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 アクアコンパス3 続編

アクアコンパス3が容量一杯になったので、こちらで続きを開始します。

南太平洋をクルーズ船で旅して   第1話

2025-06-07 08:23:55 | 旅行

 

 無垢な自然と文化に惹かれて、シドニーからワイキキまでクルーズ船で南太平洋を巡って来ました。
今回は、最も魅了されたタヒチアンダンスを通して、南太平洋の文化の秘密に迫ります。


「クルーズ船の航路」

 シドニーを発ち、航海しながらニュージランド、サモア、タヒチ、ハワイを訪れて、南太平洋(オセアニア)を肌で感じようとしました。
しかし、ニュージランドのマオリ、タヒチアン、ハワイアンのそれぞれのダンスを見ている内に、私はその違いに驚き、特にタヒチアンダンスに魅せられてた。

 ニュージランド、ハワイ、イースター島を結ぶ三角形の地域はポリネシアと呼ばれ、上記の三つの諸島の人々は、約千年前、クック諸島付近を通過し、分岐し移住した同じ民族なのです。

 


「民族移動の図; 矢印がポリネシアの三角形に入った所にサモアが有り、次いで〇印のクック諸島の直ぐ右上がタヒチになります」

三つのダンスを見比べ、私が感じた事。
初めに、それぞれほんの一部のダンス、しかも限られたダンスチームしか見ていない事をお断りします。

 


「マオリのダンス」

マオリのダンスは特に手の動きが直線的で、体全体を滑らかに動かす事に控えめで、足の動きで力強さを協調している。
ハカ(有名な戦闘前のダンス)以外も見た感想です。

 


「ハワイアンダンス」

ハワイアンダンスは、それに比べ、手や腰の動きが曲線を描き、滑らかで優雅な踊りでした。

 


「タヒチアンダンス」

 一方、タヒチアンダンスは、ハワイアンダンスに比べ、腰の振りや足の動きが早く、また集団で踊る際の掛け合いも含めて、喜びや楽しさを前面に出している。
さらに言えば、若い男女が出会い、交わる事の喜びが謳われ、コケティッシュでもありました。

 私がタヒチアンダンスに惹かれた理由の一つに、最初にタヒチに寄港して、ダンサーの男女の肉体美や容貌に惹かれた事もあります。
また島内を巡っていて、多くの人、特に若者や子供が愛想よくしてくれた事も、好印象に繋がった。

 


「この写真の人がポリネシア人だとは断定出来ませんが、このような親しみを感じる風貌でした」

 実は、ポリネシア人は、遺伝的に私達日本人に非常に近く、ポリネシア人の祖先は約3000年前に台湾辺りから、カヌーで南下し、やがて東へと島伝いに航海し、無人の島々に住み着いた人々なのです。
彼らと私達とでは、体格や肌の色が異なりますが、これは数千年間の混血と、気候風土への対応により生まれたものです。
 オーストラリアやニューギニア周辺には、数万年前にインドシナから渡った人々が既に住んでいました。
その代表格がアポリジニで、彼らはポリネシアの西側にあたる島々、メラネシアやミクロネシアにもいくらか住んでいた。
そして、ポリネシア人の祖先が、そこを通過する間に混血が進んだのです。

 18世紀初め、キャプテン・クックは英国の南太平洋遠征隊の艦長として、タヒチを訪れています。
この時の面白いエピソードが二つ残されています。

 一つは、二人の水兵が、タヒチ島に上陸してから戻って来なくなり、クック船長は出航を遅らせ、徹底的に探索し、やっと連れ帰る事が出来ました。
その二人は、島に残り、現地女性と共に暮らす事を望んで雲隠れしていたのです。

 もう一つは、タヒチの人々や王は、クックらを御馳走だけでなく現地の踊りで歓待してくれる事がありました。クックは、その踊りについて、いかがわしく、卑猥との感想を残していました。

 


「タヒチでの古い踊りの様子」

 

「タヒチの神殿で、踊りの再現」

 この踊りの担い手は、アリオイと呼ばれる大きな集団で、当時、広く活躍していました。
彼らは、戦いのオロ神に仕え、王族の為に神殿で秘儀を行ったり、島々を巡り、祭りで歌舞音曲を演じ、治療師、教義伝承等の役割を担っていました。
(この地域の神殿はマラエと呼ばれ、各島に石灰岩等を積んで方形の囲いが造られていた。)
この集団への入団は、当時の階層化した社会からは自由であり、神の憑依が唯一の条件で、男性の若者が多かった。
そして奇異な事に、少ない女性団員は性的に共有され、生まれた子供は殺す事になっていた(嬰児殺には理由があった)。
王族の婚姻や血筋については、非常に厳しかったのですが、この集団内では開放的で、一種のガス抜きの役割があったように思える。
もっともクック達は秘儀扱いされていた催しを見る事が出来なかった。

 19世紀初頭、キリスト教が普及すると、宣教師らにより、これらは禁止された。
しかし、やがて芸能復興の気運が盛り上がり、20世紀半ばからダンスの体系化が行われ、ダンスグループも誕生し、現在の姿になりました。
アリオイの遺した美しい歌や合唱は今も受継がれています、教会の讃美歌の影響も受けた様ですが。

 尚、ハワイアンダンスも、アリオイと同様な集団の活躍と、禁止と復興を経験しています。
私は、オアフ島のポリネシア・カルチャー・センターで、古式と復興後のハワイアンダンスを見比べる事が出来ました。
これを見る限り、やはり地味な踊りから、かなりショーアップが図られていることが伺えます。
それでも両者ともタヒチアンダンスとは狙いが異なっているように思える。

 現在のタヒチアンダンスが何処まで、原初の姿を留めているかわかりませんが、私は、タヒチアンダンスに、南太平洋らしい文化、性愛の喜びを素直に歌い上げる原型が最も残っているように思える。

 私は、これまで世界中を旅して来ましたが、タヒチアンダンスのような、ほぼ裸の腰振りダンスを見た事がない。
イスラム圏のベリーダンスが似ているが、王侯貴族の愉しみであったダンスと、庶民が皆で楽しんだ南太平洋のダンスとは大きく異なる。
日本の村祭りにも、男女が掛け合い、性愛を揶揄する踊りが見られるが、美しさを強調することは無いように思う。

なぜ南太平洋、それもポリネシアで、このダンスが生まれたのだろうか?
 それは熱帯の自然と孤島群が生んだと言えそうです。

 


「 古いタヒチの絵 」
 
ほぼ200年前まで、彼らは一部腰の周りは覆っていたが、裸で暮らしていた。まだ文字と鉄器は持っておらず、宗教もアニミズム(自然神、多神教)の段階だった。

タヒチ、ハワイ等の火山島は大きく、小さいな王家が分立し、階層化した社会が出来ており、それぞれ数万を越える人口を抱えていた。直接生産者以外、例えば祭祀を執り行う神官やアリオイ集団等が生活出来る状況にあった。

大陸では、村社会が出来ると、他部族や他国の干渉を受け初め、強者に吸収されるか、さらに僻地に逃げる事になる。強国の影響が及ぶと、ほぼ間違いなく世界4大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教)が社会に浸透し、秩序維持の為に性と婚姻の規制が厳しくなり、奔放な習俗や芸能は姿を消しって行きました。

ところが、ポリネシアでは島の間隔が数百キロ、数千キロも離れ、大陸からの干渉は、19世紀の欧米到来まで遅れた。

タヒチ等の火山島では、根菜、果実、魚介、家畜による自給自足が可能で、交易の為の遠出のカヌー航海は廃れていた。(だがメラネシアの珊瑚島では、カヌーによる交易は不可欠でした)。また食料の保存は、穀類が出来ず、一部の果実を処理することにより可能なだけでした。これらが大規模な王朝の誕生と、外界との接触を遅らせた理由だと想像します。

こうしてポリネシアは、地球上、最も原初的で素朴でありながら、幾分成熟した文化や芸能が残った稀有な社会になったのでしょう。

 


「ゴーギャン作 タヒチの女」

 このことが、ゴーギャン等、欧米の芸術家、文筆家を南太平洋のポリネシアに引き寄せた理由だろう。
ちなみに、ゴーギャンの1回目の訪問地はタヒチ島(パペーテ)でした。

次回の連載は少し間があきます。

先にワールドクルーズ等の紀行を再開するつもりです。

 

 

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ワールドクルーズ 14 ; イタリア、ナポリ、ポンぺイ遺跡

2025-02-12 10:25:22 | 旅行

今回は、ナポリ近郊の古代遺跡ポンペイを紹介します。

船がナポリ港に寄港すると、朝8時にツアーバスで、遺跡に向かい、12時過ぎには船に戻りました。

ツアーバスには、フランス語や英語等のグループが混在し、言語グループに分かれガイドについて遺跡を巡った。

 

「 左は寄港地ナポリ、右はナポリからポンペイ遺跡へと向かうルート」

右のルート途中の上側の山がヴェスヴィオ火山です。

 

* 世界遺産、ポンペイ遺跡について

ポンペイは古代ローマ帝国の地方中核都市、商業都市、別荘地で、人口は2万人でした。

ナポリ湾に面したヴェスヴィオ火山が紀元79年に突然噴火し、大量の火山礫や火山灰が降り注ぎ、一昼夜で溶岩と火山灰の下に埋まり滅びてしまう。

そして、長い年月が過ぎた後、発掘され、復元が進み、今にローマ時代の暮らしが蘇った。

 

「 ポンペイ遺跡の観光ルート、上が北、入り口は左下」

紫線が観光ルート、番号付きの赤丸が主な観光スポット。

遺跡の東西距離は1.3km、南北は700mとかなり広い。

私達が観光したのはほんの一部でした。

 

「 ナポリから遺跡に向かうバスより、ヴェスヴィオ火山を望む」

 

「 入り口に向かって駐車場から遺跡沿いを少し歩く」

 

「 No.1 Quadriplegics of the theatres」

この奥に劇場があり、ここは観劇の合間に休憩できる場所でした。

庭を囲む多くの列柱が素晴らしい。

 

「 上3枚は、途中の景観」

 

「 No.2 上2枚、 Casa del Menandro メナンドロスの家」

ここは大きな建物からなり、中庭が幾つもあり、身分の高い一族の典型的な住居の好例です。

この家はポッペイ一族の所有によるもので、ネロ帝の2番目の妃ポッペア・サビーナの親戚でした。

 

「 途中の景観」

 

「 No.3 Forno  パン屋」

ここには様々な竈やパン焼きの窯(三つの円錐形)がありました。

パン焼きは非常に利益の上がる商売で、ポンペイではこれまでに30以上ものパン屋の跡が確認されています。

 

「 No.4 下2枚も Terme Stabiane スタビア浴場の中庭」

ポンペイには公共浴場が4ヶ所ありました。

紀元前 2 世紀に遡るこのスタビア浴場は、ローマ世界で最も古い浴場の一つです。

この浴場には脱衣所と低温・中温・高温の浴場があります。

写真には無いが、暖房は、壁と二重床に配管システムがあり、炉や移動式火鉢から出る熱風を循環させることで確保されていました。

この浴場は、町の銭湯では無く、スパー銭湯に匹敵します。

 

「 この2枚は上下に浴場を撮影しています」

 

「 上3枚 途中の景観」

 

「 遠くにヴェスヴィオ火山が見える」

広場の長軸はヴェスヴィオ火山に向かっている。

「 No.5 上4枚 Foro di Pompei 大広場」

撮影場所は、歩いて来た通りVia dell’Abbondanzaと広場が交わる所です。

写真は上から順番に、北、西、南、東(歩いて来た通りを振り返る)に並んでいる。

市民のフォロは市民の日常生活の中心の場で、これに面してすべての公共の建物が並び、町の運営、司法による裁き、事業の管理、市場などの商取引が行われたほか、町の信仰の場でもありました。

東にマーケット、北にジュピター神殿、西にアポロ神殿、南にバジリカがある。

 

「 No.6 emple of Venus in Pompeii ヴィーナスの聖域を望む」

ここは、港が建設される予定だった湾を見下ろすナポリ湾の素晴らしい景色を望む壮大な人工テラスにあります。

ヴィーナスはポンペイの守護女神で、植民地の完成時(紀元前 80 年)にこの地に名付けられました。

ローマ時代以前にすでに崇拝されており、後に航海の守護女神となりました。

 

 

「 No.7 Antiquarium di Pompei ポンペイ博物館」

噴火で埋もれた犠牲者の鋳型が数体ありました。

この考古学博物館を出ると、すぐ入って来た入口に出ます。

 

非常に大きな遺跡であり、巡っていると当時の繁栄や賑やかさが目に浮かぶようでした。

浴場の設備の巧みさには驚いた。

訪れた2023年1月10月は、小雨が降る事も有り、寒かった。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 13; シチリア島、カターニア

2025-02-08 07:40:43 | 旅行

カターニアは、イタリアのシチリア島にあり、2番目に大きな街です。

ここは「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として世界遺産に登録されています。

 

* 寄港地と散策ルート

寄港したのは2023年1月9日(月)、ワールドクルーズ4日目になります。


「 イタリア、シチリア島の東部にあります」

紫色の線は、前後の航路です。

 

「 黄色線が散策ルート、赤丸が撮影地点、緑丸は位置が不確か」

朝8時、クルーズ船を出発し、No.1~10へと徒歩で巡り、船に11時頃戻りました。

ツアーは使わず、自由散策しました。

船は7時着岸、17時出港でした。

 

* 写真で散策ルートを紹介します

 

「 No.1 船上から北方にあるエトナ山を望む」

このカターニアの街は、過去2回、エトナ山の噴火と地震で大損害を受け、さらに大戦でも被害を受けた。

しかし、朝陽に映えるエトナ山は美しい。

 

「 No.2 港からクルーズ船を望む」

 

「 NO.3 カターニア大聖堂」

ここが1番の名所でしたが、この日は、入れませんでした。

この前は、大きな広場になっています。

 

「 NO.3 大聖堂広場」

中央に象の噴水があります。

これから右手(北側)の方に、散策を始めます。

 

「 No.4 マエストランツェ公園の前から反対側(東側)を望む」

 

「 No.4 マエストランツェ公園の前から公園(西側)を望む」

 

「 No.5 マエストランツェ公園内」

南側の入り口を入ったばかり、奥側を望む。

 

「 No.6 ベッリーニ庭園の前」

 

「 No.7 ベッリーニ庭園を出た所、エトネーア通り」

 

「 No.8 Basilica Satuario del Carmine」

広場の向こうに教会堂Satuarioが見える。

 

「 No.8 上と同じ位置から、を振り返る」

ここら辺は、一気に貧しい移民街の雰囲気になりました。

逆に言えば、コンビニの水などが安く、南アジア系移民の店員も珍しい日本人に愛想がよかった。

 

「 No.8 教会堂前広場の朝市」

私は開催曜日と時間を知らないが、私が訪れたのは9~10時の間と思うが、一部、店じまいしている所もあった。

店の数は多く、野菜等の食料品から衣料・日用雑貨まで扱っている物は多い。

衣料・日用雑貨品には、中古が目立った。

貧しい市民、移民の朝市のように感じた。

しかし、市民の暮らしを感じるには良い場所だと思う。

 

 

 

「 No.8 教会堂前広場の朝市」

 

「 No.9 エトネーア通り」

 

「 No.10 エトネーア通りに面したコッレジャータ聖堂  」

「 No.10 コッレジャータ聖堂前のエトネーア通り 」

 

一番、感じたのは、バロック建築が美しいと言うより、移民の街であり、沈滞している感じを受けた。

このカターニアには、ワールドクルーズの帰途、5月9日にも再度訪れます。

この時は、また違う場所を紹介します。

 

次回に続きます。

 
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ワールドクルーズ 12 ; 海洋都市国家ドゥロブニクを散策

2025-02-03 19:50:14 | 旅行

ここはクロアチアの世界遺産で、アドリア海の真珠と讃えられている。
おそらく日本人にとっては、ここが最も中世ヨーロッパ、しかも幻想的な雰囲気を味わえるところでしょう。
2度目の訪問になり、数時間、都市内を自由に散策をしました。

* 何処にあるのか  

「図1. 赤丸の位置がドゥロブニクで、クロアチアの端にある」

14~16世紀、ドゥロブニクはヴェネツィア(黄矢印)と、アドリア海と東地中海の海洋覇権を争い、栄えた。


「図2. 緑矢印がクルーズ船着岸地、黄枠がドゥロブニク、赤矢印が後背地の展望台」

「図3. 海から聳える城壁で囲まれた域内に、ほぼ完全な石造建築物群が残っている」

この地はヨーロッパだったが、森林が少ない事、ハンガリーやオスマンと朝貢関係を持ったことで、独特の雰囲気を醸し出している。
この城壁の上を有料で一周できますが、今回は行きませんでしたが、お薦めです。

* 私が歩いたルート  

「図4.赤線が歩行ルート、緑は不確かを示す。星印は複数方向、丸印は一方向の撮影」
写真の多くがGoProの広角撮影なので歪みがあります。


* 写真No.1 
バス停、インフォメーション、売店があります。
クルーズ船からのシャトルバスがここに止まりました。


「 奥の方が、クルーズ船の方向です」
左側にインフォメーション、売店が見えます。

 


「 奥の山に、ロープウエイで行ける展望台が見える」
展望台からの景色はお薦めですが、今回は行っていません。

 

「 城砦内にある鐘楼が遠くに見えている」

 


「 海側 」

* 写真No.2   
いよいよ城砦へ入場です。
入場料やチェックは有りません。

「 立派な城壁の右側に入口、ピレ門があります」

 


* 写真No.3から緑丸印まで、進みながら同一方向を写す 

 

「右がオノフリオの大噴水、すぐ左が救世主教会」

この真直ぐ伸びたメイン通りが、プラツァ通りです。
昔、この通りは海峡で、左(山)にスラブ人、右(海)にラテン人が住んでいたが、12世紀以降に埋め立てられた。
このダルマチア地方一帯は水が貴重で、ワインよりも高かった。
そこで15世紀に12km離れた山側から水を引き、この水道施設、オノフリオの大噴水を造った。

 

「 この左手がフランシスコ会修道院で鐘楼が見える」
ここは一番の観光スポットでしょう。有料。
修道院内には庭と回廊、その奥に700年も続く、ヨーロッパで三番目に古い薬局があります。
今回は行っていません。

 

* 写真No.4 ルジャ広場からの眺め  

 


「 鐘楼の左の門を抜けると、港に出る」
左サイド奥がスポンザ宮殿、右サイドが聖ヴラホ教会。
著名なヨーロッパの歴史家ブローデルは、スポンザ宮殿(税関)の資料にヒントを得て「地中海」を書いたと言われている。
この地は幾度も地震にみまわれ、倒壊と多数の死傷者を出している。
さらに1991年のユーゴスラビア内戦で、7か月間包囲され、砲撃により多大な損害を蒙った。
城壁を歩くと、砲弾を受けた屋根瓦が交換されているので、被害の大きさがわかる。

 

「 やって来た通りを振返り、ピレ門側を望む」


* 写真No.5 ルジャ広場から大聖堂へ向かう  

 

「 右が聖ヴラホ教会、奥に大聖堂が見える」

 

「 振り返ると、鐘楼の左にスポンザ宮殿の正面が見える」

 

「 左サイドが旧総督邸、正面が大聖堂の側面」

旧総督邸(レクター宮殿)は博物館になっており、優美な曲線と絢爛豪華な階段を有し、当時の家具などが見られる。

大聖堂を除いて紹介した建物の多くは、博物館となっており有料です。
セットになった割引パスも販売していました。


* 写真No.6 城壁近くの海洋博物館  

 

「 海洋博物館の入口」

ドゥブロブニクの古代から現代までの海洋交易と船の歴史が展示されています。有料。


* 写真No.7 海側の城壁   

 


「 城壁から海に出れる小さな入口があった」


* 写真No.8 忽然と現れた広い階段  

 


「 海側の城壁近くから下って、プラツァ通りに向かう途中、振り返る」

ここまで緑線のルートを散策して来たのですが、カメラのメモリーのトラブルで多くの写真を失い、紹介出来ないのが残念です。
この城塞都市は岩盤の上に、すべて石材で造られた建物と、石材で覆われた道と階段で出来ている。
複雑に張り巡らされた小道の上には、アーチ型のトンネルが掛かり、さらにその上に住居が重なっている。
地さな庭は、まるで箱庭のように、そこだけ土が敷いてある。
実にユニークな散策でした。


* 写真No.9 港に出る   

 


「 中央の小さな門がルジャ広場に通じる。鐘楼が見える」
ハイシーズンなら、この辺りは観光ボートの呼び込みで溢れている。

 


「 港の全景」

 

* 写真No.10 埠頭から港を一望する  

 


「 海への出口方向」

 


「 展望台がある丘を望む」

このダルマチア地方は、行けども行けども、このような乾燥地で、剥き出しになった石灰岩がゴロゴロしている。
そしてブドウの栽培が盛んで、ワインがよく作られている。
紹介出来ませんでしたが、この一帯の岬や湾、島の海岸沿いの至る所に別荘地帯があります。
天気が良い時は、本当に素晴らしい景勝地です。

 


「 城砦側を見る、左に大聖堂のドームが見える」

 

「 こちら側に海洋博物館がある」

 

* 写真No.11 夕陽に照らされる城壁  

 

「 左に城壁の外側、右にロブリイェナッツ要塞」

中世の都市にタイムスリップしたような感じを味わって頂けたでしょうか?
紹介しませんでしたが、城砦の中には、レストラン、土産物屋はたくさんあります。
この1月7日は、観光客が少ない時期なので、店もあまり開いていないようでした。

 

次回は、次の寄港地を紹介します。

 

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ワールドクルーズ 11 キャビンの紹介

2025-01-29 13:27:29 | 旅行

* 今回は、キャビン、私達がすごした室内の様子を紹介します。

キャビンは価格が安い方から、大まかに言って窓無しキャビン、丸窓か角窓キャビン、ベランダ付きキャビンがあります。

部屋の広さも、順次広くなっていきますが、多くは一部屋です。

私達は、最も安い窓無しインサイドキャビンを選びました。

以前、ベランダ付きキャビンを利用しましたが、良かったと感じたのは、入港と出港時に光景をゆっくり眺められることでした。

しかし良い写真を撮ろうと思えば、船のあらゆる場所に行かなければならず、一ヵ所のキャビンでは撮影は限定されてしまいます。

したがって、ベランダ付きの費用をエクスカーションに回す方が良いと考えました。

 

* ベットの紹介 

 

二つのベッドが並んで置かれています。

ベッドの大きさは十分です。

ベッド横、両側の電気スタンドにもコンセントが一つあったと思います。

エアコンが効いており、調整が出来ますので、過ごし易いです。

洗濯物を室内に干して置けばよく乾きます。

部屋は狭いですが、ベッドの下に大きいスーツケースを開けたまま置いておけば、便利です。

大きいスーツケースを床の上で広げるスペースはありませんので、たまにベッドの上に広げて整理することになります。

照明はすべて消灯出来き、真っ暗にすることが出来るので、私は寝やすかった。

 

 * デスクとキャビネット 

このデスクとキャビネットはベッドの反対側にあります。

この部屋の入り口は、左写真の左側の扉です。

右写真の奥、左側にシャワーとトイレ、右側、手前にキャビンと奥右側に大きなロッカーがあります。

電源コンセントはデスクの上、中央にありますが、口数は少ないです。

分岐用のコンセントが必要です。

デスクの左上、壁にテレビがあります。

楽しめる番組はありませんが、船前後のカメラ映像があるので、外の明るさが分かります。

船の位置も分かります。

部屋全体の物を入れるスペースは、ワールドクルーズ用としては狭いので、整理して収納する工夫が必要です。

マグネットフックで、洗濯物を干したり、軽いよく使うものを吊るしたり出来ます。

船室は、基本鉄板で出来ているので、何処でもくっつきます。

但し、傷をつけてしまうので、薄い紙を挟むと良いでしょう。

紙の箱を、数個持って来て、引き出しの整理や、多種類の細かい薬を入れて、重ねて、キャビネットに入れたりすると、コンパクトに出来ます。

 

* 収納スペース 

左写真は大ロッカーの一つで、この左側にこの2倍の大きさの服を掛けるロッカーがあります。

右上に金庫があり、よく使いました。

右写真はデスクの引き出しです。

 

* バスルーム 

バスルームは狭いですが、一人で使う分にはまったく問題がありません。

湯船は無く、シャワーだけです。

シャンプーは付いています。

私はクルーズ中のシャワーが気に入っています。

直ぐ使え、使った後、同室の人の為に浴槽を洗う必要がないのが良い。

1日に二度使っても、バスタオルの交換を客室係が交換してくれる。

また頼めばよい。

客室係は毎日、掃除とベッドメイキング、タオル類や消耗品の交換をしてくれる。

シャワースペースの上に、ワイヤーが有り、洗濯物を幾らか干せる。

しかし、それだけでは足らないので、針金などのハンガーを数本持って来て、バスルームやベッドルーム等に干した。

ドライヤーや歯ブラシなどは無い。

お湯は出ます。

水は飲まない方が良いと思います。

 

 

* アプリの紹介 

レストラン、エクスカーション、船の位置、船内イベントの情報が随時入って来ます。

予約したり、予約の確認、支払いの確認が出来ます。

私はスマホで必ず毎日数回利用しました。

これは船内だけのWifiだけで使え、通信料は掛かりません。

SNSやインターネットの使用は、通信料が掛かり、数種類のプランがあります。

乗船前でも、乗船後でも契約できます。

WhatsAppだけは無料だっと思います。

 

次回に続きます。

 

 

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ワールドクルーズ 10 船上の愉しみ、デッキからの眺めと夜の散策

2025-01-24 09:40:19 | 旅行

*今回は、船上の愉しみの一つ、デッキからの眺めを紹介します。

 

デッキから眺める良さは、ゆったりと時が流れるままに身を任せられることです。

朝夕の紅に染まる遠景の島影や中世都市。

早朝の青味を帯びた暗闇に浮かぶ島影、そして漁船や町の灯火が宝石を散らしたように煌めく。

太古からの姿を留める大自然に囲まれた海峡を、風や陽射しを受けながら進む。

入港や出港時の眺めも感動出来ます。国の違いや、気候帯の違いで、様相は変わります。

デッキから眺める長所は、24時間、好きな時に眺められる事、自然や都市を近景から遠景まで高い位置から見下ろせる事です。

 

* 早朝、入港時の光景

「早朝、インド洋の島に着岸している」

「早朝、大西洋、テネリフェ島に向かっている:別のクルーズで」

 

*日中航海中の眺望

「スエズ運河を航行中:船で行くと、高い場所から周辺をじっくり見れる」

「チリ、パタゴニアの氷河地帯を航海中」

 

「眺望できる前方デッキ」

 

*ここで撮影について注意を一つ。

乗客2500名の内、この前方デッキで前方の景色の写真を上手く撮れる位置は、せいぜい30~50名ぐらいの広さかありません。

他にも眺望が出来るデッキはありますが、障害物や、取りたい景色の船からの向きによって、最適な場所は刻刻と変わります。

素晴らしい撮影を望むなら、進行経路を予想し、数時間前から場所取りをする必要があります。

それでも賭けです、景色と船の進行経路が正確に予測できないので。

船内のディスプレイに、地図と現在航行中の航路は表示されいるので参考には出来ます。

 

「ビュフェ・レストランからの眺め:別のクルーズより」

船の航跡、海ごとに変化する雲の形や海の色、様々な波浪を眺めたりするのも、良いものです。

 

* 出航の別れ

「リスボン港からの別れ」

存分に街を愉しんだ後に、別れを告げるのは、いつも感慨があるものです。

 

*朝陽、夕陽

「夕陽」

ワールドクルーズでは朝陽と夕陽が楽しめ、雨の日は数日だったのでおそらく夕陽だけでも100回以上見ているでしょう。

西の空に雲がかかっている事があるので、水平線に陽が沈むのを最後まで見れるかハラハラドキドキしながら20~30回は夕陽を見ていました。

 

*真夜中の航海

「ジブラルタル海峡を真夜に通過:別のクルーズより」

夜空の星、南太平洋でしか見れない南十字星や星座を眺めることも出来ます。

 

*もう一つ、お薦めの眺めは、船が港に1泊停泊している時です。

「リスボン、我々のクルーズ船がここに一泊」

 

船が埠頭に夜通し停泊していると、船から降りて、付近を自由に散策し、また何時でも船に出入り出来ます。

夜の街に出ても良し、埠頭付近の港の施設や公園を散策するも良し、また照明で浮かび上がるクルーズ船を眺めるも良しです。

乗客2500名もいるので、それなりに、船の周辺は人が溢れています。

この楽しみ方は、港と都市、繫華街との距離や治安に制限されるので、すべての1泊寄港地でと言うわけにはいきません。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 9 寄港地ツアー、エックスカーション

2025-01-20 19:08:57 | 旅行

今回は、クルーズの寄港地ツアーを紹介します。

寄港地ツアーは私が最も楽しみにしていたもので、乗船前には選択に迷い、色々な不安がありました。

ツアーの予約でいくらか後悔もありましたが、存分に楽しめました。

今回は、寄港地ツアーの選択のポイント、手順、注意などを紹介します。

クルーズでは寄港地ツアーと呼ばず、エックスカーション「Excursions」と呼びます。ここではツアーと略します。

説明は、コスタクルーズで、日本からの添乗員が居なくて、すべて私自身で予約し、夫婦で参加している前提です。

 

エックスカーション(ツアー)について

「ツアー受付」

*クルーズ会社のツアー予約。

必ず予約が必要です。但し、予約のキャンセルは会社(コスタ等)によっては返金不可です。

予約は、乗船前からインターネットで、専用アプリで出来ます。乗船後は、インターネットでも、船内のツアー受付でも出来ますが、インターネットが並ばなくて、早く出来ます。

ツアーの催行が決まっていて空席があれば、前日でも予約できるでしょう。内容によっては当日朝でも可能です。

人気のツアーは、早くから満席になってしまいます。満席の場合は、5ヵ国語毎にツアーを募集しているので、私は英語が満席だったら催行が決まってよく空いていたドイツ語ツアーを選びました。説明は分からなくても、集合、食事、トイレなど重要事項は英語で話してくれるので問題ありません。但し、事前に、「簡単な英語しか分からない」とバス乗車時にガイドに英語で伝えましょう。

 

*クルーズ会社のツアーか、自分で観光かの選択

クルーズ会社が寄港地ごとに、寄港日時に合わして寄港地ツアーを充分に用意しています。

クルーズ会社のツアーは安心で便利ですが、割高です。一番のメリットはツアーの出発と帰着に、気をもむことがない。もしツアーの帰着が遅れて、船の出港予定より過ぎても、船は待ってくれます。船の入港時間が遅れても、ツアーはそれに合わせて出発します。ツアー出発と帰着の遅れは、幾度もありました。

自分で観光する場合、確実に出港の1時間前に帰着しなければなりません。しかしワールドクルーズでは、クルーズ船が同じ寄港地に1泊2日する場合が10回以上あるでしょう。この1日目の町歩きは、深夜まで存分に楽しめます。

大都市の市内観光でホップオンホップオフ バスを使う場合、ケープタウンでは、現地の会社にインターネットで直接申し込む方が割安でした。但し、チケットの交換の為に発券所に行く不便があります。一方、ニューヨークの場合は、クルーズ会社の方が安く、さらに送迎バスまでありました。

カリブ海の有名なリゾートアイランドでは、寄港地の埠頭に、多くの現地ツアーが客引きをしていました。私は使いませんでしたが、利用する人はいました。

私が事前に寄港地ツアーをトリップアドバイザー等で調べ、コスタのワールドクルーズと比較したが、クルーズ会社のツアーの種類は多彩で満足出来ました。英語ガイドのツアー価格はトリップアドバイザーの方が安いのもあるが、高いのも有りました。安心を考慮すればクルーズ会社になります。

 

*自分達だけで、自由に町歩きをしたい場合

ツアーに便乗するのも良いが、夫婦で町歩きも良いものです。トイレは少ないので、レストラン等に入って利用するしかないでしょう。

今回、クルーズ会社が用意した、町の入り口への往復や市内循環の専用バスは少なかった。これはワールドクルーズなので、寄港地に発展途上国が多いためかもしれません。

クルーズ船の着岸埠頭が、結構不便な場合が多く、町の入り口まで片道数km以上の場合があります。この場合、クルーズ会社のツアーで自由散策のあるのを選ぶか、町の入り口までのクルーズ会社の往復バス(少ない)を選ぶのが良いでしょう。埠頭からタクシーを使っているクルーズ客もいた。稀に路線バスが埠頭近くを走っている場合があるが、その国で1日限りの利用となると、面倒で、一度も挑戦しませんでした。

事前に、着岸埠頭や寄港地の情報(通貨、埠頭からのタクシー有無等)は、船内で数ヵ所の寄港地をまとめて、会議室などで5ヵ国語毎にレクチャーしてくれます。案内の放送がありますので聞き逃さないようにして下さい。

 

「コスタ・ワールドクルーズ、マダガスカル、ノシべ島のツアー: 多くの寄港地で5~15件の半日、日帰りツアーがあります。所要時間、難易度、金額€が分かります。クリックするとさらに詳細が分かります」

「コスタ・ワールドクルーズ、モルディブ、マレー(首都)のツアー:ここでは1泊2日なので、半日、日帰り、1泊2日の20件以上のツアーがありました」

*選択上の注意

私が利用したツアーは日本円で、半日・日帰り・一泊で一人6000円~30000円ほどです。

この価格は2023年春のコスタ・ワールドクルーズの場合ですが、これはカジュアル客船なので、プリンセスなどプレミアム客船になるとさらに高くなります。

ワールドクルーズで50件ほどのツアーを利用しましたが、サファリやリゾート島1泊は安いの選ぶと後悔します。

安いと、サファリは見れる動物が3~4種類と少なく、リゾート島のホテルの眺めがよくない。これを事前に調べるのは難しいですが。

もし英語が出来て、クルーズ中にワールドクルーズ常連客に聞くことが出来れば良いのですが、私達は終わってから、知ることになりました。

私は、モルディブのリゾート島選びは、10件ほどの選択肢から、珊瑚の状態と魚影の濃さで選び、予想通りで良かった。全地球上の珊瑚礁の状態を学者グルーブが詳細に調査し、Googlemapに反映しているサイトがありました。

ワールドクルーズには無料のツアーが10以上ありますが、内容は薄いです。一度、訪れた所や関心の薄い所では良いでしょうが。半数以上使いました。

 

「クルーズ船からテンダーボートに乗る所」

 

*テンダーボートについて

クルーズ船が、埠頭に着岸出来ない小さな島などでは、救命用ボートのテンダーボートで乗客を、船から埠頭までピストン運転で運ぶことになります。

いくつか注意があります。

テンダーボートの利用は、航路が決まった段階から決まっていますが、天候によって、事前または当日の途中で中止になることがあります。利用は無料ですが、乗る順番があり、時間が掛かるので、面倒です。

テンダーボートの利用は、ツアー客優先でその日の一番から全員運び終わった後で、ツアー以外の乗客を運ぶ事になります。また乗船の順番は前日に、整理券が配られますので、放送を聞いて、貰いに行って下さい。希望が多いので、早く行くようにしてください。整理券の番号が後の方では、上陸時間がかなり短くなりますので、その島に長く上陸したいのなら、ツアーを予約することをお薦めします。

 

「集合場所でツアー出発を待っている」

 

*集合、出発について

前日、夜までに部屋に、ツアーのバス番号の紙札が届きます。指定場所と時間はアプリ等で確認します。

当日、船内の決められた場所、決められた時間に集合し、自分のバス番号を呼ばれたら、指定されたデッキのゲートから下船します。

 

「ステップを降りて、税関に向かうところ:通常、乗員が行く先を案内しています」

 

「税関を通らず、バスに乗る場合:左のステップを降りて、右に並ぶバスに乗ります。通常バスは数十台あります。」

通常、下船後、税関で入国検査を受けてから、指定された番号のバスに乗ります。すべて自由席でした。

集合場所は、複数のツアー客でごった返していますので、つられないようにして下さい。番号は、5ヵ国語でアナウンスされるだけなので、聞き取り難い。同じ番号の人を探すか、係員に確認する方が良いでしょう。出発時間は大抵、30分から1時間は遅れます。さらに国によっては税関も時間が掛かる場合があります。バスは待っていますが、たまにバスがさらに遅れて到着する場合もあり、日本のような定刻発車は無いと思ってください。

入国手続きは、最初の乗船前に、指定されていたビザや証明書、パスポートを船に提出しておけば、それぞれの国への入港の数日前に、船内で処理したパスポートや書類を渡してくれます。事前にアプリや放送で案内がありますので注意してください。

 

* その他、補足

ツアーで使う車は、バス、ワゴン車など様々で、識別は車の番号だけが頼りです。この時、クルーズ船のカードとツアーチケット(車番号記載)で、乗員が最終確認出来ます。確認されないこともありますので、同乗者に確認してください。

本来、ツアーバスに乗るのは、集合場所で出発の合図を受けてからのですが、急いで行っても、バスの1/3ぐらいは常連客が既に陣取っています。これは直接先に行く掟破りなのですが、クールズ会社は放置しています。見つかると咎められる場合もあるようですが。

ツアーでは、バス移動や観光地でも必ずトイレ休憩は用意されていた。

ツアーでは、様々な国の人と一緒になるので、国によってマナーが違い、厳格な国民性とルーズな国民性があるので、トラブルになります。控えめに、丁寧に行動する方が良いでしょう。このワールドクルーズでは、アジア人は、10人ほどの中国人グループ1組と韓国夫婦1組、我々日本人夫婦のみでしたので目立ちます。

 

* 参考に、プレミアム客船のツアーを紹介します。

 

プリンセスクルーズ、タヒチのツアー例」

「上記複数のツアーの一つを選び、詳細を見ている」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 8 船上の暮らし2 イベント等の愉しみ

2025-01-17 06:39:28 | 旅行

今回は、船上で催される様々なイベントや愉しみ方を紹介します。

 

初めに、シアターでの公演を紹介します。

シアターでの公演は、毎日、夕刻から2回、1回1時間ほど行われます。

夕食の時間が2回に分かれているので、どちらかで大概見られます。

公演の内容は、当日、前もってスマホで確認出来ます。

コスタ・デリチョーザの場合は、無料で、席は自由です。

席に余裕はあるが、良い席は開演の半時間前に行くのが良いでしょう。

シアターでの案内や説明に英語が使われるが、公演中の歌等は、どうしてもイタリア語が多くなります。

まづ日本語はありません。

 

公演の7割ほどは、専属のダンスチームによるショーで、途中交代はあるが、4ヵ月も乗っていると飽きます。

ショーは、ダンス、歌、アクロバットです。

上手な歌手やグループが幾度か、舞台に立ち、感動することはあります。

マジックやコメディーマジックもたまに行われます。

 

私が最も良かったと思うのは、インド洋、南アフリカ、南米、インド等、世界各地のローカルな舞踊でした。

特に、南アフリカの黒人学生らによるエネルギッシュなダンスには感動した。

 

 

数は少ないが、プールサイドで、乗員が仮装して、乗客が多数参加して祝うイベントがありました。

赤道通過など、数回盛大に催されました。

自由参加で、一緒に百名以上が乗員に合わしてダンスに興じます。

おつまみやワインもふるまわれ、盛り上がります。

 

 

船内の中央に大きなプール、後尾に小さなプールがあり、それぞれに小さなジャグジーがあります。

温水ではないが天井が覆われ屋内プールになるので泳ぐことは出来ます。

幾度か、シュノーケルの前の足慣らしで泳ぎました。

私は道具をつけませんでしたが、子供が使っていることがありました。

ジャグジーは、取り合いになるので、空いている時間を見計らっても相席になるのを覚悟してください。

バスタオルはキャビンから持って行きましたが、プールサイドで借りることが出来るようです。

濡れたバスタオルは、キャビンに持ち帰り、キャビン担当の乗員に交換してもらいました。

サンダルは必要です。

 

 

プールサイドでは、毎日、ゲームが2回以上行われていました。

私は初めの頃、参加していました。

ゲームの進行係りや、参加者は楽しい人ばかりです。

常連さんが多く、さぼっているとチームの足を引っ張ることになり、参加しなくなりました。

説明の言葉は単語が多く、英語、イタリア語、参加者によって多言語を使ってくれます。

 

上記は、妻が参加していたクラフトの作品の一例です。

毎日、2時間ほどあり、参加者は20~30名で、はじめは少なかったそうです。

多くは女性ですが、男性もいました。

指導者は美術のプロで、英語、イタリア語、スペイン語で説明してくれる。

材料をふんだんに提供してくれ、各地の特色を表現する作品作りになります。

数回、ここで作った紙の衣装で、ダンスホール内で仮装行列が行われ、観客が多く盛り上がりました。

終日航海日にクラフトはいつも行われるので、すごい作品の量になりました。

クラフト中、ドイツ、スペイン、米国、スウェーデン等の人と、話す内に、仲良くなる人が増えて行った。

これらの友人から、船上の個人の誕生会に呼ばれたり、いまだにメール交換をしています。

1年後、また別のワールドクルーズで日本に来日した2組の友人夫婦を神戸に案内しました。

 

毎日、このダンスホールではダンスレッスンが2回ほど、また同じ場所でクイズも2回ほどあります。

私達はダンスをしませんでしたが、欧米人はダンスが好きです。

クイズには幾度か、参加しましたが、日本語無しの5ヵ国語のクイズであり、話題もヨーロッパか世界になるので、私達には不利でした。

 

これで2回目のクルーズですが、欧米の人は、日光浴が好きです。

オープンデッキは、風があると寒いので、私達はしませんでした。

 

私達がほぼ日課にしていたのが、朝のデッキ一周と体操(ラジオ体操ではない)です。

これは毎日にあり、専門のトレーナーが先導してくれます。

参加者は、20~30人ぐらいでしょうか。

気持の良いものです。

 

おそらく女性には、買い物は必須でしょう。

コスタ・デリチョーザには、コンビニエンスストアのようなものはありません。

日用雑貨は、寄港地で買ってください。

上記の写真は、唯一の船内ブティックです。

店は大きく、ブランドの時計、服、バック等がメインです。

実は安い買い物が出来るチャンスがあります。

シアター公演が終わって、上記で説明したダンスホールを通ると、その横に小さなブースがあり、

不定期ですが、安めの装飾品やバックが売り出されます。

ここは賑わいます。

 

次回に続きます。

 

 

 

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ワールドクルーズ 7 船上の暮らし1 食事

2025-01-13 11:42:34 | 旅行

今回から数回に分けて、クルーズの船上の愉しみ、暮らしを紹介します。

今回は、毎日の食事の様子を紹介します。

紹介の一部には、このクルーズ会社COSTAとワールドクルーズに限定されているものがあります。

「2023年、ワールドクルーズでの船上の生活、楽しみ」2分30秒ほどのビデオです。

https://www.youtube.com/watch?v=2EH5kbEIhik

 

先ず、コスタ・デリチョーザを紹介します。

乗客は約2300人、デッキは全12階です。

公共的な屋内デッキは主に2、3、9、10の4カ所、最上階のオープンデッキが11です。

 

「私が食事に使ったデッキは9と2です」

9階の中央から後方にあるRistorante Buffet Muscadinsが、ビュッフェスタイルの朝昼夕だけでなく、軽食、フルーツ、ケーキなどを提供するレストランです。

席は自由に選べますが、余裕はありません。

料理や飲料などは種類によって提供される時間が決まっています。

料理や飲料などは十分が出て来ますが、並ぶことになります。

 

2階の後方にあるRistorante Albatrosが、朝昼夕の食事を提供するレストランです。

このレストランの利用時間は限られおり、夕食については航海中、時間と席が決まっていますので注意してください。

それ以外は、素晴らしいでです。

3階にも同名のレストランがありますが、私達が使うことはありませんでした。

 

ワールドクルーズについては、ビールとワインが、レストランとビュッフェ内で、昼夕の時間は無料です。

しかし他のバーやラウンジなどでは、無料ではありません。

これらも無料になる別購入のビバレッジ・パッケージがあります。

 

 

Ristorante Buffet Muscadinsの食事を紹介します。

提供される食事は非常に多彩で、Ristorante Albatrosに出る料理、ケーキ、ピザ、スパゲッティ、果物に始まり、

通常のビュッフェに出るものまであります。

多くの料理は日々変わりますので、4ヵ月間乗っていても、飽きることはないでしょう。

しかし基本、イタリア人とヨーロッパ人がメインなので、日本やアジア向けの料理は出ません。

小さな欧米風の寿司専門のレストランが別にあります、有料で時間が限られています。

稀に果物や牛肉、貝料理などを目一杯とって行く人を見かけますが、寛容なようです。

 

この場所で、様々なドリンクとビール、赤・白ワインが貰えます。

ビール、ワインの銘柄を選ぶことは出来ません。

時間外にアルコールは出ません。

 

外の景色を見ながら、談笑しながら、気の向くまま食事や軽食を楽しめます。

無料のコーヒーはありますが、あまりおいしくありませんし、時間制限があります。

水はいつでもビュッフェの給水機から備え付けのコップで飲むことが出来ます。

基本、水をポットに入れて持って行くのは禁止です。

服装はかなりラフで、サンダルもOKです。

 

注意が一つ。

エックスカーションや自由散策で帰りが遅くなった時、ビュッフェとレストランAlbatrosの夕食が終わっている時があります。

エックスカーションが予定より遅れた時、稀にビュッフェ時間が延長される時があります。

私はビュッフェの夜食を利用した事がありませんが、あるのかもしれません。

 

食事の例です。

これは愉しみの一つですが、各地を廻っていると、その地域を代表する料理等が提供される日があります。

残念ながら、限られたコーナーで提供されるので、かなりの行列になります。

 

レストランAlbatrosを紹介します。

コスタ・デリチョーザの夕食には満足しています。

私は一番安いキャビンを利用したが、料理は皆と一緒です。

以前、MSCクルーズを利用したが、コスタの方が良いようです。

当然、ビールとワイン、ジュースは飲み放題です。

料理は前菜、スープ、主菜、デザートをそれぞれ数種類から選ぶことが出来ます。

毎日、メニューは変わります。

残念なのは英語表記なので、まったく料理が連想できず、せいぜい肉、魚、野菜の区別がつくくらいです。

それでも毎日の夕食は愉しみでした。

朝昼については、ほとんどビュッフェを利用しました。

理由は、朝昼のメニューは単調で、時間がかかるので、ビュッフェの方が多彩で手短に食べれます。

それでものんびり静かに食べたい時は、空いているので良いかもしれません。

こちらのレストランでは、ラフな服装は禁じられています、毎回、黒のスーツや華やかなドレスの必要はありません。

事前にフォーマルが指定されている時だけ、着て下さい。

一応、フォーマル用の服装は持って行く方が良いでしょう。

いやならビュッフェで済ますことも出来ます。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 6 古代遺跡と中世の街並み

2025-01-08 06:38:39 | 旅行

今回は、ワールドクルーズ中に訪れた古代遺跡と中世の街並みを紹介します。

代表的な19都市を各1枚の写真で、世界を早回りします。

 

「紹介する古代遺跡と中世の街並みの位置を赤四角と番号で示します」

 

「1.クロアチア、ドゥブロブニク」

ここはベネチアと唯一対抗できた、15~16世紀に栄えた海洋都市国家でした。

海からそそり立つ城壁に囲まれ、すべて石畳と石造りの街並みは、様々な映画の舞台となり、アドリア海の真珠と言われている。

あなたを遥か昔の幻想の世界、ドラゴンが飛来する世界へ誘ってくれるかもしれません。

 

「2.イタリア、カターニャ」

ここはシチリア島で2番目に大きな都市で、16世紀以降に建てられたバロック様式の建物が多く残っている。

歴史はギリシャ時代に遡り、ローマ遺跡も点在するが、移民も多く庶民的な街でもありました。

 

「3.イタリア、ポンペイ」

ここはナポリ湾岸にあり、紀元79年の火山噴火で埋もれていた古代ローマ遺跡です。

かつては2万人が暮らしており、貴族館の浴場から町のパン屋の厨房跡まで見ることが出来ます。

 

「4.フランス、エクス=アン=プロヴァンス」

ここの歴史は古いが、15世紀時代に繁栄し、ポール・セザンヌのお膝元の街として有名です。

街の至る所に趣向を凝らした噴水があることでも知らており、くつろげる街です。

 

「5.ギリシャ、オリンピア」

ここはワールドクルーズの訪問地で最も古い遺跡になり、紀元前10世紀頃、全ギリシャの都市国家が参加したオリンピック開催都市でした。

港から1時間のバスで向かうと、木々に囲まれたなだらかな丘陵地帯に、この遺跡は忽然と姿を現した。

 

「6.キプロス、首都ニコシア」

中心部には16~18世紀の城壁や教会などがひっそりと残っている。

この島国は、文明の十字路、古代より様々な民族に代わる代わる支配されて来た。

今も、この首都を境にトルコとギリシャに島を分断されており、さらにロシアの資金と富豪が逃げ込んでいる。

 

「7.イスラエル、エルサレム」

私が訪れた時は、この地は平和を謳歌していました。

この地の歴史は紀元前11世紀に遡りますが、キリスト時代の都市以降、幾度も破壊と再建が繰り返され、現存する旧市街の市壁は16世紀に再建されたものです。

街を行くと、様々な人種、白人(ユダヤ人)とアラブ人が共存していることに驚いた。

 

「8.ヨルダン、ペトラ」

ここは正に、伝説の都市、失われた都市と言えるでしょう。

広大な砂漠を越え、巨大な山塊を登って行くと、草木がまったくない大峡谷に至る。

深い枯れ沢の赤い砂岩の崖に掘られた無数の構造物が続く。

1日のツアーですべてを見ることは不可能です。

この都市は、アラビアの隊商交易を独占した民族が、紀元前後から地震で水源が壊滅する4世紀までに建造されたものです。

一つ旅行の注意があります。

ヨルダン訪問の後のイスラエル訪問はイスラエルが許さないので、両方を観光したい時はワールドクルーズは東回りを選んでください。

 

「9.インド、オールドゴアとパンジム」

写真はパンジムのポルトガル植民地時代の面影を残している通り。

ポルトガル領インドの首都は16世紀中頃からオールドゴアにあったが、伝染病の蔓延で18世紀に首都がパンジウムに移された。

オールドゴアはフランシスコ・ザビエルが訪れており、キリスト教化の中心地でした。

 

「10.チリ、首都のサンティアゴ 」

ここは16世紀以降、スペイン人が建設した都市です。

しかし、今は560万人が暮らす南米の最大都市の一つでもあります。

歴史都市と言うよりは近代的な巨大都市でした。

 

「11.ペルー、首都のリマ」

この地も、スペイン人が建設した都市でした。

ここはかつてインカ帝国の神殿や館があった。

現在、人口1100万人の大都市です。

 

「メキシコ、トゥルム遺跡」

ここはマヤ文明末期の城塞都市で、カリブ海に面した崖の上に造られている。

13から15世紀の間に繁栄した交易都市でもあった。

便利な位置にあり、景色も良く、保存状態の良い遺跡なので観光に適している。

 

「ポルトガル、ポンタ・デルガタ」

ここは北大西洋のほぼ中央にあるアゾレス諸島の一つサンミゲル島にある最大の港湾都市です。

ポルトガル人の航海の中継地として18世紀から19世紀にかけて繁栄した。

以前スペインのテネリフェ島(カナリヤ諸島)を訪れたことがあるが、 火山を除けば、こちらの街と畑の景観の方が美しいと思った。

 

「14.ポルトガル、首都のリスボン」

15世紀から17世紀の大航海時代、この河口の港から多くの船が出港し、大きな富を持たらした。

様々な記念碑的な建物があり、赤い屋根の家並みが河畔の丘を埋め尽くし、中世の大都市を彷彿とさせる。

 

「15.モロッコ、タンジール」

ここはジブラルタル海峡に面した古くからの国際的な交易都市です。

海に落ちる丘陵の斜面を所狭しと迷路の街並みが覆い、その先端には15世紀に出来た軍事要塞が構えている。

ムスリムらの喧噪の中を歩いていると実にエキゾチック感に没入出来る。

 

「16.フランス、マルセイユ」

ここは歴史が古く、フランス最大の港湾都市であり、15世紀以降の要塞や巨大な教会などが至る所に見られる。

 

「17.イタリア、サボナ」

ここはジェノバに近い港湾都市です。

この写真は16世紀築造された巨大な要塞跡から、サボナ港を見ています。

歴史的な街並みが良く保存されており、教会が沢山あります。

落ち着いた小さな都市です。

 

「18.モンテネグロ、コトル」

ここはバルカン半島にあるのですが、アドリア海に面した複雑なフィヨルドの奥深くにある小さな交易都市でした。

このフィヨルドはヨーロッパの最南端にあり絶景の一つです。

ベネチアが15世紀に、ここを支配すると、イスラム勢力の防御の為に背後の絶壁の山に城壁を巡らすことになった。

海と山に囲まれた実に美しいコンパクトな古代都市で、タイムスリップした気持ちになれます。

アドリア海沿岸に点在する古代ローマから中世に栄えた都市の景観はどれも素晴らしいと思いますが、

ドゥブロブニクとコトルは双璧だと思います。

 

「19.イタリア、ベネチア」

古い町並みが全体に良く保存されており素晴らしいだけでなく、クラシック音楽等の文化も守り続けられ、人々の生活もこの古風な街に根付いているのに感心した。

一方で、細い運河、迷路のような街路、朽ち果てた家の壁、貴重な草木、どれをとっても都市づくりの苦労が伝って来る。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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京都を歩く 2 瑠璃光院

2025-01-05 07:05:32 | 旅行

今回は、京都の奥、八瀬にある瑠璃光院を紹介します。

この寺は叡山電鉄叡山本線の終着駅、八瀬比叡山駅で降りた所にあります。

訪れたのは、2024年12月14日午前中でした。

 

「黄線が瑠璃光院までの徒歩ルート」

丸が電鉄駅、矢印が瑠璃光院で、徒歩時間は20分ぐらい。

高野川に沿って歩きますが、紅葉が綺麗でした。

瑠璃光院を観光している間は、雨が降り続けていました。

 

「駅近くから見た高野川」

 

「風情がある門に到着」

観光客が多いのと、中国系(大陸か台湾)が多いのに驚いた。

 

「玄関の前にある石橋」

門からここまで来るには、苔むした庭の間を行く石段を登ります。

石橋の下、左に池があり、鯉が泳いでいます。

 

「紅葉の間に、鯉が見える」

 

「縁側から望む庭」

 

「2階から玄関側を見下ろす」

紅葉は盛りを過ぎた頃のようでした。

 

「2階から庭を見ろす」

1面、苔の絨毯の間を行く筋かのせせらぎと小石の道が曲線を描き、その上を紅葉の木々が覆っている。

折からの小雨で、映し出す光は鈍く、厳粛な雰囲気を漂わせている。

 

 

「庭を囲む紅葉」

黒漆のテーブルに紅葉が映っている。

ここが瑠璃光院の最も美しい眺めだと思いました。

 

解説を引用

るりこういん
無量寿山光明寺瑠璃光院

平安時代から貴族や武士に愛されてきた八瀬大原にひっそりとたたずむ瑠璃光院。
元は明治時代の公卿・三条実美の庵で、大正時代末に大改修。
およそ1万2000坪の敷地に数寄屋造りの建物と、洛北の雄大な自然を借景とした3つの庭園が整えられています。

終わります。

 

 

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ワールドクルーズ 5 驚きと発見

2025-01-01 21:48:12 | 旅行

今回は、ワールドクルーズ中に、予想を上回る発見や感動を紹介します。

 

「赤丸が紹介する8カ所の寄港地、青楕円が紹介する船上の1体験」

 

 

「下2枚はヨルダンのぺトラ遺跡に向かう途中の景色」

アカバ港に近い、乾し上がった大きな川。

 

ペトラ遺跡途上の高原地帯、荒涼とした乾燥地が続く。

ワールドクルーズは、地球が如何に広大で、かつ人が住まない大地が多いことに気付く旅でもありました。

 

「下2枚は、マダガスカル、タマタベとノシべ島」

ノシべ島の村

大きな港湾都市タマタベから川を遡ってジャングルに向かう途中。

川沿いに粗末な住まいが並んでおり、その傍で、川石を砕いて建築用の石材を造っている家族総出の姿が多く見られた。

ワールドクルーズでは、発展しているアフリカも見たが、まだ貧困が続いているアフリカも見た。

 

「下2枚はモルディブ、フーシー島」

この時期は雨季で、雲一つない快晴とはいかなかったが、天気と魚影に恵まれた。

 

シュノーケリングを大いに楽しんだ。

ワールドクルーズでは、計の5カ所で潜り、世界の珊瑚礁を見て来た。

世界の珊瑚礁は温暖化等で、白化が進み半数が死滅し、さらに被害は拡大している。

ワールドクルーズ以外で、私は沖縄の珊瑚礁で20年以上前に潜っているだけだが、

まだ世界には海の楽園が残っており、何とかこのまま子孫に残して欲しいと願う。

しかし今の世界状況(トランプ政権)を考えると、望みは薄い。

 

 

「これはクルーズ船内での仮装パーティー」

船内では、様々なイベントが催されている。

これは手作りの紙の衣装で仮装し、皆に披露しているところです。

世界中から来た皆さんが、いつしか参加している内に、片言の多言語で、胸襟を開いて楽しみや喜びを分かち合うようになっていた。

特に、日本の人には、海外の人と接する機会を増やして欲しいと思う。

 

「下2枚の写真は南アフリカ、ケープタウン」

ケープタウンのシグナル・ヒルに来てみると、何故か多くの人が同じ海の方向を見ていた。

彼ら、家族やカップルが夕陽の沈むのを待っていたのです。

以前、中国の廈門の海岸で、奥地(貴州省)から来た人々が浜辺に沿って、立って並び、夕陽が沈む時に歓声を上げているの見たことがある。

南アフリカの様々な肌の色の人が、沈む夕陽を楽しく静かに見送る姿に胸があつくなった。

自然への感動は世界中の人に共通していると思えた一瞬でした。

 

ところが帰る段になると、山沿いの道は凄い渋滞で、クルーズ船に戻るのが10時頃になった。

この日は、クルーズ船は1泊するので事なきを得ました。

 

 

「ケープタウンのウォーターフロント」

この建物は、土産物屋、African Trading Portで、収蔵されている物が素晴らしかった。

 

1階は普通の土産物屋なのですが、2階と3階は、写真のような博物館並みの民族工芸品が所狭しと置かれていた。

見るのは無料で、説明書きは無い、すべて売りものです。

図録でしか見られない多彩な美術品が、直に見れたのは幸いでした。

 

「下2枚はアルゼンチン、ウシュアイア」

朝、港に着いた時は、非常に寒く、雨まじりの風が吹いていた。

急に、最果ての地に降り立った気持ちでした。

ワールドクルーズでは、赤道直下の熱帯から南極に近い最南端の地まで行った。

 

 

「チリ、アリカ港からアンデスの高地を目指す」

行く途中、草木が乏しい山肌が延々と続く。

港に戻る途中、大峡谷を上から眺めている。

ここはアタカマ砂漠で、谷底には細い川が流れており、久々に民家を見た。

インカ帝国の人々は、海岸の人々と交易する時、我々がツーバスで行った過酷な道を何日もかけて歩いたのだと実感することが出来た。

 

 

「下2枚はパナマのジャングルの川」

パナマの港コロンから、ジャングル奥地のインデアン村を訪ねる為に、カヌーに乗って上流に向かっている。

浅瀬では船頭が降りてカヌーを深みに押して、またカヌーは動き出す。

 

観光客はグループ毎に幾つかある村に案内される。

これはちょうど一艘が着岸したところ。

ワールドクルーズでは、幾つかの先住民の村を訪れ、念願の民族学のフィールドワークの真似事が出来た。

 

 

「メキシコ、ユカタン半島の遺跡と海洋公園」

このトゥルゥム遺跡はマヤ遺跡では、マヤ文明後期のもので小さい方だが、遺跡が広く立派で驚いた。

ワールドクルーズでは、各地の古代、中世の遺跡を見ることが出来た。

 

このシェル・ハ海洋公園、Parque Xel-Háはトゥルゥム遺跡に近く、淡水が海に流れ込む大きな河口湾全体からなる。

様々な施設、自然の景観(洞窟、マングローブ林、淡水の川)があり、至る所で魚が泳いでいる。

お子さんを連れていったら喜ぶのは間違いなしです。

 

以上で、驚きと発見の紹介を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 4 世界の料理とレストラン 後半

2024-12-29 06:25:15 | 旅行
 今回は、前回に続いてワールドクルーズで訪れた海外のレストランと料理を紹介します。



「オレンジ線で示す範囲、赤丸の寄港地での食事」
二つの矢印、エクアドルのマンタからイタリアのサボナの間。


「熱帯ジャングル公園内のロッジ」
ツアーで行きました。
小雨の中、ジャングルを散策後の軽食でした。


見たことのない料理で、不味くはなかった。



「パナマの先住民の村」
パナマ運河の港コロンから、ツアーバスに乗り、さらにジャングルの川をカヌーで遡った。
ダンスを見る前に、昼食が出た。
魚のフライ、果物など、素朴で美味かった。






「コスタリカ、港プエルト・リモンにある中華料理店」
フリーで港に近い大通りを散策中に入った。


 
料理の量が多くて驚いた。
味は日本人に合うものだった。



「メキシコ、ユカタン半島にある海洋レジャーパークのレストラン」
ツアーで来て、半日過ごし、昼食をとった。


ビュッフェ形式、豊富な種類に驚いた。
あるゆる人種の客がいたが中国人が目に付いた。



「ニューヨークのラーメン店」
フリーで日本食レストランが多い通りを目指した。
探し回ったが日本店は少なく、この店に入った。
店は日本の味噌ラーメンのチェーン店で、店員は日本人だった。
コロナで日本店が多く廃業し、中国人に買われ、業態が変わった。






「ポルトガル、港町ポンタ・デルガーターのレストラン」
この港町は大きいのでレストランが多い。
ツアーの後、ガイドにお薦めのレストランを聞いて、昼食でここに入った。


魚料理を注文した。
蛸料理は値段の割に蛸が少なく、ここでも蛸は貴重になりつつあるのだろうか。



「ポンタ・デルガーターのクルーズ船着岸地に近い寿司店」
クルーズ船内にも寿司店はあるのだが、外で初めて食べた。
フリーで散策後、夕食に入った。





味は普通で、寿司以外にもビュッフェ形式で食べられた。
経営は中国人の家族経営で、安いのには驚いた。





「ポルトガル、リスボンのレストラン」
ここはブイヤベース専門店で、行列が出来る店でした。
本当に美味しかったので、お薦めです。


「レストラン名はUmaです」
赤丸がレストラン、黄線が散策ルートで、右がロシオ広場、左がコメルシオ広場です。


「ブイヤベース」




「モロッコ、タンジールのレストラン」
フリーで、ガイドにクスクス料理のお薦め店迄案内してもらった。
ガイドが注文してくれて、デザートまで付いているフルコースでした。
クスクス料理は北アフリカ発祥で、クスクス(蒸した小麦粉)に肉と野菜の煮込みをかけて食べる料理のようです。
安価だった。



「タンジールのレストラン、店名も位置も定かではありません」
右がクルーズ船の停泊地で、矢印が凡その位置です。
非常に狭い通路が入り組んでおり、店はたくさんあります。
食べ方がよくわからなかったが、多彩な料理で楽しめた。
好き嫌いがある人には向いていないかも。






「英領ジブラルタルのレストラン」
フリーで、メインの通りを歩き、テラス席で昼食を食べた。
イギリス料理のフィッシュエンドチップスとスペインオムレツ。



食べてる途中で撮影したので申し訳けありません。




「イタリア、サボナのレストランOsteria Da Oreste」
見た目は冴えない家族経営の小さな店ですが、味はお薦めです。
フリーで昼食に入ったのですが、繫華街から外れているにも関わらず、
昼食時はお客で満杯になりました。
トリップアドバイザー2017年のエクストリームに選出されていた。



「レストランOsteria Da Oresteの位置」
赤丸がレストランで、黄線がクルーズ船からの徒歩ル―トです。
途中、古い塔が立っている。





クルーズ中、凡そ70日間は陸上で昼食、稀に夕食も食べることがありました。
各大陸、島々、大都会、小さな港町など、各地各様の食事やスナックを食べるのは楽しかった。

これで世界各地のレストランと料理の紹介を終わります。











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ワールドクルーズ 3 世界の料理とレストラン

2024-12-26 07:46:40 | 旅行

 

これから2回に分けて、ワールドクルーズで訪れた海外のレストランと料理を紹介します。

印象に残ったものだけです。

クルーズ船内のレストランと料理は別に紹介します。

私は食通ではなく、その土地の名物とか日頃食べれないものを求めました。

そうは言っても、ツアーバスで行く場合はレストランや料理に選択の余地はありません。

 

「オレンジ線で示す範囲、赤丸の寄港地での食事」

二つの矢印、ローマからペールのリマの間。

 

「ローマのピザ・レストラン」

ツアーで行って、広場の自由時間で入った。

ピザが大きくて驚いた。

 

「モルディブ、リゾートホテルのレストラン」

夕食は写真のようにビュッフェスタイルでした。

モルディブは、数十の環礁島がリング状に連なった大環礁が十個ほどもあり、リゾートアイランドが200以上もある観光中心の国です。

一つの島は概ね一つのリゾートホテルによって運営されている。

その内の一つフーシー島に一泊した。

 

 

「マダガスカル、ノシべ島のレストラン」

 

ツアーで、海岸近くにある木造のみすぼらしい外観の料理店に昼食で入った。

マダガスカルはワールドクルーズ寄港地中、もっとも低所得の国だったので、

どんな料理が出るか不安でしたが、素晴らしいフランス料理でした。

かつてフランス領だったことから、フランス人はこの島に海洋レジャーでよく訪れるようです。

 

 

 

「南アフリカ、ケープタウンのレストラン」

 

ここウォーターフロントは、ショッピング、レストラン、エンターテインメントがひしめく巨大なエリアで、人が溢れ、新しく、賑やかでした。

フリーの時に、昼食で訪れた。

テーブル・マウンテンを背景に、テラス席でアフリカの風を受けながらシーフドを食べました。

見栄えも含め、素晴らしかった。

 

 

 

「ブラジル、リオデジャネイロの老舗Confeitaria Colombo」

繫華街にあり、重厚な造りで植民地時代の繁栄を偲ばせる雰囲気が良かった。

名物のスナックとコヒーを頂いたが、スナックはそれほど美味しくなかった。

 

 

 

「アルゼンチン、ウシャイアのレストラン」

ここは繫華街のほぼ東端にあり、大きい土産物店の3階にあります。

レストランに行くには、1階土産物店の奥にある写真のような監獄をイメージしたエレベーターに乗らなければならない。

迷っていると店員が声を掛けてくれた。

この土産物店には、幾つもの等身大のロー人形でウシャイア誕生史を再現している博物館がある。

これが目的で、フリーの時に、夕食で訪れた。

 

「三階のレストラン」

 

窓から停泊しているクルーズ船が見えた。

店内では三組の大人数のグループが、家族の誕生会らしいのをやっていた。

観光客もいたが地元に人気があるようでした。

海鮮と肉料理を頼んだ。

料理は、ボリューム満点で、あっさり味が多かった。

 

「ウシャイアの別の店の看板」

この港はカニ料理も名物なのですが、私の入ったレストランにはカニ料理が無かった。

がっかり!

 

「チリ、Puerto Chacabucoのホール」

ここはツアーで訪れたホールで、民俗舞踊を見ながら軽食をいただいた。

提供されたジュースやワイン片手にチーズやパイを食べました。

 

 

「チリ、アンデス高地のPutre村のレストラン」

ここは高山の谷、標高3500mの寒村で、わずかな畑と家畜(鶏とアルパカ等)しかなく、他の村からは離れている。

期待して居なかったが、素朴で美味しかった。

 

ツアーで行くと、食事の時間に同行者と会話が弾むことが多々あった。

この時、私はドイツ語案内のツアーバスに乗ったので、多くはドイツ人でした。

日本に親しみを持つ人もいて、多くは私より英語が話せるので、楽しく過ごした。

大事な連絡事項、集合等については英語で話してくれる、観光案内は期待出来ないが。

初めに、英語しか出来ない(笑い)と伝えておくと良い。

 

 

 

「ペール、首都リマのレストラン」

 

ここはツアーバスで行った都心部にあるレストランでした。

ここでもドイツ語のバスで、多くはドイツ人でした。

 

「名物の飲み物」

同じレストランで薦められた。不思議な味でした、名前は忘れた。

 

旅の愉しみの一つは、見知らぬ街を散策し、レストランや屋台で食事をすることです。

メニューは見ても分からないし、実物を見ても分からない、味の予想は不可能です。

しかし、食べた半数以上で、驚きと美味しさに巡り会える。

食事中の会話も、日本人観光ツアーとは異なり、興味をそそるものがある。

 

次回は後半になります。

 

 

 

 

 

 

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ワールドクルーズ 2 ワールドクルーズを選んだ理由

2024-12-22 09:59:49 | 旅行


 今回は、ワールドクルーズを選んだ理由を紹介します。
先ず、2023年のコスタクルーズを選んだ理由について書きます。
次いで、クルーズのメリット、デメリット、注意点を述べます。
皆さんが素晴らしい世界一周クルーズを利用する参考になれば幸いです。

 私はワールドクルーズの前、1度だけ、カナリア諸島を巡るクルーズに参加しました。
これは関空発着のパックツアーで、ジェノバ発着の12日間クルーズでした。
地中海から大西洋まで行き、終日航海は4日だけでした。
観光地は素晴らしく、体は楽で良かったのですが、船内ではあまり楽しめなかった。
また陸での宿泊が無いため、朝夕のホテル周辺の散策が出来ないのも物足りなかった。

 しかし、私が70代半ばになって世界を回り切れるか不安になり、思い切って世界一周に挑みました。
けっして贅沢な旅を望んだわけではありません。

 仮に、関空発着の最も安いパックツアーで世界各地を巡るとして一人分見積ります。
南米8日間 80万円、南部アフリカ5日間 40万円、カリブ海クルーズ10日間 80万円、
東地中海クルーズ11日間 70万円。
これで合計270万円、さらに追加費用が合計で約50万円として総額320万円になります。

 


「コスタのワールドクルーズ、4つの茶色の円は個別の旅行を示す」

 この額は私がワールドクルーズで一切合切支払った額とほぼ同じです。
私の時より円安が進んでいるので、10%ほど上記見積額は高くなっている。
私のワールドクルーズなら35ヵ国、計128日間、68日間の寄港地観光を楽しめましたが、上記組合せ旅行なら約12ヵ国、往復フライトを除いた合計観光日数は25日間ぐらいでしょう。
明らかに、ワールドクルーズのコストパフォーマンスは格段に優れています。

 


「MSCのワールドクルーズ」

 それでは他のワールドクルーズと比較してみましょう。
結論は、ほぼ最安値で寄港日が最も多かく、寄港地に満足できたのはコスタだけでした。


MSCのワールドクルーズはバルセロナ発着の120日間で、クルーズ代金はコスタよりすこし安く、ワールドクルーズでは最安値かもしれません(同じ窓無し内側キャビンで)。
このコースは世界一周にふさわしいのですが、寄港日数53日間とすこし少なく、ギリシャ、シチリア、エルサレムに寄港しないのが私にとってマイナスでした。
海外発着のワールドクルーズの多くは、MSCと似たコースになり、コスタとMSCが最安圏にあると思います。
現在のコスタは、MSCと似たワールドクルーズのコースを取っています。

 


「ピースボートのワールドクルーズ」

 日本発着のピースボートは、すべて日本語対応、年3種類のワールドクルーズがあり、利用のハードルが低いでしょう。
例えば、2025年12月の南太平洋・南米・アフリカコースを取り上げます。
107日間のクルーズなのですが、寄港地24ヶ所、寄港日26日間と観光出来る日数が上述のクルーズに比べ半数以下になっています。
総支出金額はわかりませんが、私の選択支にはならなかった。

 結局、寄港地とコストから、海外発着のコスタ・ワールドクルーズを選んだ。


ワールドクルーズのメリットを挙げます。
1.豪華な食事付き。
 三食(レストランで自由に注文、ビュッフェスタイルも可)、加えてデザートや果物も食べ放題。場所と時間帯等の制約有り。
2.ワールドクルーズには、レストランとビュッフェでのアルコール飲み放題が付きます。
場所と酒類に制限有。
3.船上で毎夜の無料ショーと様々なイベントが数多く行われる。
主に日中はクイズ、クラフト、エクササイズ、ゲーム等でほぼ時間が埋まり、夜はダンスや演奏があります。
4.同じキャビンで過ごすので、荷物のパッキングや移動は一切不要、洗濯やシャワー等で戸惑うことも無い。
5.世界中、各大陸、各国の自然と街並みを網羅的に楽しめ、自由に設定出来る。
 不便なマダガスカルのノシべ島やアルゼンチンのウシュアイアなどにも行くことが出来る。代表的な各地の珊瑚礁や各大陸の民俗舞踊を比較して楽しむ事が出来る。また現地での買物やレストランでの食事もわくわく感がある。寄港地のエックスカーションは自由に選べるので、ツアーバスに乗るのもよし、自由に港町を散策するのもよし。


デメリットも挙げます。先ずは一般的な事
1.クルーズでは、支出額で待遇が決まり、肩身が狭くなることがあります。
 私は安くするために内側窓無しキャビンでしたので優雅な船旅とは行きませんが、特に困ることは有りませんでした。バルコニーを選んでも料理は同じです。多くの方は、1日中の飲み放題パッケージを購入しており、様々なバーやラウンジで、同国の仲間等と歓談しています。
2.ほとんどの寄港地のエックスカーションは港から日帰りで行ける所に制限される。
 マチュピッチュ等、内陸部に行きたい場合は、現地のホテル泊りが必要で、次の寄港地で乗船するようになり、かなり高額になり、選択肢も少ない。
3.ビザ取得や入国手続き、準備がかなり煩雑。
 私の場合、コロナがまだ終息していなかった事と、訪問国に発展途上国が多かったので、言語の問題だけで無く、大使館も分かり難かった。また10数か国以上で、事前の必要な予防注射と入国手続きの仕方がなかなか分からなかった。結果的に出発の2ヵ月前くらいから、コロナが終息し始め、楽になった。
4.医療に少し不安がある。
 私は、途中でコロナに罹り、5日間キャビン内の隔離になった。この時、やはり英語が流暢に出来ないので焦ったが、なんとか伝えることが出来て問題はなかった。妻が元気なので助かった。医者と薬は一応容易されているが、歯科や外科は対応出来ないだろう。持病対策と医療付き旅行保険加入は絶対必要です。

私達のように、添乗員なしの二人だけで、海外発着クルーズ乗船を選んだ場合のデメリット

1.片言の英会話は必要です。
 私ら夫婦は、片言の英語が出来るだけだった。いざ乗船してみると、5千人近くの乗客と乗員に日本人はいなかった。数人の東南アジア出身の乗員が片言の日本語を話せたので少し気が楽になったが、結局、船内、税関、観光地での説明や対応は自分の英会話力が頼りで、船内の書類にはGoogle翻訳が必須です。

2.日本人がいないので孤立し易い。
 私の場合、理由が分からないのですが、イタリア人のあるグループから嫌がらせを受けた。実害はなかった。この船はイタリア人が圧倒的に多く、後は他のヨーロッパ人になる。北欧やドイツ、米国から来た人は裕福な人が多くマナーは良いが、イタリア人にはマナーの悪い人がたまにいる。各国の国民性の違いがあり、特にツアー等で戸惑うこともあるが、それも旅の楽しみになった。


ワールドクルーズで、予想外の素晴らしい経験をすることになりました。

 それは各国の人と友達になれた事でした。船上で長く暮らしていると、船内イベントやツアーで顔なじみになり、また日本人に好感を持っている人もいるので、片言の英語で多くの人と話すようになった。特に妻が、海外の人と積極的に交流したので、私もつられた次第です。コスタのワールドクルーズに参加する人は、イタリア人以外、東アジア人も含めて、英語を喋る人が多い。クルーズを終えてもまだ交友が続き、今年も2組のクルーズ仲間と日本で会った。また私は今年の米国旅行で、クルーズ仲間の家を訪問した。積極的に関われば、世界が広がりました。

 

 

 

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