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戦争とは何か

2014-10-28 09:29:50 | 日記
根本的な問題である、戦争とは何かについて考えて見たい。
そもそも、戦争とひとくくりで表現されること自体に疑問があるからだ。
漠然とした表現は、イメージで語られる事に繋がり、現実離れを引き起こしかねない。


戦争とは、言うならば、「恐怖政治」であろう。
なぜ、恐怖政治が台頭するのかと言えば、単純にそれ以外に道が無いからだと考えられる。
アドルフ・ヒトラーのホロコーストも恐怖政治ではないだろうか。日本のかつての軍主導の政治形態も恐怖政治と考えられる。


両者とも共通しているのが、「財政的」な問題を抱え、国民が不満を感じるようになり、挙句に自国民をコントロール出来なくなったのが原因と考えられる。
つまり、他国への侵略による、興奮と陶酔を国民に与え、一方で公の場で人を惨殺する事で、自国民が国家に異議を唱える事を許させない空気を形成していったのである。


今の政治の現状に目を移して見ると、その片鱗がうかがえる。
国民の不満に政治が振り回され、財政も急激に悪化している。こういった事が続くと何が起こるのか。
まず、初めのステージでは、絶えず政党が入れ替わるという現象が起きる。どんなに正しい政治を行っても国民を満足させる事が出来ないからだ。


つまり、国民自らが、政治を悪い方向に導いていると言える。
平気で、嘘を付き、金をばら撒き、財政をとことん悪化させる、いわゆる「悪い政治」を行う政治家を「良い政治家」だと思い込み、支持する様になるからだ。


アドルフ・ヒトラーも戦争になる前はアウトバーンを建設した。ロケットも開発した。そして自国民を賞賛した。国民に誇りを取り戻させようと必死で働いたのだ。
それでも、自国民を満足させ続ける事は出来なかったのであろう。それが戦争への切欠であり、民族浄化とそれに伴う惨殺行為による、自国民を自らへ服従させる方法論であった、と考えられるのだ。それが「恐怖政治」の実態だ。


では、ドイツでアドルフ・ヒトラーの様な政治家が現れなかった場合、どうなっていたのかという疑問がある。まず考えられるのはギリシャやウクライナの様な財政破綻をしていた可能性が高い。
ギリシャはEUに加盟していた為に難を逃れているが、ウクライナでは悲惨な状況が続いている。自国が侵食される現象だ。これは、ウクライナの国民が国を捨ててしまった為に起きたと言える。決してロシアが侵略している訳ではない。自然現象として必ず起きるのだ。ウクライナ国民自らの問題だと言える。


現状の日本では、財政が極めて悪化し国が将来、破綻する可能性が高い状況にあるが、重要なのはそこから目を背けてはならない事だ。そむけているから、原発事故が起きた時に政治家が原発に責任を押し付けてしまう様な事が起きるのだ。絶えず財政の建て直しを最優先に置いていれば、この様な「悪い政治」は起きなかったであろう。
極端な話、偶然や必然によって亡くなった人の命を思いやるよりも国家の財政破綻を避ける事の方が重要である。戦争によって無実の人が「必ず」殺されるからだ。これは、民族全体の国家的犯罪行為だ。
先の大戦について反省するならば、それを扇動した政治家が犯罪者である事は言うまでも無く、それを擁護する事は戦争を肯定していると捉えられる。


今からなすべき事は、自国民に現状を正直に訴え、そこから目を背けるとどうなっていくのかを分からせる「説明力」がある政治家を育て、出現させていく国民世論の形成であろう。国民自らの世論が国の将来を左右していくからだ。


付け加えて、第二次世界大戦中のドイツ及び日本の財政状況の変化も注目するべきだ。調べていないので定かではないが財政が持ち直していた可能性がある。もしそうならば、決して完全に間違った選択であったとは言い切れなくなる。国として見た時に、財政破綻を免れた点において評価できるからだ。そして、それが戦争の持つ根本的な意味だと言える。