あおなみこなみ

今、応援している楽天イーグルスが中心で、ときたま気になる存在のオリバのことも。

今日の履歴書2

2013-09-20 | オリバ
本日の日経新聞の履歴書は、
「球団買収」
(以下、斜体は引用になります)

まずは、新社名をオリックスに決めたということ。
88年8月下旬、三和銀行グループが催した視察旅行に、大阪営業部の・・・・君が参加した。その席でダイエーの南海ホークスの買収説が話題になり、彼は「わが社もプロ球団をもてば社名もすぐ浸透するだろう」などと話したらしい。半月後、・・君に三和銀行から電話が入った。「ブレーブスに関心がありますか。」
三和銀行からというのは、当時阪急のメインバンクでしたからですね。また会社名を広く浸透させる手段として、球団買収は、これまでもありました。

オリックス・ブレーブスとして初めて戦った89年のシーズンは開幕8連勝。わが社始まって以来の衝動買いは出足快調だった。
わたしたちのブレーブスは衝動買いなんですか。球団買収というのは、タイミングがありますからね。でも、一般的な衝動買いの意味は、必要もないのに購入すること。なのですが、オリックスは十分かつ最大に活用してますね。さすがです・・・

阪急側の売却条件は当分の間、西宮球場をフランチャイズとして使うことだった。甲子園球場の阪神戦はいつも満席なのに、西宮球場は閑古鳥が鳴いていた。おまけに西宮市などは競輪の競技場としても使っていた。ブレーブスの新オーナーとして市長に挨拶に行くと「競輪の日程を考えて野球をしてほしい」という。こりゃ駄目だと思い、91年には本拠をグリーンスタジアム神戸に移し、チーム名もブルーウェーブに変更した。
当時の市長さんは誰ですか!!でも、あのころの競輪は、市の財政に大きく貢献してましたから、「「競輪の日程を考えて野球をしてほしい」」という発言は、仕方ないといえばそうですが、なんともね。
その競輪もなくなりました。
ということで、あっさりと神戸へ移転しチーム名も変更。神戸市出身の監督が就任。
当時、ブレーブスのチーム名が変更ということで消されたのは、かなり衝撃でした。阪急色を一掃という意図があったかもしれません。それでも選手は、ブレーブスだということで、なんとかそのまま応援することに。関西で、他のチームを応援なんて考えられなかったからです。

そのあとの履歴書の内容は、仰木監督が就任し、リーグ優勝に日本一。「がんばろうKOBE」。
・・・神戸で私は胴上げされた。今のところ日本一はこれが最初でただ一度の経験だ。
なんで、そんなことになっているのかは、自明だと・・・
その後、有力選手は去ってゆき、あっというまに最下位が定位置になり、チームの状態はボロボロに。さらに監督がすぐに交代するなど、ほんと酷かった。あの強かったブルーウェーブはどこにいった。
圧倒的に、他の球団と戦力差が大きすぎました。この差は、すぐに埋まるはずもなく、球団はどうするのかと思っていました。
すると、まさかあんな手法をとるとは、想像もつかなかった。こんなのありかと。
そのブルーウェーブもチーム名から消されました。



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