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日本のしくみ

2014-11-10 10:52:56 | 日記
昨日の日曜討論を見ていたら、女性の大学教授が相変わらず自信満々で日本の財政状況に問題は無いと言い切っていて、この様な自信はどこから沸いて来るのか疑問に感じてならなかった。
これとそっくり同じなのが原発を停止したときに地球温暖化するという議論に対して真っ向から温暖化はしていないと言い切っていたのに非常に似ていたからだ。
データを膨大に集めて、まるで証拠を提示するかのようであったが、問題なのはその自信だ。
現在の状況では温暖化していないという証拠を提示するのは困難さを増しているし、温暖化の原因で多くの人が死傷している。エボラ出欠熱も温暖化の進行が関係しているという考え方が多勢をしめている。北海道で30度以上の真夏日を記録し、海水温の上昇の為、台風の勢力が衰えないまま日本に上陸するのは、もはや当たり前になっている。
経済的損失は原発の停止とあわせたら、いくらになるのか想像もつかない。
その上で、日本の財政状況に問題は無いと言い切れる、その度胸には言い知れぬ恐怖すら感じる。
そして、それを支持する日本の有権者の数にまた大きな疑問を感じる。
データでは有権者の半数が原発の再稼動に反対している。膨大な人数の人達が地球温暖化や財政危機に対して、問題は無いと感じているのだ。
簡単に言えば、自信満々の大学教授に騙されている訳だが、それがどの様なメカニズムで起きているのかに焦点を当てなければならない。
一つに、それを誘導しているのは国家公務員ではないか?という考えだ。
なぜなら、国から金銭を受け取っている人物は全て国家公務員のしもべとなりうるからだ。
先日の、ダーウィンが来たでは人を全く恐れない野生のイノシシが現れて、その理由がそのイノシシに餌をやっている人がいたという単純な理由からであった。
国に援助を受けている人は国の言動や立場をそのまま「イエス」としか言わなくなるのだ。
この国の言動を荷っているのが、大学教授ではないかと思われるのだ。大学教授の多くが国の立場を保身する為のスポークスマンになっていて、間接的に国の考え方を支持する仕組みを構築しているのではないだろうか。
報道は一般人が記事を書いている訳だから、大学教授の言動に疑問を抱く人は殆どいない。
これは、大変に重大な問題で、言ってみれば国家公務員は江戸時代の大名と同じ地位を国の仕組みによって維持している可能性がある事を意味する。これが事実ならば日本は実は社会主義国家であり、その所為で国家の財政を逼迫させて民間の自由な競争原理を崩壊させ、自立的な活力を奪っていると考えられるのだ。

戦争とは何か

2014-10-28 09:29:50 | 日記
根本的な問題である、戦争とは何かについて考えて見たい。
そもそも、戦争とひとくくりで表現されること自体に疑問があるからだ。
漠然とした表現は、イメージで語られる事に繋がり、現実離れを引き起こしかねない。


戦争とは、言うならば、「恐怖政治」であろう。
なぜ、恐怖政治が台頭するのかと言えば、単純にそれ以外に道が無いからだと考えられる。
アドルフ・ヒトラーのホロコーストも恐怖政治ではないだろうか。日本のかつての軍主導の政治形態も恐怖政治と考えられる。


両者とも共通しているのが、「財政的」な問題を抱え、国民が不満を感じるようになり、挙句に自国民をコントロール出来なくなったのが原因と考えられる。
つまり、他国への侵略による、興奮と陶酔を国民に与え、一方で公の場で人を惨殺する事で、自国民が国家に異議を唱える事を許させない空気を形成していったのである。


今の政治の現状に目を移して見ると、その片鱗がうかがえる。
国民の不満に政治が振り回され、財政も急激に悪化している。こういった事が続くと何が起こるのか。
まず、初めのステージでは、絶えず政党が入れ替わるという現象が起きる。どんなに正しい政治を行っても国民を満足させる事が出来ないからだ。


つまり、国民自らが、政治を悪い方向に導いていると言える。
平気で、嘘を付き、金をばら撒き、財政をとことん悪化させる、いわゆる「悪い政治」を行う政治家を「良い政治家」だと思い込み、支持する様になるからだ。


アドルフ・ヒトラーも戦争になる前はアウトバーンを建設した。ロケットも開発した。そして自国民を賞賛した。国民に誇りを取り戻させようと必死で働いたのだ。
それでも、自国民を満足させ続ける事は出来なかったのであろう。それが戦争への切欠であり、民族浄化とそれに伴う惨殺行為による、自国民を自らへ服従させる方法論であった、と考えられるのだ。それが「恐怖政治」の実態だ。


では、ドイツでアドルフ・ヒトラーの様な政治家が現れなかった場合、どうなっていたのかという疑問がある。まず考えられるのはギリシャやウクライナの様な財政破綻をしていた可能性が高い。
ギリシャはEUに加盟していた為に難を逃れているが、ウクライナでは悲惨な状況が続いている。自国が侵食される現象だ。これは、ウクライナの国民が国を捨ててしまった為に起きたと言える。決してロシアが侵略している訳ではない。自然現象として必ず起きるのだ。ウクライナ国民自らの問題だと言える。


現状の日本では、財政が極めて悪化し国が将来、破綻する可能性が高い状況にあるが、重要なのはそこから目を背けてはならない事だ。そむけているから、原発事故が起きた時に政治家が原発に責任を押し付けてしまう様な事が起きるのだ。絶えず財政の建て直しを最優先に置いていれば、この様な「悪い政治」は起きなかったであろう。
極端な話、偶然や必然によって亡くなった人の命を思いやるよりも国家の財政破綻を避ける事の方が重要である。戦争によって無実の人が「必ず」殺されるからだ。これは、民族全体の国家的犯罪行為だ。
先の大戦について反省するならば、それを扇動した政治家が犯罪者である事は言うまでも無く、それを擁護する事は戦争を肯定していると捉えられる。


今からなすべき事は、自国民に現状を正直に訴え、そこから目を背けるとどうなっていくのかを分からせる「説明力」がある政治家を育て、出現させていく国民世論の形成であろう。国民自らの世論が国の将来を左右していくからだ。


付け加えて、第二次世界大戦中のドイツ及び日本の財政状況の変化も注目するべきだ。調べていないので定かではないが財政が持ち直していた可能性がある。もしそうならば、決して完全に間違った選択であったとは言い切れなくなる。国として見た時に、財政破綻を免れた点において評価できるからだ。そして、それが戦争の持つ根本的な意味だと言える。

大災害の後、なぜ風説の流布は拡大するのか

2014-07-18 13:25:33 | 日記
 いままで、災害と風説との因果関係についてはなぞだった。
しかし、東日本大震災の後、風説の流布はやはり、発生した。
ターゲットが原子力発電に限定されていたが、他にも韓国や中国といった隣国に対する流言もやはり、発生した。
これは、何らかの災害で多くの人が亡くなった時に必ず発生する。
そのメカニズムが徐々に明らかになりつつある。

考えられるメカニズム。
1)多くの人が亡くなる=宗教団体の活動の活発化
宗教団体は元々、大げさではなく人を騙して金銭を巻き上げて暮らしている。
したがって、大災害が発生すると、恐怖や悲観に暮れる人が増え、宗教に勧誘され易い人が増える。
その、活動の手段が近年はインターネット上の掲示板やフェイスブックといった瞬時に情報が伝わるシステムによって行われているのだ。

2)恐怖感の増幅=宗教への依存
個人から見れば、目に見えない恐怖の広がりや不安を癒す方法として宗教による癒しを求める動きが活発化するであろう。
それでは、なぜ一部の宗教活動家は原発の再稼動に反対したのであろうか?
彼らは再稼動に反対しているのではなく、反対活動を続ける事そのものを主眼としているのである。
つまり、反対活動を続ける事によって、一般人への社会的不安感が継続して続くであろうと考えている。
活動を通じて、放射能汚染に対する注目度を常に高く保っておきたいという考え方だ。いかにも宗教家らしい狡猾な考え方である。でなければとっくにその宗教は消滅しているであろう。

3)共産主義思想の拡散=国家の弱体化
宗教の基本理念は「嘘八百」以外に「共産主義思想」という社会構造の構築がある。
信徒と宗教家の関係は小さな国家の様であり、主従関係が明確で、縦型社会そのものである。こういった人権や個人の思考を無視した社会メカニズムが「共産主義思想」の根幹なのである。
こういった人を征服したいという悪の願望に支配された宗教家は当然、国家をも征服したいと考えるであろう。共産主義思想の拡散は国家の財政を圧迫し、やがて弱体化していく。今回の原発の停止はまさしく彼らにとって一石二鳥であったに違いない。

 つまるところ世界で起きている戦争も根本的には宗教指導者による独裁的大衆の掌握願望が発端であり、それが拡大する事によって世界大戦に繋がっていく事を意味する。
宗教の重大な欠点は「嘘八百」「善悪の存在」「共産主義思想」を肯定している事だ。
宗教は元々、嘘のみで構築された思想だ。科学的根拠は全く無い。したがって、指導者は嘘を平気でつける人に限られる。その嘘つきが善悪を判断し「信じる者は救われる」と言い続けているのだ。世の中で善悪は無いも同然だが、殺人が悪だと言うなら戦争は最も罪深い。その根本的な原因が宗教指導者による征服願望だとしたら宗教が罪深くないという証拠は何処にも無いであろう。
 共産主義思想についても同様な宗教的概念を含んでいる。かつて共産主義の指導者が私服を肥やさなかった事は無いであろう。一般大衆の自由を奪い、根拠の無い善悪を構築し、一律に縦型社会を構築し、空気が読める人だけが懐手に金を渡してより高い地位につくという、共産主義思想が悪でない証拠もまた何処にも無い。

 では、何を信じれば良いのか?
何を信じるかは個人の自由だ。しかし、嘘のみで構築された宗教を信じるのは自爆行為であろう。意思の弱い人達はそのターゲットとして常に狙われているのだ。そして、政治の基本的形式として存在する「共産主義思想」もまた「嘘八百」なのである。
 また、もし優れた宗教家が存在するとしたら、どんなに糞みそな評価を受けようとも動じないであろう。宗教を個人的な精神性の維持のみに使うとすれば善悪などという不確定な事に囚われる事が無いからだ。

共産主義思想の敗北

2014-07-13 09:11:35 | 日記
 共産主義の失敗において国が弱体化し、結果、他国による侵略や内部から崩壊していく様子はウクライナやソビエト連邦、中国の地方公務員による汚職などで今日でも観察する事が出来、殆ど証明されているに近い。
しかし、ここに来てさらに考えなければならないのは、わが国が資本主義国家であるにも拘らず共産主義思想がベースになっている為に、汚職がひそかに蔓延し、共産主義国家がたどった道と同じ失敗をしようとしている事だ。
 すでに税収を上回る国家予算を組むという、悪しき慣例は限度を超え、いわゆる自転車操業に近い状況に達した。しかし、共産主義思想をベースとしたプロパガンダはありとあらゆる団体や個人に浸透し、当たり前の様に日本が先進国であり、アメリカと並ぶ金持ち国家であると洗脳されている。この事に疑問を持つ日本人はもはや一部の経営者ぐらいなものであろう。

 ここから考えなくてはならないのは、共産主義思想の弱点についてだ。
今まで、資本主義思想の弱点を共産主義者達によって、散々解説され続けてきた。「沈黙の春」という本などは、代表例で、資本主義の問題点を明快にする事は他にもいくらでも可能だ。
しかし、これを鵜呑みにする事は、もはや出来ない時代になりつつある。
弁達者な共産主義者の巧みな罠にはまって隠れていた問題点が富の消失とともに表面化しその全貌を現して来ている為だ。

 人は何度も戦争を経験し人と人が殺し合って来た。しかし、この問題は資本主義思想の問題というよりは共産主義思想の問題である。
伊藤博文を暗殺した安重根記念館に入った人が出てくる時は日本に憎しみを持つ様になっている。これは、共産主義思想における洗脳行為、プロパガンダだ。
これと同じ事が広島や長崎でも行われている。一度この施設に入った人はアメリカに対して憎しみの念を持つであろう。これは、反戦的というよりむしろ好戦的な思想に他ならない。
根強いアメリカとのアライアンスを嫌う共産主義者達の根底には反アメリカ思想が脈々と受け継がれているのだ。しかも、彼らを平和主義者であるかの様に国までもがプロパガンダを手伝っている。これではいつまで経っても戦争は繰り返されるだけであろう。

 共産主義思想は「国家」や「ユートピア」といった書物を読むと誠に優れていると感じる。問題点を洗い出し、非の打ち所も無い。この様に優れた思想がなぜ現実世界では実現できないのかを考えなければならない。
共産主義思想は個人の生産で生み出された富を一度、国家に集約し再分配する事で貧富の差を無くし人と人が互いに助け合っていく社会、共産共助の精神に基づいている。これは、言ってみれば純粋物理学の中の数学部分だけを抜き出して理論を構築している様なものだ。小保方氏がSTAP細胞は有ると言い切っているのと全く同様である。数式の上で成り立つものは全て成り立つという考え方だ。
しかし、現実はどうであろうか?現実は存在しないのであり、物理的にも再現は出来ていない。これは共産主義思想の欠点と同一のものである。
証明が完了する時間を「無限」に設定しているからこうなるのだ。
現実社会では時間が無限に与えられる様な事はない。全ての時間が金銭に置き換えられている為に、時間と共に損失が拡大していくからだ。

 日本の負債についても同様の考えが見て取れる。借金の返済期間が「無限」に延長され続けている。しかし、これは現実には無限ではない。国民が国に貸す金が無くなれば、それで終わりだ。それが共産主義思想が敗北する日なのだ。

極右と極左

2014-05-22 05:25:28 | 日記
自己主義の左翼と全体主義の右翼。
どちらも危険な思想に他ならない。
極端に自己愛を重視したり、極端に国家の繁栄を重視する事は、結果的に多くの死者を出す事に繋がっていく。
まるで増えすぎたねずみが列をなして川に飛び込んで行くかの様な行為だ。
知識が偏重し寛容な精神が失われた状態が左翼や右翼を生む。

極端な自己愛がなぜいけないのか?
巨大なプロジェクト全般に対して反対する。つまり、変化を嫌い、自身の利益や快楽のみに注目する事で、地震や津波、火事や建物の倒壊、洪水や土砂崩れといった大きな災害に無力である。こういった事が起きる度に宗教の力を借りる非科学的な考え方だ。
経済の衰退や過疎化も招き、戦争による侵略を受ける事にも繋がる。
極端な自己愛は自然衰退や自然消滅へといずれ結末する。麻薬や同性愛など非生産的である事からも分かる。

逆に、極端な国家主義がなぜいけないのか?
こちらは、自己ではなく国家を愛する行為で、直接的な自己では無いにしろ、自己の含まれた国家を愛しているので自己愛の間接的な結果だ。
民族主義とも言われるが、自国が危機的な状況になった時に、他国を傷つけてでも生き残ろうとする。
また、拡大思考の為、巨大化する事に快楽を感じている。
プロジェクトが巨大ゆえ失敗した時の損害が大きい。戦争では多くの死者を出す。

重要なのはバランスであり、どちらに偏重しても結果は死であり消滅である。
国家主義や利己主義の色彩を少しでも打ち消すように努力しなくてはならない。
特に政治家や国家公務員においてこういった色彩が少しでも現れる事は、結果的に国家の消滅に繋がる。
しかし、力動的に不可避である可能性も否定できない。
破壊と再生が繰り返されるうちに進化しているという考え方だ。破壊されるべきものは自然に破壊しつくされなければ次は無いのかもしれない。‎