私は1987年の国鉄民営化、JR誕生に違和感を覚える。
その後の橋本と小泉政権に至る一連の行政改革に対しても同様です。
この行革の過程を追って行くと、日本の政治、政党、組合の振る舞いに狭量さを感じる。
国鉄民営化が失敗だとか悪手と言っているのではない。
放置すれば1985年頃で累積赤字が37兆円になると予想された。
国鉄の運営側と職員(組合員)は共に問題を孕んでいた。
これを放置することは出来なかっただろう。
そして現在、JR各社は順調で、サービスも向上している。
首相の中曽根、臨調の土光敏夫、部会の加藤寛がいなければ大反対の中、成し得なかっただろう。
しかし、そこには幾つかの日本の深層心理、歪な意識が隠れており、結局は経済と国民に大きなダメージを与えてしまったと言える。
始めに、国鉄民営化の要点を挙げます。
大改革しなければならない理由。
1.膨大な赤字が続いていた。
赤字の多くは、長年に亘る毎年1兆円もの新線建設費が蓄積し、その元利払いだった。
モータリゼーションの発達と私鉄との競合により売上は減少し、収支は悪化傾向にあり、運賃値上げが続いた。
2.国鉄は通常の経営権限を持たず、また組合と馴れ合いになり、職員に業務指示が出来なくなっていた。
予算や投資の裁量は運輸省や政府(自民党運輸族)に握らていた。つまり出費は他人がやり、儲けは国鉄の責任。
3.組合はストを頻繁に行い、合理化に反対し、生産性は低く職場規律は悪化していた。
採用された改革手段
1.民営化; 採算を自覚させ、政治家から分離し、多角化と合理化を進める事が出来る。
2.分割; 本州3分割と3島分離により、地域に合った経営が出来き、競争原理が働く。
3.人員削減; 民営化時に約10万人、それまでにも10万人ほどが退職しなければならなかった。JRには20万人ほどが配転となった。
4.資産売却; 保有地7兆円(バブル時に重なり、地価高騰抑制の為に販売価格は低く抑えられた)。
5.赤字処理; JR各社が後に14兆円を返却したが、さらに膨れ上がった残り24兆円は、結局、たばこ税等で賄われた。
国民から見て、納得しずらい点
分割により、多くのローカル線廃止が加速した。
大量の公務員等が失業・転職の憂き目に合い、生涯所得を減らした。
実は、上記二つは、日本経済に大きなダメージを与えただろう。
せっかくの都心の高額不動産を、裏で安く大手デべロッパーに売却している(繰返される悪弊)
経緯から見える事
民営化を決定するにあたり、紆余曲折、大反対の合唱があった。
国鉄民営化に関わる組織には、政府の行革担当(内閣)、諮問機関(臨調の経営者、識者、議員)、運輸省、国鉄、自民党運輸族、国鉄内の幾つかの分裂した組合が主なものだった。
これ以外にも、列島改造(鉄道建設)でぼろ儲けした元田中首相(田中派)と国鉄OB、野党が関わった。
国鉄の状況分析が進み、また国鉄が行っていた合理化計画の不完全さが明確になって来ると、民営化は多くが認めるところとなった。
また民営化は英米で興った新自由主義により、一大ブームになっていた。
しかし分割には抵抗があり、胡散臭さもあった。
分割は、赤字処理への不安やサービス低下、地方路線の廃線等を想定し、多くが猛烈に反対していた。
だが諮問機関は、民間で成功した再建事例等を調査研究して行くうちに、分割を民営化と同時に行ってこそ、目的を達するとの意を強くしていた。
やがて国鉄内の少数派であった若手改革派と自民党運輸族の三塚委員長が、分割で一致したことにより、形勢は逆転し始めた。
この改革派の三人は、後に本州JR3社の社長になって辣腕を振うことになる。
この経緯には、経済合理性だけでは説明仕切れない、人間臭さや権力争いがあった。
逆転が決まったのは、自民党運輸族が頼りにしていた田中角栄がロッキード裁判で脳梗塞で倒れてしまった事にあった。
胡散臭さの正体とは何か?
後に、中曽根首相は「国鉄民営化は組合潰しの画期となった」と公言している。
国鉄は1960年代のマル生運動(管理者らが職員を巻き込んだ生産性向上運動)において、裏で組合潰しを行っていた。
また日本の公務員は欧米と異なり、スト権が剥奪されていた(この異常事態を打破するために組合はストを打ち、頑なになった一面もある)。
これらの事から、見えて来るのは政府、与党議員や官僚は、労働者と組合を軽視、敵視している事がわかる。
これは、後のJR西日本の福知山線脱線事故に繋がった「日勤教育」(事故防止と称した職員への精神虐待)の横行に見えるJR管理者の意識に通じるものがある。
これを牽引した当時の社長は前述の改革派の一人で、当然、マスコミの追及にも反省の素振りを一切見せなかった。
職場で安全活動をやった者なら、JR西日本の慣行は時代遅れの最たるもので、パワハラに過ぎない事を理解できるはずです。
残念なことに斎藤知事(自治省の官僚出身)の如く、兵庫県ではこれが繰り返されている。
彼は内部告発者の扱いやパワハラへの反省がまったく無く、平然と振る舞える姿に、日本の官僚の「労働者軽視」が如実に現れている。
さらに、これらに無頓着な県民や国民にも唖然とさせられる。
根底にあるのは、政府・自民党議員や官僚らの、労働者と労働組合への軽視と敵視であり、無頓着な国民です。
「福知山線脱線事故:この無罪は、組織責任者処罰に関する法整備が遅れている事による」
しかし、事はそれだけで済まない。
上記だけが問題なら、労働者・公務員の待遇が先進国中最悪を説明できても、日本がこれほど経済を凋落させている事を説明できない。
私が「日本の労働」の異常さに歯がゆい思いを長年持ち続け、ここ半年間、調べて行くうちに、あることに気が付いた。
それは国鉄民営化と労働関連の本20冊ほど目を通し終えた時でした。
国鉄民営化関連の本は、政府・企業寄りの民営化礼賛本と労働者・組合寄りの民営化非難本に大きく別れます。
民営化礼賛本の一部には、国鉄の収支や赤字を取り上げ、丁寧な経済分析を装う本もある。
民営化非難本には、個々の退職した国鉄職員家族や廃線で仕事を失った人々の悲哀に迫るドキュメンタリーはある。
だが不思議な事に、中曽根から小泉の行革(1980年代から2000年代の公務員の合理化)による、100万人を越える労働者の退職がもたらす意味に向き合う本はなかった。
しかし「大量の労働者の失業・転職は、日本経済に巨大な需要低下を招き、確実に経済を冷却させると、マクロ的に分析している本」が見つかった。
それは、2001年刊の小野義康著「誤解だらけの構造改革」でした。
「失業者数の推移、失業者が増えるとその間に失業手当が国全体で4~5兆円支払われる」
日本経済が停滞を始めたのは1990年のバブル崩壊以降だが、上記の行革時期とも重なっており、直接だけで公務員100万人以上が転職・失業し、さらに関連する企業や労働者も給与を低下させている事を考えると、行革がバブル崩壊に輪をかけて経済を悪化させた事は容易に理解出来る。
私は日本の現状を嘆く者だが、政府、議員、官僚、経済学者、マスコミなど、誰一人として、労働の経済的意義に思いを馳せる者がいない。
組合や野党は権利を主張するだけで、経済的な視野に立って訴えないと、消費者である国民は真摯に受け止めてくれない。
しかし経済学者の小野義康は、不景気において失業者に仕事を与える公共投資こそが必要であって、逆に公務員を切る事は、経済を悪化させる自殺行為だと警告している。
民間企業のトップ(イーロン・マスク等)にとって、人減らしは企業発展の道具に過ぎないが、国はまったく異なる。国は失業者が税金を払えないからと国外追放にはしない。
むしろ再分配を適正にし、さらに失業者を雇用出来るように経済を浮上させる事こそ、国の使命です。
ルーズベルト大統領はかって、これを実行した。
つまり、日本の舵を取る人々、政府、財界、官僚、学者、政党は、経済全体、国民である労働者の経済的意義に向き合っていない。
これでは日本は良くならない。
政府、国民、経済学者、皆、二流になったしまったようだ。
いや昔から二流のままなのだろう。
次回に続きます。
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