白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

STOP! 桜さん! (その1)  (語り手: 葵)

2024年08月25日 22時14分21秒 | 星の杜観察日記
 14歳になる2ヶ月前のことだった。2歳上の姉、紫(ゆかり)と2人、母の自室に呼ばれた。母と話すのは苦手だった。姉といるのも緊張する。美人の母や姉と、私は似ていない。大好きな父と似ていると言われるのはうれしいが、でも参道町随一の美人と謳われる母と似てない、と言われるのは別の話だ。それに美醜とは別の問題がある。私の家は神社だ。それも特殊な事情のある神社なのだ。我が家が抱える事情は複雑だが、ごく簡潔にざっくり説明すると、日本列島全体を貫く地脈の歪みがあって、その歪みを放置すると、時空が歪むか、日本が沈没するような事態を招きかねない。私たちの先祖が、その歪みを生む原因に関連があるらしく、代々、結界を張って歪みを発散させるメンテナンスを行っている。母はその結界の“要”であり、姉は巫女としてメンテナンスに日夜務めている。なのに、私は何も役に立たないのだ。それどころか、弱くて危険に曝されやすいと言われ、護衛役の精霊を付けられている。
 精霊は、彼岸と此岸を繋ぐ。水に棲み、淡く光るのでホタルと呼ばれている。特定の人間の“お付き”になったホタルは、名前を付けられ、人間や動物の姿を取る。名前は好きにつけていいと言われたので、碧とつけた。弟の名だ。弟は翠だった。そのままの字を使うのは何だか辛くて漢字を変えた。弟は5歳で亡くなった。だから碧は5歳の少年の姿をしている。碧は弟と似ているようで似ていない。薄緑の髪に青緑の瞳。ちょっと上を向いた鼻に、いつもちょっととんがってるように見える口元。薄い耳。碧の顔を見れば見るほど、翠の顔が思い出せなくなるような気がする。
 碧は疲れると、薄緑の石に還る。勾玉の形をしたグリーン・アメジスト。紐を通してあって、私が生まれた時に、お守りとして母が首にかけてくれたものらしい。9歳の時、弟が水の事故で亡くなった。警察は事故と言ったけど、周囲の人達には祟りだと噂された。私の家の神社は、悪い噂の絶えない場所なのだ。神隠しの杜、男殺し弁天と呼ばれている。来訪者や関係者の男性が、病気になったり亡くなったりすることが多い、と言われている。勝手に神社のせいにされているだけで、実際はこじつけに過ぎないケースも多い。しかし、そうとばかりも言えない。神社を中心にした周囲の水域にはホタルが多く棲息している。ホタルがいるということは、彼岸が地続きだということだ。神社は大きな歪みの中心地。時空の歪みの果て、彼岸と簡単にアクセス出来てしまう場所なのだ。私たちの一族は、代々この歪みの傍で歪みの影響を受けながら暮らして来た。彼岸と行き来出来るもの、彼岸の向こうが見えるもの、歪みに惹きつけられ集まってくる妖魔を退治出来るものもいるし、ホタルを使役して結界の手入れをするもの、能力は様々だ。妊婦や赤ん坊、病などで身体や気力が弱っているものは、彼岸に落ちやすいと言われる。
 翠は子供の頃から、いつも大量のホタルを寄せて、一緒に歌ったり遊んだりする子供だった。水が好きで、水泳教室にも通っていて、水の怖さは重々教えられていた。でも神社の裏の水辺で亡くなった。原因はわからない。小学校の中休みに、図書館で本を探していると突然たくさんのホタルに囲まれた。いつもは機嫌良さそうにルルルとかリーとか鳴くくせに、その時はキューキューと訴えて来た。
“ミドリガ”
“タスケテ”
 ホタルの声が聞こえたのは初めてだった。ホタルに導かれて、必死で走った。駆け付けた時、翠はかきつばたの咲く池にぽっかり浮かんでいた。水は飲んでいなかった。だから溺死ではなく、水に落ちたショックだろうと言われた。苦しんだ風ではなかった。何かに見入っているような不思議な表情を浮かべていた。その瞳が緑色だった。いろいろと無責任な噂を言う人が出た。何か妖怪に魅入られて魂を抜かれたとか、カッパの餌食になったとか。
 原因がわからないので、私と姉も今まで以上に気をつけるように言われた。姉はすでに5人前後のホタルを使役して、結界を守ったり、結界に引っ掛かった妖魔をやっつけたりしていたので、私に護衛役のホタルをつけようという話になった。小学校は中庭にホタルの棲む池があり、神社と小学校の行き来にはいつも何匹かついて来ていたので、今まで私専門のホタルはいなかったのだ。名前をどうするかと聞かれて、“碧”と答えると母が少し悲しそうな顔をした。その表情を見て、私はなぜか少しスッとした。なぜだろう。
 碧と過ごして5年。蔵の書庫でご先祖だか神社に出入りしてる人だかが描いたらしい、水墨画風のスケッチを見つけて眺めていると、碧がふいに母屋の方を見た。碧たちホタルは互いに無線通信出来るらしい。
「桜が呼んでる」
 母付きのホタルを私たちは先生と呼んでいる。神社周辺のホタルを束ねているし、物識りだからだ。先生経由で、母の声を碧がキャッチしたというわけだ。
「紫も一緒だ。五葉も来ている」
 五葉というのは、姉が使役している5匹のホタルだ。それぞれ名前がついているが、まとめて呼ぶ時のグループ名のようなものだ。母も姉も苦手な私は、暗い気持ちになった。役立たずでみそっかすの私は、2人というと気後れしてしまうのだ。
 父は婿養子だ。つまり、母が実質、住吉の女主人。姉は母に次ぐ力を持つ、次期女主人ということになる。蔵から母屋に繋がる回廊を通って母の部屋にゆくと、もう姉も来ていた。先生も、いつもの着流し姿に長い白髪を一本にくくった丹精な佇まいで、ゆったり座っていた。母は私を手招きした。
「葵、早く座り。碧と五葉は席、外してくれる?」
「私は?」
 先生がたずねた。
「先生はおって」
 先生が同席してくれて、私はホッとした。碧と離されるのは心細い。母の話は時々、真意を掴みかねる時があるから、先生がいてくれたら後で解説してもらうことが出来る。それに、母がきつい物言いをすると、先生がいつもフォローを入れてくれるのだ。 
 私が座ると、母がお茶を淹れ始めたので、私は少し気持ちが楽になった。どうやらお説教ではないらしい。お茶菓子も出された。黄味餡の桃山だ。
「紫が行ってまう前に、少し話、しとこうと思って。まあ、お茶、飲みなさい」
 母はお茶とお菓子を配膳しながら、何を話すか頭を整理しているようだった。姉は春から九州の高校に進学することが、決まっていた。うちの遠縁の住職さんがいるお寺に下宿する予定なのだ。そのお寺には、眠り姫がいた。住職さんとは別の筋だが、遠縁の女性だ。2人の男児の母親なのだが、2人めを生んだ直後に昏睡状態になり、20年近く眠ったままなのだ。その女性の周りにいつもやたらにホタルが集まることと、そのホタルたちと一緒に時々背の高い女の幽霊が現れる、というので修行中の山伏さん達が騒ぎ出した。幽霊はどうやら2人いて、赤い幽霊と黒い幽霊が交互に立っているそうだ。その幽霊が、住吉の守り神ではないか、と住職さんから連絡があって、何度か姉が通ったのだが、なかなかタイミングが合わずうまく幽霊に会えなかった。それでいっそのこと、とこの春から姉がその寺で下宿することになったのだ。
 歪みのメインテナンスや、歪みと関連のある精霊や妖魔のケアで、姉はしょっちゅうあちこち出掛けていた。とはいうものの、家から出て数年の予定で暮らすのは初めてだ。母も心構えなどを話すのだろう。つまりこのお説教のメインは姉で、私はついでだ。私はさらに気が楽になって、お菓子を口に運んで、お茶を啜った。
「あんた達、紫も葵も、2人とも生理あるわね。つまり、もう赤ん坊が生める、いうことや」
 私は真っ赤になって、お茶を噴き出してしまった。先生がいるのに、なんて話題を。確かに先生はホタルで、ホントは性別なんかないんだけど、でも男性の姿をしているので、私は恥ずかしかった。
「すぐに、という話やないけど、そやけどもう心の準備、しとかないかんよ。あんた達の生む子は、住吉を守る子供になるんやからね」
 何それ、家や結界を守るために子供を生めってこと?
「相手が誰でもとやかくいいません。紫と葵が生む子なんやったら、それでいい。大事な子供や。だから出来るだけ早く、できたら必ず生みなさい。あんた達が例えばまだ学生でもかまわない。私とお父さんが育てます。ほやから心配せんと生みなさい」
 なんてぶっ飛んだ親だろう。普通の親だったら、実家を遠く離れて下宿する娘を、不純異性交遊から遠ざけようとするものではないか。
「私はあんた達のこと、信用してる。あんた達の選んだ相手なら、間違いないと思う。2人とも、“住吉の女”やからね。その時が来たらわかるはずや。“この人や”と思たら捕まえなさい」
 今までも母のことが苦手だったけど、心底いやになってしまった。私も姉も、子供を作る道具じゃない。生まれたら父さんと母さんが育ててくれるって? それって子供を取り上げられるってことじゃない? 翠が死んでしまったから、本当は母は男の子が欲しいのだろうか? どっちにしろ、ゴメンだ。私はまだ中学生だけど、出来るだけ早く、こんな家、出るのだ。私は腹が立って、悔しくて、涙が出そうになった。こんなこと言われて、姉は平気なんだろうか。ちら、と姉の方を見ると、姉は真っ青な顔をしていた。背筋をぴんと伸ばして、膝の上に両手のこぶしを固く握って、身体が小刻みに慄えている。泣いているの? 怒っているの? 紫ちゃん、大丈夫? 
 結局、姉も私もほとんどお茶にもお菓子にも手をつけないまま、母の部屋を辞した。2人して申し合わせたわけでもないのに、土間からつっかけ引っ掛けて真っ直ぐに桂清水に向かった。清水の湧き出す桂の枯木の下に、白木で水盤が作ってあり、その縁にガラスのコップが5つ置いてある。何も言わず、姉と私はそれぞれコップに青竹の注ぎ口から清水を汲んで、ゴクゴクと一気に飲み干した。深くため息をついて、姉は真っ黒なガラス化した桂の株を見上げた。
「いーちゃん、ごめんね。母さんがあんなこと、言い出したの、あれ、私のためなんよ」
 そう言ってもう一杯、水を汲んでそのコップをぎゅっと握った。
「母さんね、昨日の夜、私を呼んで言うたんよ。家を出て、そういうことがあるかもしれん。好きやと思う、男の人と会うかもしれん。あんたのこと、信用しとるから、この人やと思ったらその人とつきおうたらいい。そやけど」
 姉は一息ついて、コップの水をまたぐいっと一気飲みした。
「そやけど、私、子供が出来んかもしれん、言われた。私みたいに“力”の強い女は、そういうこと多いんやて。でも大丈夫、って母さんが言うたんよ。それが、こんなことやったなんて」
 そこまで言うと、姉は水盤にコップを置いて、両手で私の肩を掴んだ。
「いーちゃん、ごめん。母さんの言うたことなんか、忘れ。気にしんといいから。あんたは、あんたの気持ちのまんま、誰と会うてもいいし、つきおうても、つきあわんでもいい。家のためとか、神社のためとか、ましてや私のために、私の分も子供生もうとか、何も考えんでいいんやから、ね」
 姉は泣きそうな顔をしていたが、泣かなかった。でも辛そうだった。母は残酷だ。私の気持ちも、姉の気持ちも無視して、住吉のことしか考えてない。泣きたい気分だったけど、姉の気持ちを考えると泣けなかった。
 その後、先生が桂清水まで来て、私と姉にフォローしてくれた。
「桜は言葉足らずだからな。恨まないでやってくれ。あの子は、この家のために一生懸命なのだ。でも家族のことも大事に思ってる。お前たちなことも、もちろん、大事に考えてるよ。それは、わかってるやろ?」
 わかってる。わかってるけど、でもそんなに簡単に考えられない。
 碧と五葉たちも集まって来た。
「なんや、今から子作りの心配かいな。まだ早いやろ」
「葵も紫もまだ小さいんやから、要らん心配せんでええよ。桜はせっかちやな」
「そんなん、心配しとっても心配せんでも、どうせそういう相手が見つかったら、親が何言おうと、わしらが何言おうと、女の子は相手を離さんもんや」
 先生が無線中継していたので、せっかく席を外しても碧にも五葉にも筒抜けなのだ。とはいえ、あの場でこんな風に茶々入れられたら、話がまとまらないと母は考えたのだろう。
「葵」
 碧が私の手をきゅっと握って、私を見上げた。
「心配せんでいい。“その時”が来たらわかる」
「その時なんか、来ない。私、結婚なんかしない。誰も好きにならない。子供なんか要らない」
「うん。今はそれでいい。そのくらいの気持ちでいた方がいい。人間は十代ではまだ、母体に準備が出来てないから負担が大きい。そんなに急がなくていいんや」
 先生が話をまとめた。
「それより、気持ちの方が大事や。たかが気持ちやと、簡単に考えん方がいい。お前たちの年齢の子供はな、気持ちひとつで命にかかわるほど身体に影響及ぼすもんや。無闇に自分を追い詰めんことや。光とも話してみたらいい。光は教師やし、もっとわかりやすく優しく言うてくれるやろう」
 そこへ社務所の方から、禰宜の山元さんが歩いて来た。
「紫さん、葵さん、社務所でお茶いかがです。橘さんが、おだんご差し入れてくれはって。胡麻蜜とみたらし」
 山元さんは、住吉の分家筋に当たる実家の神社と住吉を、両方面倒見てくれている。先生のことははっきり見えているようで、うちの下宿人か何かだと思ってるようだ。ホタル達のことも何となく見えているようだ。
「おだんご、どっさりありますから、先生も、みんなでいただきましょう」
 母が無敵で暴走気味なので、父も先生も山元さんも、住吉の男性陣は優しい。そうだ。いもしないボーイフレンドの心配なんか、しても仕方ない。温かいお茶でも飲んで、おだんご食べて、気持ちを落ち着けよう。私なんかより、初めて家を出る姉の方が心配なはず。その上、母親から“子供が出来ないかもしれない”なんて言われて、ショックじゃないはずがない。碧が私の右手をきゅっと握っている。私は左手で姉の手を握った。
「紫ちゃん、おだんご、いただこ。ね。碧も一緒に」
「みんなで食べよ。ね」
 姉は碧を見下ろして、微笑んだ。強張って青ざめていた顔に、少し赤味が戻った。
「さ。お茶淹れておきますから。みなさん、どうぞ」
 山元さんが、先に立って歩き出した。とりあえず血糖値、上げよう。無神経な母になんか負けてられない。
 ところがその数年後、“その時”が来てしまった。私は新さんに出会ってしまった。



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