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格差を考える

2015-03-01 08:13:13 | 日記
格差社会における格差は、金銭的なものに帰着するが、それ以前に能力における格差がその原因となっている。
失敗は様々なレベルで存在するが、同時に失敗した時の対応能力についても問われるなど、状況に応じた対応が出来るか出来ないかが一能力として問われる為だ。
その能力が無いと、失敗が積み重なり、結果的に重大な失敗を犯す事に繋がっていくと予測される。

一つの小さなミスを隠したりすれば嘘をつく事に繋がるが、その罪が永久に温存される事になり、人物の性格に重大な影響を与えて行く。
「嘘も方便」と言うが相手の立場を鑑みて、その場を丸く収める時や、場を和ませる為に冗談を言う、などの様に限定的な嘘の事を言っているのであって、場の空気が読めない人には使えない技だ。
従って、場の空気が読めるか読めないかも能力の格差の一つと言える。

しかし、酒に強いか強くないかの様な考え方をすると、いくら能力が高くても大きな失敗に繋がる。自分の能力の上にあぐらをかいてしまう様な事をすると、能力が停滞して、やがて劣化が始まるからだ。つまり、先天的な能力がいくら高くても、失敗は起きる。これは動物園の動物が子育ての仕方を忘れて野生動物に戻れなくなる現象から、子育てもまた高度な技術伝承が必要であると言え、決して放っておけば自然に能力を自己開発出来るという性格のものでは無いと言える。

民族主義者が先天的な能力の高さについて、よく語るのは、こういった間違った信念によるものだ。
能力主義によって強者の社会が構築され、弱者は淘汰されるものであるとした時、その強者の定義を見誤ってしまうと、弱者同士で集団を形成する事に繋がっていってしまう。

ここで言う強者とは自由競争の原理に基づいて勝者となった人物の事であり、ピラミッド構造をなす一社会において、その優位性が下から上に向かって常に一定の方向性を保っていなくてはならない。
この原理と道理が守られなければ、そのピラミッド構造は必ず弱体化し、他のピラミッド構造によって淘汰される運命にある。
野生動物の種も一つのピラミッド構造であり、自然界の原理から人間も逃れられない事が分かる。

では、野生動物の保護はどう見るべきなのか?
ピラミッド構造が淘汰される可能性は常に有る、としか言えない。
つまり、どんなに保護しても、一つの種が絶滅する可能性が有るのと一緒だ。保護していれば永久に絶滅しないと考えるのは間違っている。
無用な弱者の集団を構築して破壊を繰り返す人間は、駆除され続ける害獣の増殖と大して違いは無い。増え過ぎれば価値が低下していくのは人間も変わらないのだ。