あおこのぶろぐ

オペラ、テレビ、日常など、気が向いたときに書いていきます!

「ちりとてちん」「カーネーション」「スカーレット」 朝ドラに見る女性と仕事

2020-02-26 20:24:11 | 日記
朝の連続テレビ小説は、女性の一代記物が多く、つまり、女性の仕事について書かれることが多い。

21世紀の朝ドラで、私が名作だと思っているのは、「ちりとてちん」と「カーネーション」(ただし、尾野真千子編のみ、夏木マリ編は“別物”だと思っている)である。
大森美香さん作の「風のハルカ」と「あさが来た」も大好き。
大阪制作局作品が多い。
東京制作ものでは「あまちゃん」と「ひよっこ」が良かった。

現在放送中の「スカーレット」も名作リストに入ると思う。

「ちりとてちん」「カーネーション」「スカーレット」は、特に女性の仕事について深く描かれていたように思う。そして夫が同業者という共通点もある。

「ちりとてちん」では最終的に落語家をやめて『おかみさん』『おかあちゃん』として生きることを選ぶ。
女性活躍や男女同権が叫ばれているけれど、男性と渡り合って生きていくだけが女性活躍ではないと思う。もちろん、不当な男女差別はあってはいけないけれど。
『おかみさん』『おかあちゃん』は、女性にしか出来ない大事な仕事。
主人公がああいう決意をして終わるというドラマは逆に新鮮で、私は素晴らしいと感動したものだった。

そして「カーネーション」。想像だけれど、「スカーレット」の脚本の水橋文美江さんは「カーネーション」を意識して書かれているように感じる。

「カーネーション」の糸子は、男にしか乗れないだんじりに憧れ、男子とけんかして、父親に「女子が男と張りおうてどないすんねん!」と頬を打たれる。
そして糸子は、自分にとって、女にとっての「だんじり」=洋服作りの道を見つけ邁進する。

「スカーレット」も、主人公喜美子は少女時代、父に「女にはない、意地や誇りが男にはあるんじゃ」と言われる。
その後喜美子は、「女にも意地と誇りはあるんじゃー」と言い返す。
そして成長した喜美子はやがて絵付け師から陶芸の道を見つける。
それだけでなく、穴窯という道を見つけ、意地と誇りで挑戦し、そして成功し名声を得る。

でも、それを引き換えに喜美子は「大事なもの」=「夫」を失うのだ。

喜美子と夫・八郎が、出会いから徐々に距離を縮めていくところ、そして告白、結婚へと、朝ドラには珍しいほどの丁寧な作りで二人の関係を描いていただけに、この二人が別離を選んだのはよっぽどのことだと、と心に突き刺さる。
まさしく「何かを得るためには何かを失わなければならない」ということだ。
それくらいの覚悟で取り組まなければいけないんだなあ。

前作のヒロイン・なつが、戦災孤児という設定だけれども、大人になってからいろいろ恵まれすぎて違和感があったが、「スカーレット」はとにかく丁寧。
喜美子も友達をはじめ周囲の「人」にはかなり恵まれている。
その人間関係がしっかり描かれているから、喜美子がどんなに苦労しても、喜美子は明るく生きていっているし、我々視聴者も暗くならず楽しく見ることが出来ている。

「スカーレット」は、今週、異例の本放送内の「スピンオフドラマ」のようになっている。

残り一ヶ月。
一度壊した家族がどういう形で前に進むのか。八郎との関係は? そして武志はどうなるのか? 

喜美子のモデル・神山清子さんの実際のエピソードを下敷きにしながら、夫の不倫は描かれなかったように、オリジナル要素も高い。

これからの一ヶ月、楽しく前向きになるようにな展開と結末を期待したいと思う。

新国立劇場「セビリアの理髪師」ふたたび

2020-02-15 23:31:28 | 日記
昨年6月の二期会「サロメ」以来、久しぶりにオペラを観に行きました。新国立劇場には「ウェルテル」以来で、今年度初。
こんなに長期間観に行かなかったことは珍しいかも。

新国立劇場内でいろいろ変化があったので(英語字幕とか黒いクッション?とか)、時の流れを感じました。

で、令和初の新国立劇場。
「セビリアの理髪師」(2月14日)。

キャスト
フィガロ……フローリアン・センペイ、
アルマヴィーヴァ伯爵……ルネ・バルベラ、
ロジーナ……脇園彩、
バルトロ……パオロ・ボルドーニャ、
ドン・バジリオ……マルコ・スポッティ、
ベルタ……加納悦子
指揮……アントネッロ・アッレマンディ、
管弦楽……東京交響楽団

演出は前回も書いたケップリンガーで2016年の公演と一緒。

脇園さんを観聴きしたくて行きましたが、評判通り、素晴らしかったです。
まだお若いのに、歌も演技も堂々としたもの。舞台姿も日本人離れしていて、スター性があります。歌だけでなく容姿、演技も重視するわたくしも納得・満足。今後も注目していきたいです。

加納さんのベルタも安定の存在感。

他のキャストも皆さん好演、熱演で楽しめました。

が、男性陣には主にヴィジュアル面でやや不満も。

アルマヴィーヴァ伯爵があんなに「丸く」ては……。
たぶん伯爵のバルベラとフィガロのセンペイと、胴周りのサイズはあまり変わらないかも? と思うのですが、背が低いと不利ですよね。

逆にバルトロのボルドーニャは扮装で太らせていました。ヴィジュアルは伯爵と逆のほうがしっくりしたかも。

前回の伯爵・ミロノフがカッコ良かっただけにね……。

前回のフィガロのイェニスはギターで「リンドーロの名乗りの歌」の伴奏をしていたよなぁ、などと前回と比べてしまった。

総合的には16年のほうが良かったな。


カーテンコールを見て、カッコいい♪と思ったのは、バジリオのスポッティと指揮者のアッレマンディでした。
アッレマンディは、頭がザビエル系(ゲルギエフ系というか)だったけど、全く問題なく、一番素敵だったかも。


今回のバルトロのボルドーニャは日本語をギャグとして使い笑いを取っていました。国際公演だと、こういうことも出来るわけですね。

しかし、オール日本人キャストの場合は、こういうコメディ作品は訳詞上演でいいんじゃないかと思います。

以前書いた中山悌一訳詞、鈴木敬介演出の二期会公演は、シンプルな装置ですごく工夫され楽しかった記憶があります。バルトロ役の故・斎藤俊夫さんも好演で、すごく楽しかった。
訳詞でも歌詞が聞き取りにくかったという印象もなかったし。

そういう敷居の低い公演をもっと上演して欲しいと、やっぱり思うのであります。