南太平洋クルーズの旅から帰って来て、ほぼ1週間が経ちました。
やっと落ち着き、元の生活に戻って来ました。
私の海外を巡る旅は、そろそろ終わりになります。
2年前はワールドクルーズで、120日かけて35ヵ国を訪れました。
去年は、カナダとアメリカの10都市を27日かけて訪れました。
今回は、27日かけて、オーストラリアのシドニーから、ニュージランド、タヒチ、ハワイを巡って来ました。
来年は、最後として、マレーシア(クアラルンプール、マラッカ、コタキナバル)、シンガポール、インドネシア(バリ島)を訪れる予定です。
これで世界の70ヵ国以上を訪問した事になるでしょう。
しかし、今、少し複雑な気持、後悔に似た感情に囚われています。
世界を知りたくて、多額の費用をかけて、旅をして来たが、「私は何を知ったのだろうか?」、今一、答えが得られていない。
北欧や中国、カナダ・アメリカを巡った時は、旅行前の問題意識に対して、多少の答えが得られたが、今回の南太平洋の旅では、漠然とした感慨しか無い。
台風に遭遇した事により、サモアの訪問が出来なかったり、本来の旅程でも訪問地(島)が少なかった事も災いしているだろうが、今回はいつものような文明、歴史、社会への理解に対する閃きが無い。
南太平洋、オセアニア、ポリネシアは、私にとって非常に興味深いものがあった。
南太平洋諸島では、数千年前から1千年前に移住した先住民が、ここ2百年前からの移住者(欧米とアジア人)と融和して暮らしているように思える。
彼らは植民地としての災難にあっているが、他の大陸の先住民の負った悲劇に比べれば軽度に思える。
一番、惹かれるのが、彼らが非常な危険を犯して、東へ東へと小さなカヌーで新天地の島を目指した事です。
大型のクルーズ船で、南太平洋を航海したが、その広大さと嵐の海の恐ろしさを思い知らされた。
彼らの危険な航海に向かわせた感情にこそ、人類発展の原動力があるように思えるのだが、良く分からない。
またブログを中断した2ヵ月あまりの間に、米国の政治と経済、そしてAIの状況は大きく変化した。
それは、現在、投稿中の「働くとは、何か」にも関わる、世界的な大きな濁流となりつつある。
意を新たに、投稿を続けて行くつもりです。
よろしくお願いします。