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3-5 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価 」

2021-12-07 09:04:35 | 3なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
3-5 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価 」

 第3章 都合により今回で休止します。
 日本人が知らない日本の歴史的功績 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった
3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは
3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別
3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価
3ヘ 軍人としては無能だったマッカーサー
3ト マッカーサーの日本非武装中立論
3チ 日本の”宗教改革”を企んだマッカーサー
3リ アメリカの日本に対する戦後処理の愚
3ヌ ルーズベルト(FDR)を「狂人」と呼んだフーバー元大統領

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3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価

  世界的に著名な歴史家のアーノルド・トインビーは、1956(昭和31)年にイギリスの高級新聞「オブザーバー」紙(
10月28日)に、次のように寄稿している。

 「日本は第二次世界大戦において、自国ではなく、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。
  それまでアジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうではなかったことを、人類の面前で証明してしまった。
  これは、まさに歴史的な偉業であった」

 「日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打つことをなしとげた」

  アメリカは1898(明治38)年の米西戦争で、スペインの植民地だったフィリピンとグアム島を奪った。
  アメリカは同じ年に、ハワイに海兵隊を奇襲上陸させて、アメリカ領に組み込んだ。
  アメリカにハワイ、フィリピンを支配する何の権利が、あったのだろうか。

  十五世紀に大航海時代の幕が上がってから、白人キリスト教徒は自分たちが神の選民であると思いあがり、アジア・アフリカを侵略してキリスト教化する使命があるとして、その行為を正当化した。キリスト教は、剣を隠し持った宗教だった。支配を全世界にひろげていったのは、香料や、胡椒、黄金、銀、奴隷を求めたものだったが、蛮地をキリスト教化するという大義名分によって、卑しい欲望を隠した。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

3-4 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった 」

2021-12-06 09:04:14 | 3なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
3-4 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった 」

 第3章
 日本人が知らない日本の歴史的功績 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった
3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは
3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別
3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価
3ヘ 軍人としては無能だったマッカーサー
3ト マッカーサーの日本非武装中立論
3チ 日本の”宗教改革”を企んだマッカーサー
3リ アメリカの日本に対する戦後処理の愚
3ヌ ルーズベルト(FDR)を「狂人」と呼んだフーバー元大統領

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3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった

  ルーズベルト(FDR)が死去したのを受けて、大統領となったハリー・トルーマンも、激しい人種差別主義者だった。

  ルーズベルト(FDR)はミズーリ州選出上院議員のトルーマンを軽蔑していた。1944(昭和19)年の大統領選挙に当たって、政治的な必要から、トルーマンを副大統領候補として組んだ。しかし、ルーズベルト(FDR)はトルーマンを無視して、民主党大会で正副大統領候補として指名を受けた時と、大統領就任式以外に、死去するまで、トルーマンと一度も顔を合わせたことがなかった。

  トルーマンはミズーリ州の貧しい家の出身で、大学教育も受けていなかったから、朴訥で口汚かった。日本が降伏した直後に、日本人は「悪辣で、残忍な野蛮人だ」と言っている。

  トルーマンは、ユダヤ人も嫌った。トルーマンはミズーリ州の自宅に、ユダヤ人を一度もいれたことがなかった。

  1946(昭和21)年に閣議の席上で、「イエス・キリストが彼ら(ユダヤ人)を満足させることができなかったのに、どうして私がそうできようか」と、発言している。ユダヤ人が後にパレスチナにイスラエルとして独立する、新しいユダヤ人国家を建設しようとしていたのにも、反対していた。

  マッカーサー元帥も、人種差別主義者だった。

  東京時代を通じて高級副官として側近だったファビアン・パワーズ少佐が、元帥と専用車に同乗していた時に、外に雨がしのついていた。
  マッカーサーはパワーズに、「昔、東京に来た時も、このように雨が降っていた。ジャップは、おぞましい悪そのものだ」と、言った。

  マッカーサーは日露戦争末期に、観戦武官として満州を訪れた父親に連れられて、日本にごく短期間、滞在したことがあった。
  マッカーサーはルーズベルト(FDR)のさまざまなお蔭を被り、ルーズベルト(FDR)の生前、諂っていたのにもかかわらず、いつも側近に彼のことを悪し様に言った。

  マッカーサーも、同じようにユダヤ人を蔑視していた。
  側近とルーズベルト(FDR)を話題にする時には、わざと「ローゼンフェルド」と名前を間違えてみせた。ローゼンフェルドは、典型的なユダヤ人の姓である。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

3-3 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別 」

2021-12-05 09:09:40 | 3なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
3-3 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別 」

 第3章
 日本人が知らない日本の歴史的功績 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった
3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは
3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別
3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価
3ヘ 軍人としては無能だったマッカーサー
3ト マッカーサーの日本非武装中立論
3チ 日本の”宗教改革”を企んだマッカーサー
3リ アメリカの日本に対する戦後処理の愚
3ヌ ルーズベルト(FDR)を「狂人」と呼んだフーバー元大統領

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3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別

  東京裁判は司法的に見せかけて、体裁をつくろったリンチ(私刑)だった。

  日本では今日に至るまで、「東京裁判史観」という言葉が定着している。だが、とうてい史観とすらいえるものではないから、滑稽なことだ。

  東京で連合軍が日本の指導者たちを「侵略戦争」を計画して、実行した罪によって裁いていたあいだ、イギリス軍、フランス軍、オランダ軍が、大戦中に日本が解放したインドネシアや、ベトナム、ビルマ、マレーを再び植民地としようとして、これらの諸国や、地域に対して侵略を働いていた。

  アメリカが日本に戦争を強いた大きな原因の一つが、人種差別だった。

  昭和天皇は1946(昭和21)年4月に、戦争の原因として、「白色人種の有色人種に対する優越感によって、日本人種が嫌われたことがある」と、側近に語られた。

  東京裁判の判事の11人のなかで、ラダビノド・パル判事、オランダのバート・V・A・レーリンク判事と、フランスのアンリ・ベルナール判事の三人が、判決に反対する少数意見を提出した。もちろん、占領下で三人の反対意見は、公表が禁じられた。

  パル博士は「連合国は極東軍事裁判で、日本が侵略戦争を行なったことを歴史にとどめることによって、欧米列強による侵略を正当化し、日本に過去の罪悪の烙印を押すことが目的だった」と、断じている。
  レーリンクは、後に著書のなかで、次のように述べている。

 「私たちは滞日中、東京をはじめとする都市を爆撃して市民を大量に焼殺したことが、念頭を離れなかった。私たちは国際法を擁護するために裁判をしていたはずなのに、連合国が国際法を徹底的に踏み躙ったことを、毎日、見せつけられていたから、それはひどいものだった。もちろん、勝者が敗者を捌くことは不可能だった。まさに復讐劇だった」
 「日本はアジアをアジア人の手に取り戻すために戦ったが、日本は軍事力を用いてアジアから西洋の植民地勢力を駆逐する意図は持たなかった。日本の当時の軍事力は、防衛的な性格のものだった」

  といって、日本がアメリカによって追い詰められて、開戦を強いられた経緯を、詳しく説明している。

  レーリンクは「人種差別が、太平洋戦争の主因の一つだった。連合国の国民は、日本人を人間以下と見なすように教育されていた。広島、長崎で数十万人を、一瞬のうちに焼殺したのも、人間ではないと感じたから、できたのだった」と、述べている。

  日本では人種によって差別することが、歴史を通じてまったくなかったから、キリスト教圏において常に行われてきた、厳しい人種差別を理解することが難しい。

  アメリカにおける日系人に対する差別は、ひどいものだった。日米戦争が始まると、12万人以上のアメリカ国籍を持っていた日系人が、全財産を没収されたうえで、有刺鉄線によって囲まれた強制収容所に、送られた。
  収容所の衛星も、環境も、劣悪だった。監視塔のうえに、銃を構えた兵士が見張っていた。

  これは、アメリカ憲法の重大な違反だった。それにもかかわらず、日本人によって442部隊が編成されると、ヨーロッパ戦線へ送られて奮闘し、アメリカ軍の最高殊勲部隊となった。

  1944年に行われたギャラップ社の世論調査では、回答者の13%が、「日本民族を絶滅させる」ことを、支持していた。はじめから、「日本民族を絶滅させるべきか」という質問が、用意されていたのだった。

  このころに、ルーズベルト(FDR)大統領はスミソニアン研究所で働く、文化人類学者のアールス・ヒルデリカをホワイトハウスに招いて「日本人全員を、温和な南太平洋の原住民と強制的に交配させて、無害な、やる気がない民族につくり替える計画をたてたい」と、語った。
  しかし、さすがにこの計画について、研究が行われることはなかった。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

3-2 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは 」

2021-12-04 09:17:21 | 3なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
3-2 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは 」

 第3章
 日本人が知らない日本の歴史的功績 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった
3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは
3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別
3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価
3ヘ 軍人としては無能だったマッカーサー
3ト マッカーサーの日本非武装中立論
3チ 日本の”宗教改革”を企んだマッカーサー
3リ アメリカの日本に対する戦後処理の愚
3ヌ ルーズベルト(FDR)を「狂人」と呼んだフーバー元大統領

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3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは

  日本占領を司った連合国軍最高司令官であり、東京裁判の主催者であったマッカーサー元帥は、日本を侵略国家として、一方的に断罪した。
  ところが、マッカーサーは東京裁判の判決から、わずか二年半後の1951(昭和26)5月3日に、アメリカ上院軍事外交合同委員会において、日本はやむにやまれず自衛のために戦わざるをえなかった、という主旨の証言を行なった。日本はまだ占領下にあった。

  マッカーサーは、アメリカが工業国にとって不可欠な石油や、屑鉄などの原料の対日禁輸を行なったことに触れて、「彼ら(日本)はもし、これらの原料の供給が絶ち切られたら、1,000万人から1,200万人の失業者が発生するだろうことを、恐れていた」「したがって、日本が戦争に飛び込んで行った動機は、その大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と、述べた。

  多くの日本国民が、アメリカ軍の占領下で行われた東京裁判を、それがあたかも厳正な司法裁判であったかのように、いまだに錯覚している。

  通称”東京裁判”として知られているが、公式には極東国際軍事裁判と呼ばれた。
  マッカーサー元帥が主導した極東国際軍事裁判は、日本が戦争に敗れた翌年の1946(昭和21)年5月3日に、開廷した。

  東京裁判は復讐劇であるよりも、日本国民に日本が犯罪国家であると、思い込ませるために行われた。

  東京裁判では日本の28人の指導者が、「平和に対する罪」によって裁かれた。東條元首相をはじめとする7人が、無残にも処刑された。

  マッカーサーは日本に到着したその日のうちに、「平和に対する罪」を犯したかどで、重大戦争犯罪人の逮捕を命じた。
  それまで、国際法に「平和に対する罪」は存在しなかった。戦勝国となった連合国が、創りだしたものだった。

  東京裁判では日本の指導層は、満州事変が起こった1931(昭和6)年から対米戦争を始めるまで、一貫して侵略戦争を企てた罪で裁かれたが、日本ではこの11年間に、内閣が13回も交代しており、政策にも一貫性をまったく欠いていた。
  他方、ルーズベルト(FDR)は1933(昭和8)年から、開戦の1941(昭和16)年まで、9年にわたって大統領の座にあった。

  この「平和に対する罪」は、日本も含む15ヶ国(のちに63ヶ国)が、1929(昭和3)年に調印した「戦争放棄に関する条約」に、根拠をおいたものとされた。
  しかし、不戦条約が締結された時でも、侵略戦争について、定義することはできなかった。

  ケロッグ国務長官は「国家が軍事的に攻撃されるのではなく、経済封鎖を受けた場合はどうだろうか?」という質問を受けた。
  ケロッグは「戦争を戦わないで、封鎖だけ行うことは、ふつう考えられない」と、答弁した。質問した議員がさらに「経済封鎖は、戦争行為に当たると思うが、どうか?」と質すと、ケロッグは「もちろん、戦争行為そのものだ」と、断言した。

  日本が日米戦争に当たって侵略戦争を戦った罪で被告席に座らせられたが、史実は、日本ではなく、ルーズベルト(FDR)政権のアメリカが裁かれるべきだったことを、証している。

  それまで、人類史で戦勝国が敗戦国を戦争を戦った罪によって、裁いたことはなかった。

  今日でも、日本では”東京裁判史観”を信じている者が少なくないが、東京裁判自体が悪質な国際法違反だった。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

3-1 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった 」

2021-12-03 09:05:18 | 3なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
3-1 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった 」

 第3章
 日本人が知らない日本の歴史的功績 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった
3ロ 東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」とは
3ハ 日米戦争の原因の一つは人種差別
3ニ トルーマンもマッカーサーも人種差別主義者だった
3ホ トインビーが日本に与えた歴史的評価
3ヘ 軍人としては無能だったマッカーサー
3ト マッカーサーの日本非武装中立論
3チ 日本の”宗教改革”を企んだマッカーサー
3リ アメリカの日本に対する戦後処理の愚
3ヌ ルーズベルト(FDR)を「狂人」と呼んだフーバー元大統領

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3イ 盧溝橋事件は日本の仕掛けではなかった

  日本がアメリカによって追い詰められて、対米戦争を戦った教訓から、何が学べるだろうか。
  日本は日米交渉に当たって、アメリカも日本と同じように誠がある国だと思って、相手の真意を疑うことなく、独り芝居を演じた。

  今日でも、「日中友好」が成り立つと信じて、中国と良好な関係を結べると信じている、お人好しな人々がいる。
  陸海軍の多くの軍人がドイツの勝利を信じて、ドイツに国家の未来を託した。

  今日の日本は、日米安保体制のもとで、国の独立をすべてアメリカに預けて、防衛努力を怠っているが、外国に国家の運命を委ねるのは、危険である。
  アメリカはアジアについて無知だった。日本は誤解されていた。私たちは日本をめぐる正しい情報を、外国人が理解できる形で、海外に発信しなければならない。

  盧溝橋事件は、日本が引き起こしたものではなかった。
  1937(昭和12)年7月7日夜に、日本軍の一個中隊が夜間演習を終えようとしていたところ、突然、射撃を被った。その後も、盧溝橋方面から、何回にもわたって、射撃を受けた。
  日本軍は7時間にわたって自制したが、射撃がやまず、翌日午前五時半になって、ようやく反撃した。

  今では、中国共産党の工作員が日中両軍を衝突させようとして、夜間を利用して日本軍に対して発砲したということが、定説となっている。

  1900(明治33)年の義和団事件以後、日米仏などの諸外国の軍隊が、居留民を保護するために、駐屯する権利を得ていた。

  延安にあった中国共産党本部から、毛沢東の名で「全陸海空軍、全国民衆の愛国運動を結集して、侵略日本軍に立ち向かえ」と発せられた1937年7月7日午後10時付の電報が、軍事博物館に展示されている。
  盧溝橋で、日本軍が反撃を開始する以前のことである。

  中国共産党は日中を闘わせることを、強く望んでいた。

  その後、第一次近衛内閣のもとで、日本は不拡大方針をとって、中国側と和平交渉を続けた。中国側の挑発が挑発が続くなかで、同じ年の8月に、突然、上海に戦火が飛び火したが、停戦協定が結ばれた。

  日本は第一次上海事件後の1932(昭和7)年の休戦合意に従って、上海周辺に海軍陸軍隊をわずか3,000人だけ配置していた。
  そこに、蒋介石総統の承認を得ることなく、南京・上海の警備司令官率いる40万人の国民党政府軍が、日本租界に襲いかかった。南京・上海の警備司令官は、後に回想録のなかで、自分が中国共産党の秘密党員だったことを、認めている。

  日本軍が本国から増援され、戦闘が中国本土に拡大していった。
  アメリカが日本に戦争を仕掛けた背後には、ソ連の手が働いていた。
  ソ連は日本がアメリカと戦うことを、強く望んでいた。
  ソ連は日本をつねに脅威としてみていた。独ソ戦が起こると、日本が背後から襲ってくることを恐れた。

  戦後、アメリカ上院政府機能審査小委員会ー通称マッカーシー委員会ーの調査によって、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官と、ロクリン・カリー大統領補佐官が、ソ連のスパイであることが、判明した。
  ホワイトはハル・ノートを起草した時には、財務次官補だったが、1945(昭和20)年に次官に昇進していた。ホワイトは逮捕される直前に、自殺した。

  ルーズベルト(FDR)大統領は、日本が真珠湾に「騙し討ち」を加えたといって、アメリカ国民を煽った。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長