白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

ピエタ (その4)

2020年05月27日 16時47分31秒 | 星の杜観察日記

 その夜のその後の記憶がない。  

 俺の右手を両手で握って、サクヤは"助けて"と言った。怒りに任せてサクヤの腕を掴んで、布団に引き倒したところまでは覚えている。


    気がつくと朝で、サクヤは昏睡状態だった。身体中から血が引いた。声をかけても揺すっても起きない。こんな風に深い眠りに落ちたサクヤを見るのは初めてではなかった。時には半月近く目覚めないこともあって、もちろん心配はするが慣れっこでもあった。しかし今回は、確実に自分が原因なのだ。    

 動揺が声に出てたのだろう。電話口の母が、すぐ豆腐屋の主人に変われと言った。そしてテキパキ手筈を決めて、あっという間に迎えに来て、あっという間に住吉にサクヤを連れ帰った。    

 かかりつけ医の円山先生がいつものように往診してくれて、いつものように"安静に。好きなだけ寝かせてやりなさい"と暢気なことを言って帰って行った。
     意外なことに、トンスケは冷静だった。憔悴し切った俺に"ちょっとそこに座れ"と正座させると、ため息をついた。
「だから俺もついて行くと言ったやろ」
     おふくろがトンスケをなだめて、"今回はキジローに譲ってやって"とか言ったのだった。
「反省しいや。だいたいな、キジローはサクヤに甘え過ぎやろ。サクヤがバツイチでコブ付きで年上やから遠慮しとるのをいいことに」
    一言も無かった。甚だ情けないが、トンスケにびしびし説教されてかえって気持ちが軽くなった。
    たった今、甘え過ぎだと叱られたばかりなのに、俺は8歳の小学生に頼った。
「どうすればええと思う?」
   トンスケは大袈裟に肩をすくめて鼻を鳴らした。
「こうなったらキジローにできることは当面なんもない。すぐ電話したからもう来るやろ」


    いつものごとく賑やかに母屋に入って来たのは、サクヤの9歳違いの妹、瑠奈である。瑠奈は数年、イタリアで行方不明になっていて先月ようやく帰国したばかりだった。元々ちょっと突っ張ったところがあるヤツだったが、その頃はことさら不安定だったように思う。
「ちょっと、どういうこと。ハネムーンじゃなかったの。きーちゃん、ケンカでもしたの」


    俺がおたおたしているのを尻目に、トンスケがテキパキその場を仕切った。
「キジローが下手こいて、サクヤが落っこちたんや。瑠奈、ついでやから、迎えに行ってやってくれへん」
「へ? 迎えに? ついでって、何のついで?」
「ちょうどええやん」 
「何がちょうどいいのよ」
「だって桜さんに頼んだら、多分桜さんが二度と帰って来ないし、サクヤがこれだから咲さんにはここを抑えといてもらわんと困るし、キジローは音痴やから役に立たんし」
    トンスケはわざとらしく俺の方を見て、また肩をすくめて大袈裟にため息をついた。
「ほやからさ、瑠奈しかおらんやん、頼めるの」
    瑠奈は日頃可愛いがっている甥に、ぐっとツボを押されたようだ。自分もかなり大変で余裕がない状態だったはずなのに、頼まれると断れないのは相変わらずだ。
「わかったわよ。やるわよ。でもどういうことか、もうちょっとわかるように説明してくれない?」
     瑠奈は桜さんやおふくろともあれこれ相談して、引き受けた。
「結局よくわかんないけど、要するに私が隣で寝て、サクヤを連れ帰ればいいのね?」


    毎度の思い切りの良さと、わからないまま丸ごと受け入れる度量の深さで、瑠奈はさっさとサクヤの隣に布団を敷くと横になった。
「瑠奈は前にも行ったことあるんやろ? 竜宮」  

トンスケが布団の横にきちんと座って真面目な顔で聞く。
「うん。一度だけだけどね。まだ住吉に来たばっかりで、私が知恵熱出した時に鷹史さんが連れてってくれて……」
「ほな、今度も大丈夫。たぶんすぐ魚が来るよ。魚について行けばええから。なんも心配せんでサクヤと綺麗なとこ、散歩したらええから」 
「でもさ、あれ、なんだろうね。魚がお花みたいで、ホント綺麗で……」
 まるでトンスケの言葉で催眠術にでもかかったように、瑠奈は話しながらすうっと眠りに落ちた。


 俺は一度も竜宮に行ったことがない。竜宮から繋がってるらしい星空も見たことがない。おふくろやトンスケに”音痴”と言われる由縁である。とはいえ、おふくろも竜宮に下りるのは苦手らしい。一方、おふくろの妹の希(のぞみ)さんは”油断したら竜宮にうっかり足踏み入れてた”レベルで”落ちやすい”人だ。織居家に姉妹は、葵さんがうっかりいつの間にか竜宮を歩いて気づかず戻ってくるタイプ。葵さんの姉の紫さんはやたら霊能パワー強いくせに、”かなり努力しないと”竜宮が見えないそうだ。 長兄の仁史は子供の頃、一度だけ竜宮に行ったらしい。タカ兄を拾った時のことだ。
 サクヤは。24時間365日、竜宮の上で暮らしているのだと言っていた。いつも足元に奈落のように竜宮に続く深い美しい空間がぽっかり空いている。結界の細い糸の上に立って、その糸を揺らさないように、奈落に気づかぬよう、のぞき込まないよう暮らしているのだと。心を揺らすと糸も揺れて、竜宮に落ちてしまいそうだから。だから笑っているのだと言っていた。 そんなバカな話があるか。俺はサクヤを巡る全ての状況にずっと腹を立てていた。これほどの犠牲と苦痛を桜さんやサクヤに押し付けて、維持している住吉のシステムに自分も加担していることが、悔しくて堪らなかった。時々、何もかもぶっ壊してしまいたくなる。でもそれは、サクヤをぶっ壊したいというつもりじゃなかったのに。


 俺は何もできなかった。サクヤと瑠奈の布団の周りでオタオタしていただけだった。 二人はうめき声を上げるわけでも苦悶の表情を浮かべるでもなく、すやすやと眠っていた。三日めに紫さんが九州から帰って来て、二人の枕元で香を焚いた。
「何でもいいんだけど、香りとか音とかの刺激は睡眠中も脳に届きやすいらしいから」  そう説明して、お遍路さんが持つような小さな金属の鈴をチリーン、チリーンと鳴らした。布団を囲んで家族が集まって、香を焚きつつ声を潜めて話していると、まるでお通夜のようでぞっとした。しかし、憔悴しているのは俺ばかりで、トンスケもおふくろもまったくの平常通りなのだ。そうして30分もした頃、円山先生が車で往診に来てくれた。
「そろそろかね」
「そろそろでしょう」
 紫さんが実験か何かの成果を待つようにうなづく。
「用意したかね」
「ええ。もうできるでしょう」


 トンスケと葵さんが台所から、トレイに蒸し立ての蒸しパンとミルクティーを二人分載せて寝室に入って来た。そのトレイを枕元に置くやいなや、瑠奈がぱっちり目を覚まして「お腹すいた」と言ったのだった。瑠奈は身体を起こすと、隣に寝ているサクヤの鼻を無造作につまんだ。
「サクヤ。おやつの時間よ」
「ん」
 サクヤはちょっと眉をしかめたが、いつもの寝覚めの良さでぱっと覚醒したかと思うと、一同を見渡してにっこり笑った。円山先生は二人を簡単に診察すると、『よく水分を摂って消化のいいものを食べるように』と風邪か何かのようにアドバイスをして帰って行った。先生の言葉に従って、二人はすぐにミルクティーを啜って蒸しパンを頬張り始めた。家族もやれやれ、と散ってそれぞれの仕事を始めたが、俺は呆然と二人の横に座ったままだった。
「きーちゃん。ごめんなあ。心配した?」
 相変わらずサクヤに子供扱いされて俺は言い返そうとしたが、泣きそうになって言葉が出なかった。瑠奈はやれやれと言い、サクヤはほやほや笑っていた。ちょっと落ち着いてから、瑠奈に”何か夢を見たか?”と聞いてみた。
「そうねえ。花畑の中で色とりどりの魚がすっごく集まってるところがあって、サクヤと一緒に見に行ったのよ。魚が邪魔でね。でも何とか追っ払って何に群がってるのか見えたの。こう、ソフトボールぐらいの二色の玉があって。ひとつが朱色みたいな鮮やかな赤で、もうひとつが深緑で」
 サクヤもほんわり笑った。
「綺麗やったねえ。私が緑、瑠奈が赤の玉を抱っこして、それで帰って来たの」
 姉妹で並んでほわほわ笑いながらおやつを食べている。俺は拍子抜けして安心して、また泣きそうになった。帰国して以来ずっと居心地悪げにしていた瑠奈が、住吉の娘の顔に戻っている。良かった。


 それから半月ぐらいで、サクヤと瑠奈が二人とも妊娠していることがわかった。そしてなんと、二人、同じ日に赤ん坊を生んだ。それが桐花と魅月である。血のつながりがないのに、同じ日に生まれた子供をアストロ・ツインと言うそうだ。母親同士が仲がいいこともあって、娘同士も本物の双子のように仲がいい。もっとも見かけはまったく似ていない。桐花は真っ黒の髪に真っ黒な目。魅月は父親そっくりのアルビノで、白い髪に朱色のような鮮やかな赤い目をしている。そして桐花の目は時々、緑に光るのだ。母親のサクヤそっくりに。


 桐花はトンスケと同様、2歳ぐらいからぶっ飛んだことを言ったりしたりする子供で、5歳ぐらいまでは天衣無縫で屈託なくホタルや妖魔と遊び、神社周辺の大人たちに可愛がられていた。小学校に上がる頃から、同年代の子供にイジメられるようになって外では大人しい内弁慶になってしまった。二人の赤ん坊が生まれてほぼ同時に、紫さんが九州の山寺で護衛をしていた曾祖母のきさが約60年ぶりに目を覚ました。そしてきさの身体を借りて、住吉の守護神のひとり、真朱(まそお)が顕現した。


 豆腐屋のハネムーンから約9年。こうして緑と赤の双子と、きさ祖母さま、真朱と一緒に、俺はほの暗い南の森に来ている。今度は眠っているのは、住吉の連中が誰も会ったことのない若い女性で、お腹に赤ん坊がいるらしい。彼女を迎えに行ってしまったのが、よりにもよって都である。サクヤとの約束を守って、都にはもうない星の話をしていない。少なくとも俺は。


 でもタカ兄から聞いていたかもしれない。サクヤのように。銀色の髪に金色の目のタカ兄。金銀メッシュのうす茶色の髪にうす茶色の目の都は、従兄弟の中で一番、タカ兄に似ていた。都はタカ兄みたいに空を飛んだり、人の考えを読んだりはしていないようだが、能力的にはかなり近いものがある。たぶん、一族の誰よりも、ことによるとサクヤよりも、都はタカ兄の見ていたものを共有していたんだと思う。
 その都が竜宮に下りて行ってしまった。都なら、竜宮を越えて、その向こうの宇宙へタカ兄を探しに行ける。
 タカ兄が消えて、都は唯一の理解者を失ったのだ。家族や親戚やホタルや妖魔に囲まれているとはいえ、都は住吉の繋がりの外に友人がいるように見えない。そして、時折、一族の人間や妖魔たちが都を大事にするのは、その能力故だ、というようなことを言う。都は自分の価値を信じていない。孤独なのだ。


 タカ兄へと通じる海の底に到着した時、都は果たしてここに帰りたいと思うだろうか。


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