色好みの代名詞 平中
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集
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女たちの挑発 伊勢と平中
平中がいくら思いのたけを書いて届けても全く返事をしない女があった。懲りずに文を送る男も男で、「懲りずまた、いひみいはずみある人(言い交わしたり交わさなかったりする人)ぞありける」と「平中物語」はいう。返事はもらえないが、沈黙はかえってどこかに脈がありそうな感じがするものだ。
また、返事以上に、平中の訴えを理解してくれるはずの女だという相手へのよほどの信頼があったのだろう。だから平中は、懲りもせず、文をだしてみたり、様子をみてしばらく間を置いてみたり、ともかく消息のとぎれることをしなかったのである。女も「かれを憎しとは思ひはてぬ」ところがあったらしい。
このゆかしげな女は誰だったのだろう。何と「古今集」に貫之と比肩される女流の伊勢であった。伊勢の恋の遍歴といえばあまりに華麗で眩いほどだ。
宇多院の女御温子に仕え、藤原北家(ふじわらほっけ:名門中の名門)の仲平・時平に恋を争わせ、ついには宇多院その人の皇子を生み、さらには宇多院の皇子敦慶親王の愛人として女流歌人中務を儲けている。
しかし、伊勢は受領階級の出身であり、平中と贈答するのにふさわしくないはずはない。むしろ、ごく若い頃の受領の女、才(ざえ)ある心位(才能のレベルの意味だろうか?)の高さや用心深さがうかがえて面白い。
伊勢の歌を集めた「伊勢集」は三種類あるが、そのどれもにこの平中との歌のやり取りが収録されているのをみると、やはりこれは劇的な魅力をもつ逸話としての面白さがあったからだろう。
顛末を言えば、女の沈黙にしびれを切らした平中が、「この奉る文を見たまふものならば、たまはずとも、ただ「みつ」とばかりはのたまへ」と手紙を出したのに対して、本当に「みつ」とだけ返事が来たのである。その時の贈答を「伊勢集」から引こう。
たちかへりふみゆかざらば浜千鳥あとみつとだに君いはましや 男
(あなたの無音に私が押しかえしてお手紙しなかったら、あなたは浜千鳥の浜の足跡など見向きもしないように、私の筆の跡も「みつ」とさえ言わないでしょうね)
返し
年経ぬること思はずば浜千鳥ふみとめてだに見べきものかは 女
(お手紙をいただいた長き月日を考えなかったら、浜千鳥が踏む跡のような文の跡を、目を留めて見るようなことはいたしませんよ)
じつにつれない女の返歌である。しかし、ここまでつれない歌を返されると、かえって元気が出るもので、小癪さに笑いが口もとに上がってきたにちがいない。
この話はよほどもてはやされたとみえて、しだいに尾鰭(おひれ)がついてゆき、「今昔物語集」では、返書には平中の手紙に書かれていた「みつ」の二字が破り取られ、薄様の紙に押し貼られていたと語られ、平中のみじめさが笑われている。相手の女性も、本院侍従という、村上天皇時代の才媛と混同されている。
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*返書に平中の手紙に書かれていた「みつ」の二字が破り取られ、薄様の紙に押し貼られていた、というひどい話がおかしさのポイントか。歌の贈答内容だけでは「みつ」のおかしさが理解不能。「みつ」は鳥の足跡?。女(伊勢)の実名でもなさそう?。よくわかりません。
次回 本院の侍従と平中 につづく
平中が女のからかいに滑稽な逆襲開始
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」