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恋のかけひきくらべ (場面のある恋の歌)

2024-02-09 10:03:47 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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恋のかけひきくらべ (場面のある恋の歌)

  男と女の恋のかけひきくらい面白く、いいかげんなものはない。こういう言い方を否定するのはやさしいが、代々の勅撰集の恋の名場面は、大方こうした虚言や騙しを見ぬいたがわからの挑発であり、頭のいい弁明であり、そのあとには双方からの笑いがあった。

  では男女の仲はそれほど嘘でかたまっていたのかといえばそういうことではなく、男女の(交際)そのものが疑似的恋愛の中にあった時代では、男女間の思いはかりはそのまま人生や世間への心の深浅を問い問われる場であったといえる。「後撰集」の「恋二」を見てみよう。

    男の、ほど久しうありてまで来て、「み心のいとつらさ
    に十二年の山籠りしてなん、ひさしう聞えざりつる」と
    言ひ入れたりければ、呼び入れて、物など言ひて返しつ
    かはしけるが、又音もせざりければ

   出でしより見えずなりにし月影はまた山の端に入りやしにけん

    返し

   あしひきの山に生(お)ふてふもろ葛(かづら)もろともにこそ入らまほしけれ

  「よみ人しらず」の応答だが、じつに物に心得た男女の場の面白さである。男は久しく女のもとを訪ねていなかったが、思い出して旧交を温めたく思ったのだろう。「あなたがあまりつれないので、あからめて私は比叡山に十二年の山籠りをしていました。それで、まことに久しい間御無沙汰をしておりました」と消息した。
  「十二年の山籠り」とはずいぶん人を食った話で、ここでまず女の方は笑い出し、逆に会ってみようと思ったにちがいない。

  その夜、二人は久しぶりに楽しい夜を過ごしたと思われるが、男はまたまた、やってこなくなった。そこでこんどは女の歌、「山を出たと仰しゃった月影のようなあなたは、また山の端に入ってしまったのですか」というもの。

  これでは「山の端の月」などとあだ名がつきそうだ。男は油断を衝かれて言い訳をする。当然愛情たっぷりの言いわけでなくてはならない。「あしひきの山に生えている(もろかずら)をご存知ですか。そうです二葉が仲よく生えている葵の葉です。そのようにこんど山に籠る時は、ご一緒に籠りたい、そう思っている私です」。

  だがこの男、その後の消息はもうない。女は、「もろとも」の誘いが来るまでは待たなければならない返歌だ。もちろん、女がそんな男をずっと待つはずもない。だから安心だったのだ。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

恋の邪魔ものたち 「源氏物語」の夕霧に似た場面 (場面のある恋の歌)

2024-02-03 11:52:09 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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恋の邪魔ものたち 「源氏物語」の夕霧に似た場面 (場面のある恋の歌)

  さて、恋には波瀾(はらん)がつきものである。じつにさまざまな場面を体験しつつ、むずかしい場面も深刻にならず興(きょう)がって歌にしている。

    春宮に鳴門といふ戸のもとに、女と物言いけるに、親の
    戸を鎖(さ)して立てて率(ゐ)て入りにければ、又の朝(あした)
    につかはしける

   鳴門よりさしわたされし舟よりも我ぞよるべもなき心地せし
    藤原滋幹

   (鳴門の激しい潮流に押し流されて漂い出てきた舟のあやうさよりも、急にあなたと隔てられた私は寄るべもない当てどなさにやりきれぬ思いです)

  「鳴門」は開閉の音が耳に立つ戸だったのか。しかし、歌枕にちなんだ興趣のある名がつけられている。その戸口で女を口説いている滋幹、せっかくの出会いの場に、向こうからやって来た親。
  女親だろうか、「こんなところにいてはいけませんよ」などとさりげなく言って娘を連れ去る。去りぎわに、「鳴門」をギイとばかりに閉めて、若い男との間をつれなく隔ててしまった。次の朝に贈った滋幹の歌に返歌はない。それも余興といえようか。

    異女(ことをんな:妻など定まった女以外の女)の文を、妻の「見む」と言いけるに見せざりけれ
    ば、怨みけるに、その文の裏に書きつけてつかしはける(つかはしけるの誤植?)

   これはかく怨みどころもなきものをうしろめたくは思はざらなむ
    よみ人しらず

  この歌は詞書にあるように、よその女から用向きの手紙がきたのを、妻が艶書かと疑って、「見たい」と言ったが、別にたいしたこともないので見せなかったところ、たいそう怨んで言うので、来た手紙の裏にこの歌を書きつけ、妻のもとにもっていかせた。という場面である。

  歌は妻が見たいと望んだ手紙の「うら」に書かれていたので、現物ともども届けたのだ。「どうぞごらんなさい、あやしい手紙ではありませんよ」といっているのだからつよい。「恨みどころ」と「裏見どころ」が掛けられているくらいの技巧だけだが、妻への洒落た答えとしてみごとである。

  「源氏物語」にも似た場面が取り入れられているのを記憶する人も多いだろう。「夕霧」の巻で、落葉宮(光源氏の女三の宮に子を産ませ、光源氏の脅迫で病気になり死亡した柏木の妻)の母君から来た手紙を夕霧の妻の雲井雁(くもいのかり)があやしんで奪い取る場面がある。
  絵巻にも描かれており、女性にとっては興味深い場面であったといえよう。雲井雁もこの場合は納得して一件は落着したが、男女ともに手紙が届く場面はつねにスリリングで、何事かの劇がはじまる予感に満ちているものだ。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

恋ざめ頃の男女の応酬 紀貫之など(場面のある恋の歌)

2024-02-02 14:37:30 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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恋ざめ頃の男女の応酬

  男も女も交流が広がればどうしても疎遠になるところがあるのは当然である。しかしまた、ある男は次のような諧謔(かいぎゃく: こっけいみのある気のきいたしゃれや冗談)をもって女との間を回復しようとした。

    あひ知りて侍りける人のもとより、ひさしくとはずして、
   「いかにぞ、まだ生きたりや」と戯れて侍りければ

   つらくともあらんとぞ思ふよそにても人や消(け)ぬると聞かまほしさに
   「後撰集」恋二 よみ人しらず

    (あなたの思いやりが薄かったとしても、私はずっと生き在(ながら)えていようと思います。疎遠になった遠くからでも、あなたがこの世から消えたということを聞きたいものですから)

  これは、とても手きびしい返事。女はすっかり怒ってしまったのだ。戯れとはいっても、長い無沙汰のあとに「いかにぞ、まだ生きたりや」はひどい。男は「戯れ」のつもりでも、それまでの男の交際態度に、女は真実味を感じ取っていなかったのだろう。別れてしまって悔いのない男だったにちがいない。

  これとは反対に、同じ「後撰集」の「恋二」には女が男の愛を逆説的に確かめようとする場合だってある。

    言ひかはしける女のもとより「なおざりにいふにこそあんめれ」といへりければ

   色ならば移るばかりも染めてまし思ふ心をえやは見せける
   紀 貫之

   (もし色にたとえていうなら、あなたにこの思いの色が移るまでそめてしまおうものを、あなたを思う心の色はおみせできずに残念です)

  さすが貫之、物やわらかに、諭すように応じている。女は恋の場でいう世間一般の男の言葉と同じレベルで貫之の愛の言葉を捉え、「言ひかはしける」ことさえ軽く受け止めていたのであろう。「あれはその時の出まかせで仰ったお言葉でしょう」と言ってきたのである。
  しかし、貫之の方はかなり捨てがたい魅力を感じていたのだろう。「色ならば」という比喩も「移るばかりも染めてまし」という情の表現も美しく巧みである。とはいえ、女のがわからは、男の戯れにはいつも用心深く、真情を疑う立場に立ってみる気持ちも大事である。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

嫌いになった男の衣料を送り返す 源おほき (場面のある恋の歌)

2024-01-28 12:03:53 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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 嫌いになった男の衣料を送り返す (場面のある恋の歌)

  源おほきは巨城とも書かれる。宇多院の皇子敦個(あつかた)親王の子である。この人も色好みの人らしく、「後撰集」の「恋四」には平中興(なかき)の女(むすめ:美貌の人として名高く、多くの人との交流をもった。浄蔵法師との恋愛が名高い)との別れの贈答がある。

    つらくなりにける男のもとに「今は」とて装束など返し
    つかはすとて

   今はとてこずゑにかかる空蝉のからを見むとは思はざりしを
    平なかきがむすめ

    返し

   忘らるる身をうつせみの唐衣返すはつらき心なりけり
    源 巨城

  中興(なかき)の女(むすめ)は、巨城(おほき)が通って来た日々に夫のものとしていた衣料を、「もう、縁は切れた」と見ぬいて送り返すことにしたのである。一種、離婚の証しのような儀礼である。
  「空蝉のから」のように、主のない衣料を見ているのはつらい、「あなたが、こんなに薄情になるとは思わなかった」と詠んで、返す衣装に添えてやったのだ。巨城の方も、情はさめているが、儀礼的にきちんと円く収めて別れなければならないわけだから、しおらしく返歌して衣装を受け取ったのだ。
  「あなたにとうとう忘れられてしまう私を、憂く、つらく思っております折も折、こうして空蝉のようなはかない装束をお返しなさるとは、なんというつらいお心でしょう」といっている。

(画像は本文と関係ありません)

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」

壁の穴から恋人を覗いた女 源のおほき(場面のある恋の歌)

2024-01-27 10:55:11 | 場面のある恋の歌
場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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 壁の穴から恋人を覗いた女 (場面のある恋の歌)

  「古今集」は恋の歌を五つの段階に分けて、逢うこともまだない憧れの日から、互いに秋(飽)の風を感じ、別離に至るまでの、さまざまな恋の位相をみせ、その言葉の多様を味わわせてくれる。
  村上天皇の命によって「後撰集」が編まれる頃になると、こうした恋の歌が生まれる場面を知りたいという欲求が強くなってゆく。そして「伊勢物語」や「大和物語」の歌説話の魅力を、身近な場面とともに味わいたいという思いが、想像力を広げさせる詞書を求めさせたようだ。

  歌の背景を述べた詞書に扶(たす)けられた歌は、一方では、単独一首の屹立した詩性を緩めつつも場面とともに読み味わう物語性を含みもち、新しい魅力を生み出したというべきであろうか。
  そこには、ある場面を迎えて歌を詠む時の、恋の相手に対する思いはからいを見せた言葉の面白さや、応酬のテクニックなどが現実的な魅力とともにあり、歌による男女の交際が拡がる中で、こうしたサンプルが求められていたとも言える。しばらく、独特な場面で詠まれた歌を読んでいこう。

    源のおほきが通い侍りけるを、のちのちはまからずなり
    侍りにければ、隣の壁の穴より、おほきをはつかに見て
   (物事の一端がちらりと現れるさま)、つかはしける

   まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢
   「後撰集」恋一 駿河

   (夢はまどろみの世界のものですのに、私はうつつにありありと、隣の壁穴からあなたを見てしまったのです。おや、これは春の夜の夢でしょうか。そんなら、正夢でありたいものですこと)

  これは源おほき(巨城)が駿河という女と親しい仲であったのに、しだいに疎くなり、通って来なくなったので、宮中での巨城の控室の隣まで出向いて行って、部屋の小さな壁の穴から、巨城の所在を覗き見をしたのである。
  「壁の穴」から覗くというところがなんとも愉快で、駿河自身もこうした恋人追跡の場を面白がって詠んでいる。
  上句には「いた、いた」という快哉の声が漏れてきそうなひびきがある。宮中といえど昔の土壁には小さな隙間はあって、秋には壁の空間に棲むこおろぎの声が聞こえるのも季節の風情であった。

  駿河は油断した姿で休息している巨城の姿をつくづく眺めながら、他の女房の曹司に行くとも見えぬ恋人の寛ぎ姿に満足したのだろう。
  「まさしからなむ春の夜の夢」に、またの出会いを楽しみに待っていますよ、という気分のあふれがみえる。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」