康に関する番組には
全く興味がなっかたので、
そんな番組があった事など知らなかったのです。
バラエティ色の強い医療番組で、私の頭の中は癌で一杯なので、殆ど内容が頭に入ってきません。
主治医に選んだ先生なのに、主治医が見つかる診療所、という番組なのに、
先生がコメントする頃にはお酒の力で眠ってしまいました。

いよいよ4月3日の手術日が来ました。
ここの手術は1泊2日です。
絶食して登院しました。11時にきて下さい、という事でしたが随分待たされました。
待ち時間、患者会をやってるので良かったら参加してください、
と誘われて患者会に参加しました。これから治療を受ける人、もう再建手術を受けた人、様々です。
皆、癌を罹患したとは思えないほど、明るい人たちで、手術への恐怖心が薄れました。

午後4時にやっと手術に呼ばれ、歯医者さんの椅子のような手術台にのり麻酔で意識が遠のき、
【長谷川さん、終わりましたよ】の声で目が覚め、自分で歩いて病室に行きました。

さて、今日はここで一夜を明かします。
バストバンドをぎゅうぎゅうに巻かれて、ああ、皮膚はどうなったのかな?癌は取りきれたのかな、
とりあえず無事に終わってよかった・・そう思いながら眠ろうとしたけど眠れません。
ウトウトしているうちに吐きそうになり夜中にナースコールをしました。
吐き気止めの点滴をして収まり、またしばらくして気分が悪くなりナースコールをして
今度はドクターも来て取り囲まれ、【理事長呼んで、理事長呼んで!】と電話をされて
でも南雲先生なしでその場が収まったりとか、何度かそんなことがあり夜を明かしました。

朝6時頃?にリュックサックを背負ってガムを噛みながら南雲先生が回診に来られ、いきなり、
私の目をアッカンベーさせて診察、次にバストバンドをはずして胸を見て【綺麗!】と一言。
【松永先生と相談して、皮膚は切除せずに癌が取れましたから】との事
○○××でこれからリハビリをしてください、と説明があり、一旦今日自宅に戻ってから
出血が多いのでドレーンを抜きに明日もう一度来てくださいと言われました

娘が迎えに来てくれ、電車で帰宅し翌日はドレーンを抜きに登院し、
帰りにはちょうどクリニックの目の前の千鳥が淵の桜が満開だったので公園を散策して家に帰りました

その後は友人が快気祝いをしてくれたりで、のんびりと過ごしていました。

4月の下旬には以前から決まっていたステージがあり、風邪気味のようでからだは辛かったけどステージに立ちました。
しかしその後熱が出て収まりません。
筍を食べて、酷いジンマシンが出て、クリニックに診察に行くのが辛く南雲先生にメールをして、
診察日を変えてよいか尋ねたところ、【熱があるなら診せてください】と返信がありました。

電車に乗るのも大変なくらいフラフラになり、娘に付き添ってもらい、診察をうけ、風邪でしょう、との診断で
いったん自宅に戻りました。
しかし、食欲はなく、高熱が続きだし、診察の4日後、再建側の乳房から突然大量の膿が流れだしました。
びっくりして南雲先生に写メをすると、即、先生から電話があり
【明日午前中にすぐクリニックに行って!私は診察できないけど一番弟子のドクターに診させますから】
と言われました。

翌日、娘に付き添われクリニックに行き、中澤先生のエコー診察を受けました。
PC画像を南雲先生に転送している様子です。私は電話で南雲先生と話し、
【残念ですが感染症を起こしているので、一旦インプラントを抜去しなければなりません。
抗生物質ではもう対処できません】と告げられました
そのまま、看護師さんたちに、手足を押さえつけられ、中澤先生にアンダーバストの糸を切られ
手袋をした手であっという間にインプラントを抜き去られ、片方のおっぱいは、もぬけの殻になりました。

もう、熱は出ませんよ、ラクになりますから、膿が収まって3ヶ月したらもう一度再建手術ができますから、
大丈夫です、綺麗な胸になります。と話されました。
後で知ったのですが、シリコンというのは感染症に弱く、
どこで誰がどんな手術をしても3パーセントくらいの確立で起こってしまうのは避けられないそうで、
たまたま私がその3パーセントの中に入ってしまったようだったのです。

そしてその日は片乳のまま電車で帰宅し、その後は膿のメンテナンス、通院をして
5月17日に膿が収まったと診断をうけ、それから片乳のまま生活する事になりました。
パットをブラジャーに入れれば外見は変わらないし、日常生活に不便はなく、温泉地に仕事に行ったとき、
皆と温泉に入れないとか、乳癌を隠していたので、カラオケ大会の審査の宿泊で
同室になった演歌の作詞家の麻こよみ先生の手前、ブラジャーをしたまま寝たり、
夏場に宅急便が来たらカーディガン1枚はおって出たりとかの事はあったけど、
何より癌がきっちり取りきれていた事と、病理検査の結果大人しいタイプの癌なので抗がん剤は必要なく、
ホルモン治療の飲み薬だけでよく、幸いにも薬の副作用もなく、新しい分野で
南雲先生の講演会を聞きに行ったり、友達と飲み会もして、まずまず元気に生活しました。

でも、その間にひとつとても悲しい出来事がありました
16年間の長き渡って私に作詞・作曲の指導をしてくださり、実の娘のように可愛がってくださっていた
日本を代表する大御所編曲家の池多孝春先生が胃癌でお亡くなりになられたのです。
先生が亡くなられる1か月前に、まさかこれが最後になるとは思わず
先生のお宅に野菜ジュースを持ってお見舞いに行きました
癌患者が、癌患者の見舞いに行ったのです
先生はTS1という抗がん剤を服用されていて、やせ細っておられました
そして弱々しい声で「ゆみちゃん、抗がん剤打たなくてよかったね
おっぱいも綺麗になってよかったね」ととても喜んでくださいました
感染症を起こして、一旦インプラントを抜去したことは、話さなかったのです。
池多先生は85歳の誕生日目前の6月12日に天国へ旅立ってしまわれました。
ああ、先生にあれだけお世話になりながら、作詞作曲家として大きなヒットを出す、という
恩返しができなかった・・
お世話になる一方だった・・・
皆に無償の愛を与える方で人望も厚く
いつも事務所は人の出入りで賑やか
もう、あんな指導者に巡り会えることは無いだろう・・
いつまでも続く明日という日が閉ざされてしまった気がしました

でも悲しんでばかりいられません。
私は生きなければいけない
しかも、元気にはつらつと!

そして9月1日を選んで再建再手術の予約をしました、
また、手術当日絶食をして登院し、
写真撮影もして、おっぱいにデザイン?マジックで色々描かれてイザ!なぐちゃん先生の診察です
(この頃には、南雲先生ではなく、先生との数々のメールのやりとりで、すっかり、呼称がなぐちゃんに変わってました)

なぐちゃん【ハーイ!お待たせ!あれっ?傷口、ジュクジュクしてない?あなた、傷口掻き毟ったでしょう?】
わたし【えっ??】

そう、どうも無意識のうちに傷口を掻き毟っていたのです。
そこまで気がつかなかった。。かさぶたが一旦できてしまってたみたいです。

なぐちゃん【今日は手術取りやめ!ここのジュクジュクがなーーんか、いやなの。
あなた、あんな事があったから今度は99.9パーセントの確立で成功させたいの。
あなたが良ければ今日やりますけど、後で苦しい思いをするのは、あなたですからね】

わたし【とっ、とんでもないっ!キャンセルでお願いします】

そして、ションボリして、また片乳のまま帰宅しました

翌週また、傷口の診察を受け10月17日に再手術の予約をしました

さて、今度は3度目の挑戦です。
いよいよ手術日が来て
体調を整え登院、麻酔をかけられ意識が遠のき、【終わりましたよ】の声で目が覚め
自分で歩いてベッドに行き、今度はインプラントを挿入するだけなので日帰りです。
娘が迎えに来てくれ、電車が混んでいる時間帯だったのでタクシーで帰宅しました。

その後は前回と違い、痛み止めも必要ない回復で順調、豊胸した健側の乳房とのバランスもよく、
乳癌をきっかけに、155cm44kgの細いからだにバン!と張ったDカップのおっぱいがつき、
思いもかけず病気をきっかけにナイスバディーになりました。

ドレスも綺麗に着こなせるようになり、乳癌も悪いことばかりではありません。

もちろん、私は手術とホルモン剤の服用のみで、抗がん剤や他の治療を受けていないから
言えることなのかもしれません。
今も乳癌と闘い、苦しい治療を受けている方も多くいらっしゃいますので、
軽々しい事は言えませんが、乳癌は多くのことを
私に教えてくれた気がします。

今こうして生かされていることへの感謝の気持ち、でも人の命は永遠ではないこと、
人の痛みは自分の痛みになる可能性もあること、
弱い人と同じ目線になる努力をすること、家族や友人のありがたみや、
ほんの小さな季節の移ろいに感動したり・・

乳癌手術、再建手術に伴う感染症、と色々あったけど結果オーライで、
主治医のなぐちゃん先生にはとっても感謝しているし、なぐちゃん先生のおかげで多くの方々は
一度の手術で癌の摘出と再建手術を受けることができているので、
こんな風に記事にしておこうと思いました。

日本人の二人にひとりが癌になる時代、
最後にひと言、早期発見、早期治療です、皆さん、検診に行ってくださいね!
男性も乳癌になる事があるらしいですよ、気をつけて!

~~~~~~

♪おっぱいドクターのうた♪
作詞・作曲・編曲・歌  長谷川弓子

おっぱい触ろう おっぱい触ろう ちょっと秘密 ツツンのツン
おっぱい撫でて おっぱい撫でて シコリを探して撫で回す
シコリがあったら乳腺外科だよ
 検査をしたならば アララ大変悪性だ (ガン!)

おっぱい診せて おっぱい診せて もっと診せて キュキュンのキュン
おっぱい変わる おっぱい失くす まさかの展開どうしよう
希望をするなら再建できます
腫瘍を取り除き そしてその後作れます

おっぱい作ろう おっぱい作ろう 切って詰めてホホイのホイ
おっきなおっぱい ちっちゃなおっぱい 形は色々あるけれど
揺れてるおっぱい 揺れないおっぱい
萎んで膨らんで アララ不思議さ元通り




かわさきFMのゲストに小野恵美子さん

2016-03-12 | Weblog



9日のかわさきFM、DJノブのディアフレンド、ゲストには演歌歌手の小野恵美子さんをお迎え致しました。
小野さんは昨年、早期の胃がんを罹患されましたが、見事復帰、ますますお元気でご活躍、7人の子供さんと14人のお孫さんに囲まれ、お孫さんユニットによるマゴーズというコーラス団も結成されたそう。

番組では、そんな病を克服したお話しや、大勢のお孫さんのお話しをお伺いする事ができました。

今度、小野さんとマゴーズと私たちでステージ一緒にやりませんか?

実現できる日を楽しみにしています🎵