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藤原実方と清少納言の贈答歌

藤原実方と清少納言の贈答歌
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版

 ところで「続千載集」の恋一に収録された清少納言の歌にこんな歌がある。

  水無月の頃、萩の下葉にかきつけて人のもとへつかはしける

 これを見よ上はつれなき夏草も下はかくこそおもひみだるれ

 旧暦六月は晩夏、茂った夏萩の下葉が少し色づきはじめる頃だ。まだ上の方は緑だが、下葉の黄ばんだあたりに結びつけて届けた歌である。「恋一」の初々しい恋歌として読めば、これも女のがわから男へのアピールの歌である。「さりげなくしてはおりますが、ごらん下さい。内心はこんなにも思い乱れております」というのだ。

 ところがこの歌、「清少納言集」(Ⅱ)では詞書が全くちがう。その詞書は「世の中いとさわがしきとし、とを(ほ)き人のもとに、はぎのあをきしたばの、きばみたるにかきつけて、六月ばかりに」とある。
 「世の中いとさわがしきとし」という指定が気になる詞書である。清少納言にとって、お仕えする中関白家と一条天皇の后中宮定子の地位に大きな動揺があった年を考えると、それは長徳元年(995)から翌年長徳二年にかけてであろう。

 長徳元年は、前年の西暦五年(994)に九州より起った疫病がこの年の四月には京にも広がり、中関白家の当主道隆(定子、伊周(これちか)の父)が四月に亡くなった。嫡子伊周に内覧の宣旨(天皇に奏上する文書を前もって読んで処置することを許される)が下ったが任に堪えず、道隆の弟道兼が代ったが、その慶賀参内の日、五月八日に急逝した。疫病の流行は衰えず、大納言朝光(あさてる)、左大将済時(なりとき)、左大臣重信、大納言道頼、中納言保光等、政治の中枢にあった大官僚が次々に逝去したため、道隆らの末弟道長が思いがけなく摂籙(せつろく:摂政、または関白のこと。また、その家柄)の家を継ぐことになった。

 さらにはその翌年、長徳二年(996)には伊周と弟の隆家が、花山天皇の輦輿(れんよ:轅 (ながえ) を肩に当てて移動する輿 (こし))を従者に射させるなどの不祥事を起し、伊周・隆家は左遷され、中宮定子が落飾という、まさに「世の中いとさわがしきとし」となったのである。

 ところで、つづいて問題になるのは、この歌を送り届けた「とを(ほ)き人」とは誰だろうということだ。すぐに思い浮かべるのは、長徳元年の除目(じもく:任官の人名を記した、目録のこと)で突如陸奥(むつ:東北地方)守を拝命した中将実方のことだ。この年あの疫病で亡くなった五位以上の殿上人は六十三人に及んだという政情不安定の年であるのに、実方はなぜ左遷に該当するような処遇を受けたのだろうか。

 そのことへの答えはないが、「実方朝臣集」やそのほかの集をみると、じつに多くの人が実方との別れを惜しんで沢山の歌を詠んでいる。もちろん、親しかった清少納言もその一人だ。
 実方が任地に出向したのは歌の贈答からみて長徳元年の十月頃らしい。とすれば、みちのく到着は翌年のことになる。みちのくに着いた実方は、五月になってもほととぎすが鳴かない季節のちがいを嘆いた歌を京に詠み送って、みやこの風雅にはずれた遠い地にあることを悲しんでいる。

 しかし、六月の萩がみちのくに届くのは早くても十一月の終わりころだから、これはやはり無理のようだ。それより「実方中将集」と「清少納言集」の双方に出ていて、互いに忘れがたい贈答の場であったらしい二人の親密さをみてみよう。詞書のより詳しい「実方中将集」から引く。

   もとすけがむすめの、中宮にさぶらふを、おほかたにて、
   いとなつかしうかたらひて、人にはしらせず、たえぬな
   かにてあるを、いかなるにか、ひさしうおとづれぬを、
   おほぞうにてものなどいふに、女さしよりて、わすれ給
   ひにけるよ、といふ。

  わすれずよまたわすれずよかはらやの下たくけぶりしたむせびつつ  実方

   返し

  あしのやの下たくけぶりつれなくて絶えざりけるもなにによりてぞ  清少納言

 ふたりは、人には秘密の、しかも絶えることのない仲であったのだ。それが何ということもなく、双方とも、久しく消息もせず時間がたってしまったことがあった。その後、久しぶりで仕事でやってきた実方が、清少納言がいることを知っていながら、ごく事務的な会話をしていると清少納言がすっと寄ってきて、「私のこと忘れたのね」という。実方はそれに答えず無言で立って行き、物かげで書いて渡したのがこの歌だ。

 「わすれずよまたわすれずよ」の繰り返しに情がこもっていてすばらしい。「瓦造りの蘆(あし)の屋で焚く下燃えの火がくすぶるように、いつだってあなたのつれなさにひそかにむせび泣いている私だ」といっている。これに対して清少納言の返歌は、「下たくけぶり」という言葉尻を捉えて、男が燃えてこない情のつれなさをなじる。「そんなにくすぶる思いなら、もうこれまでとも思うのに、なぜか縁が切れないのは何なの」という口調である。

 実方がみちのくに下向することになり、清少納言は最も楽しい歌人の恋人を失った。

   さねかたのきみの、みちのくにへくだるに

  とこもふちふちも瀬ならぬなみだ川そでのわたりはあらしとぞ思ふ
  (床も涙の淵となり、淵は逢う瀬となるはずなし、涙河の袖の渡しは嵐が吹いています)

 技巧で作り上げたような歌だが、せっぱつまった清少納言のせいいっぱいの思いであろう。

 藤原実方と清少納言の贈答歌 完
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